初めての入院体験記

22歳男性
【主訴】右胸部痛、呼吸困難感、咳嗽
【現病歴】今朝起床時は無症状。大学で実習中、10時頃から突然咳嗽が出現。徐々に右胸部痛、呼吸困難感を伴い始める。12時半頃当院救急外来にウォークインで受診。
【胸部Xp所見】肺虚脱度: 中程度
【プロブレムリスト】
# 咳嗽、右胸部痛、呼吸困難感
<A/P> 中程度の自然気胸。胸腔ドレナージを施行し入院とした。本人の意思により、手術を行いブラを切除する予定。

 というわけで、7/31(水)~8/8(水)まで入院しておりました。本記事は、「初めての入院体験記」と題して、入院中に気が付いたことを箇条書きで書いていきます。

入院一日目

・月並みだが、病院という場は本当に多様な職業の方々で成り立っているのだという実感を抱く。今日話しただけでも、医師、看護師、看護助手、臨床検査技師、薬剤師、医療事務……実に多くに人がいる。
・そして、臨床実習では見えない、皆さんの働きぶりに驚く。看護師さんはこんな細かいところまで気にしてくれるんだ、看護助手さんってこういう仕事をしているんだ……
・一方で、同じことを別々の人に何回も聞かれたり説明されたりすることもあり、これにフラストレーションを抱く患者がいるのも確かになあと。
看護学生のシャドーウィングの様子も初めてきちんと見た。ずっとああやってついていってるの、めちゃ大変だな。

・医療職の方々(特に医師の皆さん)は、私が医学生であると分かった瞬間に緊張感が解けるのがありありと分かる。じゃあ、こっちの言語も、事情も、お作法も分かってくれるでしょ、という感じ。実際、医師ならかなり分かって、臨床実習数カ月にして、そちらの世界に片足を突っ込みつつあることを実感。
・逆に言うと、いつも患者に対して、どのようなレスポンスが返ってくるかの緊張感を持って接しているのだと思う。
・ある研修医「こっちが研修医って分かったら、『わしはモルモットじゃないんや』っていうおじいさんもいてさ〜」
・私は全然気にしないが、さすがに私が医学生だからといって気を抜きすぎではないか、と思わないでもない。治療方針を説明するタイミングや、手術日を告知する言い方もかなり適当だった。

・実は6月に呼吸器外科を回っていて、今回の執刀医はそのときの私の指導医である。
・そのとき、胸腔ドレナージを入れている患者を担当していた。しきりに挿入部が痛い痛いと言っていて、大変そうだなと思っているつもりだったが、今ならその気持ちが「痛いほど」分かる。
・「いちばん痛いのを10としたら〜」っていう質問、いつも利用していたが、いざ聞かれてみるとめちゃくちゃ難しい。そもそもいちばん痛いときが想像できないし、痛いもんは痛いんだ!って気持ちになる。
・そして胸腔ドレナージ、めちゃくちゃ邪魔である。ちょっと移動するのも本当に億劫だし、痛いから余計に動く気無くなるし。

・「突然の右胸部痛、呼吸困難感、咳嗽(+22歳男性+長身?+痩せ?)」と来て、これ気胸かな?と思ったが、ついさっきまで元気だった自分が何かの病気であるということが俄かには信じられなくて、救急外来に行くまで時間がかかった(家族や友人に言われていなければもう少し我慢していたと思う)。
・胸部Xp、CTを見て、肺が虚脱していてもっとびっくり。自分は「健康でない」ことが想像できなかった。
・そして、「手術するかどうか考えてくれ」と言われて、「ドレナージはまだいいけど、え、手術? そんなおおごと?」となって受け入れるまでに時間がかかった。

入院二日目~四日目

・胸腔ドレーンバッグ、ずっと鍋を煮込んでいるみたいな音がいて鬱陶しかった。
・Vラインも初めて入れたが、地味に痛かった。
・パルスオキシメーターを常につけておかなければいけないのが、手汗をよくかく私は蒸れてしまって鬱陶しかった。
・入院という体験は、こういう「地味に嫌」なことの積み重ねで大きなストレスになる(と、この時点では書いていたが、術後はシンプルに「めちゃくちゃ嫌」なことに苦しまされることになる)。
・少し変わった体験として、いくらか話してちょっと仲良くなった2つ年上の看護師が、食後のバイタルを測った後、「ここで作業していい?」と言ってパソコンを移動する台を持ちこみ、作業をし始めた。
・その間、看護師業の大変さ・腹立つことをずっと私に愚痴り続け、私は相槌を打ちながら聞き役に徹していた。時間にして約20分ほど。キリがつくと、「なんか色々喋ってもうたわ、とにかく頑張ってな」と言って去っていった。
・これは、私が「患者」(病院内の看護師コミュニティとは無関係な存在である)でありながら「医学生」(病院で働くということに理解がある)でもあるという、ねじれの位置にあるからこそ、あの看護師をそうさせたのだろうか?
・いずれにせよ私は、なんか人から愚痴を言われやすい空気がどこから出てるのではないだろか。ちなみに私はそういう話はずっと聞いていられるので、まったく気にしていない、むしろ話す相手を自分に選んでくれて有り難いと思う。

