平成31年4月14日 第15回 じぶんという輪郭

 【第5回 愛か恋かゲーム】で、言葉を定義する(define)とは輪郭を描くことであり、輪郭というのは、「それ」と「それ以外」の間に立ち現れてくる境界である、という話をした(こう書くと、少しトートロージーに聞こえる)。この輪郭という考え方は、何も言葉だけに当てはまる話ではない。

 ハンセン病についての勉強会をこの4月から始める予定で、いちばん初めに読んだ本にこんなことが書いてあった。

近代的な国家形成の編制にあたって、標準的な「国民」を手っ取り早くつくるのには、ある特徴(異なった点)をあげつらい一定の少数者にレッテルを貼り、それを「野蛮」「非国民」あるいは「非―人間」として区別=差別して市民社会(一般社会の共同体)から排除することだった。この近代的な国民国家づくりの過程で、(略)「外部」ないしは「周縁」へ押しやったのが、「非―国民」=「他者」としての部落であり、アイヌであり、琉球であり、朝鮮(在日)であり、障害者であり、野宿者であり、ときには女性であり、そしてハンセン病者などのマイノリティー(少数派)に他ならなかったのである。――田中等『ハンセン病の社会史』

  近代日本は「ここからここまでが国民です」という輪郭を書く必要があった。その輪郭をはっきりさせるためには、「国民でないもの」を名指しすることがいちばん簡単で確実な方法だった。1996年にらい予防法は廃止されたが、ハンセン病においてもあるいはそれ以外の問題においても、残念ながら、その一度刻まれた輪郭はまだまだ消えていない。それどころか、誰かが新たな輪郭を書き始めたりしている。

 社会における差別というと大きな問題に聞こえるが、これはすぐそばにある問題でもある。
 私たちは自覚するしないにかかわらず存在証明に躍起になっている、と主張したのは全盲社会学者、石川准だ。彼は『人ははぜ認められたいのか』という本のなかで、存在証明の方法として「印象操作」(他者に自分が価値ある存在であると印象づける)と「補償努力」(否定的な評価を受けた人が別の分野でそれを取り返す)、そしてもう一つあると述べた。

三つ目は、「他者の価値を奪ってしまう」というやり方です。差別とかいじめとかはこれです。他者から価値を奪うということによって、自分の価値を手っ取り早く守ることができます。――石川准『人はなぜ認められたいのか』

  モラトリアムとは、アイデンティティの揺らぎに立ち向かうことである。じぶんが何者なのか、という問いを突きつけられるのはとても不安で怖いことだ。そして独りでじぶんの輪郭を描くというのは何とも難しい。でも、たくさんの人間と肩を寄せ集め合って、「わたしたちはみんな一緒」という輪郭をつくってしまえばとても安心だ。その輪郭を強く濃く書くために、「あいつは違う」という人間をひとり決める。それがいじめだ。

 「じぶんとは何か」というのは、多くの人が一度はぶつかりそして忘れ去っていく問いのことである。私のような一部のうじうじした人間だけが、いつまで経ってもそんな問題について考え続けている。哲学者の鷲田清一は、こう説く。

 わたしたちの自己理解の構造を分析したり、あるいはじぶんの内部をのぞきこんで、じぶんのどういう特質がほんとうのじぶんなのだろうかと考えても、たぶん答えはでてこないだろうと思う。じぶんとはなにかと問うて、じぶんが所有しているもの、他人になくて自分だけにあるものに求めても、おそらくは自分は見えてこない。
 そこでこんなふうに考えられないだろうか。わたしは「なに」であるかと問うべきではなくて、むしろわたしは「だれ」か、つまりだれにとっての特定の他者でありえているのかというふうに、問うべきなのだと。なにがリアルなシナリオであるかは、他者とのかかわりのなかでしか見えてこないと。――鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』

  私の言葉を使えば、じぶんという輪郭はじぶんでは書けない、と言い換えることができる。他者と「その他者に見せるじぶん」が触れあっているその部分だけは、ちょこっと輪郭を書くことができる。そうやって、無数の他者と「他者にとってのじぶん」との間に生まれる輪郭――それは長さにして1ミリもないと思う――をツギハギみたいに繋ぎあわせて、「リアルなシナリオ」を描いていく。それが最も現実的で、確かな方法だと。

 「他者にとってのじぶん」を集めていく、というのは確かに納得感のある解決法である。
 でも、他者と「その他者に見せるじぶん」の間に輪郭を書くとき、その鉛筆を握る手は、いったい誰のものなのだろうか?

 ここまできてから、俺は何を今さらコギトエルゴスムみたいなことを言ってるんだと気付いたので、今はこういう問題について考えるのはよすことにしている。抜け出せないループに入りそうな気がした。別に私は哲学者になりたいわけではない。

2001文字
(計31620文字)