2019年1月〜6月に読んだ本

1月

19001 都市文化と東洋医学 (マーガレット・ロック/思文閣出版) 

 日本における東洋医学の実践をフィールドワークした本作。読みながら「何を当たり前のことを言っているんだ」と浅さを感じていたが、その理由が民族誌を「原住民」の立場から読んでいるからだということに後から気がつく。

19002 四畳半神話大系 (森見登美彦/角川文庫)

 中学生ぶりに読んだ。作中に出てくる、京大に関するアイテムがいちいち分かって断然面白い。

19003 日の丸は紅い泪に (越定男/教育史料出版会)

19004 発達障害グレーゾーン (姫野桂/扶桑社新書)

 以前紹介した。

satzdachs.hatenablog.com

19005 医の倫理を問う (秋元寿恵夫/頸草書房)

 731部隊をテーマに医の倫理を論じる。解剖実習について、「人間が、たとえ死体であるとはいえ、同じくれっきとした人間のからだに切り刻むという行為は、『誰もがやれないことが自分ならやれる』ことの最たるものであり、そこから知らず知らずのうちにある種の特権意識が芽生えてくるのは、とめようもないのではないか、という危惧の念である」とあるのだが、実際どうなんだろうか? 解剖学実習をする医学生エスノグラフィーがこれを明らかにする?

2月

19006 わかりあえないことから (平田オリザ/講談社現代新書)

 ブログで取り上げた。

satzdachs.hatenablog.com

19007 じぶん・この不思議な存在 (鷲田清一/講談社現代新書)

 ブログで取り上げた。

satzdachs.hatenablog.com

19008 変貌する日本の医学教育 (ゴードン・L・ノエル)

19009 ナナメの夕暮れ (若林正恭/文藝春秋)

 以前紹介した。

satzdachs.hatenablog.com

19010 【証言】七三一部隊 (郡司陽子/徳間書店)

 731部隊にいた女隊員の手記。面白いのが、731部隊の残酷さを深く反省する一方で、石井隊長については「隊長は、七三一部隊の恩人で、隊員にとっては『神様』みたいな存在だった」「わたしたち隊長と同郷の人間の間では、隊長のことを『親爺』とも呼んでいた」という記述があり、その慕う気持ちが執筆当時にも続いているということ。731部隊のしたことと、個人的な関係とが頭の中でつながらないのだろうか。

19011 素顔の医者 (中川米造/講談社現代新書)

 この本でも解剖学実習は批判的に書かれているが、切り口は少し違う。解剖学実習が人をモノ化して見る見方を助長する、という話。「福祉国家として知られている北欧では、もう30年くらい前から人体解剖実習はないという。その代わりに動物で解剖実習をやるのだという。それで、北欧の医者が頼りないという話はきかない」辺りの書きぶりは、さすがに感情的過ぎるのではないか。この話題にしても、解剖学実習によって生き物としての人の神聖さを実感するという側面もあると思うので、もう少し深く掘り下げるべき。

19012 家庭の医学 (レベッカ・ブラウン/朝日新聞社)

19013 構造と診断 (岩田健太郎/医学書院)

 タイトルから想像はついていたが、構造主義の立場から診断について語るとなればこうなるだろうなという本。別に文系の研究者じゃなくても人文社会科学についてある程度勉強したらこのくらいのものは書けるのだから、もっと上を目指さないといけないよなあと思う。

19014 医療現場の行動経済学 (大竹文雄・平井啓編著/東洋経済新報社)

 とても売れた本らしいのだが、結局、医療現場で起きている現象を行動経済学の言葉に丁寧に置き換えただけに過ぎなくて、この本で何か医療現場は変わるのだろうか? と思ってしまう。現場で働く医師の方にその辺り聞いてみたい。

19015 おひとりさまの老後 (上野千鶴子/文春文庫)

