7月
21044 原田マハ『ロマンシエ』(小学館、2015)
自らの生物学的性と性自認の不一致という問題が、「女子力」「乙女心」のような少女漫画的なアイコンによって軽薄に表現されていることに違和感を覚えた。一方で、それを「軽薄」と思うこと自体が、トランスジェンダーにとってその問題が切実である「べきである」というような私の無意識の前提に由来するような気もして、一概に批判し切ることもできない。
21045 箕輪良行ほか 編『Primary-care Trauma Life Support 元気になる外傷ケア』(CBR、2012)
二次救急で出会うような疾患よりは重篤なものについての解説が豊富である。ただいい加減にみていたところが整理されたし、今後外傷で困ったときに参照する本として有用であると感じた。
21046 千葉章仁『十勝のアイヌ伝説』(平原書房、2017)
郷に入っては、ということで十勝のアイヌ伝説について学ぼうと思って手に取った本。サクサク読めた。Tokapci(トカプチ)というのが、シアンルルを追い出されたコロポウンクル(小人族)の呪いの言葉「この乳涸れよ、腐敗せよ。水は涸れよ、腐敗せよ」だというのが驚き。
21047 水野篤ほか『あの研修医はすごい!と思わせる症例プレゼン』(医学書院、2019)
なんとなくプレゼンでどうするか迷っていたところも、明確に答えを与えてくれる一冊。
21048 ジョージ・ソウンダース『パストラリア』 (角川書店、2002)
アメリカンドリームを謳う資本主義社会、もとい格差社会において、辺縁に追いやられる労働者階級のうだつの上がらない人々を、これでもかと言わんばかりのドギツいブラックユーモアで描いた作品。読む人の環境や精神状態によって感想は大きく変わりそうだが、私としては、各掌編の主人公たちの不全感や閉塞感に共鳴する(してしまう)ところもあり、読んでいて辛くなってしまった。
21049 山畑佳篤ほか『改訂第4版日本救急医学会ICLSコースガイドブック』(羊土社、2016)
参加するはずだった(中止になった)ICLSコースのガイドブックをざっと読んだ。簡潔で、必要十分な内容という印象。
21050 箕曲在弘ほか 編『人類学者たちのフィールド教育―自己変容に向けた学びのデザイン』(ナカニシヤ出版、2021)
自己変容型フィールド学習(Self-transformation-oriented Field Learning: SFL)が、他者を理解すること/自己を変容させることについて最もセンシティヴであってきた(ならざるを得なかった)といっていい人類学者によって提案されている。autoethnographyという自分の研究テーマを出さないまでも、地域医療実習を代表として「フィールド教育」に関連が深い領域にいる身として示唆深い本だった。具体的な活動報告やtipsのレベルまで書かれているのがよい。個人的には、こういうときにインゴルドを引用するのか、という感じが掴めたのがまず収穫。
インゴルドは、人類学の学問的な独自性の所在を、「文化」や「相対主義」や「民族誌」に求める見方を退け、それを、人類学者が、人々をたんなる研究対象として研究すること(studying of people)ではなく、研究対象となる人々とともに研究すること(studying with people)、つまり同じ地平に立つある種の協働に求めている。(151ページ)
インゴルド「理解することunderstanding」に対するアンチテーゼとしての「共有に向かうことundercommoning」。理解すること=特定の知識の基盤の構築。「共有に向かうこと」とは、私たちが幼いころから経験を通して獲得してきた物事の理解のあり方を不安定にさせ、いったん未知の空間に放り込まれつつも、ズレをもつ者同士の応答によって何かが重なり合っていく、創造的な人間生成の途上を指す。→コンフォートゾーンとパニックゾーンの間にラーニングゾーンがある、という教育論に重なる。
箕曲の言う「反—反設計主義」は、さまざまな学部生との試行錯誤の結果生まれた実践感覚を伴う言語という感じがして、好感を持った。