手術前夜

いまだ現実味がなく、全く怖くなかった。
・しかしふと突然、気胸になったことによって、この夏の過ごし方が全く変わってしまったことに思いを馳せて、強い喪失感に襲われた。病気によって奪われたものを思って悲しくなった。

手術当日

・朝、私はドキドキしていた。しかしそれは、手術という何か実体のあるものに対して緊張しているというよりかは、非日常という漠然としたものに緊張しているという感じだった。
全身麻酔も初めてだったが、自分が意識を失っていくことへの自覚すらなかった。だから「暗闇になっていく」ということもなくて、スコーンと私という存在が消えていった。
・関係ないが、死ぬときってこんな感じなのかなと思った。スコーンと、消えてなくなって、後には何にも残らない。

POD0(手術直後~夜)

・気が付いたときにはベッドで移動していて、白い天井と、研修医の先生(奇しくも部活の元先輩であった)の顔が見えた。
・そのとき私を襲ったのは、もちろん右胸部の痛みと、して、強烈な尿意である。
・この瞬間から、私は尿道カテーテルという名の地獄に苦しまされることになる。間違いなく、人生で最も辛い約20時間であった。
・痛みとかではなく、いやもちろん尿道に違和感はあるし痛いのだけれど、それ以上に、とにかく、膀胱がはちきれそうで漏らす寸前、という状態がずーーーーーーーーーーーーーっと続くのがしんどい。本当に、頭がおかしくなりそうだった。
・何度看護師に聞いても、「尿はちょとずつですけど、きちんと出てますけどねえ」と言われるだけで、対策を何も打つことができなかった。むしろ、そうやって看護師が尿カテを触るたびに、膀胱がどくんと波打つ感じがして、叫びそうになる。
・尿意について訴えるとき、看護師に毎回、尿カテの「違和感」とか「痛み」とかいう言葉に置き換えられて、うまく伝わらなかった。そっちを訴える人のほうが圧倒的に多いのだろう。このように、患者の言葉を自分のなかで類型化されたものに(無意識的に)置き換えてしまう、というのは自分も将来やってしまいそうだ。
・強烈な尿意で一睡もできないまま、そしてそのせいで苦しみを忘れられる瞬間が一度もないまま、ただ時間が過ぎるのを待つ。
・なぜだったのかは結局よく分からないのだが、膀胱炎で尿意切迫感が起こるのと同じ理屈なのだろうか?

POD1(夜中)

・日付が変わったあたりから、また別の苦しみが私を襲う。創部の痛みをかばうために変な姿勢になっていたのか、腰をひどく痛めてしまったのだ。
・しかし起き上がることも許されていないので、必死で楽な姿勢を探す。体を動かすと膀胱が刺激されてまた苦しい。
・首(特に胸鎖乳突筋)も痛み出す。こうなると、もうどうやっても痛い。
・創部も含めた体の節々の痛みと、殺人的な尿意、そして起き上がることもできずにベッドにしばりつけられている、このとき私は自分が「存在する」ことにすら嫌気がさした。たかが気胸の術後くらいで大げさかもしれないが。
・大好きなラジオも私の気を紛らわせてはくれない。何度も時計を見るが、5分が1時間くらいに思える。時の流れがあまりにも遅い。

POD1(朝)

・朝の6時、看護師がベッドの頭の部分をあげてくれて、術後初めて座位になる。
・姿勢が変わって、首や腰の痛みは軽減されたし、尿意も何だか一瞬気が紛れる(後者はすぐに苦しみは元に戻るが)。
・しかしながら、それより何より、真っ暗な病室でひとりベッドで地獄の苦しみに身悶えしていたときから、今、「ふつうに」座って、酸素マスクを外し、眼鏡をかけ、窓から朝の景色を見ているということが、とにかく幸せで堪らなかった。なんだか涙が出そうになった。
・思わず看護師に、「今僕、この景色を見ているという幸せを噛み締めています」と言ってしまった。看護師は苦笑いしていた。絶対変な奴だと思われた。

POD1(昼~)

・医師に尿意の苦しみを伝えても、「そっか、じゃあ看護師に言っとくね」と言われて、素っ気なかった。苦しみを伝えるべき相手はこの人じゃないなと思った。
・尿カテを抜去する瞬間を詳細に記述するのはさすがに躊躇われるので割愛しますが、興味ある方いたら直接聞いてみてください。
・とにかく、解放感が凄まじかった。当分は排尿時痛もあったが、出せないことに比べたら5万倍マシだった。