医学教育学会大会がつまらなかった

 煽情的なタイトルをつけたあとに大慌てで、医学教育学会大会全体がというわけではなくて、あくまで私がいた部屋のセッションが、という意味だということを付け加えておく。

 7/26(金)・7/27(土)と京都府立京都学・歴彩館/稲盛記念会館で第51回日本医学教育学会大会が行われており、私は昨日のみ参加していた。といっても今年はいつもと異なり、アルバイトスタッフとしての参加で、照明係として丸一日同じ部屋に籠りっきりであった。私が担当になったのは口演6分+質疑応答2分のサイクルがひたすら繰り返される部屋で、テーマは「アーリエクスポージャー」「指導医教育」「多職種連携」「多職種連携学生教育」であった。今回アルバイトをしようと思った理由が、もちろんお金が欲しいということに加えて、自分が普通に参加していたら行かないであろうテーマに触れてみたいということだったので、そんな私にとっては打ってつけの部屋だった。

 タイトルの「つまらなかった」というのは、各個人・各大学・各施設が行っていることそれ自体について言っているのではない(自分の研究テーマあるいは関心領域と離れているから「つまらない」と評するのでは、あまりに狭量である)。「研究」として学会に発表する過程で、どうしてこういう形にしなければならないのだろうか、という疑問である。
 本稿では昨日多かった2つのタイプの「研究」について述べる。

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 一つ目は、「こういう教育活動を行った。その前と後でアンケートを取り、比較すると『〇〇への関心が高まった』という結果が得られた」型「研究」である。昨日は見ていないが、学生の活動報告の発表でもまあよくある。実際その「変化」に意味があると思っている人はどれだけいるのだろうか?
 「アーリエクスポージャー」のテーマで、1回生に病院のバックヤードの見学をさせるという発表があった。「実習に参加して、『病院は医療職以外の人びとで成り立っている』と感じる学生が増えた」と言うが、そりゃそう答えるだろう。明らかにそれを目的として組んだ実習で、終わった後にそんなことを聞かれたら、学生も「ああ、こう答えるべきだな」と察知する。肝心なのは、それが増えたとか減ったとか、そういうことではないのだ。例えばボイラー室に医学生が行くなんて体験、想像するだけでワクワクするし、掬い上げられていない、たくさんの些細な、しかし重要な感想が見逃されている気がする。

 それに対して予想される返答は、「『研究』という体裁をとるためには、そうやって効果を実証する形式をとらなければいけない」というものであろう。でもそれは実証主義の悪魔に憑りつかれてしまっていると思う。「科学的方法」で行われた「研究」を装うためのexcuseでしかないのであれば、そんなしょうもないものは捨ててしまって、もっと別様の語り方があるのではないか、と私は探求したくなる。
実証主義的な結果の示し方は「ないよりはあったほうがいい」と言うかもしれないが、私はそうとすら思わない。なくていいと思う。6分という制限時間のなかで、それに割く時間を使って「分厚い記述」、もとい、分厚い話ができるなら、そちらのほうが聞きたい。

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 二つ目は、「自由記述のアンケートをテキストマイニングしました」研究である。
――テキストマイニング(英: text mining)は、文字列を対象としたデータマイニングのことである。通常の文章からなるデータを単語や文節で区切り、それらの出現の頻度や共出現の相関、出現傾向、時系列などを解析することで有用な情報を取り出す、テキストデータの分析方法である。(Wikipediaより引用)
 この研究手法がいつ有用なのかについては触れない(それを語るにはあまりにも知識がないし、むしろ教えて欲しい。ビジネスとかにもよく使われているようだが)。でも少なくとも昨日は、これ良い研究だなーと思うことはなかった。言い方は悪いが、とりあえずKH Coderにつっこんでおいて「頻度」や「相関」を示せば何か「科学的」な研究をしている風に装える、そうとしか受け取れなかった。
 多職種連携教育を終えたあとの学生100人が、自由記述のアンケートで「葛藤」という言葉をどのくらいの頻度で、どのような言葉と一緒に使っているのかを知ったところで、そこにどれだけの意味があるのだろうか。多数の「葛藤」という言葉で表しているのはひとりひとりの異なる豊かな現実だし、あるいは「葛藤」いう言葉を使わずに「葛藤」を語る者もいるかもしれない。
 何かを見ているような気にはなるが、その実何を見ているのだろうか。実証主義の悪魔がつくりあげた虚構を見上げているだけなのではないだろうか。

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 こうやって書きながら、「研究」って何なのだろうかという気になってくる。批判するのは簡単だが、ではどのような在り方があるのかと問われると、まだ上手く言語化はできない。けれどとにかく、昨日の医学教育学会は、学会で発表するならこういう形じゃないといけないという規範を感じとって、そしてそれが私にとって面白いと思えるものではなかった。面白いかどうかと「役に立つ」かどうかはまた別かもしれないし、もちろん上述のような形の発表のすべてを否定するわけではないが。
 浅学ゆえの考えなのは重々承知ですので、ご意見などいただけますと幸いです。