「エスノグラフィーとは何か」について知りたい方は、以下の記事をどうぞ。
- 1. オートエスノグラフィー、その奇妙さ
- 2. オートエスノグラフィーの定義
- 3. Auto-ethno-graphyを3つの要素から考える
- 4. オートバイオグラフィーとの違い
- 5. オートエスノグラフィーの利益
- 6. オートエスノグラフィーの落とし穴
- 7. 終わりに
1. オートエスノグラフィー、その奇妙さ
ある本では、オートエスノグラフィーは以下のように定義されています。
オートエスノグラフィーとは、調査者が自分自身を研究対象とし、自分の主観的な経験を表現しながら、それを自己再帰的に考察する手法だ*1。
考えてみると、これは随分と奇妙な話です。エスノグラフィーとは、「自分たちとは異なった文化を自分で見聞きした資料によって記述する営み」*2だったはずです。あるいは、「<他者>について少しでもわかろうとする実践」*3と別の本には書いてありました。
仮初めにもそれらと同じ「エスノグラフィー」を名を冠した研究が、「自分自身を研究対象と」するとは、いったいどういう了見なのでしょうか? 「オートエスノグラフィー」という名前それ自体が、内部で自己矛盾を起こしているのではないでしょうか?
私には、最初にあげたオートエスノグラフィーの定義は不十分であると感じます。そこで本稿では、オートエスノグラフィーという言葉を聞いてまず最初に浮かぶそのような疑問を念頭に置きつつ、その概念的枠組みの解説をしていきたいと思います。
2. オートエスノグラフィーの定義
私の知る限りで、最も簡潔で、かつ必要十分な情報を含んでいる定義はこちらです。
Autoethnography is an approach to research and writing that seeks to describe and systematically analyze (graphy) personal experience (auto) in order to understand cultural experience (ethno).*4
3. Auto-ethno-graphyを3つの要素から考える
上述の定義だけを見ていても、その核心はよく分からないかもしれません。そこで本節では、Eliis and Bocherの議論(2000)に則って、もう少し深くオートエスノグラフィーという概念について考えてみましょう。
Autoethnographers vary in their emphasis on the research process(graphy), on culture (ethono), and on self (auto).*5
すなわち、オートエスノグラフィーという言葉は本来的に3つの要素を含んでいて、そのどこに力点を置くかによって研究者の立場が変わってくるというわけです。説明の都合上、2番目と3番目を入れ替えて引用しています。
① 方法・結果: "graphy"
First, like ethnographers, autoethnographers follow a similar ethnographic research process by systematically collecting data, "field texts" in Cladinin and Connelly's (2000) words, analyzing and interpreting them, and producing scholarly reports, also called autoethnography.*6
フィールドノーツを書き、それを分析・解釈し、最終的に学術的な論文へとまとめ上げる。すなわち調査方法論および成果物という点においては、オートエスノグラフィーとエスノグラフィーは同じです。
② 使用するデータ: self (auto)
The last aspect of autoethnography sets it apart from other ethnographic inquires. Autoethnographers use their personal experiences as primary data.
オートエスノグラフィー研究では、研究者自身の個人的な経験が、最も主要なデータとして扱われます。このように、自伝的なデータ(autobiografical data)が出発点になるというのが、オートエスノグラフィーが従来のエスノグラフィーとは異なる点です。
③ 目的: "ethono"
Second, like ethnographers, autoethnographers attempt to achieve cultural understanding through analysis and interpretation.
