3月までの話と、4月からの話

 友達のNとMに声をかけ、TNM勉強会なる会を始めたのが2020年1月。まずは、お互いに疑問に思ったことを調べスライドを作ってくる、という方式でスタートした。ちなみにだが、これでは発表者にそれなりに負担がかかるため、夏に差し掛かる頃には型式の変更を余儀なくされた。
 TNM勉強会はペースメーカー的な役割も兼ねていた。始まった当初、ご機嫌に「勉強してる感」に浸っていた私たちだが、5回生の3月末のある日の勉強会終わり、誰が言い出すでもなく「いっかい、今のペースでQBを進めたらいつ終わるのか計算してみよう」という流れになる。すると「このままではQBをすべて解き終わるのが2年半後」ということが判明し、ここでようやく現実と向き合いガチャガチャと焦り始めた。

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 かなり率直に言うと、「自分は医学をマジメに勉強していない」というコンプレックスを抱き続けた5年間だった。この国試に向けた1年は、それに対する償いのような意味合いを持っていたように感じる。
 もちろん医師としてはこれからだが、ただとりあえずは初期研修医として働き始めるうえで恥ずかしくないくらいには知識がついたと思う。別に点数も大したものではないが。ともかく、小手先的に(直前にQBを詰め込む等)ではなく、ちゃんと勉強してちゃんと合格できたのはよかった。
 いまだにどうしても、「医学知識が(国試を受かる程度には)持っている自分」を俯瞰で見ると違和感しかない。やはり一度染み付いた自意識は簡単には拭えない。

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 国試前の1ヶ月間は、修羅としか言いようのないくらい過酷なものだった。とにかく変則的なことが多かった。
 毎年、大阪の会場は桃山学院大学和泉市)のみであったが、12月中旬の発表でさらっと電通大学(寝屋川)と大和大学(吹田)の3つに増えていたのが混乱の始まりだった。当然桃山学院大学にアクセスできるところにホテルを予約しているため、それをどうするのかということが大きな問題となった。私たちはTNMの3人で勝手に動いていただけなのでまだよかったが、大学単位でホテルを予約しているところなどは本当に大変だったのではないかと推測する。
 最終的に自分が受ける会場がわかったのが1月12日で、すでに国試1ヶ月前を切っていた。んなことあるかい。結局、寝屋川だった。
 あとは何よりコロナが大変だった。1月に入り感染者急増し、私は実家住みのため、両親・兄と家庭内別居が始まった。そしてもちろん私は一切外出をしない生活を1ヶ月送った。ずっと同じ日がぐるぐる回っていて、黙々とAnkiという単語帳アプリを回す日々は、さながらエンドレスエイトのような絶望感があった(知らないアニメで喩えてみた)。

 国試当日の朝、平熱で目が覚めたことに感謝する。検温があるとは聞いていたが、額にピッとやるやつと思いきや、検疫所にあるようなサーモグラフィーが会場の入り口に設置されていた。感度どのくらいなんだと思いながら無事通過。「会場に入った時点で今年は勝ち」と、TNMで称え合う。
 会場は、「私語禁止」と言われているのにも関わらず、ご飯を食べながらペチャクチャうるさかったのがストレスだった。イヤホンで外音を遮断しすべての感情を無にした。
 国試前日は緊張で2時間しか眠れなかったため、Cブロックは朦朧としながら解いた。さすがに今日は眠れるだろうと思って1日目の夜を迎えたが、「緊張状態が続いている」→「思ったより寝れない」→「緊張してくる」→「さらに寝れない」→「さらに緊張してくる」→……と、LHサージさながらのポジティブフィードバックでドツボにはまり、深夜2時頃に布団から起き上がって頭を抱えていた。最終的にはラジオを聴きながら寝オチし、5時間は睡眠を確保できた。心からラジオに感謝である。
 1日目の手応えが本当になく、必修8割切ったかもだなんだと騒いでいたが、蓋を開けてみれば、ちゃんと合格する点数に届いていた。自己採点能力の低さと、自らの強迫症的な性質を思い知らされた国試であった。

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 まあそんなことは最早どうでもいい。ともかく、今はホッとしている。もう二度と、「自分が知らないことはないか」を血眼になって探す強迫症的ゲームに参加しなくていいのは大きい。4月から北海道は帯広で初めての一人暮らしが始まるが、無理しない程度にやっていけたらと思っている。
 そういえば、研修先を選んだ理由を書き忘れていた。今のところ私は様々な理由から何らかの臓器別内科医になるつもりだが、いまだ家庭医療学への関心も強く、初期研修のうちに勉強できるところを探しているうちに辿り着いた病院だ(と、いうのは正確ではなくて、本当は偶然行ったところで話を聞いているうちに気に入って、という時系列である)。初期研修医の教育を大事にしてくれていること、研究の継続が可能な労働環境であること、これまた偶然に信頼できる先輩が一つ上にいたこと、などがその他の理由として挙げられる。あとは中高時代も考えるほど12年ほど同質なコミュニティにいたので、そこから少しでも出られるということは嬉しい。
 自分がどういう道に進んでいくのか、ということについては、おいおい書いていければいいと思っている。まず第一には、医師として胸を張れるように、しっかりと医学の研鑽を積んでいきたい(勢い余って随分と殊勝なことを言ってしまった)。

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6年間の図。ほんとうにフィールドノートに救われたと思う。