平成31年4月2日 第3回 透明人間にはなれない

 先日、××県で多職種連携を学ぶための某プログラムに参加していた。

 その初日、私は都合により集合時間に間に合わなかった。受付でプログラムの参加者である旨を告げると、訳も分からないまま事務の方に案内され、「この方がリハビリのA先生です」と紹介されると、その方はそそくさとその場を立ち去ってしまった。
 A先生は利用者さんの歩行の練習を手伝っている最中で、私に一瞥をくれて軽い挨拶だけをすると、何事もなかったかのように業務を再開した。私は何もできずただ棒立ちで、その姿を眺めた。少し息が上がっているのと、室内外の温度差とで、マスクのなかが蒸れて少し湿っぽくなった。
 一連のやるべきことが終わったのか、A先生は利用者さんを連れ、その場から利用者さんたちの溜まり場になっているテレビの前のテーブルまで歩き始めた。何も指示を与えられていない私は、ついていっていいのかも分からない。ついていくのは邪魔かもしれない、けれど、馬鹿みたいにひとりでこの場に棒立ちしているのはもっとおかしい。そう思って踏み出すのだが、一歩目はとても重く、普段どうやって歩いていたのかがよく分からなくなってしまった。脚の筋肉、ひいては上半身にも力が入って、ぎこちなく歩きながら、A先生のあとを遅れてついていく。

 A先生に追いついた頃には、彼はもう別の利用者さんに話しかけていた。車椅子のため、A先生はかがんで、大きくはっきりした口調で体調について尋ねていた。A先生とその方(仮にBさんとする)からどのくらい距離をとるべきなのか、どうやって立てばいいのか、手をどこにおけばいいのか、どんな顔をすればいいのか、を考えるのだが、そのすべての正解が分からない。この空間における自分の圧倒的異物感に、このプログラムに参加したことを後悔さえし始める。
 そのとき、A先生がこちらを不意にふりむき、私に話しかけてきた。
 「××くん、挨拶して」
 あ、自分はこの場に存在していることになっていたのだという驚きをまずは抱く。そのあと、自分の立ち方を考えるだけで必死だった私は、何を喋っていいかさっぱり分からず慌てる。一気に手汗をかく。
 「えっと、××××と言います……××大学から来ました。あの、よろしくお願いします」
 Bさんの反応は薄い。聞こえていることを示すようにわずかにうなずいてはくれているが、視線はテレビから外さない。
 ――何て言ったらよかったんだろう。たしかに、この人にとっては、××大学なんて情報は何の意味もないもないよな。名前をもっと分かりやすく伝えて、あとはインタラクションできるように、何か簡単な質問でもしたほうがよかったのかなあ。こいつ何でおんねんって思われたかなあ。
 そうやってぐるぐる後悔しながら、私はまたぎこちなく歩く。そして一つのことに気が付く。遅れてきたせいでコートを着たままであること、マスクをつけたままであることが、自分の抱いている「異物感」を増幅しているのだ。コートは「外」で着るものだし、マスクで顔を隠すことができるのも、自分のことを知ってもらう必要がないときだけなのだ。私は急いでコートを脱ぎ、マスクを外す。

 移動した先には低いベッドがあった。Bさんは足を曲げたり伸ばしたりする運動をするようだ。A先生はBさんにベッドに腰掛けるように言うと、必要なタオル類をとってくるために、一時その場を去った。私はベッドのそばにある椅子に座ることもできずに、立ち尽くしている。私とBさんのふたりきりの空間になる。しかし何もできない。何も喋れない。刹那、視線があう。私はとっさに外す。外してすぐに後悔する。これじゃ、自分はあなたと関わるつもりはありませんって宣言したみたいなもんじゃないか。
 A先生が戻ってきた。「××くん、座っていいよ」と言われて、私はホッとして椅子に腰かける。少なくとも、立っているよりは何十倍も居心地は悪くない。A先生がBさんに話しかけると、彼女は笑顔になった。リハビリが始まる。
とりあえず、私はこれをずっと眺めていればいいのかと思っていると、A先生は私に話しかけてきた。
「××くんはなんでここへ来たの?」
「あ……えっと、知人にこのプログラムを紹介してもらったんです」
「Bさんはね、もともと××っていう地域に住んでたんだけど、4年前に腰を悪くしちゃってね……」
 A先生は親切にもBさんの持つ問題について話してくれるのだが、その内容よりも、私はA先生の声のボリュームが気になった。Bさんのプライベートに深く関わる話を私という第三者にしているのに、それが明らかにBさんの耳に入っているのだ。本人の前でいいのだろうか。話をしているA先生を、そしてそれを聞いている私のことを、Bさんはどう思っているのだろうか。先ほどまでとは違う意味で、私はこの場における自分の存在の定義づけが分からなくなる。

 Bさんの説明を詳しく聞いていると、横から別のリハビリの先生の方が、80歳ほどの利用者さん(Cさん)の男性の車椅子を引いてやって来た。すると、A先生は私に向けて話すのをやめて、Cさんに話しかけ始める。私に説明しているときは標準語で敬語だったが、方言でくだけた口調に変わる。また私という存在はこの場でいないのと同じになる。いや、正確には、この場所における「役割」も何もない私はいないのと同じなのに、それでも消えてなくなることができないから辛いのだ。私は視線を誰とも絶対に合わさないようにする。俯いて、Cさんたちが去るのをただただ待ち続ける。
 ああ、透明人間になれたらどれだけ楽なのだろうか。しかし当然のごとく、透明人間にはなれない私は、生身の人間として、自分の体の置き場も分からずに、ただ時間が過ぎていくことを切に願う。

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