平成31年4月6日 第7回 辺縁を歩くためには芯が要る

 私が××大学医学部に入った理由は、今から思うと何ともいい加減なものです。
 もともと私は小説家か哲学者になりたかったんですが、文藝同好会の同級生と話すうちに知識量や思考力の圧倒的な差を感じ、こりゃ文系に進んでも自分はかなわないなと尻尾を巻いて逃げ出し、「手に職」だということで医学部を選びました。全国には色んな医学部があるはずなのに、いつの間にか「××か××か」の二択になっていて、「『×××』とかいう制度があって選択の余地を残していたら自分の性格上サボってしまいそうだし、最初から『医学部』と決まっているところに入るほうがいいだろう」という理由で××大学医学部を目指し始めます。×ということもあり、学歴のいちばん良いところ(のひとつ)を目指したいというプライドも存分にありまくりだったと思います。くそしょーもないですね。

 受験時の面接では「×××のような基礎研究がしたい」と言いました。××だから折角だし研究したい!くらいの理由でしたが、少なくともそのときそう思っていたというのは嘘ではなかったと思います。
 しかし、幸運なことに××に合格し、入学したての4月のことです。基礎研究者育成プログラムの説明会に参加した私は、配布された資料を見て愕然とします。××××××学、××××××学、××××××学……威圧するように並ぶそれらの言葉の一文字も理解することができなかったのです。そんな私とは対照的に、「僕は免疫に興味がある」「神経やってみたいな」と話す同級生がいて、俺は何にも興味持てないし全然だめだとまた尻尾を巻いて逃げ出し、結局私が基礎の研究室に通うこともありませんでした。その時点で分からないのは当たり前だし、どこでもいいからとりあえず入ってみれば良かったものを。
 
 俺は基礎研究者になるのは無理そう。となると、臨床医になるのか。……え、俺、医者になるの? あのめっちゃしんどそうな職業? まじで? そんな覚悟まったくできてへんわ。
 という具合に、1年生の5月、私は医学部に入ったことを強烈に後悔するようになります。自分が医学/医療に興味を持って勉強できるようになる未来がまったく見えませんでした。この頃は家に引きこもりがちで、TSUTAYAで借りてきたロッキーシリーズの映画を3周するくらい時間を持て余していました。
 
 しかし、詳しい経緯はまた別の機会に譲りますが、なんやかんやあって4年生の春頃、医学/医療に関連する分野で自分にも興味を持てるものがあることにようやく確信できます。それは、医学史・医療社会学/医療人類学・医学哲学/医療倫理学といった、人文社会科学と医学/医療とが交叉する学問でした(じゃあ、このうちのどれに結局いちばん興味があるのかと言われると、それはまだまだ模索中ですけど)。医学部で普段学び、医師国家試験で問われるような知識からは離れた、(貶める意図はなく、フラットな意味での)いわゆる辺縁領域だと思います。
 ずっとふらふらしながら医学生をしておりましたが、4回生以降の私はそのような分野の勉強に没頭するようになります。やっと自分にとっての安寧の地を見つけられたのが嬉しかったのです。もともと自分が好きな場所にまた戻ってこれたような感覚もありました。4回生の私の学生生活は、本を貪るように読みながら、研究を2つ進めつつ、毎週のように襲ってくる試験をやっつける、という感じでした。これは言い訳でしかないのですが、モチベーションと時間的制約の問題から、生物医学的知識についての勉強は、まあ、試験は無難に通しておけばいいや、くらいになります。もともと「医者になりたい」という気持ちが強くあって入ってきたわけではないのもあって、そういう勉強への向き合い方が正直なところよく分かりませんでした。
 そもそも私は医者になりたいのだろうか? その問いにまた戻ってきました。

 ですが、それに対する答えが最近出ました。答えは、イエスです。
 例えば、少なくとも日本では、医療人類学の研究を現在されている方の多くは、もともとは文化人類学者で、(とても粗雑な言い方になりますが)文系のバックグラウンドで質的な研究のトレーニングをごりごりしてきたような人たちの集まりです。そのような人たちに、医学部で6年遅れをとっている自分が研究の世界で対等にやっていくのはとても難しいことだと思います。では自分の強みとして何があるのかというと、それはやはり、「医学部を出ていること」そのものなんだと思います。医者という立場だからこそ見えるものが、自分の提供できる価値なのではないかと。となると、その「医者である」という足場がガタガタでは、自分はやっていけない、そういう危機感を抱くようになりました。
 つまり、医学/医療から遠く離れた領域で研究したいからこそ、逆説的ですが、本家本元の医学/医療の勉強を頑張らないといけない。私は、きちんと胸を張って「私は医者です」と言えるようになりたい。ものすごくクネクネした回り道を通って、今ようやく、ど真ん中に到達したような気持ちです。

 辺縁を歩くためには芯が要る。
 つまるところは、勉強頑張ります、という宣言です。

蛇足
 一方で、このような考え方はともすれば、「医者になること」それ自体が目的ではなく手段化しているのではないか、それは不純なのではないか、と葛藤する思いもあります。もともと「医師になりたい」という意識が強くないことが、逆転して「医師になる」ことへの純粋な動機を希求する姿勢を導いているのだと思います。このような問題は、いずれイスラームに関する話を通じてまた考えます。

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