平成31年4月8日 第9回 大抵のことはもう誰かが考えてる

 少し前に、以下の記事を読みました。

style.nikkei.com

  そこで、「若者の活字離れ」について聞かれたときの又吉直樹さんの答えがとても印象に残っています。

本を読まない友人がいて、1つのテーマについて鋭いことを言います。ただ、その意見は近代文学の中で何度も言及されてきたことで、その意見に対する反対意見もさらにその反論もでていて、すでに2つ3つ先に議論が進んでいるのです。彼が本を読んでいたら、その続きから考えられるのです。彼は賢い人ですが、もったいないですね。

  文学を愛する又吉さんが、読書を勧めるにあたり、あくまでもその実用性から語っている点がとても興味深いです。

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 前回で少し触れた通り、私は××××××(×××××××××××××××)で教育に関する自主的な活動を行っています。そのひとつに「学生と教員の懇談会」というのがあって、学生と教員がともに本学の教育を俯瞰しながら(=お互いの要求の単なるぶつけ合いにならずに)意見を交換することを目指しています。私は、その議論自体が単純に面白いというモチベーションもありますが、学生と教員の相互理解が進めばいいなと思ってその場が続くように頑張っています。
 その会を開催するにあたって、参加してもらう学生に集まってもらい、普段教育について思うことや言いたいことをヒアリングして準備することにしています。会もかれこれ5,6回は開催していて、毎回参加する学生が違うのですが、ヒアリングするたびに思うのは、「あ、その話、前も出たな」ということです。
 たとえば、「過去問を公開して欲しい」という話ひとつをとっても、それに対する教員の方の応答があって、さらに学生が反論して、そして教員の方が応える、というところまで議論が懇談会で進んでいます。なので私はなるべくそういう話は事前に学生に共有して、懇談会ではさらにその先の話ができるように心がけています。「積み上げていく」ということを丁寧にしていかなければ、「学生が普段考えること」なんていうのは所詮一歩目のところで留まり続けるのだなと思います。

 つい昨日、教員インタビューや懇談会で議論した内容を(懇談会に来てくれる学生だけでなく)××の医学生の皆に共有するために、「学生Newsletter」を発刊しました。毎月などというdutyは決め過ぎずに、コツコツと更新していく予定です。
 学生が教育について考える会のようなものは他大学にもあると思うのですが、多くは継続性という観点から問題を抱えています。ごくたまに意欲のある学生が現れて、そのときの熱量で一気に色んなことをやって、そして廃れていく、というサイクルを不連続に繰り返しているのが現実だと思います。むろん、私もそのひとりです。今3回生のMさんというとても優秀な後輩が××××××を引き継いでくれることになっていますが、さらにその後続いていくのか、となると、現状何も確かなことは言えません。また、逆に、私の前に教育系の活動をしていた医学生は京大に何人もいたはずですが、そのすべてを踏まえたうえで私が今できているかというとかなり微妙です。
 この「学生Newsletter」は、もし××××××をやりたい人が誰もいなくなり完全に途絶えてしまったあと、その数年後にまたそういうことをやりたいという人が出てきたときのためにも重要だと思っています。ゼロからスタートするのと、「この話はもうしたよ」「これはもう考えたよ」「ここまでは積み上げたよ」というのを知ったうえで始めるのとでは大違いですから。

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 私は「若者は先入観がないから柔軟に発想できる」みたいな言説をあまり信じていません。
 もし無知な若者が斬新な発想をできたとしてもせいぜいラッキーヒットで、それを目指すという意味で期待するなら良いと思いますが、「若者は皆イノベーティヴで、オトナには想像できないことを思いつく!」と思っているなら、それはいささか能天気過ぎるのではないかと思っています。
 無知な状態で思いつくことのほとんどは、たかが知れていています。一方で、「若者」に「オトナ」と同じ情報量を与えればそれを使って新しいことを思いつく能力が備わっているかというと、それはそれで、その知識をつけていく過程で「オトナ」が辿った過程をそのまま追うだけになることになると思います。
 でもまずはそれで良いと思います。重要なのは、先人の積み上げてくれたものを丁寧に拾い上げた先に見えるものです。こういう意識は、自分で研究をしているうちに芽生えてきました。
 ともかく、「若者の力」みたいなものを前面に押し出す姿勢は、そのあたりの「積み上げること」の大切さをないがしろにしている気がして、あまり好きではありません。「若さ」が(良くも悪くも)ある種の「責任の無さ」とかを本質的に孕んでいるというのなら、理解できるんですけど。その意味では私は若いと思うし、まだまだ若いまま停滞していたいとすら思います。

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 大抵のことはもう誰かが考えている。
 そういう感覚は、自分の身をわきまえる誠実さと、ひとつひとつ考えを積み上げていく堅実さにつながります。そしてそれを教えてくれるのは、又吉さんの言う通り、本を読むことだと思います。何かを知ることは、自分がいかに何も知らないかを新たに知ることです。それは知識でも、人の感情でも、同じことだと思っています。

 だから、私の××××××についても、「俺、こんな独自の発想できるねん」みたいな驕りは1ミリもありません。誰かにとって新たな見方を提供できるのならそれほど嬉しいことはないですが、基本的には、「それはもう考えたわ」と誰かに思われているだろう、あるいは既に本で書かれているだろう、と思いながら書いています。それでも今文章を書き続けているのは、それを言い続けていてはいつまで経ってもアウトプットする機会は訪れないし、自分の現在位置を確認し記録するという意味ではやはり重要なことだと思うからです。
 なので、皆さんにお願いしたいのは、××××××を読んでいて、「そういうの、この本を読めば既に書いてあるよー」とか「その先のこういう部分も考えてみては?」というようなことがあればアドバイスをいただきたい、ということです。

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