3月

19016 フィールドワークへの挑戦――<実践>人類学入門 (菅原和孝編/世界思想社)

 後半の、実際のフィールドノートの例を取り上げていくパートが面白いので、そこから印象的な部分を引用する。

<療導院の民族誌
――教院に着くなりドキッとした。受付にすわる老人が白衣を着ていたのだ。あとからわれわれ調査者のなかで合言葉になったのは、「この空間は病院のメタファーにつらぬかれている」であった。講話を始める前に、院長は<毎日帖>を見ながら、「××市の〇〇さん」と一人ひとり<客>の名を読みあげ《問診》めいたことを始めた。<毎日帖>とはカルテなのだ!(132ページ)
――あなたの生は、自分では一度も観察したことのない因果の複雑な網状組織に埋めこまれている。一対の因果「A→B」の正しさを自分の五感で確かめたという直接経験はあまりにもささやかな元手である。他の膨大な因果の正しさは、だれかがどこかで(たとえば科学者が実験室で)確かめてくれたはずだ。あなたは、「この社会」への基本的な信頼に身をゆだねるからこそ、極小の直接経験を一挙に網の全体へと拡張することができるのだ。(140ページ)
――だが、因果の網目のなかに呼びこんで処理することが難しいような種類の問いがある。「なぜ、<この私>が、こんな病気になったのか」という問いは、その一例である。運勢鑑定、波動水、<思念>といった実践は、この種の問いに答えを与えようとする。それらに頼ることは、「医学」に傾倒することに比べると、「非合理的」なのだろうか? ある意味ではそうである。(140ページ)

摂食障害民族誌
――今は、「誰しも太るのはイヤなはず」という時代であり、「太るのがイヤ」という表明は、あくまでも軽い雰囲気で口に出されなければならない。気にしすぎていると「重い」と言われる。体重のことを気にしすぎても、逆にまったく気にしなくても、どこかはみ出てしまうのだ。(249ページ)
――「わかりあいたい」という願望は、その苦しみが社会的なものであればあるほどに強くなり、皆で社会の行きづらさを共有しよう、と呼びかけてくる。だが、人のなかに入るほどに、違和感をもつ機会も増える。自分が出せずに悩んでいた自分であるのに、いざ「仲間」と呼ばれると引いてしまう、そのような思わぬ反応が、「摂食障害者に共通の経験」に安住しようとする刹那にあらわれる。(252ページ)

19017 ねじ子のぐっとくる体のみかた (森皆ねじ子/医学書院)

19018 苦悩することの希望 (浮ヶ谷幸代編/協同医書

 未だ少ない、医療者を対象とした医療人類学の研究をまとめた本。最近臨床実習のフィールドノートを書いていて思うのだが、患者の語りというより、むしろ私は医療者の生態のほうに興味があるのかも。解剖学実習を経験する医学生についての研究もあって、これは上述の問いに対する一つの答えになっている。「解剖実習モードの形成過程において、学生は遺体がヒトかつモノであるという矛盾する二つの捉え方の板挟みになりながら、どちらにも向かい得る中間的/両義的なカテゴリーを見いだし、これを『ご遺体』と表現することになるのである」。分かるなあこの感覚、という感じ。

19019 イスラーム 生と死と聖戦 (中田考/集英社新書)

 ブログで取り上げた。

satzdachs.hatenablog.com

19020 フィールドワークの物語(ジョン・ヴァン=マーネン/現代書館

 フィールドノートの書き方3種類:写実的物語、告白体の物語、印象派の物語。

19021 日本語を翻訳するということ(牧野成一/中公新書

 ブログで取り上げた。

satzdachs.hatenablog.com

19022 日本のムラージュ(石原あえか/青弓社

 ムラージュとは、かつて医学教育で使用されていた、患部の蝋性標本。直接見たことがあるが、インパクトは写真のそれの何十倍で、今の医学教育でも使ったらいいのにと思う。

19023 Developing Communication Skills (Hemant Poudyal, PhD)

19024 移動祝祭日 (ヘミングウェイ/新潮文庫)