しかしながら、オートエスノグラフィーは自分自身だけに焦点をあてるのではなく、(自己の経験に通底する)文化・社会の理解を目指すというのが最も重要な点です。ゆえに、究極的な目標という点においては、オートエスノグラファーとエスノグラフィーは同じなのです。
つまりオートエスノグラファーにとって自己とは、" a lens to look through to gain an understanding of a societal culture"なのです。
4. オートバイオグラフィーとの違い
この「3つの要素」という視点は、近接する他領域との違いを考えるうえで非常に有用です。例えば、オートバイオグラフィー(自伝)。
オートエスノグラフィーとオートバイオグラフィーの境界が明確にあるわけではありません。しかしながら、オートバイオグラフィーは、自己(auto)の探求の方により重点が置かれ、より広い文化・社会的な文脈のなかで解釈する(ethno)という視点に欠けています。これがオートエスノグラフィーとの焦点の違いです。
5. オートエスノグラフィーの利益
① データへのアクセスが簡単
当たり前の話ですが、研究者は自分自身について研究することになるので、研究の最初の時点から一次データに簡単にアクセスすることができます。これは、<他者>にアクセスしなければならないエスノグラフィーとの大きな違いです。特に、患者のプライバシー問題によって研究者のアクセスが制限される医療や看護の分野で、オートエスノグラフィーが実行可能な選択肢となっています。
② 自己理解
(それが最終目的ではないとはいえ)オートエスノグラフィーによって、研究者は自己を理解することができます。社会・文化的な背景の分析により、自分という人間を形成している「力」――それには国籍、宗教、性、教育、民族、社会経済的階級、地理的要因が含まれます――を把握することができるのです。そししてその「力」を理解することが、<他者>理解にもつながるのです。
③ 自己変容
これは常に意識的な目標ではありませんが、オートエスノグラフィーを書くことを通じて、自己についての新しい認識を手に入れることがあります。
6. オートエスノグラフィーの落とし穴
① 「自己の語り」に耽溺してしまう
これまで何度も強調してきたように、オートエスノグラフィーの重要な使命は、"cultural interpretation and analysis of autobiographic texts"です。
② 自分の暗黙の前提に気が付きにくい
文化人類学は「あたりまえ」を問い直す学問であるとしばしば言われます*7。それは、エスノグラフィーによって<他者>の文化を理解するということが、それとの比較によって自己の文化で「あたりまえ」とされていたことを根底から疑う姿勢をもたらしてくれるからです。
そこから考えると、オートエスノグラファーは自分が普段から浸っている自己の文化について「あたりまえ」を問い直さなければならないわけですから、それは非常に困難な作業です。
③ 倫理的課題
「自分について書くのだから、誰にも倫理的許可をとらなくてもいい」というような理屈は通用しません。文化は自己と他者の網目である以上、自己の語りには必ず他者が登場します。よって、倫理的配慮は他のエスノグラフィーの基準と基本的には同様に行わなければなりません。
むしろ、通常のエスノグラフィーより重大な倫理的問題を起こす可能性があります。エスノグラフィーにおいては、本人たちの名前・所属する組織・居住する地域を匿名化できますが、オートエスノグラフィーではその性質上、研究者=参加者=著者である本人の名前を出さざるを得ないため、他の参加者の名前をどれだけ匿名化しようとも、芋づる式に特定される危険性があるからです。これをrelational ethicsと呼びます*8。
7. 終わりに
本稿では、オートエスノグラフィーとは何かについて、簡単な説明を行ってきました。次回は、最後に簡単に触れた「オートエスノグラフィーにおける倫理的課題」について、深く掘り下げて考えてみたいと思います。
*1:藤田結子・北村文編. 現代エスノグラフィー. 新曜社, 2013.
*2:松田素二・川田牧人編. エスノグラフィー・ガイドブック: 現代世界を複眼でみる. 嵯峨野書院, 2002.
*3:菅原和孝編. フィールドワークへの挑戦―“実践” 人類学入門. 世界思想社, 2006.
*4:Ellis, Carolyn. The ethnographic I: A methodological novel about autoethnography. AltaMira Press, 2004.
*5:Ellis Carolyn, and Art Bochner. Autoethnography, personal narrative, reflexivity: Researcher as subject. 2000.
*6:Heewon Chang. Autoethnography as method. Routledge, 2008.
*7:松村圭一郎ほか編. 文化人類学の思考法. 世界思想社, 2019.
*8:Ellis Carolyn, and et al. Autoethnography: an overview. Historical Social Research, 2011: 273-290.