こうした[学生の学びを促進するための]プログラムの設計によって、はじめて海外の短期滞在という条件のなかで、文脈理解や内省性といった人類学者が経験してきたものの見方や思考法の一端を、学生に学んでもらえるのではないか。(63ページ)
「フィールドに行って、新たな自分と出会う」みたいなものは、一見魅力的なセンテンスに思えるが、いわゆる意識高い系のスタディツアーが惨憺たる結果である(と、私は思う)ように、「素朴な感想で」とか「先入観なく」とか「若い感性で」とかいったものは機能しなくて、実際はナイーヴな自己のステレオタイプを再生産するに留まるだけである。そうならないためには、豊富な知識を持ったファシリテーターが適切に議論を誘導する必要があって、しかしそこに同時に「余白」あるいは他なる可能性への「開かれ」を残さなければならない。その引き裂かれのなかにSFLはある。
ここで注意すべきは、学生の活動目標を自己変容としないことである。学生たちが自己変容を目指してフィールドの人々と関わるという態度になると、フィールドで出会う人びととの関係の築き方そのものが変質してしまう。その場合、こうした人びとはともにプロジェクトに取り組むパートナーという役割から、学生たちにとって自己変容をもたらすための情報源という役割に堕してしまう。自己変容はフィールドにおける経験の帰結として事後的に発見される者であり、学生たちが意識的に目指すものではないのである。 (37ページ)
あとは単純に、「だがここで重要なのは、人類学の教科書からではなく、彼女自身の身の回りの事例からそのような問いに辿り着いたことである(108ページ)」というようなセンテンスを読んだときに、どうして後者のほうが重要なのだろう?と思ってしまった。いや、もちろん知識を単に授受するだけでなくて自ら考える力は必要なのだが、教科書でできる勉強があってその先にいくにはという話であって、そこを敢えて教員が教えずにたどり着くまで待つ、というのはどうなんだろう?
でもこれを考え始めると、じゃあどこまでが「教科書」の話で、どこからが「そこから先」の話なのか、という問題が勃発するので、なかなか難しい。
21051 亀田徹『内科救急で使える!Point-of-Care超音波ベーシックス[Web動画付]』(医学書院、2019)
内科救急の現場でよくみる腹部・循環器・呼吸器疾患について、Point-of-Care超音波のやり方・評価の仕方をエビデンスに基づいて説明した本。画像が豊富で、かつQRコードから動画も供覧できるのが強い。研修医にとってはadvancedな内容もあるが、逆にこの本があればエコーについて調べたいと思ったときに困ることはほとんどないと思う。おすすめ。
21052 滝川一廣『子どものための精神医学』(医学書院、2017)
子どもの「こころ」の問題について、精神医学・心理学・精神分析学・哲学・社会学・歴史学等の見地をそれぞれどこかに重点を置き過ぎることなく接続して、最終的には「臨床」という場で何が起こっているのか/何をすべきなのかということを明晰に論じる筆致は見事としか言いようがない。児童精神に関心のある人ならば必読の本だと思う。
ただ、特に後半の時代に応じた社会批評と児童精神の問題について論じる際には、不確かな断定が多く、もう少し実証的であるべきなのではないかと思った(と私が感じるだけで、実際にはちゃんとベースがあるのだろうが、あまりそれが伝わってこず、エッセイの域を出ない書き物になっていた部分が散見された)。
21053 長尾大志 著『レジデントのためのやさしイイ胸部画像教室』(日本医事新報、2014)
救急でも病棟でも必然的に撮ることの多い胸部X線・CTを、漫然と読んでいる部分はあったので、一度基礎からちゃんと学び直そうと思い読んだ。同じシリーズの腹部画像編に比べてこちらは研修医に必要最低限+発展的な内容のバランスがちょうど良いし、通読する読み物として構成されていてよい。ことあるたびに今後も参照すると思う。
21054 佐藤 泰志『そこのみにて光輝く』(河出文庫、 2011)
読みながら、この感じ何か既視感があると思いながら読んでいたけど、もしかしたら逆に(今思い出せない)それがこの本に影響を受けていた可能性がある。
21055 小田陽彦『科学的認知症診療5Lessons』(シーニュ、2018)
