M-1における「競技漫才」と、THE SECONDにおけるまだ名前のついていない何か

 2023年5月20日に行われたTHE SECONDは、6分という制限時間と、観客審査、そして16年以上の芸歴という3つの要素でM-1とここまで違う大会になるのだという驚きがあった。4分の競技漫才では行うのが難しいことと、減点対象になったであろうことに注目して比較しつつ、すべてのコンビを振り返っていこうと思う。すなわち主に書くのは形式についてで、今回はネタの内容には深く立ち入らない。

 

 THE SECONDという大会の方向性を決定づけたのは、第1試合だったと思う。トップバッターの金属バットは冒頭で、他のコンビの名前を挙げつつ大会自体のことに言及した。そういった自分たちのネタの外について触れるというのはは寄席ならばあり得ることだが、競技漫才においてはほとんど許されなかったことだ。持ち時間にゆとりがあり、かつ芸歴を重ねているからこその導入であったと思う(もちろん彼らのもともとのキャラも大きい)。

 金属バットのネタの構成自体はつい1年前までM-1の出場権があったからか、競技漫才として見慣れたつくりになっていたが、さらに象徴的だったのはマシンガンズだ。彼らは冒頭から大会への言及はもちろん観客いじりや、「今日調子が良くない」「今のウケたな」といったことを繰り返し言っていた。漫才というのは生身の人間どうしが話すという体(てい)を守りつつ、実際には事前に用意された台本に沿って演じられるという暗黙の前提を演者と観客が共有している。そこでマシンガンズのように台本の進行から外れて、ネタの出来不出来についての自己言及的なセリフを言うことは、一般的にネタから「降りる」と呼ばれている。「降りて」いる彼らをみて、THE SECONDは完成された作品を展示するという意味合いの強いM-1とはまったく違うのだということを鮮烈に印象づけられた。

 「降りる」ことはM-1において何となく減点対象のようにみられているだけで、別にそれがおもしろければ何も問題はないはずである。観客審査であるということが、そういう寄席に近い(良い意味で作品性の薄い)やりとりを許容する鷹揚さを生み出していたと思う(もっと言えば、「とにかくおもしろい漫才」を審査基準とするM-1においても「降りて」もいいはずなのだが、競技漫才としての歴史がそうはさせないのだ)。

 

 スピードワゴンが出てくれる大会というのはとにかく良かったし、彼らが出たことによって次回以降ベテランが触発されることに期待してしまう。「純は俺に任せてもう行け」のコントの導入とか、「大至急」のコントの止め方とか、彼ら独自の色の出たフレーズがいちいち楽しい。

 三四郎M-1との違いを感じさせられたコンビであった。お笑い界の事情についてネタにするのも壮大な内輪であり、これもまたM-1では禁忌とされてきたが、観客審査ゆえに勝ち上がってきた。流れ星瀧上が「フランス映画」というのもわかるし、テレビの視聴者があれをどれだけ理解していたのかも不明だが、あの場にいた(敢えて審査をしようと応募するくらいには)お笑い好きな人たちにはウケが良かったのだろう。なおこの禁忌に関して他ならぬM-1でぶち破ったのが去年のウエストランドなのだが、逆にあそこまで突き抜けたものが出てしまうと後続はやりにくい(アルコ&ピースのあとは今なおメタフィクションの傑作が出ていないように)と思われるので、M-1においてお笑い界について語るネタは今後も現れにくいと思われる。

 

 ギャロップの1本目は競技漫才の延長でガチガチに仕上げられた6分間であった。そもそもこの尺でみるのがいちばんよいものを、M-1であれば割愛されて4分に収められていただろうから、このような大会があってよかったと素直に思わされた。

 テンダラーは予選1位だったのも頷ける。この審査方式において、寄席的な観客とのコミュニケーションの上手さやリズムの良さを持ち合わせた彼らは最強だろう。4分間の競技漫才であれば基本的には1つのテーマでネタを構成することが美学とされるが、いろいろなネタのウケる部分のパッチワークのようにしてつくられていたのも、この大会ならではであると感じた。

 

 超新塾のポップさもM-1ではなかなかみられないものでよかった。「マイナスからのスタートです」みたいないわゆる滑り笑いも審査員によっては厳しい評価を受けると思われるので、観客ファーストというか、良い意味でのチープさ、営業ぽさがあってよかった。彼ららが決勝に行くというのもまた、THE SECONDぽさとして象徴づけるには第1回として相応しかったように思う。