4月

19025 愛×数学×短歌 (横山明日希/河出書房新社

19026 ハンセン病者の生活史 (坂田勝彦/青弓社)

 「労外」に出る(=働きに出る)ことができた者。ハンセン病療養所内の「豚舎」で働いていた者。ハンセン病療養所内での差別。

19027 プシコナウティカ―イタリア精神医療の人類学(松嶋健/世界思想社

 フランコ・バザーリアによって精神病院から地域のセンターへと患者が移ったイタリアでのフィールドワーク。精神病院の撤廃が「本当に」良かったのかという点における多角的な視点からの分析の欠如と、話が哲学に寄り過ぎではないかというところが気になるが、しかし<自由>や<主体性>を<中動態>から分析するくだりは面白い。まだ理解しきれていないので読み返す。

19028 リバース(湊かなえ/講談社文庫)

 「自分だけは深く考えてる」と思い上がる自分を自覚したときの辛さ、恥ずかしさ。良いミステリ。

19029 舞城王太郎全作品レビュー(京都大学SF研究会)

19030 知の編集術(松岡正剛/講談社現代新書

 松岡正剛の文章は湿度が高過ぎて肌に合わない。

19031 イスラム飲酒紀行(高野秀行/講談社文庫)

19032 なぜふつうに食べられないのか(磯部真穂/春秋社)

 摂食障害についての医療人類学の本。「医師は還元主義だ」と決めつけられることへの違和感をまず抱く。さらに、一つの見方に拘泥することを批判しつつ、この本自体が「医療人類学的な」一つの見方に落ちていく感がある。最後に「フロー」の概念を持ってきたのが何ともこじつけっぽい。そして、この本を医師が読んだとしたら、現場の医療は明日から何か変わるだろうか?

5月

19033 感情と看護(武井麻子/医学書院)

 1996年にスタインが提唱した「医師―看護師ゲーム」に関する、「『医師―看護師ゲーム』のルールの基本は、『プレイヤー(医師と看護師)のあいだでは公然と不一致を起こすことは避けなければならない』というものです。右の例では、『看護師は偽装された助言』をすることによって、医師の処方する特権を損なわないようにしています。このゲームがうまくいくと、医師は看護師を有能なコンサルタントとして使えますし、表向きは医師に敬意を払いつつ、看護師も自尊感情を高く持ち、職業意識を満足させることができるのです」という記述を読んで、私が最近お気に入りの概念<虚構のリアル> を思い出した。
 本筋とは関係ないが、南米のある女性が「コップを落として割ってしまっても、『コップが落ちて割れた』という」エピソードが面白かった。「意志を持った行為主体」の概念を揺り動かす。

19034 ブラック・ジャックは遠かった(久坂部羊/新潮文庫

 著者が自身の医学生生活を振り返る。

教師が生徒を「先生」と呼び、ていねい語で話しかけるのは、世界広しといえどこの業界だけだろう。(102ページ)

 これには未だに慣れないしやめて欲しい。

私は運がいいのか悪いのか、バイト先の病院でなかなか患者の臨終に巡り合わなかった。早々に経験した研修医は、何か箔をつけたようになり、未経験者より一段上にいる感じになる。(146ページ)

 イニシエーションとしてのお見送り。

19035 うつの医療人類学(北中淳子/日本評論社

19036 語りかける身体 (西村ユミ/講談社学術文庫)


 これ現象学的看護研究かと圧倒された。一つのテーマでこれ以上ないほどに深く書き切った感がある。身体の話が多いので現象学のなかでもメルロ=ポンティが中心だが、自分が働いたことがないからか、<間身体性>の話はよく分からない。

19037 ポスト資本主義 (広井良典/岩波新書)

