本稿の目的は、エスノグラフィーという概念について(正確さはいったん置いておいて)ザクッとしたイメージをまず掴んでみることです。
1. 総論
Ethnographyという単語は、ethno(民族)とgraphy(書くこと)という二つの要素で構成されています。よってエスノグラフィーとはすなわち「民族に関する記述」であり、自分たちとは異なった文化を自分で見聞きした資料によって記述する営みのことです*1
正確には、このエスノグラフィーという語が指す意味には二つの側面があります。それは、①調査方法論としてのエスノグラフィーと、②調査に基づき書かれた研究成果としてのエスノグラフィーです。
2. 調査方法論としてのエスノグラフィーの基本:参与観察
フィールドワーク fieldwork という言葉があります。それは、野外でのあらゆる調査活動を表す、広い意味で用いられる語です。量的調査法において研究室の外に出て人々にアンケートを取ることを「フィールドワーク」と呼ぶこともありますし、また一方で、山で動植物の観察をしたり企業や農村を訪れて見学したりすることを「フィールドワーク」と呼ぶこともあります。
調査方法論としてのエスノグラフィーは、フィールドワークの中でも参与観察 participant observation が基本になっています。参与観察とは、調査者が長期的に(数か月から数年、時には数十年にわたって)研究テーマに関わるフィールドに自ら入り、人々の生活や活動に参加し、内側から観察を行う調査法*2です。その過程で、現場にいる人々に対して個別にインタビューを行うこともあります。
そうやって、調査地で見聞きしたことのメモ・記録の集積はフィールドノーツ fieldnotes と呼ばれます*3。
その後、フィールドワーカーたちは何冊ものフィールドノーツの束を手にして調査地を離れ、フィールドノーツの分析にとりかかります。このときはフィールドノーツを「データ」として扱い、対象文化における人々の行動様式や意味付けの分析を行います。必要に応じて、社会ネットワーク分析(例:家系分析など)や社会的マッピングを行うこともあります。そしてフィールドノーツから幾つかの記述を選んで引用しながら、論文あるいは書籍へとまとめられていきます。これが研究成果物としてのエスノグラフィーであり、日本語で民族誌と呼ばれています。
改めて確認しておきますが、調査方法論としてのエスノグラフィーは、上述のすべてのプロセスを包含したものとして表現されます。
3. フィールドはどこにあるのか
以上見てきたように、エスノグラフィーとはすなわち、<他者>について少しでもわかろうとする実践*4です。では、その<他者>というのは一体どこにいるのでしょうか?
これまで文化人類学が伝統的に対象としてきたのは、南太平洋の島々やラテンアメリカ、それにアフリカといった「辺境」あるいは「未開社会」に暮らす小さな民族集団であり、その文化慣習や社会構造を記述してきました[2]。
しかしながら、「異文化」は、欧米や日本の都市にも見い出すことができます。学校、会社、病院、警察……その外にいる人たちにとっては、それらは全て「異文化」であり、その実態はベールに包まれています。つまりかつては<地理的他者>を意味した<他者>が、時代を経て<社会的他者>へと変貌を遂げたのです。
つまり、「(エスノグラフィーの対象となる)フィールドはどこにあるのか」という問いに対しては、「世界はフィールドで溢れている」というのが答えになります。いわば汎・フィールド状態です。
4. 補足:エスノグラフィックな調査法とは
上述の通り、エスノグラフィーの基本にあるのは参与観察です。しかしながら最近では、それ以外の、主要なデータとして記述を用いる方法もエスノグラフィックな ethnographic 調査法と呼ばれるようになっています。それには(参与観察をともなわない)インタヴューや、文書や映像・音声などの分析、ライフヒストリー、オーラルヒストリーなどの質的調査法が含まれます[2]。
しかしこれ以降は、煩雑な議論を避けるため、調査方法論としてのエスノグラフィーに言及する際、いったんは参与観察を用いる狭義のエスノグラフィをイメージしながら論じます。
5. 終わりに
さて本稿は、エスノグラフィーについて本当に必要最低限の情報についてだけ簡単にまとめさせていただきました。
しかしながら、人文社会科学系の学問において何かの概念をより深く理解しようと思うと、それは必ずその歴史を理解することとセットになります。そこで「エスノグラフィーの歴史」について詳しく知りたい方は、こちらをお読みください。とても長いです。