2633 ユーリア・エンゲストローム『拡張による学習―活動理論からのアプローチ』(新曜社、1999)

 文化・歴史的活動理論の進化は、三つの世代に分けられるだろう (Engeström, 1996a)。 第一世代は、ヴィゴツキーを中心に展開されたものであり、媒介のアイデアを創り出した。このアイデアは、ヴィゴツキー (Vygotsky, 1997d p.86)によって、媒介された複合的なふるまい」に関する三角形のモデルに具体化された。それは、一般に、主体、対象、媒介する人工物の三項の組み合わせとして表される
 このモデルは、人間の行為に関する基本的な分析単位の中に文化的人工物を挿入するものであり、デカルト主義的な意味での個人と、触れることのできない社会構造との間の分離をまさに克服する革命的なものだった。そこでは、個人は、もはや彼や彼女が用いる文化的手段なしに理解することはできなくなった。そして、社会は、そうした人工物を使い、生み出す諸個人のエージェンシーなくしては、もはや理解できなくなったのである。これが意味するのは、対象がたんに主体形成のための生の素材であるといったピアジェ流の理解を終わりにするということである。そうではなく対象は、文化的な存在物であり、行為の対象への志向性こそ、人間の心理を理解するための鍵となったのだった。
 第一世代の限界は、その分析単位が依然として個人に焦点化されたままであったところにある。この点を克服したのが第二世代だった。第二世代はレオンチェフの仕事に導かれ、そこから着想を得たものである。 レオンチェフ(Leont'ev, 1981, p.210-213)は、有名な「原始時代の集団狩猟」の例をあげて、歴史的に進化する分業が個人の行為(action)と集団の活動 (activity) をいかに決定的に分化させたかを示した。しかしながらレオンチェフは、ヴィゴツキーが最初に提起したモデルを、集団的な活動システム (activity system) のモデルへと図式的に拡張することはなかった。とくに、レオンチェフの仕事において不明確なままなのは、対象に向かう生産と、人々の間でのコミュニケーションを通した交換との関係だった。そのため、『拡張による学習』の第2章では、人間の活動システムをモデル化すること、そして生産とコミュニケーションの間の二元論的な対立を克服することを試みたのだった(図2・6参照)。
 ここで活動の概念は、この枠組みを大きく前進させ、主体としての個人と、彼や彼女のコミュニティとの間の複雑な相互関係に焦点を向けさせたのだった。ソビエト連邦では、活動理論家たちによって具体的に研究された社会的な活動システムは、ほぼ子どもたちの遊びや学習に限定されていた。活動の諸矛盾は、きわめて触れにくい問題だったのである。1970年代以降、活動理論の伝統は、西洋の急進的な研究者たちに取り上げられ、それを異なる文脈に当てはめ直していくことが行われた。そして、活動の新しい領域として、仕事といった活動を対象にした具体的な研究が始まったのだった。 活動理論の非常に多様性に富んだ応用がここに現れ始めた。イリエンコフ (Ilyenkov, 1977a, 1982) は、活動システムの変化と発達の原動力はその内的矛盾 (inner contradiction) であるとするアイデアを強力に概念化した。こうして、矛盾のアイデアが、理論的な仕事と実証的な研究を方向づける原理として位置づけられることとなったのである。
 ヴィゴツキーの基盤的な仕事以来、文化・歴史的アプローチは、まさに「高次心理機能」に向かう垂直的な発達に関する学説としてあり続けている。マイケル・コール (Cole, 1988; Griffin & Cole, 1984 も参照)は、文化的多様性に対す第二世代活動理論の根深い鈍感さを指摘した最初の人物のひとりである。 活動理論が国際的になったとき、異なる伝統や見方の間で、多様性や対話を問うことはますます重大な挑戦となった。こうした挑戦こそ、第三世代活動理論が扱い始めたものである。
 第三世代活動理論は、相互作用する活動システムのネットワーク、対話、多種多様な見方や声を理解するための概念的なツールを発展させてきている。この研究モードにおいては、基本となるモデルは、相互作用する最小限二つの活動システムを含むものへと拡張される。活動のネットワークに向かうこの移行については、いまだ萌芽的なかたちであるが、『拡張による学習』のオリジナル版の中で予期していたことである(とくに図2.7と図2・1参照)。
 本書の中心的アイデアは、次の5点にまとめられるだろう。(1)対象に向かい、人工物に媒介された集団的活動システムが人間の行いの文化・歴史的研究の根本的な分析単位となる。(2)歴史的に進化する内的矛盾が活動システムの運動、変化、発達の主要な源泉である。(3) 拡張的学習は歴史的に新しいタイプの学習である。それは、実践者たちが自分たちの活動システムの中で発達し、変革していくことに格闘する中で現れ、集団的な最近接発達領域(zon e of proximal development) を横切っていくような学習である。 (4)抽象から具体への上向という弁証法の方法が、拡張的学習のサイクルを十全に回すための鍵である。 (5) 介入研究の方法論が必要である。
 ベイトソン「学習III」との関連。
 拡張的学習の理論は、学習の多重的なタイプに関するアイデア、とくにベイトソン (Bateson, 1972) による学習レベルの分析にもとづいて構築されている(第3章参照)。拡張的学習は、ベイトソンが「学習Ⅲ」と呼ぶものに相当する。そうした拡張的学習は、まれなものであり、危険を伴うものでもある。「レベルⅢは、それを試みることでさえ、危険なことであるかもしれず、途中で挫折することもある」 (Bateson, 1972, p.305)。
 バフチンとの関連。教育における水平方向の運動について。
 学習と発達における水平的あるいは「横向き」の運動(Engeström, 1996b, 2003) を認めることによって、対象に向かう活動の中で、談話を通して意味の共有をめざしていく対話が注目されるようになったジェームス・ワーWrtsch, 1991)は、ミハイル・バフチン (Bakhtin, 1981,1986) の対話性の考えが、ヴィゴツキー的な枠組みを拡張することについて、広く人々に知らせる役割を果たした。リトヴァ・エンゲストローム (R. Engeström, 1995)は、さらに歩を進め、バフチンの社会的言語、声、スピーチ・ジャンルの考えと、レオンチェフの活動、行為、操作(operation) の概念との間の類似性を指摘した。こうして、活動理論とその応用としての発達的ワークリサーチは、1990年代に、対話や談話を、基本的な研究問題に組み込んだといえるだろう。
 水平的な側面は、異なる行為者や活動システムの間の横向きの相互作用を分析する強力なレンズとして、境界横断(boundary crossing) の概念によってとらえられることとなった(Engeström, Engeström & Kärkkäinen, 1995; Tuomi-Gröhn & Engeström, 2003)。もうひとつの進展は、交渉された「ノットワーキング」 (knotworking: 結び目づくり)の考えによって、組織や職業や文化の境界を横断して新たに生まれてきている協働のかたちについて定式化したことである(Engeström, Engeström & Vähäaho, 1999; Engeström, 2005b, 2008)。
 拡張的学習の当事者間での相互作用のタイプの分析は、その具体的な追求に学習の水平的側面を含むとき、実り多いものとなる。調整 (coordination)、 協業 (cooperation)、 内省的コミュニケーション (reflective communication) という相互作用の三つの基本タイプを枠組みとすることによって、問題解決と学習のプロセスにおける協働のダイナミクスを効果的にとらえられるようになってきた (Engeström, 2008; Leadbetter, 2004 ~ de Lange, 2011 も参照)。

 

 「拡張的」なプロセスの要点は以下である。
(a) 拡張的なプロセスは実際に分析可能であり、モデル化可能である。(b) 拡張を理解する道は、集合的無意識の概念でも展望の概念でもなく、活動の概念にある。(c)拡張的なプロセスは、学習のプロセスと統合されつつある。すなわち、歴史的に新しく発展したタイプの学習拡張による学習が、社会的実践のさまざまな分野の中で、今出現してきている。

 

第2章 人間の学習の歴史的形態としての学習活動とその出現

 ジンチェンコは学習について3つの指摘を行なっている。
 まず、学習の進化に関するクリックスの論じ方は、ジンチェンコの指摘する誤りの分析の基準に完全に合致している。進化の観点からは、より初期のタイプあるいはより低いタイプの学習を「条件づけ」、より後期のタイプあるいはより高次のタイプを「推論」として扱うのは正当ではない。さまざまなかたちの推論を、学習の進化における最初期の形態の中に見つけることができるし、その逆もいえる(この点については、クリックス自身が部分的に論証している)
 第二に、進化の観点からは、学習の最初の形態は、他の活動や行為の中で暗黙のうちに、たまたま副産物や副過程として生じてくる偶発的(または不随意的)な学習操作である。意識的で目標に向けられた学習行為 (conscious, goal-directed learning actions) は、 より後期に現れる、より高次なかたちである(そうした学習行為は人類だけに制限されるとまでは主張しないが、限定条件については第3章で具体的に明らかにする)。
 第三に、学習の異なる形態の構造とダイナミクスが、偶発的なものか、それとも意識的なものかを理解するには、特定可能な文脈内で、 特定可能な主体、対象、道具から成る、具体的な歴史的活動の部分あるいは側面として、学習の形態を検討しなければならない。

