中動態セミナー覚え書き

 中動態についての國分功一郎斎藤環セミナーに参加しました。以下、覚え書きです。

https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1180105.html

・もともと私は、孤独死問題において頻回に問題になる「自由意志」について、それは思うほどsolidなものではないのではないかという疑問を通じて抱くようになり、そしてそれを一年前に読んだ『中動態』と結びつけて考えて今興味を持っているという経緯がある。

satzdachs.hatenablog.com

國分功一郎の『欲望形成支援』という概念は、コア研で聞いた看護師やSWの語りと驚くほど一致していて、やはり彼ら/彼女らは図らずも中動態的な医療実践をしていたのだと。

・サイエンスとしての医学は直線的な因果関係の記述を志向するという意味において、「能動-受動」のパラダイムにあると言える。だから「中動態的」なオープンダイアログも、(後ろ向きコホート研究のような)科学の方式に則って効果を「証明」しないと受け入れてもらえない。
・このような医師目線の意見が面白い。すなわち、現実的に医療の現場ではない「能動-受動」に「中動態」が取って代わるとは考えにくく、「能動-受動」で零れるところを「中動態」が拾う、という共存関係を考えなければならないのではないか。

・今我々の扱っている「中動態」哲学は、あくまで「能動-受動」から見た「中動態」である。純粋に「中動態」であったのは、スピノザあるいは西田幾多郎
・以前私は中動態を西田と結びつけて考えていたが、やはり的外れではなかった。一方でスピノザ、ドゥールーズの話は全然ついていけなかった……勉強せねば。

・今流行りの思弁的実在論をdisるふたり。「モノ自体を認識できない」というカント以降の哲学の「慎ましさ」から、「いや、科学や数学を使えばリアリティにアクセスできるだろう!」と出てきた「横柄」な哲学が思弁的実在論。だがそれは強者の論理で、弱者は救えない?
・それを思うとカントは凄かった。「モノ自体は認識はできないが思考することは可能である」と良い塩梅に落とし込んでいた。ヌーメーンとモノ自体。

否定神学の話もあったが、こちらもまだ勉強不足、ラカン……

 以上は完全に自分用の備忘録ですので、近いうちに、中動態とは何か、それがなぜ医療にとって重要なのか、そしてこれからどういう点を考えなければいけないのか、についてまとめて書こうと思っております。精神看護 第22巻1号の特集記事がとにかく分かりやすかった。