これはめちゃくちゃオススメ。認知症はすべての診療科で対応し得る疾患であり、すべての医師が必携の書であると思う。タイトル通り、認知症の診療について科学的なエビデンスをもとに、何をやるべきで何をやるべきではないかを、(臨床で慣例的に行われている診療を念頭に置きつつ)クリアカットに解説してくれる。ガイドラインを自分で読むこむ労力なしに、認知症に対するup-to-dateな標準診療を勉強できる。
8月
21056 草場鉄周 編著『家庭医療のエッセンス』(カイ書林、2012)
家庭医療学を勉強するうえで必読の書らしいので読んでみた。こういう概念がこのような形で重要とされているのか、というのがよくみえて楽しかった。個人的には、BPSモデルに批判的な立場をとってきたのだが、このような受容のされかたをするのであれば有用なのでは、と思えたのはeye-opningであった。
21057 『レジデントノート 2020年1月 Vol.21 No.15 心不全診療で考えること、やるべきこと〜救急外来・CCU/ICU・病棟で、先を見通して動くために研修医が知っておきたい診断や治療のコツをつかむ!』(羊土社、2018)
心不全を始めとする循環器系の疾患はガイドラインがオンラインで無料で読めてありがたい(しかもわかりやすい)が、それを読む前のさらに最初の一冊としてこの本は役割を果たす。レジデントノートは正直、情報量から考えて(糖尿病の特集のやつを除いて)費用対効果が釣り合っているとは思わないのだが、そこに目を瞑るなら基本として良い内容だと思う。
21058 大橋裕之『太郎は水になりたかった 3』(リイド社、2021)
(馬鹿馬鹿しいストーリーももちろんよいが)この漫画はとにかくふとした一場面のディテールが魅力的である。自分は「あちら側」にはいけない「こちら側」なんだ、みたいな自意識はいつしか捨てなければいけないけれど、そういうひとたちに響く本だと思う。自分の過去の黒歴史感情は容赦なく掻き立てられるけど、最終的には優しい帰結で安心する。太郎がまわりの人に恵まれていてよかった。
21059 羽田野義郎 編『抗菌薬ドリル』(羊土社、2019)
何となく抗菌薬の使い方は知ってるけど、実際に自分で選ぶってなるとよくわからない、という今の自分のニーズによくあった本だったと思う。何より、実際の想像しやすい症例をもとに問題形式で解き進めていくのが、(個人的には)抗菌薬を学ぶうえで最も適したスタイルでよかった。解説も情報量がたっぷりでよくまとまっている。たまに初学者はそんな抗菌薬知らないよ使えないよみたいな部分もあるが、そこを我慢して読めば満足度は高い。「実践編」は、実際の疾患別に章立てされているらしいので次へのステップとして期待できそう。
21060 アマニタ・パンセリナ『集英社文庫、1999)
すべてのドラッグは「自失」への希求ではないかと僕は考えている。公園で、三つか四つの子供たちが、くるくるくるくると回っている。回り終わって倒れそうになるくらいのあのめまい、血の逆行が「気持ちいい」からだ。あれがドラッグの根源だ、と僕は見る。(212ページ)
21061 児島 悠史『薬局ですぐに役立つ薬の比較と使い分け100』(羊土社、2017)
薬がいつまで経っても覚えられないので、何かきっかけをつくろうと思い購入した。実際に臨床で出会った薬をこれで調べて、似たような薬との比較をみて、というのを繰り返していた。ややredundantな印象もあるが、違いを必要最低限の薬理学の知識で解説してくれてわかりやすい(あくまで薬剤師向けの本なので医師にとって簡単過ぎたり難し過ぎたり色々ありますが)。
21062 アン・ファディマン『精霊に捕まって倒れる』(みすず書房、2021)
今働いている地域にモン族はいない。ただ救急外来に「話の通じない」「困難患者」が来たときのあの空気は、医師として働き始めて数ヶ月であっても何度も肌で感じたものであり、その意味で(主に医療者側として)非常に迫真のリアリティのある本であった。「モン族専用カクテル」(モートリン(抗炎症薬)とエラビル(抗うつ薬)とビタミンB12)とか、そういう物言いが産まれるのもいかにもな感じである。