  そういった教育の概念の背景にあるブレークスルーには、ヘーゲルの影響が大きいとエンゲストロームは言う。

 19世紀に、哲学、生物学、社会科学は抜本的な概念的・方法論的ブレークスルーを果たした。それは、産業資本主義による生産力やグローバルな交易の巨大な発展と多少とも直接に結びついたものだった。哲学におけるブレークスルーは、何よりもヘーゲルによってなされた。 そして、生物学ではダーウィンが、社会科学ではマルクスが、そうした突破口を開いた
 こうしたブレークスルーには、はっきりと二つの基本的特徴がある。第一に、有機体と環境、人間と社会は、もはや分離した存在としてではなく、統合されたひとつのシステムと見なされる。このようなシステム内では、遡及力のある因果関係とダイナミックな変転が優勢となっている。第二に、これらのブレークスルーは、有機体と環境、人間と社会は、もはや静的で不変の存在として理解することはできず、歴史的な見方を必要とする、質的に転換していくものとしてのみ理解できる
 三つのブレークスルーは、それぞれに固有の内容をもち、影響を与えた。最大に一般化していえば、ヘーゲルの貢献は次のように要約できるだろう。
 自らを確固とした民族的伝統(カント、フィヒテ、シェリングなどのドイツ啓蒙思想)の中に置くことによって、ヘーゲルは、最初から、人間意識の能動性を、人の身体的な自然組織の独自性と結びつけるのではなく、先行する歴史によって蓄積された精神的な富に個々人が能動的に同化していく過程、および対象の抵抗を克服する自らの活動の中で、同化してきたものを現実化することと結びつけた。(Mikhailov, 1980, p.87)
 ヘーゲルは、物質的・生産的活動と労働の道具とが知識の発展において果たす役割に注意を向けた最初の哲学者だった。個人の意識は、社会によって蓄積され人類によって創造された事物の世界の中に対象化されている知識の影響を受けて形成される、という理論を彼は明確に述べた。

  活動理論へ向かう第一の系譜、パースの記号論が参照されている。

79 記号論の創始者のひとりであるC・S・パースは、対象(object)、心的解釈項 (mental interpretant)、 記号 (sign)の間の三項関係の考えに立って、媒介の理論を確立した。
 記号、あるいは表意体 (representamen) は、第一の項である。それが真正な三項関係の中で関係する第二の項が、対と呼ぶものである。解釈項と呼ぶ第三の項は、同じ対象に向き合う同一の三項関係を仮定することによって決定できる。(Peirce, 1902; Parmentier, 1985, p.27 から引用)
 この三項関係は、各々の二項関係には還元できない。そうでなければ、三項のダイナミックな性格は破壊され、「先行するモーメントの結果として生じたモーメントによる解釈も表象もない。 要素間に何のシンボリックな関係も慣習的な関係もない。そして、その過程で、どのような思考、観念、あるいは意味も具現化されたり伝達されたりすることも「ないのである」 (Parmentier, 1985, p.26)
 こうしたダイナミズムの内部には、二つのベクトルが働いている。第一のベクトルは、記号と解釈項から対象へと向か のベクトルである。第二は、対象から記号と解釈項の両者へと向かう決定のベクトルである。このような表象と決定という二つのベクトルの結合が意味するのは、記号関係における三つの要素が、ずっと変わることなく対象、表意体、解釈項のままであることはなく、むしろ、決定や表象がさらに現実化されるにつれ、互いに役割を変えるということである。・・・記号現象は、こうして、「無限のプロセス」、あるいは「終わりなき系列」となる。そここでは、各時点でのさらなる決定が蓄積されるにつれて、解釈項は対象の真の表象に接近していく。 (Parmentier, 1985, パースは、純粋に論理的・言語的な実在とならんで、自らの考えを人間の行為にも適用した。
 理性に支配されたあらゆる行為の中に、このような真正の三重性 (triplicity) が見出されるであろう。
 活動の理論へ向かう第二の系譜は、G・H・ミードの社会的行動主義である。ミードの理論は、個人主義と主知主義の克服を目ざしたものだった。
 私たちは社会心理学において、社会集団を形成しているバラバラの個人の行動として、その集団の行動が築き上げられているとは見ない。むしろ、特定の複雑な集団活動の社会的な全体を出発点とし、その中で、そうした活動を組み立てている、個々人のそれぞれの行動を (要素として)分析する
 社会心理学において私たちは、社会的なプロセスを、内側から、そして同様に外側からも理解していく。 社会心理学は、観察可能な活動、すなわちダイナミックに進行する社会的プロセスと、その構成要素である社会的なふるまいから出発し、それを科学的に研究・分析するという意味で行動主義的である。しかしそれは、個人の内的な経験、すなわちそのプロセスあるいは活動の内的な局面を無視するという意味で行動主義的なのではない。それどころか社会心理学は、全体としてのプロセスの内部でのそのような経験の高まりに特別の関心をもつ。 社会心理学は、外部から内部へとまさに進んでいくのである。 (Mead, 1934, p.7-8)
 ミードのアプローチは、一般に、「シンボリック相互作用論」あるいは「シンボル媒介的相互作用」の理論 (Joas, 1980) と呼ばれている。このアプローチの中心的信条のひとつは、物理的対象よりも社会的対象や社会的意識を優先させるところにある。
 ある意味、コミュニケーションを含む社会的なプロセスのおかげで、そのプロセスに関与している個々の有機体の経験の領域に新しい対象が生み出されることになる。有機的なプロセスあるいは反応は、それらが反応する対象をある意味で構成する。つまり、ある意味、どのような生物学的有機体も、それが生理学的・化学的に反応する対象の存在 対象がその有機体に対してもつ意味という面で)を生み出す原因となっているのである。たとえば、どのような食物、すなわち食べられる対象も、もしそれを消化できる有機体が存在しないならばありえないだろう。同じように、社会的プロセスも、それが反応したり、あるいはそれが適応したりする対象を、ある意味で構成するのである。つまり、対象は、社会的プロセスに参加しているさまざまな有機体の反応や行為に互いに適応していくことを通じた経験や行動の社会的プロセスの内側において、 意味というかたちで構成される。 この適応は、社会的プロセスの進化の早い段階では身ぶりによ会話の形態で、後の段階では言語による会話の形態でなされるコミュニケーションを手段として実現される。 (Mead. 物理的対象のこうした社会的相互作用的構築は、シンボルを通して行われる
 それに対するレオンチェフの批判は、活動理論の特徴をよく表している。
91 しかし、身ぶりの起源はどこにあるのだろうか? ミードにとって身ぶりは、人間と動物の行動にもともと備わっているものである。けれども、意義のある、あるいは意識的な身ぶりは、人間にしか見られない (Mead, 1934, p.81)。こうした意義のある、あるいは意識的な身ぶりがどのようにして発生するかは、説明されていない。
 ミードの考えを、レオンチェフとチャン・デュク・タオの考え方と比較してみることが有益である。 レオンチェフとタオは、対象を本質的に構築されたものであるとする点で、ミードに同意する。しかし、その構築をたんにコミュニケーションとシンボル化として解釈することについては、ミードに同意しない彼らにとって対象の構築とは、何よりもツールを用いた感覚的・物質的な構築、すなわち生産なのである。 コミュニケーションとシンボル化は、生産と有機的に結びついた側面ではあるが、派生的なものと見なされる。
 レオンチェフによれば、意識的な身ぶりが生まれたのは、たとえ仕事における動作が何らかの理由で実際的な結果をもたらさないときでも、その動作が生産に参加した他者に影響を与えるうることを人々が経験したからである
 レオンチェフによれば、活動の概念は、必然的に動機の概念と結びつく。
 原著の出版は1947年であるが、この一節は、個人の、ツールに媒介された行為を心理学的な分析の単位とすることの不十分さを論証している。集団的活動の全体を考慮することがなければ、個人としての勢子の行為は、「無意味で根拠のないもの」 (Leontyev, 1981, p.213) となってしまうだろう。人間の労働は、すべての人間活動にとっての母型であるが、そもそもの初めから協業にもとづいている。私たちはその個人の活動 (the activity of the individual)を語ることができるが、決して個人的な活動 (individual activity) を語ることはできない。ただ行為だけが個人的なのである。
 さらに、ある活動と別の活動を区別するのは、その対象である。レオンチェフによれば、活動の対象こそが、活動の真の動機である。こうして活動の概念は、必然的に動機の概念と結びつく分業という条件のもとでは、個人は、ほとんど活動の対象や動機を完全に意識することなく活動に参加している。個人が活動をコントロールしているのではなく、活動がその全体を通して個人をコントロールしているということができるだろう。
 活動は、意識的な目的 (purpose) に従属した、目標に向けられた行為によって実現される。こういう行為が、動作的なもの、心的なもののいずれであれ、技能や遂行に関する認知心理学の典型的な対象となっている。
 しかし人間の実践は、諸行為のたんなる系列や総計ではない。いいかえれば、「活動は、それ自体がひとまとまりの単位であって、足し算される単位ではない」 (Leont'ev, 1978, p.50)。
 したがって、行為は活動の構造の中に含まれている特別な「単位」ではない。人間の活動は、行為あるいは行為の連鎖というかたちでのみ存在する。 (Leont'ev, 1978, p.64)他方、ある同じ行為がさまざまな活動を成し遂げたり、ある活動から別の活動へと移ったりするかもしれない。また、ある動機が、違う目標・行為となって現れることもある。
 最後に、行為はさまざまに変化する具体的状況において実行される。行為が実現される方法は、 操作 (operation)と呼ばれる行為は意識的な目標に関連する。 操作は条件 (condition)に関連するが、主体が意識的に考えることはあまりない。ツールは、この操作が結晶化したものである。
 マルクスを参照しつつ、活動の四つのレベルについて、エンゲストロームはモデル化する。

