わが街を歩く

 家からほとんど出ない生活が始まってから、一ヶ月以上が経とうとしている。ストレスの溜まっている友人たちも多いように見受けられるが、私は根っからの引きこもり体質であるから、実を言うとそこまで苦ではない。むしろ、家にこもることが積極的に推奨されるこの世の中において、何の後ろめたさもなく一日中ひたすら読書できる生活を満喫してさえいる。
 私は特に運動が好きなわけでもないので、永遠に家から出ないまま日々を過ごしていても、別にそれはそれでいい。しかし一応はやはり健康のことを考えて、二日か三日に一回くらいは散歩に出かけることにしている。もちろん遠出はできないので、家から徒歩圏内の場所を歩きまわるわけだが、普通に散歩しても面白くないので、ひとつ自分にルールを課すことにした。それは、「知らない場所」を探すことだ。

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こんな階段あったんだ。

 すると、徒歩30分、いや15分圏内においてさえも、意外と「知らない場所」が多くあることに驚く。出不精な性格と、あとは中学から府外の私立校に通っていた影響もあるのかもしれないが、自分の住んでいる街にここまで行ったことない場所があるとは思わなかった。幼稚園や小学校への通学路、あるいはバス停やスーパーに至る道など、よく通った/通るところしか私は見えていなかったのだ。いずれにせよ、私は毎回プチ探検隊のような新鮮な気持ちで、わが街を歩くのを楽しんでいる。

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この溝、めちゃくちゃ見たことある。

 一方で、「忘れていたが、知っている場所」に唐突に出会うこともある。写真はある公園と隣の家の間にある溝(と言っていいのか分からないが、ともかくそれに類するスペース)なのだが、先日これを見た瞬間、「子供の頃、ここをよく走ってたわ」と鮮烈に思い出した。完全に記憶の彼方に消えていたが、しかしここは確かに自分の「知っている場所」だった。それ以降、私が隊長であり全メンバーである探検隊は、未知の場所の探究に加え、忘れさられた「かの地」の捜索も使命となった。

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昔ここの地面に散らばっていた黄色いBB弾は、もうなかった。

 今まで全く習慣ではなかった散歩のおかげで、私は、わが街(仮に××町としよう)について一ヶ月前よりも知っている。しかしそれは同時に、以前の私は××町について知らないことがたくさんあったことを意味する。ということは私は、これまで××町については知っているようで何も知らなかったというのだろうか? いやそれを言ってしまえば、探検を進めている今でさえも、××町について「知っている」と果たして言えるのだろうか?
 少し話を整理しよう。わが街には、私の「知っている場所」「忘れていたが、知っている場所」「知らない場所」がある。××町はそこまで広くないとは言っても、「知らない場所」の全てを自分の足でめぐるのは相当骨の折れる作業であるし、また同じ理由で「忘れていたが、知っている場所」もどこかに存在し続けるであろう。つまり、「すべて」を「知っている場所」にできないなかで、××町を「知っている」と言うにはどれだけの条件が揃えばよいのだろうか、というのがここで提起されている問題である。

 結論を言ってしまうと私は、一ヶ月前の自分も××町について「知っていた」し、今の自分も××町について「知っている」と言い切ってしまってよいと考えている。その理由は、ある学問を「知っている」とは果たしてどういうことなのか、という問いに対する答えと発想を同じにする。
 学問を「学ぶ」こと、ある分野を「知る」ことについて、一冊の本に基づいて考えていく備忘録を、いつか書こうと思っている。

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何の?

つづく。