リアの処方が、ニールの試みた複雑な処方ではなく、最終的にデパケン単剤になったというのは、ベストではなくても許容範囲内のところに落ち着かせるという意味で非常に「臨床ぽい」。それを最初にできなかったニールは、単に「モン族への愛がなかった」のではなくて、そういう患者の理解度に応じた服薬調整という発想がなかったという点で至らなかったのだ、と主張するのは、「生物医学の文化」に染まり過ぎているのか。ただそういういかにも「医療者的な」観点がなければ、批判は片手落ちになるのではないか、と全体を通じて思う。
「モン族は異倫理的(differently ethical)である」(309ページ)という表現があったが、例えばそれがいわゆる文化相対主義と何か違うことを言い得るのか、エッセイがゆえに学問的考証の足りなさがやや消化不良。『コンプライアンス』は倫理的支配をほのめかす、強制モデルではなく調停モデル、生物医学という文化というクラインマンの(お決まりの)フレーズが並んでいる(334ページ)が、そのあたりの記述は彼の臨床人類学的な概念をただ投げっぱなしにする以外の何もでもない。
脳卒中を起こして昏睡状態になった中年のモン族女性の症例をダン・マーフィーが発表したときのこと。この女性の家族は、点滴チューブとNGチューブを外せだの、<チネン>が集中治療室に入ることを認めろだのと、女性の病床で大騒ぎした(MCMCはしぶしぶ同意したが、結局、女性は亡くなった)。ダンが話を文化的問題にもっていこうとするたびに、ほかの研修医たちは話を無理やり元に戻し、降圧剤としてのラベタロールとヒドララジンの優劣などについて議論していた。(349ページ)
こういう考え方の人がいるからこそ、風刺漫画のような医学博士が生まれるのだ。頭でっかちで薄情で形式主義者のこうした医者は、なにか問題があるとすぐ、投薬、精密検査、縫合、副木固定、切除、麻酔、検死解剖するほうが、患者の話を聞くよりもまし、と考える。幸い、MCMCの医師も含めて、実際の医師のほとんどはロボットではない。だけど、「生物医学という文化」とクラインマンが呼んでいるものに近視眼的に頼りすぎているように思えることが少なくない。(350ページ)
アメリカの医師は論文を読まなければ自分が怒っているかどうかさえわからない、なんてことがモン族の友人たちの耳に入ったら、誰ひとりMCMCを二度と訪れようとしないだろう。(351ページ)
最後のまとめ方は著者の医師の描写が「風刺漫画のような」それに留まっていて、モン族に肩入れする気持ちもわかるが、医療者への理解の地平が開けるような文章ではない。最終的には「『わたしたちがとらえている現実はひとつの見方でしかなく、現実そのものではない』というフランチェスターの考え方を採り入れろとまでは言わなくても、せめて検討するよう求めるのは、しょせん無理な話なのかもしれない。それでも、せめて患者にとっての現実を認識するよう求めてもよいのではないだろうか」(354ページ)という穏当なところに落ち着いているが。
一方で、いわゆる「困難患者」に対するまわりの医療者の態度に憤ることが多いのも事実。自分は今、医療者に対しては二律背反的な感情を抱いているのだと思う。どっちかの肩を持たれちゃうとその逆の立場からいやいや違うだろって思ってしまう。
ただ繰り返しになるが、「医療者は忙しいのはわかる。とはいえ〜」というような、譲歩つきの批判はどこまでいっても片手落ちだと思う、あの(気の遠くなるような、眠気に襲われる)医療者の「忙しさ」にもまた、リアリティがある。
散々書いたので信用してもらえないかもしれないが、非常にこれは優れた本であるのは間違いない。リアの辿った人生について臨場感あふれる記述をしながら、モン族の社会的背景がマクロにみえてくる筆致は圧巻である。時代も場所も遠く離れた私にさえ特定の場面を強く想起させるのだから、これは多くの医療者にとって心当たりのある、そして示唆に富んだ一冊になると思う。
10月
21063 羽田野義郎 編『抗菌薬ドリル 実践編』(羊土社、2020)
よくある疾患について深く、というよりはいろんな感染症について広く浅く、という印象。ただ、何で効果判定すべきかということについてのわかりやすいまとめや、抗菌薬のマニュアル的な本には書いてないようなde-escalationの具体的なtipsがあったのはよかった。結局、抗菌薬はこの一冊ですべて、みたいなのはなくて、コツコツ(臨床と書籍どちらも含めて)経験数を増やしていくしかないのかな、と思い始めている。