 

129 プライマリ・ケアにおける内科医 (総合診療医 [general practitioner]) の仕事活動 (work activity) が、矛盾の四つのレベルを例証するのに役立つだろう。
 第一の矛盾、つまり使用価値と交換価値の二重の性格については、医師の「中心的活動」の各頂点のいずれに焦点化しても分析できる。たとえば、医師の仕事の道具に、きわめて多くの種類の薬や医薬品がある。しかし、それらは有調剤薬であるというばかりではない。何にもましてそれらは、市場に向けて製造され、営利目的で宣伝され売られる商品である。あるゆる医師が、日常の意思決定の中で、この矛盾に直面する
 医師の仕事における典型的な第二の矛盾は、一方で病気の分類や正しい診断に用いられる伝統的な生物医学の概念という道具として、対象の性格が変化していること、すなわち患者の問題や症状がますます多様な意味をもち複雑化していることとの間の葛藤である。このような問題は、古典的な診断や用語体系の基準にはますます適合しなくなっている。そうした問題に求められるのは、社会的、心理的、生物医学的なアプローチが統合されたアプローチなのだが、それはまだ存在していないのである。
 第三の矛盾は、たとえば医療システムの管理者が総合診療医に、よりいっそう全体論的で統合的な医療という考えに対応した新たな治療法を採用するよう命じるときに生じる。そのような新しい治療法は形式的に実行されるかもしれないが、おそらく、依然として旧来の一般的な活動形態に従っていたり、それを盾に抵抗されたりするだろう。
 そうした新しい全体論的で統合的な原理に立って働く医師が、患者に、新しい習慣あるいは考え方を受け入れ、いくつかの点で生活の仕方を変えるよう、指示あるいは提案するとしよう。その患者は、抵抗を示すかもしれない。これが第四の矛盾の一例である。この患者の生活の仕方あるいは「健康行動」は、ここでの対象活動である。もし患者が、自らの活動の文脈から切り離され、抽象的な症状や病気として見られるならば、中心的活動の発達的なダイナミクスをつかみ取ることは不可能になるだろう。
 学習活動という概念は、社会的に組織化された、人間の学習の形態に内在する矛盾を歴史的に分析することを通してのみ、構築することができる、とエンゲストロームは論じる。
 人間の学習の原型となる形態は、そのほとんどが、基本的な仕事活動と分かつことのできない無意図的な側面として現れてきたものである (Alt, 1975; Wilhelmer, 1979)。活動理論の観点からすれば、この種の偶発的な学習は、無意識的な学習操作(learning operation) から成り、共同の仕事への日常的な参加の中に埋め込まれていた
 知識や経験を伝達する、はっきりと区別される特別な形態が最初に発生したとき、意識的な学習行為 (learning action) が初めて生じた。そうした伝達の初期形態について、三つを区別することができるだろう。
 第一は、図2.6の構造のうち、一番上の小三角形である「生産」に位置づけられるものである。フィヒトナー(Fichtner, 1985, p.49) は、 それを「手仕事の伝達」と呼ぶ。これは、生産の仕事の直接的な文脈の中に埋め込まれており、単独の人間、個々の徒弟に向けられたものである。 伝達の第二の初期形態は、「分配」の小三角形に位置づけられる。それは基本的に、余剰物の生産と分配を分担したりコントロールしたりすることの学習である。これは「権力の徒弟制」とでも呼べるものであり、驚くこともないが、伝達の三つの初期形態のうちで最も知られていない。最後に、伝達の第三の初期形態は、「交換」の小三角形に位置づけられる。この形態の典型例は、イニシエーションの儀式である
 書くことの重視は、「学習」を固定的なものにする。
 「人文学 (humaniora)」 の重点を、文法、修辞学、そして何にもまして弁証法に置くこと、すなわち言語の最も一般的なレベルに重点を置くことは、きわめて形式的であるとともに、あらゆる現実はテクストにあるという知識概念によって支えられていたように思える。私は、これを中世のリテラシーの核心と見なしたい。それは、形式的なシンボル、内容、そしてそうしたシンボルと対象を結びつけるアナロジーの間の緊密で具象的なまとまりを形成する。この具象的なまとまりにおいて、知識とは、原理的に静的で交換不可能なアナロジーである。
 中世の間、知識とテクストの同一視は、同時に、知識自体を義務づけていくのに適した形態だった。教育の中で現実に行われたことは、とくに教養に関する部門では、この静的な知識観に合致したものであったように思える。中世ヨーロッパにおける知識とは、テクストの理解ということだった。現実を知るということが意味するのは、権威者がそれについて書いていることを学ぶということなのである。テクストの暗唱は、科学的知識のコミュニケーション手段として最も重要なものだった。
 そのような教育は、聞いたことを記憶すること、そして、とりわけ筆記が許されなかったときには、想起のためのずば抜けたテクニックを強いるものだった。学習は、与えられたパターンをひたすら覚え続けることであり、個々人の知性を模範的な普遍性の型にはめることであった。つまり、学ぶとは、「模倣 (imitatio)」 だったのである。知識が不変の中世の教育の中心原理 「一斉性」はものであるということは、同様に学ぶ人間に発達可能性がないというに等しい
 まさにこの、学習の主体も対象も、ともに発達可能性がない、ということを表しているのである。
 あくまで活動のなかで学習することを促すことが重要。
  
