平成31年4月15日 第16回 自然言語にwell-definedを求めるな

 いつだったか、トイレの張り紙の「トイレの紙以外は流さないでください」という注意書きに対して、

うんこも流してはいけないのですか? こまります

 という屁理屈が落書きされている画像がTwitterで流れてきたました。これはこれで面白いのですが、自分的には、その下にさらに重ねて書いてあった落書きがとても印象に残っています。

自然言語にwell-definedを求めるな

  思いのほか、この言葉が自分につき刺さりました。

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 私は、LINEやメールなど文面でのコミュニケーションが極端に苦手です。
 全く見当違いの解釈をするパターンや、あるいはもっと多いのは、相手の文面を深読みし過ぎて、先回りして謝って勝手にひとりでドツボにはまるパターンです。ほんとによくあります。それが嫌過ぎて、どんなことでもなるべく直接会って話したいくらいです。
 昔からこうなってしまう理由をずっと考えていたのですが、あのトイレの落書きのおかげで、それが「自然言語にwell-definedを求め」ていたせいだと気が付いたのです。

 一連のエッセイを読んでくださっている方は、私が言葉について一定以上のこだわりを持っていることは何となく分かってくれているのではないかと思います。それはこういうよそゆきの文章だけでなく、日常でのコミュニケーションでも同じで、LINEやメールで送る文章を書くときはいつも ①「自分の頭の中にあるもの」と ②「自分の書いた言葉を聞いて相手が思い浮かべるもの」が完全に一致するように心がけています。要はwell-definedな(輪郭のはっきりした)文になるようにしているのです。
 そういったことを自分自身が心がけるぶんにはいいのですが、私はそれを相手にも「求めて」しまっていたのだなと気付きました。だから私はドツボにはまるのだと。

 他の皆は「(well-definedでなくても)これで何となく伝わるでしょ」という発信の仕方をしていて、受け手側も相手が「何となく」で書くと思っているから相手の意図を汲みとることができる。数字を使って説明を試みると、例えば太郎君がAと伝えたいときにLINEで書く文章は、文脈上Aと解釈できる可能性が90%、Bと解釈できる可能性が9%、Cと解釈できる可能性が1%くらいの精度です(これは良いほうかもしれません)。そのとき聞き手である次郎君は、もともと相手が精度100%でコミュニケーションをすると想定していないから、何の迷いもなくAという意味だと判断します。もっと言うと、B,Cの選択肢が頭に浮かぶことすらないのだと思います。
 でも自然言語にwell-definedを求めている私は、自分が「何となく」で相手の言葉を解釈することを良しとしません。コンテクストを考えると9%,1%と可能性は著しく低いのにも関わらず、「こう書くということはBと解釈できる可能性もある」「いや、Cもなくはないな」と(自分の心配性な性格も相まって)どんどん深みにはまっていき、最終的には「今相手はどのような気持ちなのか、もしかしたら……」と過剰に思い詰める結果となります。

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 つまり自分は、この「何となく」(=空気)をうまく読めていないということで、最近の大きな悩みです。これ、どうやったら改善するのでしょうか。
 相手がそんなことを言うはずがない、という信頼をうまく持てていないのも問題だとは思うんですが……

〇蛇足〇
 文面でのコミュニケーションは著しく苦手な私ですが、日常会話ではそこまで難儀を感じることはありません。
①日常会話はface-to-faceのコミュニケーションで、相手の反応を声色や表情、間から伺いながら微調整ができる
②日常会話は瞬発力が必要で深く考えず「何となく」でコミュニケーションをとらざるをえないが、それに対してLINEはどうしても、書くとき・読むときに時間をいくらでもとれてしまうので(はまらなくてもいい)ドツボにはまる
 という理由があると私は思っていますが。

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