國分功一朗『中動態の世界』(医学書院、2017)

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく) | 國分功一郎 |本 | 通販 | Amazon

 昨晩、お久しぶりの方と色々お話していて、今もやもや考えていることを根本から解決するきっかけの一つとして、"中動態"という概念がやはりあるのではないかという気がしてきました。一年前に読んだ本ですが、孤独死について考えていたり、『プシコナウティカ』(イタリアの精神医学について文化人類学者が書いた本)を読んでいたり、西田幾多郎について勉強していたり、インフォームド・コンセントについて考えていたり、色んな場面で何度も中動態のことを思い出ました。

 要は、【能動-受動】という構図で考えていると無理が出てくるところがいっぱいあるんですよね。そこに中動態が効いてくるんじゃないかという気がしてくる。でも、この本でも繰り返し説明されているように、中動態は「受動でも能動でもない」という風に否定形で定義されるわけではありません。「受動でも能動でもない」という言い方そのものが【能動-受動】という構図から自由でないからです。

 じゃあ中動態とは何かと問われると、今の私にはまだはっきり説明できません、すみません。というか今の時点で自分の立場に引き付けて説明するくらい昇華できていたら、医療の世界を変えるくらいの文章がすでに書けていると思います……これからずっと頭のどこかには置いたうえで過ごしていこうと思っています。