 こうした道具を、学校に通う活動の一般的な文脈の中に位置づけることである。シャープ、コール、レイヴ (Sharp, Cole & Lave, 1979) によれば、学校教育の認知的効果は、言葉の間の系列的関係(paradigmatic relation) を強調する課題や、学校の外での問題解決とは無関係に、独立に、「それ自体を目的として」問題解決をすることへのレディネスを求める課題の中に認められる。この結論は、日常生活上の課題とそれと類似した構造をもつ学校的な課題における人々の遂行を比較した最近の研究によって実証されている。
 スーパーマーケットにおける問題解決と学校における計算の問題解決との間には、断絶があるように見える。 学校で出される問題は、主に、定められたインプットを使って、学習と手順の演示を引き出すようにデザインされているようである。学校の授業は、多くの生徒たちにとって困難と失敗に満ちたものである。他方、並外れた成功を収めている計算の活動が、学校外の状況では行われている。 成人の数学に関するプロジェクトにおいて研究者たちは、プロジェクトに参加した大人の全員が、日常生活場面での自身の計算の実践について、低い評価しかもっていないことを発見した。
 彼らは、「本当の数学」と彼らが呼ぶもの、すなわち学校で教えられる数学ができないいいわけをした。このことは、彼が、台所やスーパーマーケットでは並外れた計算の力を発揮することに照らして、とくに興味深い。(Lave, 1985, p.174)
 生徒の活動として学校に通うことの本質的な特異性は、対象と道具の奇妙な「逆転」にある。 社会的実践の中では、テクスト(計算のアルゴリズムに関するテクストを含む)は、一般的な第二の道具として現れる。学校に通う中では、テクストは、対象の役割を果たす。この対象は、生徒によって、不思議なやり方で形作られる。つまり、彼らの活動の成果は何よりも、同一のテクストを口頭や書くことによって再生したり修正したりすることなのである(要約する、分類する、組織化する、組み替える、そして構造が明確で「クローズド」な問題を解くために、前もって決められた厳密なやり方を適用する)。グラッドウィン (Gladwin, 1985, p.209) がいうように、「学校は、問題の意味を取り除き、抽象的概念の階層に置き換える」。
142 ここには、重要な二つの示唆がある。第一に、支配的な課題が与えられたテクストを再生し、修正することであるため、社会的実践の中で、つまりはテクストが創造され使用される活動システムの中で現れるテクストの役割は、必然的に周辺的な重要性しかもたなくなる。いいかえれば、テクストは閉じられた世界となり、生きた文脈から切り離された、死んだ対象となる。第二に、テクストが道具として用いられないため、学校で生徒は、慢性的な「道具の貧困」に遭遇することになる。 支配的な第一の道具は、鉛筆とペン、消しゴムとノートである。 支配的な第二の道具は、形式的な勉強のテクニックである。もしテクストが(たとえば文芸批評や歴史研究におけるように) 生きた対象のシステムとして扱われるならば、こうした道具では話にならないほど不十分だということがすぐにあからさまになるだろう。
 資本主義においては、生徒が学校に通う活動のこうした特徴は、その社会経済構成体における第一の矛盾、すなわち価値と使用価値の統一体としての商品がもつ二重の性格によってさらに規定される。生徒には、この活動を構成する諸要素が、二つの競合する形態で現れる。こうして、対象である「テクスト」は、二重の意味をもつものとなる。まず何といってもテクストは、成績など、積み重なって労働市場において生徒自身の将来の価値を決定していく「成功の目印」を得ることを目的に再生産される死んだ対象である。他方、テクストは、学校外の社会に対する自分自身の関係を築き上げるための生きた道具として現れることも多い。この点において、学校のテクストは、潜在的な使用価値をもつ。
 ここまで行ってきた議論の総括。
166 1. 人間の学習は、他の活動、系統発生的には、とりわけ労働の中に埋め込まれた学習操作と学習行為のかたちで始まった。2 学習活動は、独自の対象とシステムとしての構造をもつ。学習活動の前提条件は、それに先立つ活動のタイプ、すなわち学校に通うこと、仕事、科学・芸術の内部で現在も発展中である。人間の活動のネットワークにおいて、学習活動は、一方で科学・芸術、他方で仕事あるいは他の中心的な生産的実践の間を媒介するものとなっていく(図211)。
 3 学習活動の本質は、先立つ活動形態において疑問視されているような内的矛盾を表す諸行為から、客観的で社会的に新しい活動構造(新しい対象や道具を含む)を生み出すところにある。学習活動とは、諸行為から新しい活動の拡張を統御することである。伝統的な学校に通うことは基本的に教科を生産する活動であり、伝統的な科学は基本的に道具を生産する活動であるのに対し、学習活動は、活動を生産する活動である。
 学習活動の主体の出現のための、本質的な前提条件は2つある。
172 学習における真に高次のメタ認知的な意識は、(a)個々別々の学習状況のみではなく、それらの状況が埋め込まれている持続的な活動の文脈(学習状況が、学校に通うこと、仕事、科学、芸術、その他の活動のいずれに埋め込まれていようとも)を意識的に分析し、それを統御すること、(b) 学習状況の構成要素間の調和を図るだけでなく、学習課題に固有の矛盾、すなわち交換価値と使用価値の結合体としての二重性「看破すること」を必要とする
 その説明の仕方は、非常に弁証法的である。
174  レオンチェフは、新しい活動が出現するメカニズムを、先行する活動の動機と、より進んだ新たな活動の動機との間の矛盾の中に求めている。そのさい問題となるのは、その矛盾が外からあてがわれている点である。そこでは、葛藤の種、そして新しい動機が、外部から、文化的な賢い人間によって「移植された」かのように見える。 レオンチェフの説明は、先行する活動の中にある内的矛盾を把握しそこねている。
 この問題点は、レオンチェフが例にあげる、より進んだ新たな活動の特徴づけに明らかに見られる。そこでの新しい動機は、「よい点を取ること」と考えられている。これは、学校に通う動機のうち、交換価値の側面に相当する。 学校に通う動機の内的矛盾の全体については、ここでは脇に置かれてしまっている。
 既存の支配的な活動の内的矛盾が新しい活動への移行のダイナミックな源泉である、という考えは、エリコニン(Elkonin, 1977)によって練り上げられた。彼は、個体発生におけるそれぞれの主導的活動の発達には、二つの相があると仮定する。第一の相では、活動の社会・情動的な動機の側面(主体と他者の関係)が支配的である。 第二の相では、次第に、操作的・技術的側面(主体、道具、対象の間の関係)の習得が進み、支配的となる。矛盾は、主体によって獲得された操作的・技術的な可能性が活動の動機の限界を超えるにつれて生じてくる。

第3章 拡張的研究の基本カテゴリーとしての最近接発達領域

 改めてベイトソンの説明。
185 ベイトソンによれば、学習Ⅰは、コネクショニズムの多様なバージョンが扱っている学習形態、すなわち馴化(habituation) パブロフ型条件づけ、オペラント条件づけ、 機械的反復学習 (rote learning)、消去、から成る。ベイトソン (Bateson, 1972, p.292) は、「学習Ⅰにおいては、知覚または行動のすべての項目が、相互作用の全体の括られか次第で、刺激にも反応にも、そして強化にもなる」と記している。他方で、学習Ⅱあるいは学ぶことの学び(第二次学習)が意味するのは、何らかのタイプの学習Ⅰの文脈または構造を獲得することである。そのため、一般的に行われている人の「性格」の記述は、実際には学習Ⅱの結果の特徴づけといえる。「これからいえるのは、幼児期に獲得された学習Ⅱは、生涯にわたり続いていくであろうということである」 (Bateson, 1972, p.301)。
 学習Ⅱの成果である習慣あるいは「性格」によって、人は、「生の継起の多くの部分について、抽象的・哲学的・美的・倫理的に分析しなければならない」 (Bateson, 1972, p.303) という手間を省けることになる。それに対して学習Ⅲの方はといえば、本質的に意識的な自己変容 (self-alteration) である。つまり、学習Ⅲは、「このように当たり前になってしまった前提を問い直させ、変えさせる」 (Bateson, 1972, p.303) ものとなる。学習Ⅲは、めったに起こらず、それが生み出されるのは、学習Ⅱの矛盾によってである。レベルⅢにおいて個人は、自らの学習Ⅱをコントロールし、限定し、方向づけることを学ぶ。その人は、自らの習慣やその形成について意識的になる。「間違いなく、それは、学習Ⅱのプロセスで得られた前提により大きな柔軟性それらへの捕らわれからの解放をもたらすだろう」 (Bateson, 1972, ベイトソンの議論がもつ力は、学校学習における「隠れたカリキュラム」に関する多数の説得力のある分析(とくにLevy, 1976 参照)や、組織や専門的職業における「シングルループ学習」と「ダブルループ学習」に関するアージリスとショーン(Argyris & Schön, 1974 1978) の分析のような研究によって十分に証明されてきたといえる。無意識的な学ぶことの学び、学校や仕事の中で「どうやるのか」という文脈を手に入れることは、日常、容易に目にする光景である。一方学習Ⅲは実際めったに起こらないようである。
 しかしながらベイトソンの考え方は、こうした見方に単純化できるものではない。そうでなければ彼は、模倣者や追随者よりも独創性に富んだ真のパイオニアたる思想家ではないことになってしまう。ここで彼の分析を独自なものにしている主要な特徴が二つある。第一は、彼のいう階層は、観察や分類にもとづくのではなく、進化的・歴史的な分析にもとづいている点である。第二に、ベイトソンは、状況を安定した事態として描くことに満足していない。 彼は、「状況を変えること」への道徳的な主張をするのではなく、学習Ⅲを生成する学習Ⅱにおける内的矛盾を探っていった。
 1956年、ベイトソンと彼の共同研究者たちは、このような内的矛盾に関する一般的記述をまとめ上げ、それをダブルバインドと名づけた。ダブルバインド状況に置かれた人は、抜き差しならない関係に入り込まされ、互いに打ち消し合う二つのメッセージあるいは命令を受け取ることになる。そして、そのメッセージにコメントすることができない。つまり、メタコミュニケーションができずにいるのである。
 学習と発達の関係。
 学習Ⅱのこのような二つの側面は、わかりやすくいうなら、(a)再生産的と(b)生産的、と名づけられるだろう。学習においては、対象/結果はあらかじめ決められており、道具は試行錯誤、すなわち前もって知られている手段の中から「手探りによる探索」を通して見つけ出される。学習Ⅱbになると、対象/結果はあらかじめ決められているが、道具の方は、実験を通して見つけ出されるか、あるいはむしろ発明されることになる。前者では経験的一般化がもたらされるが、後者は理論的一般化 (Dawydow, 1977) のための前提である。後者の生産的な側面は、たとえそれが目に見えないほど付随的であったとしても、学習Ⅱから完全に取り除くことはできない。
 発達は、ただ学習の「結果」としてだけ起こるのである。このことはヴィゴツキーによって明確に気づかれていた。彼は二種類の(学校での) 学習を区別した。悪い学習とよい学習である。彼はこういっている。「ただ 『よい学習』だけが、発達に先行する」(Vygotsky, 1978, p.89)。 この区別は、私が行った、学習Ⅱaと学習Ⅱbの区別に相当する。
 この見地からいえば、学習は発達ではない。しかしながら、正しく組織された学習は、精神発達を結果としてもたらし、学習から切り離されては不可能な、多様な発達のプロセスを作動させる。したがって学習は、文化的に組織された、人間に特有な、心理機能の発達プロセスにとって、必要かつ普遍的な側面なのである。まとめれば、私たちの仮説を特徴づける最も本質的な点は、発達のプロセスは、学習のプロセスと同時には起こらない、という見解にある。もっと正確にいえば、発達のプロセスは、学習のプロセスに遅れて起こってくる。 私たちの仮説は、学習のプロセスと内的な発達のプロセスとの統合を確証するが、それは両プロセス間の同一性ではない。そこで前提となるのは、一方が他方に転化される、ということである。 (Vygotsky, 1978, p.90-91)
 つまり、IIbのタイプでの生産的な実験は、ダブルバインドの実りある解消のために必要な前提条件である。ダブルバインドの文脈を拡張的かつ病的でないかたちで脱するためには、学習IIbにおける研究にも似た内省的なモデルの構築と検証に典型的な、洗練された学習行為が求められる。 学校の文脈でいえば、生徒が学習IIbの行為を獲得し適用することが、学校学習の妥当性に問いを投げかけ、生活活動のより広い文脈を見つけ出していくことに役立つということである。しかしながら、これは、学習活動あるいは学習Ⅲに向かっていくためのたんに足がかりにすぎない。学習活動においては、発達そのものが学習の対象となってくる。

