<お笑いと構造 第6回> お笑いの構造分析における三尺度 ③期待感

 前回まで、三尺度のうち「意外感」と「納得感」について解説してきました。今日はいよいよ、三尺度の最後の一つ「期待感」についてお話します。

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天然でドジばかりの愛されA子ちゃん

 突然ですが、「座っていたAが、不意に立ち上がろうとしたら頭をぶつけた」というシチュエーションを想定します。その「A」の素性が、以下の2通りだったら、それぞれどうなるでしょう。

いつも完璧主義で厳格なA先生
天然でドジばかりの愛されA子ちゃん

 ①の「いつも完璧主義で厳格なA先生」の場合、「あの先生がヘマしてる……!」と普段とのギャップで笑ってしまうかもしれません。頭をぶつけたあとも、(傍目から見たら絶対痛いはずなのに)あたかも痛くないように仏頂面のままだとしたら、余計に面白くなるでしょう(また引き合いに出しますが、桂枝雀の“緊張と緩和”にも通じる話ですね)。
  これは、「あの先生はミスをしない」という共通認識が生徒全員にあって、それに反する行為によって笑いが生まれています。三尺度の一つ目、意外感の笑いです。

 ②の「天然でドジばかりの愛されA子ちゃん」の場合、A子ちゃんは普段からミスばかりです。でもそれがどこか憎めなくて、むしろA子ちゃんのそういうところを次第に周りが求めるようになります。だからA子ちゃんが頭をぶつけたとき、周りの人間は「またA子ちゃん、ドジしてるじゃん~」と言って笑います。
 つまりこのとき、A子ちゃんへの周囲の期待というのが根底にあり、それが満たされることによって笑いが起きています。これが三尺度の最後、期待感の笑いです。

吉本新喜劇――King of "お約束"

 吉本新喜劇という老舗の劇団があります。私は小学生のとき、毎週土曜日は「せやねん!」で「千鳥弁当」のロケを観て、そのあと13時から吉本新喜劇を観る、というのが日課でした。そうやって幼い頃から慣れ親しんでいたのもあって、新喜劇が大好きです。今でもときどき劇場に観に行きます。

 この新喜劇はよく、「関西人以外には面白さが分からない」と言われます。それはなぜかというと、人気の新喜劇俳優にはお決まりのフレーズ・やり取り(いわゆるお約束というやつです)が非常にバリエーション豊かにあって、長い間親しんできた関西人であればそれを一通り把握していて当たり前、というのが大きな特徴だからです。例えば、辻本茂雄が出てきたら観客は「許してやったらどうや」が聞きたいし、末成由美が出てきたら「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」が聞きたいのです。
 身も蓋もない言い方をしてしまうと、新喜劇とはつまり、細かいストーリーが微妙に変わっているだけで、皆が既に知っているようなセリフや下りが何度も出てくる劇です。どうしてそんなものが面白いんでしょうか? 

 ここまで来たら答えは簡単だと思いますが、それは観客が期待しているからです。「お約束」の笑いの最高峰たる吉本新喜劇は、期待感の笑いの力を証明してると言ってもいいでしょう。

ポンコツ芸人」の称号の功罪

 ポンコツ芸人と呼ばれる芸人さんがいます。例えば、狩野英孝さん。彼は2008年ごろのレッドカーペット全盛期にナルシスト芸人としてブレイクしたあと、一時期はその人気が下火になりますが、ロンドンブーツ1号2号の淳さんによって「天然・ポンコツ芸人」としての魅力を再発掘され、今では再び各バラエティ番組で活躍しています。
 彼が噛んだりミスをしたりするたびに(他の芸人以上に)笑いになるのは、テレビの聴衆あるいは共演者にその人間性が知られ、愛されていて、そして期待されているからこそです。注意しながらバラエティ番組を観ていると、他の芸人さんだとスルーされることも、狩野さんの場合はどんな些末なミスでもピックアップされるという現象がしばしばあります。それが狩野さんにテレビが期待しているということなのでしょう。

 一方で、その期待感が裏目に出ることももちろんあります。狩野さんが以前IPPONグランプリという大喜利番組に出演した際がそうでした。彼は知る人ぞ知る大喜利好きとして番組に参加したのですが、結果、予選で最下位という結果に終わってしまいました。こうなってしまったことの一因に、テレビで知られている彼のキャラが邪魔してしまったのかなと思っています。つまり狩野さんには、大喜利で技巧の光るスマートな回答をして鮮やかに笑いをとることが「期待されて」はいないのです。だから客観的に観て良い解答だと思えるようなものでも、それを狩野さんが言うのとバカリズムさんが言うのとでは、ウケ方に違いが生じてしまいます。
 少し話は逸れますが、「客観的に」と書きましたが、ケータイ大喜利のようなハンドルネームの投稿を紹介する番組と違って、IPPONグランプリでは「その人がそういう答えを出した」というところを多分に加味して評価される番組ですから、「客観的な」(=誰が答えたかという事実から独立した)回答は存在しないと言ってもいいと思います。

終わりに

 これまでの議論から、以下の通りにまとめられます。

4:(面白さ)y = S(意外感の大きさ)×A(納得感の大きさ)×E(期待感の大きさ)

 今回までで、お笑いの構造分析の三尺度「意外感」「納得感」「期待感」の説明が終わりました。次回は、お笑いの研究に関する過去の知見として、森下伸也『もっと笑うためのユーモア学入門』(2003年、新曜社)と桂枝雀『らくごDE枝雀』(1993年、ちくま文庫)を紹介したいと思います。本来ならば順番は逆(先行文献を示してから知見を積み重ねるべき)ですが、本連載を始めてしまってからこの二冊を読み自分の考えと近いことを発見した、という経緯なのでこういう書き方になってしまっています。

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