21064 森川暢ほか 編『病院家庭医: 新たなSpeciality』(南山堂、2020)
まさにこれくらいの規模の病院で家庭医と接しているので、日々みているものが言語化されたような感覚でおもしろかった。後半の各論的な話は、あまり「病院での」というセッティングが活きたような話が少なかったが、前半の総論ぽい話のほうが見通しをよくするような優れた論考が多かった。総合病院での非家庭医でも「家庭医的な試み」はできる、というのは結構信じていいことなのではないか、と最近は希望的に考えている。
21065 石井晴之 編『初めて握る人のための 気管支鏡入門マニュアル−杏林大学呼吸器内科編−改訂第2版』(メジカルビュー社、2021)
2021年に第2版が出たばかり。観察手順や気管支の分岐が丁寧にシェーマや写真付きで解説されていて、とてもわかりやすかった。
21066 松本俊彦『誰がために医師はいる』(みすず書房、2021)
この本を読みながらどうしても思い出すのは、救急外来に来たオーバードーズや解離性障害の人びとである。
「神様、私にお与えください/変えられないものを受け入れる落ち着きを/変えられるものを変える勇気を/そして、その二つを見分ける賢さを」(p38)
この世には「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは薬物の「よい使い方」と「悪い使い方」だけである。(略)そして、この答えには続きがある。「悪い使い方」をする人は、必ず薬物とは別に何か困りごとや悩みごとを抱えている。(p131)
21067 中島啓『レジデントのための 呼吸器診療最適解』(医学書院、2020)
通読するには読める記述が少なくて羅列的な表が多く、辞書的に使うには情報が足りず、帯に短し襷に流しな本だった。
21068 『芸人ラジオ Vol.2』(辰巳出版、2021)
アルピーANN最終回のコラム目当てで買ったのだが、想像していたよりは自分語りの要素が強くて(それはそれでもちろんおもしろいのだが)、当時の現場の様子を克明に伝えるようなものではなくてがっかりしてしまった。
21069 山本舜悟 編『非専門医のための肺炎診療指南書 あなたも名医!侮れない肺炎に立ち向かう31の方法』(日本醫事新報社、2013)
タイトルの通り、非専門医向けに肺炎診療についての本。基礎的なところから判断に迷うところまで、痒いところに手が届く本だった。肺炎診療入門書としてよいと思う。
21070 ウエストランド河本『朽木糞牆』(代官山ブックス、2021)
各種テレビ、ぶちラジでさえ語られている河本さんのエピソードが、何倍にも薄められていることがよくわかる本。何の笑いにもならないクズエピソードの数々。それでも通底する自分への冷静な目線や、どうしても悪いところをなおせないことの不甲斐なさを感じて、ぶちラジで駄目な発言をしてすぐに反省する彼の姿と重なる。こういう可愛げがあるから最終的にまわりの人たちが助けてくれるのかなとか。あとは、本当に良い奥さんに出会って、そして娘さんが生まれたということが、こんなにも重要だったんだなと思った。
11月
21071 岩田健太郎 『抗菌薬の考え方,使い方 ver.4 魔弾よ、ふたたび… 』(中外医学社、2018)
マニュアル的な本ではなく、感染症治療の根本の考え方から、各種抗菌薬の誤解されやすい点や勘所をたしかなエビデンスとともに解説してくれる。実は今年の3月に読んだときは途中で挫折したのだが、数ヶ月働いてみて多少ながらも抗菌薬の知識をつけたうえで読むと(本書の対象とする読者になれたのか)種々の疑問が氷解し、かなりステップアップできた(気になれた)。岩田氏の絶望的なギャクセンスと(全く必要のないところでうっかりライプニッツとか引用しちゃう)ペダンティズムに耐えられる人には超オススメ。
21072 上間陽子『裸足で逃げる』(太田出版、2017)
ディテールにこそ宿る、その個人が置かれた社会の構造・歴史、あるいは経験の普遍性を描くのが、上間は上手いなと思った。