  ここでヴィゴツキーを参照する。

 ヴィゴツキーによる最近接発達領域の有名な定義は、次のように書かれている。
 子どもの最近接発達領域とは、ひとりで行う問題解決によって決定される現下の発達水準と、大人の案内のもとな仲間との協働によって行う問題解決を通して決定される(Vygotsky, 1978, p.86)発達水準との間の距離である
215 ヴィゴツキーは、モンテッソーリの「敏感期」の考えが、学習指導の最適な出発点であることに触れている。
 彼女が発見したのは、たとえば、子どもが4歳半か5歳で書くことを早めに教えられた場合、その子どもが「爆発的に書くこと」、つまり豊かで想像力に富んだ書き言葉の使用が見られるが、こうしたことは数歳上の子どもに教えた場合には決して現れないということである。これは、当の機能がいまだ十分に成熟していない時点で学習指導が強力な影響を与えることを示す顕著な例である。 (Vygotsky, 1962, p.105)
 最近接発達領域の概念は、とりわけアメリカにおいて、見事な復活をみた。この概念の解釈と応用に共通しているのは、「知能のダイナミックアセスメント」 (Brown & French, 1979 と Day, 1983 参照)の種々のバージョンにとっての論理的根拠として使うことである。
 もうひとつ別の共通した解釈は、最近接発達領域を、学習指導上の支援を子どもたちに与える社会的な状況、あるいは環境を創り出すための論理的根拠と見なすものである。 つまり最近接発達領域において、子どもたちは、共同の問題解決や相互作用を通して、新しい技能を新たな方法で獲得することが可能になる。「足場かけ (scaffolding)」 (Wood, Bruner & Ross, 1976 ~ Wood, 1980参照)という概念は、こうした方向での解釈から生まれたものである
 ヴィゴツキーは改めて、最近接発達領域について、再定式化している。そのうえで、最近接発達領域の段階構造を、拡張の一般的サイクルとして描いている。
 最近接発達領域は、個人による現在の日常的な諸行為と、そうした日常的な諸行為の中に潜在的に埋め込まれているダブルバインドの解決として集団的に生み出される社会的活動の歴史的に新しい形態との間の距離である。
 

239 このサイクルにおいて、転換1は、ダヴィドフのいう第一の学習行為、すなわち思考実験、内的対話などを通して当初のダブルバインドを転換することを示している。とはいえ、この段階は、次のような複雑な下位構造から成る。つまり、古い活動構造における相反する新しい要素の出現、ダブルバインドへと向かう
 こうした矛盾の激化、内省的分析、そして実験(「集中した行為」)
 対象/動機の構築の段階は、ダブルバインドの制約を脱し、以降の活動のための新しい一般的モデルを築いていくにあたって「スプリングボード」 (Kedrov, 1972; 本書第4章参照)として機能する、特定の新しい第一の道具を見つけ出すことから始まると考えられる。
 対象/動機の構築は、モデル化と切り離すことができない。対象はそのモデル化を通して構築される。 そして、そのモデルは対象を取り扱うための一般的な道具となる。このモデルは、与えられた新し活動のモデルであるが、それには潜在的に、創造された新しい活動を先取りするような行為を引き出していく内的矛盾が含まれている。この段階は、ダヴィドフのいう第三の学習行為、すなわち「純粋なかたち」で諸特性を研究するためにモデルを転換する学習行為も含んでいる。
 適用と一般化の段階では、行為を活動に転換していくことが行われる(ブラトゥスとリシンのいう意味での転換2)。
 要するに、主体は、与えられた新しい活動のモデルに合致するような行為を行い始めるのである。このような行為は、最初、多少なりとも古い活動が示す抵抗の形態や動機に従属したものである。新しい行為は、古い活動がそれを押しつぶしていくために、撹乱されてしまう。 しかし別の、創造された新しい活動の前兆が引き起こす、より理解しづらいがより意義のあるタイプの撹乱も存在している。その結果として、転換2は、社会的に新しいもの、指導者にとって予想外の成果が生まれる場所なのである。
 活動2の段階は、新しい活動形態の統合、すなわち与えられた新しいものと創造された新しいものとが矛盾しつつも結合することを表している。この段階は、本質的に内省的で、おのずから意識的であり、ダヴィドフのいう学習行為のうち、最後の二つを含むものである。新しい活動の統合(活動2)は、三つの下位段階に大別される。第一は、新しく創造された道具(たとえば、子どもたちのキャンペーンの場合の手紙)の系統的な適用、拡大、 一般化として現れる活動である。この下位段階は、攻撃的だがたいていは多少なりとも反復的なものである。新しい活動の基礎にある考えは、ある意味、ほぼ徹底的なやり方で再生産され、増殖する。それは、本質的に、活動構造(図2.6)の最上部、「生産」の小三角形の範囲内で行われる。
 第二の下位段階は、減少していく強度と増大していく脱中心化のかたちで現れるだろう。水の中へ投げ入れられた石によって起こる円形の波を思い出してほしい。この下位段階は、本質的に、いっそう新しい道具を多様に創造することである。新しい活動は多様化によって自らを統合していく。そのさい、新しい手段の生産を始めるわけだが、しばしばそれは、それを開始した者にとって驚きであったり異質に思えるものであったりさえする。確かに新しい活動は、古い活動の抵抗構造と共存したり、競い合ったりすることを余儀なくされている。新しい活動が生き残れるかどうかを左右するのは、それ自身の社会的な「インフラストラクチャー」、つまりは交換と分配の三角形(図2.6の底面の部分)をもたらすルール、コミュニティ、分業を創造することに成功するかどうか、という問題である。もし新しい活動がただ生産の小三角形の内部にだけとどまるものであるならば、それはまもなくエネルギー的・物質的な資源を使い果たしてしまうだろう。換言すれば、新しい活動は、それが生き残っていくために、主体にとっては生活活動にならねばならず、また隣接諸活動にとっては本当の社会的な活動システムにならねばならない。
 統合の第三の下位段階では、新しい活動システムは、もはや新しいものというわけではない。焦点化されるのは、外部に対して活動がとる関係である。逆説的に、このことが、活動システムの自己防衛とカプセル化を引き起こしていく。しかし、新しい活動が、閉じたシステムであることはない。それは何よりも、対象活動としての成果を生み出し、道具生産的活動によって生産された手段を実行せずにはおられない。要約するなら、新しい活動は、諸活動のネットワーク(図2・7と図2・1を想起のこと)の内部で共存し、相互作用することがなければならない。

