<お笑いと構造 第3回> お笑いの構造分析における三尺度 ②納得感

 文狸(ぶんり)です。前回は、お笑いの構造分析の三尺度「意外感」「納得感」「期待感」のうち、「意外感」について説明しました。今日は二つ目、「納得感」について解説していきます。まずは、漫才におけるツッコミをきっかけとして考えていきましょう。

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漫才は、ツッコミで笑いが起きている

 というのは、しばしばお笑いの世界で聞く言葉です。もちろん、これはただちに「漫才はボケで笑いが起きない」ということを意味するわけではありません。しかし注意深く観てみると、たしかに「ボケで起きた笑いが、ツッコミが入ることでより大きな笑いになる」ということの繰り返しによって漫才が進んでいくことがよく分かります。

 前回に引き続き、「川に溺れている子供を助ける」というコント漫才の、「大変だ、177に電話しなきゃ!」というボケについて考えます。前回説明した通り、ボケというのは「共通認識から外れていること」による笑いでしたね。この場合なら、「溺れている人がいたら119番にかける」というのがその「共通認識」にあたります。
 ツッコミとは一般的に「相方(ボケ)を注意し正す役割」と言われています。つまりそのボケに対して、「なんで天気予報やねん!」あるいは「いや119番やろ!」というようなツッコミと、「電話するより先に飛びこめよ!」というようなツッコミでは、「どちらが的確に相手の誤りを正せているのか」という観点から見ると、明らかに後者のほうが「良いツッコミ」であると言うことができます。

 つまりこの比較から、ツッコミで笑いが起きたとしたら*1、それは指摘された「正しいこと(共通認識)」に対して観客が「確かにそうだよね」と納得しているから、ということが見えてきます。逆に、観客が気になっているのと別なことをツッコんだり、奇をてらって普通するだろうツッコミから大きく外れたりしても笑いは起きないのは、「納得感がないから」という一言で説明することができます。
 ボケの「意外感」、ツッコミの「納得感」――これが漫才の基本構造なのです*2

毒舌を支えるのも「納得感」である

 前節は、という話でした。本節では、その逆、「『納得感の笑い』ならば、ツッコミである」というわけではないというお話をします。つまり、この「納得感」というワードを使えば分かりやすく説明できる[注4]お笑いの理屈は、他にもあります。

 その代表例が、「毒舌」です。毒舌芸というのは、とりあえず滅茶苦茶なことを言って相手を貶めておけばよい、というような生易しいものではありません。もしそうだとしたら、誰でも悪口を言いさえすれば毒舌芸ができるはずですが、素人にはなかなかできないのが現状です*3
 本稿に登場させた時点で何となく予想はつくかもしれませんが、毒舌芸が「お笑い」へと昇華されるその根底にあるのは、「確かにその指摘はもっともだ」という同意です。(デフォルメされて過剰な表現が使われてはいますが)その言葉自体が本質を突いていなければ毒舌芸というものは成り立ちません。
 有吉弘行さんが一時期やっていた「あだ名芸」も、ひどい表現ばかりでしたが、その人それぞれにあった絶妙な納得感があったと思いませんか?

 先ほど説明した通り、ツッコミというのは、常に「観客が今何を考えているのか、どう感じているのか」を敏感に読み取り、それを提示することが要求される立場です。それと同様に、毒舌芸というのも、対象の本質を見抜きそれを端的に言葉で表現する、という非常に高い技術が備わっていなければいけません。
 この辺りを考えると、最近、多くの芸人さんが、人々の共感を呼ぶエッセイストとしても活躍している事実にもうなずけるのではないでしょうか。

「納得感」の大きさは、「共通認識の明瞭さ」と「共通認識からの距離」で決まる

 記憶力の良いお方は、本節のタイトルが前回の一節を「意外感」から「納得感」に入れ替えただけだ、ということにお気づきかもしれません。しかし、たしかにどちらも「『共通認識の明瞭さ』と『共通認識からの距離』で決まる」のですが、実はその決まり方が異なります。分かりやすいように、前回のものと合わせて計算式として見てみましょう。

1: (意外感の大きさ) (共通認識の明瞭さ) × (共通認識からの距離)
2: (納得感の大きさ) (共通認識の明瞭さ) × {1-(共通認識からの距離)}
※「共通認識からの距離」は、0から1の範囲で推移すると考えます。

 要は、ボケとツッコミにおいては、対象とする共通認識が明瞭であればあるほど笑いが大きいという点では同じですが、前者は共通認識から遠い(=意外感がある)ほど面白く感じ、後者は共通認識に近い(=納得感がある)ほど面白く感じるということです。
 この式2つはこれからとっても大事になってくるので、よく覚えておいてください。

終わりに

 本稿では、お笑いの構造分析の三尺度の2つめ、「意外感」について解説しました。
 ここまでは便宜的に、「意外感の笑い」・「納得感の笑い」というのがそれぞれ独立して存在するかのように説明してきましたが、実際に私が分析する際には、基本的に一つの対象に対して複数の尺度を合わせて考えることになります。
 そこで次回と次々回では、もうひとつの要素「期待感」を説明する前に、お笑いにおいて「意外感」と「納得感」がお互いにどう影響しあうのか、そのダイナミズムに迫っていきます。まずはその「拮抗性」から扱います。

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*1:この言い方から、私の「自分が面白いと思ったものを、なぜ面白かったのか後から分析する」という結果論スタンスを思い出して欲しいです。

*2:実は、特に現代漫才において、「ツッコミならば、『納得感の笑い』である」というわけではなくなってきています。くりぃむしちゅーフットボールアワー霜降り明星スリムクラブ、カミナリ、東京ホテイソンなどのツッコミについてはまた別の機会で紹介させていただきたいです。

*3:その意味で、友達やネット上の相手に、TVの真似をして安易に「毒舌」を吐くのは、ただ関係を悪化させることにしかつながらないので、あまりオススメできません。