 ひたすら成長を追い求めるのには限界があるだろうし、また日本の目指す社会でもないと思う。

19038 ヤノマミ (国分拓/新潮文庫)

産み、吊り上げ、蟻に食わせ、その生まれた子どもが成長して子を孕み、出産し、また胎盤を吊り下げる。(213ページ)

19039 構造主義科学論の冒険 (池田清彦/講談社学術文庫)

 以前紹介した。

satzdachs.hatenablog.com

19040 新宿医科大学 (永井明/平凡社ライブラリー)

 著者が学生闘争真っただ中の学生生活を振り返る。「学生たちはこの試験を、遺体に立てられている小さな旗がお子さまランチのチキンライスの上の旗と似ていることから、『お子さまランチ』と呼んでいた(103ページ)」というのは、現在も形式は変わっていないが、今は聞かない表現である。

19041 甘えの構造 (土居健郎/弘文堂)

19042 科学哲学 (サミール・オカーシャ/岩波書店)

 この本が読んでいてつまらなくて、科学哲学じゃなくて哲学史に興味があるのだと気が付いた。

19043 語り継ぐハンセン病ー瀬戸内3園から (山陽新聞社)

 世の中で極悪人のように捉えられる光田健輔も、「愛生園には医師光田を慕う人が少なくない」のだという。「恩人に弓をひくなんてとんでもない」「われわれを唯一受け入れてくれたのが療養所であり、光田先生だ」。光田健輔という人物が気になる。

19044 病の経験を聞き取るーハンセン病者のライフヒストリー (蘭由岐子/生活書院)

 本筋とは関係ないが、「人類学における最近のフィールドワーク論においても、フィールドワーカー自身の経験を前面に出した記述は、リフレクシブ・エスノグラフィーとして確立されている」とあったのだが、オート・エスノグラフィーと用語として何が違うのだろうか……?

6月

19045 小島の春 (小川正子/長崎出版)

 光田健輔の右腕的存在として全国各地を訪れ、ハンセン病在宅患者の収容に一生を捧げた小川正子の手記。昭和15年に映画化されて大ヒットした。とにかくハンセン病者を「思いやる」、「善良」な様が伝わってきて、この人はこの時代背景にこういう職業として生まれたからこうなったのだろうなと。各地を回るたびに救癩宣伝の映画を流していたというのが興味深い。

映画は「ラストシーン」になった。軽いうちに治療をしたお蔭で完全に治った母なる癩者、また癩が伝染だから映っていない子供はちっとも差支えないとて、癩者の子絹江が難関を乗り越えて結婚がかなう場面に来ると、下駄や傘を抱えて入りこんだ観衆の喜びは極度に達した。(211ページ)

19046 瀬戸内はさざなみー光田健輔とその周辺 (村野民子/鉱脈社)

 もともと「ナニモノかになって名を挙げたい」気持ちがあった光田だが、権力に固執する兄の姿を反面教師として、人の役に立つ人道的な医師を目指すべく、当時誰も手をつけていなかったハンセン病問題にとりかかる。しかしその後、ハンセン病の「権威」となり、かつて厳しい目で見ていた兄のようになる過程が面白い。本書は研究というよりエッセイの域を出ないものなので、他に光田についての良い本があればいいのだが……

19047 医療ケアを問いなおすーー患者をトータルにみることの現象学 (榊原哲也/ちくま新書)

 医療者にとっての現象学の入門書としては最良であると思う。結論が「<患者をトータルにみること>に基づく医療ケアを行うためには、患者がどのような時間を生きているのかを理解しようとする<時間性>という視点を根幹に据えつつ、その患者の<身体化した知性>の能力がどのような状態であるのか、その患者の持つ<背景的意味>はどのようなものなのか、そしてとりわけ、その患者にとっての<気遣い/関心>、すなわちその患者にとって大事に思われ、志向性が向けられている関心事は何なのか、そしてその気遣い/関心によってその患者はどのような<状況>に巻き込まれているのかを、患者と関わり、対話をする中で理解しようと努力することが大切になる(179ページ)」なのだが、あまりに陳腐な結論で、別に現象学を持ち出さなくても語ることのできることばかりである。入門書ゆえしょうがないのか。