第4章 拡張の道具

 まず、ドレイファス兄弟の議論が参照されている。
 ヒューバート・ドレイファスとスチュアート・ドレイファス(Dreyfus & Dreyfus, 1986) は、著書 『心は機械を超える (Mind over Machine)』 の中で、 コンピューター時代の専門技術の本質とその獲得について論じている。二人の議論は、説明可能な原理や規則にもとづいた行動として人間の専門技術を明らかにすることはできないというものである。本物のエキスパートは、直観にもとづいて意思決定を行う。直観の背後にある心理的なメカニズムは、経験を基盤とした類似性の全体論的な認識であり、深い状況依存的な理解と、流動的で素早い行動を引き起こす。経験を通して私たちは、記憶の内部に、名前のない、言葉では完全に描写できない、いくつもの種類の典型的状況を膨大に蓄積している。 
 最も熟練した行為は、内省なしにその場で行われるものである一方、時間があり、成果が重要である場合には、エキスパートは行為の前によく考えるだろう。しかし、・・・この熟考は計算による問題解決を必要とするものではなく、むしろ本人の直観を批判的に内省していくことにかかわるものなのである。 (Dreyfus & Dreyfus, 1986, p.31-32)
 二人は、エキスパートになるまでのプロセスを、技能獲得の五つの段階から成るものとして説明する (表4.2)。技能獲得のプロセスは、分析的なものから直観的なものへ、規則に導かれて「知っていくこと」から、経験を基盤としたノウハウへと向かう直線的な継起として描き出されている。これは本質的には、内面化の過程である。
 エキスパートの技能はまさに本人の一部となり、自分自身の身体と同様、ほとんど意識する必要はなくなる。 (Dreyfus & Dreyfus, 1986, p.30)このプロセスは直線的であるだけではない。二人は、このプロセスはまた自動的で、どのような専門技術の獲得のケースでも自明であると考える。この道のりを進んでいく上で、最も重要な鍵となるのは経験である。
  しかし、エンゲストロームは、このモデルを、「多くの人々が何年にもわたって経験を積んだにもかかわらず、流動的で直観的なエキスパートにはなれない理由を説明することができない」として批判する。そこで参照されるのはやはりブレーマーである。
 二人が経験のみを単独で称揚しているのは、蓋然論的状況下での経験による学習に関する研究 (Brehmer, 1980 とKahneman, Slovic & Tversky, 1982 参照) から長年にわたり生み出されてきた知見と対照的といえるだろう。ブレーマー (Brehmer, 1980, p.224-227) は、人間が経験から学ぶ方法を示すという建前になっている心理学研究の弱点を指摘する。こうした類の研究で使用される、対連合課題や分類課題といった課題は、多くの場合は何が真であるのか明白に見て取れるような素材を使用している。対連合課題の単語リストの場合、被験者は何を学習すべきなのかを即座に理解できる。分類課題でも同様に、色や形といった一般的な刺激の構成要素は、すでに十分に形成された概念であり、被験者が課題に関係する前提をすでに理解していることも、実験者にはわかっている。それゆえこれらの課題においては、解決方法の妥当性の保証は、経験から引き出されるものではない。実験者が素材の選択を通して与えるのである。
 こうして、このパラダイムは、教えるという状況を非常にうまくモデル化できる。 教えることにおいて、教師は生徒に対して、特定の条件下で何が真であるのかを決める。しかし、このパラダイムは明らかに、人間が経験から学ぶという状況をモデル化していない。(Brehmer, 1980, p.225)
 被験者が診断のための意思決定などの複雑な蓋然論的課題に取り組む場合には、状況は異なっている。何が真であるのかが明白ではないからである。何を学ぶべきなのか、また何か学ぶべきことがあるのかさえ、臨床家に誰も教えてはくれない
 ブレーマーから一歩先に進むために、70年前の教育哲学者、すなわち、デューイを再訪する。それにより、「経験対分析という外在的な対立は、こうして、経験そのものの内的矛盾へと転換される」。しかしそれでは、媒介の役割を果たす第三項は何なのだろうか?
 つまり、経験という用語は、心の実証的な態度であれ実験的な態度であれ、どちらとの関連でも解釈されうる。経験は硬直して閉じたものではない。それは生き生きとしているがゆえに成長を続けるものなのである。過去、慣習、 ルーティンに支配されているとき、経験はしばしば合理性や思慮深さと対立する。しかし経験にはまた、感覚、好み、伝統による縛りから私たちを自由にしてくれる内省も含まれる。経験は、最も厳密で徹底した思考が発見するものを受け入れ、吸収することができる。だからこそ教育という営みは、まさにこのような解放と経験の拡大として規定されるのである。 (Dewey, 1910, p.156)
 そこで参照されるのがマックス・ウェルトハイマー(Wertheimer, 1945)の『生産的思考 (Productive Thinking)』である。それは、「経験の双方の要素、つまり直観的思考と分析的思考の双方に暗黙のうちに結びつけられている論理を、批判的に検討」する「古典的著作」である。
 ウェルトハイマーの場合、対象の果てしない外的な特質の集合体の向こう側に、何か本質的なものがある。この本質には以下の側面が含まれる。
・たんに部分を加算的に列挙することとは対立する、ある対象または状況の全体性、あるいは全体的性質。
・不完全な、または浅い構造と対立する、対象の明瞭で、完全で、一貫した構造。
・部分の分離や分断に対立する、全体としての部分同士の内的な関係性。
・中心のない構造に対立する、全体の中心、核、あるいは根源。
 それゆえ、本質的なものは「よいゲシュタルト」であり、生産的思考とは悪いゲシュタルトからよいゲシュタルトへの移行である。
 必要なことは、認知主義的な見方からの脱却である。
 さらに重要なのは、おそケアリー、マーフィー、メディンがとったアプローチを踏襲していては、明確で十分な判断基準を見つけることはできないだろうということである。これらの著者たちは、知識と心的表象を、個人の頭の中に蓄えられている自足的な存在、またはものとして見ることで、理論を定義しようとしている。彼らもまた、ネルソン・グッドマンに見られるような、認知主義的あるいはデカルト的な誤謬に陥っているのである。理論は、個人が「もっている」実在として考えられている。理論が現れる、あるいは獲得されるとき、それは蓄えられ、個人の帰納的な投影 (projection) を制約するフィルターやレンズとして機能し始めるとみられている。こうした構成主義はたんなる心的構成主義であって、頭の中だけでの世界制作にすぎない。
 このような認知主義的な考え方では、理論が初めに現れるしかたについて、何も興味深いことはいえない。ケアリー(Carey, 1985, p.200) は穏健な生得主義に頼っている。 「人間の子どもの「初期状態』は、彼らが生まれながらにして素朴物理学と素朴心理学という二つの理論システムを授かっているということで説明できると、私は考えている」。マーフィーとメディン (Murphy & Medin, 1985, p.311) は、さらに漠然としたことを述べる。 「機能、関係、そして対象の重要性に関する子どもの原型的な理論が、非常に初期の段階から作用していると間違いなく仮定できる」。しかし、「それが厳密にいつからなのかは、実証すべき問いである」。
 この点において、出来事のスクリプトが概念的表象の最初の形態であるというネルソンの主張は、ケアリー、フィー、メディンの考え方よりもはるかに進んでいる。 ネルソンの主張は、初めに行為があったという単純だが力強いアイデアを示すことで、生得主義に陥ることを回避している。
 とはいえ、マーフィーとメディンは、論文のある箇所で、 認知主義の限界から一歩踏み出している。 二人は、ヒクイドリを鳥とみなさないニューギニアのカラム族に関するバルマー (Bulmer, 1967) の人類学的研究を取り上げる。カラム族がそのように考える理由について、バルマーは、ヒクイドリが飛ばないというだけではなく、森の動物として特別な役割を担っており、それがカラム族の思考における森と耕作の間の対照的見方とかかわっているためだと主張した。この対照的見方はさらに、親族関係の役割と権利についての基本的な関心事にも関係する。 マーフィーとメディン(Murphy & Medin, 1985, p.305) は、「見たところ、森の生命と耕作に関するカラム族の理論は、私たちの文化における生物学的な理論とは異なる分類を生み出している」と正しく指摘している。
 この結論は、理論は個人の心の中の自足的な存在として見ることはできず、むしろ理論自体が社会的な活動システムであるということを含意している。この観点では、理論と概念は、感覚的・物質的な活動システムの、表象的・二次的な側面としてのみ理解可能である。こうした見解は、物質的対象の直接のコピーのようなものとして理論をとらえる機械的な考えとは、まったく関係がない。そうではなく理論は、活動の中に統合されて初めて、生きて発達する。理論を活動から切り離すことはできるだろう(たとえば、無名の書物の中に忘れ去られたり隠されたりして)。しかポパーの見方に反して、そのような理論は事実上死んでいるか凍りついており、少なくとも一時的には生命と発展性を欠いているのである。
 そこで重要な議論は、やはりヴィゴツキーであるが、その議論に不十分な点があることを、ダヴィドフが指摘する。
 ヴィゴツキーの後期の著作『思考とことば』では、概念の問題が中心に置かれている。ヴィゴツキーは、概念に関する伝統的な帰納主義の考えを否定した。ヴィゴツキーは、伝統的な見方においては、概念の形成はゴルトンの「家族の肖像写真」の合成に近いものだと指摘する。これは、多重露光で同じ感光板の上に複数の異なる家族の写真を現像し、複数の人に共通する特徴を際立たせる一方、個々人を差異化している要素を不鮮明にしたものである。伝統的な見方では、この共通の特徴の全体像が概念である。
 概念形成の実際のプロセスを示すのに、こうした論理化された説明ほど間違った方法はない。思春期の概念形成は、伝統的な心理学が示すような論理的なプロセスに決して一致しないということは、とうの昔に明らかになっており、また私たちの実験結果にも明白に示されている。 (Wygotski, 1977, p.160-161; 強調は原文)
 ヴィゴツキーは、子どもはたんに特殊なものを先に把握するのではなく、初めから一般的な概念を用いるという、フォーゲルとビューラーの知見を引用する。子どもはさまざまな特定の花の名前よりも先に、「花」という言葉を獲得する。あるいは特定の花の名前、たとえば「バラ」を先に覚えた場合でも、あらゆる花をバラと呼ぶようになる。ヴィゴツキーは、概念形成はさまざまな概念のピラミッドの内部で、特殊なものから一般的なものへの運動と、一般的なものから特殊なものへの運動が同時に起こる双方向的なものであると結論づけている。この基本的なアイデアは、日常的概念と科学的概念の関係性を分析する中でさらに練り上げられていく。
 弁証法的論理の見地からは、私たちの日常的概念は、語の本来の意味での概念ではない。それは、むしろ対象についての一般的な観念である。 (Wygotski, 1977, p.150)
 この重要な言明は、真の科学的概念の性質をつかもうとするならば、伝統的な形式的論理とは質的に異なる論理を編み出して適用する必要があるということを含意している。 この要求はしかし、ヴィゴツキー自身の分析においては満されてはいない。実際のところ、これよりも後の箇所で、ヴィゴツキーは、「この問題の論理的な側面は十分に取り扱われ、検討されたといえる」とする一方で、発生的・心理的側面はまだ検討されていないと述べている (Wygotski, 1977, p.263)。このように、ヴィゴツキーは、真の概念に関して別の選択肢となるような論理を編み出すことはなかった。ヴィゴツキーによれば、科学的概念は一般的なものから特殊なものへと下向きに機能する。日常的概念は、反対の方向に展開する。この二つが出会うとき、それらは互いに浸透し合い、転換する。
 科学的概念を際立たせる特徴は三つある。第一に、科学的概念はつねに概念のシステムの中に含み込まれている第二に、科学的概念は、学習者がそれに対して意識的であるよう要求する。科学的概念の形成は言葉、つまり定義から始まり、学習者は概念そのものに働きかけることを求められるのである。 第三に、科学的概念は、そのため放っておいても自然に獲得されるものではなく、学習指導を通して獲得されるものである。
 V・V・ダヴィドフはこの定義の弱点を指摘する。まず、経験的な概念であっても、「属一種」といったタイプの複雑な分類上の依存関係のかたちをとりうるシステムをもっているさらに、そのような記述的な概念、あるいは「一般的な観念」は、学校での学習指導によって組織的に伝達される。実際のところ、これは小学校での学習指導における教科内容の大部分を占めている。概念のピラミッドの中での双方向的な運動は、概念の純粋に経験的、あるいは記述的な構造の内部でも十分に可能である。
 「一般的な」言語による定義から始まる獲得は、概念の科学的な性質を特徴づけるものではない。また、恣意的な日常的観念、経験的・一般的観念も、学習指導の中で、そのようなやり方で伝達可能なのである。 (Dawydow, 1977, p.162-163)
 それでは、もし概念が理論の最初の形態なのだとしたら、概念はそもそも、どのようにして現れるのだろうか?
 ここで、アルセニネフ、ビブレル、ケドロフは、最初のスクリプトが繰り返される慣れ親しんだ出来事の心的な想起として出現するというネルソンの帰納主義的な見方に反対する。アルセニネフ、ビブレル、ケドロフは、最初の概念は実践的な生産的活動を構成する、次のような二つの心理的なプロセスの相互作用から現れると論じる。(1) 能動的な物質的および心的な実験を通して、活動から期待される未来の対象(成果)を継続的に構成すること、(2)同じように継続的に、感覚によって、あるいは観照によって、対象を「あるがまま」に体験し観察すること。つまり、最初の概念はただ出来事を経験した通りに再生産したものではない。 概念はすでに初めから、まだ観察されていない、まだ経験されていないものを創り出す傾向をもつ。
 アルセニネフ、ビブレル、ケドロフは、この潜在能力が、科学と呼ばれる歴史的に形成された活動の内部で発達し用いられている概念のみにあるとは考えていない。「私たちの考えでは、あらゆる思考とあらゆる概念がこうした潜在能力をもつ。つまり、本質的に科学的・理論的なのである」 (Arsen'ev, Bibler & Kedrov, 1967, p.14)。 そのためいわゆる日常的概念であっても、原理的には、意識的に練り上げられた科学的概念のように、拡張的な性質をもっている。
 実際にどのようなステップを踏むか、詳しくみていく。
 こうした対象の構成は、個人の意識的な働きを伴わずに、個人が身を置いている社会の慣習や関係内省を経ずに投影したものであり、しばしば暗黙のままになされる。しかし対象は、主体の構成的な行為、つまりそれを確定し名指すことがなければ、まさにそこに現れることは決してない。 この対象構成と問題設定にかかわる第一のステップは、次のような図で表すことができる(図4.1)。
 ところで、しばしば暗黙か陰に隠れたかしているこのステップでは、理論の構築と日常的な問題解決とが弁別されることはない。理論的思考が他のタイプの思考と違う点は、それが、観察可能な対象の動きの背後にある隠れた関係や規則性を明るみに出し、可視化するために、その対象のモデルを構築するところにある。こうしたモデル構築は、アナロジーの助けを借りて達成される。 「そのため、理論の核心には、アナロジーの諸々のタイプとして、さまざまにモデル化される諸関係がある」 (Harré, 1970,p.35)
 アナロジーは、道具として、遊びと想像に緊密に関連している。その両方の中で主体は、実践的で心的な実験を通して、「ゲームのルール」または対象の隠された関係を明白にし、可視化する。
 理論構築における第二のステップは、ベイトソン (Bateson, 1972, p.185)の用語で「二次過程」と呼ばれるものに属するステップである。それは、意識的に外面化され客観化された抽象へと進んでいく。このステップは、図4-2のように図式的に表される。
 モデルはまだ十分に発達した理論にはなっていない。理論的なモデルは、理論を発展させ、同時に適用するための道具と見ることができる。モデルは、思考実験と具体化を呼び起こし刺激する。 ヴァルトフスキー (Wartofsky, 1979, p.142)がいうように、モデルは、「未来に向かって働くものの創造」なのである。この未来に向かう働きの中で主体は、モデルに助けられて対象をただ練り上げるだけではない。主体はまた、モデルを練り上げ、それを新たな、より複雑な発展的形態やバリエーションへと変更していく。つまり、主体は、モデルを基盤として、それに助けられながら理論を組み立てていくのである。 これは、 理論構築に固有の第三のステップである(図4.3)。
 ここでのキーワードは、「スプリングボード」である。ポランニーが批判されている。
319 メンデレーエフの創造的プロセスがその集中的な段階に達したとき、新しい心、すなわち時間的制限が、図4.5の三角形における左下の頂点に入り込んだ。新しいルールと古い道具の間に生じた矛盾の解決を促進するために、暫定的な新しい道具、すなわちソリティアが最上部の頂点に現れ、スプリングボードとして働いた。 これらが新しい必要条件となって、メンデレーエフの諸行為の質的に新しい成果を生み出す拡張的移行が導かれた。それは、元素の分類に関する新しい特定の知識だけでなく、元素間の諸関係を理解する上でのまったく新しい一般原理、つまり周期律であった。そしてこの成果は、新しい種類の一般的な道具へと転換され、ついには化学の研究活動の質的に新しい発達形態を引き起こすこととなった。
 以上のような活動の歴史的タイプと拡張的移行は、大学における研究の古典的な理想に一致する。 純粋な真実を求めて努力する独創的な科学者個人とその個人の献身が、偉大な発見の背後にある原動力とみられている。現代においては、マイケル・ポランニー (Polanyi, 1964)がこのタイプの移行をすべての研究の仕事の永久的なモデルへと変化させている。活動としての科学についてのポランニーの考え方は、図46のように要約できるだろう。このモデルの特筆すべき特徴は、内的矛盾の欠如という点にある。そこでは、変化へのプレッシャーは研究活動の内的なダイナミクスの現れではなく、外的な脅威としてみられる。
 ポランニーに直接依拠しながらジェローム・ラベッツ (Ravetz, 1971, p.103; 強調は引用者による)は次のように結論づけている。「すべての側面において、科学的探究は手仕事的な活動である。それは、一群のインフォーマルな知識と部分的な暗黙知に依存している」。
 近年、「科学」を色付二手仕事を非歴史的に扱うポランニーとラベッツの立場は、科学の産業化という事実に直面したとき、哀れなほど無力である。彼らが考える科学者にとってのツールは、高い道徳意識である。とりわけラベッツの研究では、研究の産業化に関する非常に正確な描写と、科学の仕事の変わることのない手仕事としての性質の強調とが著しく矛盾している。
 メンデレーエフの発見に典型的に示される(そしてポランニーとラベッツによって理想化された)ような研究の仕事の歴史的なタイプを手仕事とするならば、ここでの新しいタイプは合理化された研究と呼ぶことができるだろう。その第一の内的矛盾は、資本主義におけるすべての賃金労働がもつ矛盾である。
 そこでは、契約にかなった研究結果の生産によって利潤をあげる研究ビジネスが発展する。こういう事業の管理者はまさしく企業家である。彼はいくつかの研究機関のさまざまな研究室からの契約書の束を繰って、見込みはどうか、現実性があるか、延長可能か、更新ないし変更できるか、などと思案をめぐらす。
 スプリングボードは、ダブルバインド的な性格をもつ著しい葛藤の最中に、以前の文脈から新しい拡張的な移行活動の文脈へと置き換えられたり、移し変えられたりする、促進的なイメージ、テクニック、または社会的・会話的置(あるいはこれらの組み合わせ)である。
 スプリングボードの概念と、ポランニーやドレイファス兄弟によって提唱されているような経験の概念との間には何か違いがあるのだろうか?
 経験は、円滑で、暗黙の、自動的な類似性認識のかたちで機能していると考えられている。
 スプリングボードは円滑に、自動的に現れるわけではない。スプリングボードは苦痛の最中に、まるで救命ブイのように現れる。その出現の心理的メカニズムについてはほとんど知られていないが、激しい心的な苦しみが必要な前提条件であるように思われる。さらに、経験は、以前の同じような出来事にもとづいて解決策を提供するとされている。 スプリングボードは解決策ではない。スプリングボードは、拡張的な解決策につながる道へのスターター、あるいはヒントである。見た目では、スプリングボードの具体的な内容は最終的な解決の内容とほとんど、またはまったく関係がない場合が多い。
 これらの違いは、比喩的・アナロジー的推論の認知理論では通常無視される。ドナルド・ショーン (Schön, 1983) の著作は、文脈と発達的連続性を重視している点で例外的である
 ショーンは「~として見る」というメカニズムにもとづいた「生成的メタファー」という概念を使用している。いいかえれば、ショーンでさえも、理論を多かれ少なかれ直接的な視覚的類似性の関係に限定している。先に提示した事例は、実際にはスプリングボードが視覚的なイメージ(たとえば、タール作りのイメージ)でありうることを示している。しかし、それはまったく非視覚的な、ほぼ運動のテクニック(たとえば、嘘のテクニック)でもありえる。また、それは言語的相互作用が決定的な社会的・会話的布置でもありえる。したがって、スプリングボードの様相はさまざまであり、直接的な類似関係は通則というよりも、例外的なものなのである。
 
