ドライブ・レンタ・カー

 まっすぐな道が好きだ。
 昨年に散歩の習慣が出来てから気づいたことなのだが、フェティシズムのようなものと言ってしまって構わないと思う。果てしなく、最後はほんの少しだけ丸みを帯びた地平線がみえるくらいにずっと続いていれば、私の心臓がドクンと脈打つのを感じる。それ以上に語るべき理由も何もなく、まっすぐな道が好きだから好きだ。そんな私にとって、北海道というのはドライブにうってつけの土地である。

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はやく、車買いなよ。

 会うたびにそう私に言うのは、マッチングアプリで出会った隣町の女性である。そう言いながらも車でいろんなところに連れ出してくれるので、おかげでここ周辺の観光地をそこそこまわれている。
 アプリを始めたのは、5月16日に北海道に緊急事態宣言が出た日の夜だった。それまでは週末はふらっとバーに出かけ、職場とは違うコミュニティで無責任に喋ることを心の救いにしていたのだが、それができないとなると耐えられないと思い衝動的にインストールした。
 やってみると、アプリがなければ絶対に出会わなかったであろう人たちと知り合うことができるので、けっこう興味深い。関東かこちらに移住してきて市場に就職した子からは、旧来的な家族制度が強く残り女性が出世できない農業界の現状を聞いた。生まれてからずっとこっちで暮らしてきたが札幌での生活に憧れている女性と話していると、田舎特有の閉塞感みたいなものが生々しく伝わってきた。そうやって何人かと会ってきたが、こちらはほんとうに今パートナーが欲しいというわけでもなく、特にアプローチをするわけでもないので自然に仲が消滅してしまうことも多くて悲しい。
 ——や、悪いのは曖昧な態度でアプリをやっている私のほうだということは、とっくにわかっている。

 そんななかでも隣町の女性はなんだかんだ遊びに誘ってくれるので、お言葉に甘えて車の助手席に乗せてもらう。どこ行っても田舎でしょ、と彼女は自虐的に言うが悲壮感はなくて、この街で人生が完結することを受け入れているのかもしれない。
 タイミングを逃し続けていて、2年経てば関西に絶対に戻るつもりだということはその子には言えていない。車買わないの、と聞かれた私が、そうやねんどうしよかなあ、と返すと彼女はいつも言う。

絶対買う気ないでしょ。

 たぶん彼女は薄々勘づいていると思う。

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 先月いっぱいは、関西から来た母が自宅に滞在していた。車を持っていない私は、週末になるとレンタカーを借り、彼女の行きたい観光地に連れていってあげていた。母の反対を押し切ってこちらに来たという経緯があるので、その償いという意味も含んでいる。
 一方で、詳しく書くことはできないが、母にとって私はおそらく家族のなかで唯一の味方である。私が母を理解してあげないと、彼女は孤独になってしまう。それなのに離れて暮らしているから、普段は苦しい思いをすることも多いのだと思う。
 そう思っていたからこちらにいる間はなるべく話を聞いてあげたかったけど、そうやって観光地に行くとき以外は仕事が忙しくてほとんどロクに喋れなかった。たぶんもう少し話したいことがあるだろう、とは思っていたが、人間としても未熟な私はそれに十分に応えることができなかった。

 母が午前中の便で関西に帰った日、仕事が終わって家に帰ると、綺麗に掃除された机の上にホワイトボードがぽつねんと置かれていた。そこには母の筆跡でこう書かれていた。

Thank you so much. I'm very very happy. See you.

 目下、英語を勉強中の母の精一杯のメッセージだった。彼女はいろいろ思うことはあっただろうに、それでも限られたなかでレンタカーでドライブしたり話を聞いたりということに幸せを見出し、その感謝を最大限に表現してくれたのだ。
 自分の至らなさと、それでもベリーベリーハッピーだと表現する気遣いと、その言葉に幾らかは含まれている母がここにいて幸せだと感じてくれた事実とで、いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、私はそのホワイトボードをみつめながら泣いた。

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 8月のレンタカーを借りているうちにと、少し遠く離れた保険代理店に母と生命保険の契約をしに行った。先日、本契約のために再び店を訪れる必要があり、今度は自転車で店まで向かった。
 生命保険のついでに自動車保険の見直しをされてはどうかと店員に言われ、聞くだけならいいかと思い5分ほど説明を適当に聞いていた。しかしそうやって油断していた私に、店員はこう聞いた。

ところで、お車はどちらの会社ですか?

 その頃には今さら自動車がないことを言い出せる雰囲気ではなく、気づけば私は「トヨタで新車を買ったがディーラーに任せっきりだったので自動車保険については詳しく把握していない人」になっていた。さらに10分ほど説明を聞き、「今後検討してきます」の一点張りでなんとかその場を乗り切った。
 私は疲労感を抱きながら店を出て、店員がこちらをみていないことを確認してから、道路に停めていた自転車に跨った。そこから家に帰るまで25分かかった。

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 これはほとんど誰にも言っていないが、7月にとある人に告白をして、あえなく失敗した。といっても最初からそうなることはわかっていたような相手で、彼氏がいることも知っていたが、そういう気持ちを少しでも自分が抱いたままにすることができかったのだ。ほんとの優しさも、下心で汚染されてしまうのが自分には耐えられなかった。
 その人は以前からの知り合いで、こちらに来てからいろいろあって頻繁に電話するようになった人だ。告白をしたあとも特に変わらず電話することが多くて、なんだかよくわからない関係になってきている。
 その人は、せっかく北海道に住むなら車を中古でも買って色んな観光地に行ったほうがいい、ということをしばしば私に言う。私はそれに対して、そうやねんどうしよかなあ、と返すのだが、それを聞くと彼女はこう言う。

絶対買う気ないでしょ。

 たぶん彼女も薄々勘づいていると思う。私はきっと、こっちでレンタカーしか運転しない。