暴力や貧困のなかで子供を育てることは、とかく対岸にいるひとびとからは批判されるものです。でも調査をきっかけにして、当初予定していたよりもずっと多くの時間を彼女たちと過ごすなかで、私もまた、彼女たちと同じような立場に立たされれば、同じように振る舞うのではないかと思っていました。そのような思いから、本書では大文字の概念枠組みで彼女たちの人生を分析するということではなく、彼女たちの見てきた景色や時間に寄り添いながら、彼女たちの人生をできるだけまとまった「生活史」の形式で記すことを目指しました。(256ページ)
21073 中島 啓『胸部X線・CTの読み方やさしくやさしく教えます!』(羊土社、2016)
胸部画像の入門書は他にも読んだのだが、これがいちばん簡潔、かつルーティーンの読み方が身につくように書かれていてよかった。所見の書き方に関してもこの本のおかげで語彙が増えたような気がして有難い。ただ、胸部CTの後半は疾患の短い紹介と画像の羅列が続いて、通読するのは少し苦しかった。ただ画像が豊富なので今後も診療で困ったときに参考にしたい。
21074 舞城王太郎『私はあなたの瞳の林檎』(講談社、2021)
二重括弧付きの《理》の話が刺さった。
21075 大浦誠 編『終末期の肺炎』(南山堂、2020)
もう少し誤嚥性肺炎の治療法とかについての本と思っていたのだが、嚥下能力の評価や指導の仕方や多職種協働、あるいは患者との意思決定における交渉の仕方など、「総合診療的」ないしは「家庭医療的」な側面に光のあてられた内容だった。章立てが数ページごとで、それぞれがちょっと物足りないまま終わっていくような印象。あとお寿司が表紙なのはちょっと意図が不明だし、編者が奇を衒いすぎだと思った。
21076 舞城王太郎『されど私の可愛い檸檬』(講談社、2021)
『ドナドナ不要論』が好きだった。
僕自身としては、もうすでに『ドナドナ』は出会ったし聴いたし味わってしまったし、それはどんなことをしても取り返しがつかない。そしてどんな『ドナドナ』もかなしいし辛いし苦しいけれど、悪いものではないなと思う。要らないけど、悪いものではない。(185ページ)
21077 画像診断 Vol.41 No13. 特集『なぜによくわからない間質性肺炎―疑問と悩みにお答えします― 』(学研メディカル秀潤社、2021)
間質性肺炎の患者を何人か持っていて、モヤモヤすることが多かったので読んでみた。画像診断の本だけあって、言葉の定義づけが正確で病理所見とも絡めながら解説されていてよかった。いろいろ整理された。
21078 マイケル・タウシグ『美女と野獣』(水声社、2021)
率直に、手強い本だった。「フィクトクリティシズム」=フィクションや、フィクションと重なり合う記録の形式を用いて表現の形式と手触りと探求するやり方=281ページという手法を自称するタウシグは、ガルシア・マルケス『100年の孤独』のようなマジック・リアリズムと共鳴しつつ(ときにはそれ自体が本文に引用され)、コロンビアにおける美容整形の諸相を描き出す。
近代のアグリビジネスで働く男たちの労働から女たちの美形化へという焦点の変化は、世界中で同時に起きている、英雄的な仕事としての生産から個人的消費のヒロイズムへの転換と共鳴している。そこでは、消費主義を旋回させる欲望の中心に、開示されたり隠されたりする女性の身体がある。(255ページ)
21079 呼吸器ジャーナル Vol.68 No.1 呼吸器疾患の鑑別診断(医学書院、2020)
12月
21080 渥美 一弥ほか編『医師と人類学者との対話:ともに地域医療について考える』(協同医書、2021)
主に自治医大で人類学の「セミナー」の参加者だった医学生が、医師になってその経験を振り返りつつ、自らの臨床実践を反省するエッセイが並んでいる。そのひとつひとつが医学教育における人類学の可能性を示していると思う。この本の編者たちは医学生みながそのような積極的な態度でないことも自覚的で、そういった「意欲的な」「少人数」向けでない人たちにとっての人類学教育がどのようなものになるのかは、この本以降の課題になるだろう。
「患者に「教える」側になるのではなく、患者と共に「考える」医師になってほしい」(54ページ)と簡単に言うが、とはいえ医学的知識の絶対的な知識の傾斜というのは解消されないままにあって、そのあたりは医療者の実感のこもっていない言葉だなと思う。