 最後に、「拡張による学習に見合う社会性」がどのようなものになるか、文学理論家ミハイル・バフチンの議論が参照される。
 マイケル・ホルクウィスト (Holquist, 1982, p.xxvi)が指摘するように、「1世紀に小説が大成功したおかげで、歴史の大部分において小説が周縁的なジャンルであり、ほとんど研究されず、たびたび非難されたという事実がわかりにくいものになった」。バフチンは、小説を叙事詩と比較する。彼によれば、「叙事詩的世界は、英雄たちにとっても作者にとっても聴き手にとっても不可避的であり、疑いのない、単一で統一された世界観だけを知っている」 (Bakhtin, 1982,p.35)。さらに、「叙事詩における悲劇的英雄は、自分の運命の外では、何者でもない。それゆえ彼は、彼に割り当てられた筋書きとしての運命に従うだけである。彼は他の運命、他の筋書きのヒーローにはなりえない」 (Bakhtin, 1982,文学的意識の支配的形態としての叙事詩と学習の支配的形態としての徒弟制との間には、深い類似性がある。徒弟制の「界」は、叙事詩の「運命」や「筋書き」に呼応する。産業資本主義と義務教育が徒弟制に取って代わったように、
 叙事詩的距離が破壊され、個人のイメージがはるかな昔の地平から現在の未完の出来事 (したがって未来のそれ)と接触する領域に移ると、小説における(そして結果として全文学における)個人のイメージをすっかり再構造化することになった。このプロセスで、小説の民話的、大衆的な笑いの源泉が非常に大きな役割を果たした。最初のきわめて本質的なステップは、人間のイメージが滑稽で親しみやすいものとなったことである。 笑いは叙事詩的距離を破壊した。笑いは自由かつ無遠慮に人間を探究し、人間を裏返しにして、外部と内部、可能性とその現実の間の不一致を暴き始めた。人間のイメージの中に、ダイナミックな真実性、 このイメージのさまざまな要素の間にある不一致と緊張のダイナミクスがもち込まれた。人間は自分自身と一致することをやめた。したがって、人間が筋書きに完全に覆いつくされるということもなくなった。 (Bakhtin, 1982, p.35)
 人が自分自身とのこのような不適合を創り出したのは、まさに未完の現在(したがって未来)と接触したこの領域である。人間の中にはつねに実現されなかった可能性、実現されなかった要求が残されている。 未来というものがあり、それは個人と不可避に触れ合い、その根をその個人の内部にもっている。 (Bakhtin, 1982, p.37)
 バフチンはここで、資本主義的な個人主義が疎外や隔離化や状況主義という面をもつだけではないことを明らかにしている。それは、同時代性、開放性、流動性といった面、固定化された権威や絶対的な伝統からの自由という面もあわせもつのである。そして、「永遠に求める、自分自身を探究する、すべての既存の形態を再検討する」 (Bakhtin, 1982,p.39) 潜在力をもっている。
しかしバフチンは、ここで立ち止まらない。彼のアイデアは、個人主義の楽観的な側面を示すことに限定されない。逆に、彼の主要な発見は、個人主義の直中から立ち現れる社会性の新しい質の可能性である。
 ここで考察されている新たな社会性は、共通の対象をめぐって交響組織された言語的多様性であり、ポリフォニーである。認知科学の用語を借りるなら、おそらく並列分散処理システムを話題にすることができるだろう。そうし並列分散モジュールを社会的な基礎にする活動システムの展開は、共通の対象/動機と共通の道具を分かち合うグループや個人の、ローカルあるいはグローバルな系列的ネットワーク (paradigmatic network) として考えられるかも
 しかし、そうした社会構造は、学者コミュニティの古典的なアイデア、あるいは関係する研究グループの不可視の仲間集団といったものと、どう異なっているのだろうか?バフチンがさらに参考になる。 「小説は、その時代のあらゆる社会的・イデオロギー的な声を、つまりその時代のあらゆる、多少なりとも本質的な申し立てをもつ言語を代表せねばならない。小説は、言語的多様性のミクロコスモスでなければならない」 (Bakhtin, 1982, p.411)。 拡張的学習と拡張的研究に適用すれば、これは次のことを意味する。 調査している活動システムにおいては衝突し補完し合っているさまざまなグループや階層の声のすべてが含み込まれ、役立てらわねばならない。バフチンが示しているように、これは明らかに、一般の人々の声と、学問的ではないジャンルを含む。それゆえ、単一の学問的なことば遣いのタイプの内部での古典的な議論の代わりに、私たちは異質なことば遣いや言語のぶつかり合う火花を見るのである
 拡張的移行のサイクルは、まさにこの問題に迫るものである。それが追跡するのは、具体的な人間が集団によってなしていく新しい活動システムの生成である。そこでは、個人が抱く疑い、戸惑い、撹乱が出発点となる。そこからの流れは、個人的なものから社会的なものへと進む。しかし、この個人的な出発点自体が、文化的・歴史的な産物としての変動は説明するだろうが、創造を説明しない。
 ここで説明されないままになっているのは、社会文化的に媒介された行動形態、あるいは活動状況、あるいは社会でさえ、そもそもどのように生成され、創造されるのかという点である。ヴィゴツキーのサイクルにおける第四の契機は、ヴィゴツキーの方法論的サイクルでは、探究の最終対象は、高次機能システムあるいは個体発生的な発達における行動の高次形態である。一般的な文化の歴史、また同様に特定の社会や活動状況の歴史は、個体発生を理解し再構成していくための仮説の情報源として働く。次に、個体発生は、基本的には内面化として理解される。探究の一般的な流れは、社会文化的に与えられたものから個人的に獲得さわ内面化されたものへと進む。スクリブナーとコールの論文は、この基本線と一致する。
 明らかにこうした両方のサイクルが、それぞれに固有の現実の側面、あるいはそれ以上に、歴史のサイクルとしての循環的な運動を表している。歴史は内面化と拡張の両方なのである。第2章でヴィゴツキーの著書 『芸術心理学』と関連づけて示したように、拡張的移行という側面は、ヴィゴツキーに無縁のものではない。しかしそれは、彼の一般的方法論の中に統合されないままに残されてしまった。レオンチェフの研究では、拡張は行為が活動へ成長していく現象として登場した。しかしそれもまた、横道に置かれたままになっている。
 二つのサイクルの一般的な方向性は対立しているが、それぞれの内的構造は、具体的な研究の諸段階という点で著し共通している。この共通性は、拡張的移行のサイクルを発達的研究のサイクルに転換するとき、いっそう可視的になる(図5.3)。