 囲碁将棋は言わずもがな、競技漫才がどうとか言うのもおこがましいくらい、常にネタを仕上げ続けている。彼らは4分でも6分でも10分でも変わらないスタイルでおもしろいしゃべくり漫才ができるのだろう。理屈をこねくり回すタイプより、大喜利を羅列していくタイプを選んだのは、何らかの戦略があってのことか、たまたま良いネタがそうだったかというだけか。「大学病院の売店には客が吸いこまれていく」は今大会いちばん好きなくだりだ。次大会以降の優勝候補となっていくだろう。

 

 2本目以降について、ギャロップは2本目は電車あるあるを少し角度を変えて、3本目はフリの長い一撃必殺で、球種の多さをみせつけての貫禄の優勝であった。いまの露出度と、漫才の熟練度を併せて考えると、THE SECONDにとって初回のチャンピオンが彼らであったことは、(スピードワゴンのような売れっ子には多少無理のあった)「セカンドチャンス」というコンセプトの維持にとって最良の結果だっただろう。

 特に言及したいのは3本目で、これは4分の競技漫才ではできなかったものではなく、むしろ6分という長さがあったからこそ最後の一撃の重みが増していた。寄席の観客のような集中力では絶対に受け入れられない構成であるから、ある意味ではあのネタが今大会でいちばんガチガチの競技漫才だったかもしれない。関西で活動するギャロップがそのようなネタを勝負所に持ってくるというのは偶然でなくて、やはりそこに通底しているのはオールザッツ的な価値観なのだと思う。「演技の部分長いな」には確かに意識はいくのだが、「そういえばパンの導入だった」は本当にちょうど忘れているくらいの頃合いであったから、実に計算され尽くされた展開である。

 マシンガンズがお得意のYahoo!知恵袋のくだりで紙を読み出したときは、やはりこれもM-1的な様式美を無視していてよいなと感じた。2008年のNON STYLEがリップをとり出したことに松本人志が苦言を呈したのは有名な話だが、今回もこの紙に対して言及していてその姿勢は変わっていないことがわかって興味深かった。我が身ひとつでやるのが漫才であるという価値観なのだろうが、それではどこまでが「我が身」であるのかという問いを考えてみると存外難しい。ぺこぱの松陰寺の着物はどうなるのか。どこまでが自分の身体の延長としてみなせるのかというサイボーグ的な問いの複雑さを考慮すると、様式美以外の理由で物品を持ちこむことを否定するのはできない、というのが私の立場だ。ともかくTHE SECONDにおいては観客審査なので、その辺りは関係ないというのがまた痛快である。そういえば触れ忘れていたがその前に超新塾が思い切り眼鏡と帽子を持ちこんでワクワクさんをしていた。

 3本目が私は今大会でいちばん脳髄が痺れた漫才であった。もうネタがないと言いつつ何かしらあるのが多くの場合だが、ほんとうになさそうにしていて、その場で起こったことを題材にしつつ、苦し紛れに既存のネタを持ち出してきているその様は、競技漫才の形式に対する挑戦、アナーキズムであった(本人たちはおそらくそんな大仰な目的はなくて、まさしく生身の人間、リアリティをもった言葉として吐かれていたのがまたよかった)。ああいう良く言えば即興性、悪く言えばいつつまずくかわからない危うい綱渡りをみている感覚は、これまでのどんな賞レースでも味わえない経験であった。このような景色をみせてくれたマシンガンズと、この大会に心から感謝している。

 最終的に綿密なネタと戦略のあったギャロップが大差をつけて勝利したのもあまりに美し過ぎるオチだろう、そこは観客冷静なんかいという。

 

 M-1にはみられなかったがTHE SECONDにおいては現れたものについて、たとえば尺の長さを念頭に置いて「寄席漫才」と呼ぶのは簡単なのだが、まだ第1回ということもあり、そうすることによって捨象される詳細を危惧してまだ名付けるのには保留しておく。それだけこれからの展開に大いに期待できる大会であった。最後に、率直に言って、観客席に座って採点するのは恐れ多いし重大な責務となるが、少しやってみたいとは思う。「お疲れ様です」。