1年半、お世話になった施設を去る。いまの病院で働くことになった経緯を書くには紙幅が足りないのだが、ひとつ言えるのは初めからこのつもりだったわけではなくて、なんか気づいたらこうなっていた、という言い方のほうが近い。
専攻医1-2年目というのは、つい先月まで研修医だった人間が、急にその診療科の専門家として見られるようになる、ギャップの大きい時期である。私は初期研修を別の病院で過ごしていたので、まったく新しい環境の人たちに認められないといけない、自分の価値を証明しなければならない、というプレッシャーを強く感じながら働いていた。しかし心理的安全の保たれた科内の雰囲気、接しやすい病棟スタッフの皆さんに強張った身体を解きほぐされるような形で、最終的には天理もアナザースカイのひとつであると思えるくらいまで愛着が湧いた。上司、他職種スタッフ、患者さんからたくさん学ばせてもらった。
フィールドノートは相変わらず書き続けている。5年半になる。指導教官におんぶに抱っこで実力不足を痛感する日々だが、論文もコツコツ進めてsubmitがみえてきた。一定量の読書も継続している。これらはさすがに、自分でも偉いと思う。頑張っている。
英語学習について、何となく始めたりやめたりしてダラダラ続けてきていたが、この夏から一念発起して来年のIELTS受験に向けて勉強すると決めた。やっぱりイギリスに留学したいという明確な夢ができたからだ。それを応援してくれる人もいる。やらなければならない。
わりと2024年は精神が安定していて、それは、自分のアイデンティティが確立してきたからだと思う。呼吸器内科医の自分の立ち位置はこのくらいで、勉強したい/勉強すべきことはこれ、人文系の研究者としての自分の立ち位置はこのくらいで、今勉強したい/勉強すべきことはこれ、プライベートで時間を割きたいことはこれとこれ、というのがかなり明確になった。自分の進んできた道は正しいし、それに向けて今やるべきことをやっている。
そう言いつつ、別に計画性とかがあってここまで来たわけではない。几帳面で計画的そうと思われがちなのだが、私のことをよく知っている人であれば、私が絶妙に見込みが甘かったりいい加減だったりするところは理解してもらっていると思う。後先のことを考えているようで考えていなくて、場当たり的に生きている(計画性のある人間は、初期研修で急に帯広に行ったりはしない)。一定期間ずっと努力しているようにみえて、その場その場の加速度でたまたま一定の速度にみえているだけである(このたとえが伝わるとよいのだが)。
能力的にも特別何ができるというわけでもない私が、それでもやってこられたのは、ひとえに、人の縁だけは恵まれているからである。流れ着いたところで出会う素敵な人々に導かれて、いまの自分がある。社交性があるわけではなく、ハスに構えがちな自分は客観的にどう考えてもかわいくない人間だろうと思うのだが、なぜだか愛してくれる人がいる。
これまでがそうだったというだけで、今後もそうであるとは限らないというのは、わかっている。また今後、いやもうすでに、ひとりで生きていくわけではなくなったときに、計画性はないとか言ってられなくなるのも理解している。ただ、今はおかげで半径5メートルの世界は満たされていて、やりたいことをやりたいようにやれている感覚があるので、それに甘えられるうちは甘えておこうと思う。支えてくれる皆様、見守ってくれる皆様、愛してくれる皆様、愛しています。