19048 ヴィータ (ジョアオ・ビール/みすず書房)

 ポール・ファーマーの『権力の病理』は構造的暴力を暴いた本としては一定の評価を受けたが、その一方で医療人類学者の本としては「個別の生が描けていない」という批判もあったという(活動家としての本だから仕方がないか)。訳者あとがきに「国家、政治、医療、家族といった制度が複雑に絡み合うさまを考える土台として一人の人間の生を位置付けたところに、この本の人類学研究としての意義がある」とあるように、カタリナという一人の女性からブラジル社会全体まで透けて見える様が実に見事である(カタリナという女性を選んだことが結果オーライな感はあるが)。あと少し精神疾医学批判はやや安直か。
 しかしともかく、読み物としても最高に面白い。散漫で意味をなさないと思われたカタリナの書く『辞書』が、彼女の人生を理解したうえで最期に読み直すと、迫力をもって意味が立ち上がってくるラストは衝撃である。

愛を感じる
孤独な愛
孤独のなかで欲望に従う
愛は遺棄された者たちの幻

19049 あん (ドリアン助川/ポプラ)

  著者がハンセン病者でないハンセン病文学において、ハンセン病者の描き方はどのように当事者に受け取られるのだろうか。「ハンセン病者は過去に色々抱えているけれども、それでも強く立ち上がって、含蓄のある言葉を言う」という人物像はやや一面的に思える。しかし何か像を固定しなかったらそれはそれで「人物が描けていない」となるので難しいところ。

19050 摘便とお花見: 看護の語りの現象学 (村上靖彦/医学書院)

 現象学は<一回的なもののなかの構造>に注目し、<個別者の持つ普遍性>を求めるというのは分かったが、この本がその水準に達しているのかは正直分からない。個々のエピソードを細かく追う以上のものがあるのか?

19051・19052 W3(ワンダースリー) 第1巻・第2巻

 この漫画が余りに素晴らしかったので、また別の機会にしっかり感想を書きます。

19053 文化人類学の思考法(松村圭一郎・中川進・石井美保編/世界思想社)

 様々な話題について文化人類学における諸言説を軽くさらっていくのだが、私にとって、何でも、総論的な話はあまり面白くない。そっかーそうなのかーと知識を撫でるだけで終わってしまう。ルワンダの内戦の民族誌を紹介するくだりで、「各人が個別具体的な生活や人間関係の事情を考慮しながら暴力に加担していったのだ(130ページ)」とあったのだが、731部隊の郡司陽子の話を思い出した。

19054 野の医者は笑う(東畑開人/誠信書房)

 臨床心理士が、ふとしたきっかけから沖縄の様々な民間医療をフィールドワークしていく本。砕けた口調で書かれていてそのテンションにイマイチついていけなかったし、アカデミックな香りはあまりしない(その辺りの議論はすでに提出されてるからもうちょっと勉強しろよと思った箇所が多々あった)が、しかしそれが逆説的に「学問」とは何なのだろうということを考える契機になる。「野の医者の医療人類学」と自称しているが、こうやって、「研究者」ではない市井の一医療者が、人口に膾炙するような形で発信することには一定の価値があると思う。
 医学ではなく、臨床心理学をバックグラウンドにしているからこそ、「心の治療はそれぞれによって違う」というような相対主義的な結論に落ちていくのだろう。学問を「揺れる地面」と捉えるのもある意味では正しいと思うのが、ポパー反証可能性とかその辺の議論ともまたニュアンスが違って、臨床心理学という学問そのものの道半ば感を反映しているのかなと思った。
 「ポストモダンの野の医者」という表現には唸った。