平成31年4月19日 第20回 財布見つかった

 昨日の夕方、知らない番号から電話がかかってきていた。かけ直すと地元の警察署で、財布が見つかったという知らせだった。嬉しくて私は思わず天を仰いだ。何とも優しい世界に生きているなとしみじみ思った。
 免許証、保険証、マイナンバーカード、銀行のカードもすべて入ったままらしい。残念ながら、安くない手数料を支払って全て再発行し終わったあとだった。それらのカードは返ってきてもただの硬い紙で、鋏で切られる運命が待っているのみだ。
 結果だけ見ると、再発行せずに見つかるのを待っていたほうがコスパは良かったことになる。けれども、誰かに悪用されるかもしれないというリスクを鑑みると、あの時点では、全て利用を差し止めるのが暫定的にベストの選択だった。だからしょうがない。

***

 英語スピーチ競技を大学でやっているということを前に書いた。私が指導側にまわる少し前の時代までは、「これに則ってつくるべし」という唯一無二で至上のプロトコルがあって、京大のすべてのスピーチはその型に当てはめたものになっていた。誰もそれを疑わなかった。
 私がスピセクのチーフになってから、それではおかしいと気付いた先輩の助言もあり、指導法をいったん白紙に戻した。私たちは「良いスピーチとは何か」をゼロから探求し始めた。最初はにっちもさっちもいかず成績も全く振わなかったが、少しずつ理論を発展させ、かなり多種多様なスピーチを高いレベルでつくれるようになった。
 しかし今のスピーチの作成メソッドが最終到達形であるとは全く思っていない。まだまだ大会を迎えるたびに改善点を発見する。大事なことは、今ベストだと思っていることをやらなければならないが、それはあくまで暫定的で、もっと良いものがあるかもしれないという可能性を常に残しておくことだ。

その時点で正しいと思っていることは信じてやらなければ何もできないけれど、その信念の反証可能性は常に残しておかなければならないということに、スピーチという曖昧極まりないものを扱う難しさがあるのだろう。

 昨夏の大会直後の私のツイートからの引用だ。良いこと言ってるなと思ったが、今見たら1ふぁぼしかついていなかった。もっとふぁぼれよ後輩たち。

***

 科学哲学者のカール・ポパー(1902-94)は、いかにして科学と非科学は区別されるのかということについて論じた*1
 科学においてはまず「仮説」が立てられ、それが「正しい」理論として受け入れられるためには、実験によって「検証」される必要がある。しかしこの「検証可能性」は科学に特有の性質ではない。宗教においても、「あの宗教家の予言は当たるのかどうか」という「検証」は常になされている(それで「いつも当たる」ということになれば、その宗教家の権威性は増していき、信者にとって「正しい」存在になる)。
 ポパーによると、科学と非科学において違うのは「反証可能性」だ。誰かが精度を上げて再び実験し、これまでの理論とのズレが指摘された場合は、科学は潔くその「反証」を認める。一方で、非科学は必ずしも反証を受け入れるシステムになっていない。
 つまり、科学理論というのは常に「暫定的仮説」であり、科学における「正しい」はあくまで「(暫定的に)正しい」という意味になる。

***

 中川米造を引き合いに出すまでもなく、医療には、常に不確実性が伴う。医学はいまだ不完全であり、デカルト的な意味での「正しい」判断は不可能である。今の医学の限界の範囲で、患者について知り得たこと(もちろんそれも患者の「すべて」ではない)をもとに、そのとき暫定的に「正しい」とその人が信じる判断をするしかない。
 救急医で現象学の研究者でもある行岡哲男(1951-)は、『医療とは何か』という本のなかで、理想の医療コミュニケーションの形は、患者が医者に万能を求めるのではなく、患者が医者の「(その時点で、暫定的に)正しいと信じる判断」として受け止め、納得することだと論じた。

小児科医は、「抗生剤は不要」という「正しいと確信する判断」を組み上げるプロセスを母親に対して可視化し、母親がこれを受け止め納得し、次に母親が納得したことを小児科医が受け止め納得するというように、診察は「納得を確かめ合う言語ゲーム」として展開しています。

  この「納得を確かめ合う言語ゲーム」はもっともらしく聞こえるが、医者でもなんでもない私にはこれがどこまで実現可能なのかは分からない。非医療者の家族と話していると、どうしても「医学は絶対で、『正しい』治療と『正しくない』治療が存在する」という認識を変えることの難しさを感じる。相手が「暫定的」に信じていることを
「納得」できるというのは、「医療が不確実である」ということを引き受けるということだが、その不確実性への耐性は簡単に養えるものではない、ということを何となくの実感として抱いている。

***

 昨晩は都合が悪く、まだ財布は取りに行けていない。今日のうちに警察署に行く予定だ。
 舞い上がって尋ねるのを忘れていたが、そういえば、財布の中の現金約9000円が無事なのかまでは確認できていない。もしかしたら、拾った人が現金だけ抜いて警察に届け出た可能性もあるし、本当にその人が優しい人なのかどうかは今の時点では判断できない。

 だからとりあえず、拾ってくれた優しい人、今は暫定的に、感謝しています。

2266文字
(計44376文字)

*1:このポパーの主張への更なる反論も提出されていると思うのですが、そこまで踏まえられていません。もしご存知の方いたらご教示いただけますと幸いです。