2636 田中智志 編『教育哲学のデューイー連環する二つの経験』(東信堂、2019)

 とにかくデューイ関連の書籍を読み漁っている。

 デューイは、「経験の本態 (nature)」を理解するためには、経験が「能動的内容」と「受動的内容」をふくむこと、すなわち「試す(trying)と「受けとる」 (undergoing)という二つの営みからなることを把握しなければならない、と述べている。「私たちは、何かを経験するとき、物にはたらきかけている・・・・。そして私たちは、その結果を物から受けとっている、ないし受けとめている。私たちが、物に対して何かをすると、物は、それに応え、私たちに何かをする」と。この、はたらきかけ(試み) と応答(受けとり)が結びつけられるときにはじめて「私たちは何かを学ぶ」、つまり知識を得ると (DE: 146)。
 この「試み」と「受けとり」の関係は、原因と結果の関係(因果の関係)である。デューイは、「指を火に入れると、火傷する」という経験知について、次のように述べている。「子どもが自分の指を火のなかに入れるだけなら、それは経験ではないただの行為である]。その行為が、結果として受けとった[火傷という]苦痛と結びつけられたとき、それは経験となる。すなわち、火のなかに指を入れるという行為は、火傷をすることを指し示すようになる」(DE: 146)。この場合、指を火のなかに入れることが「試み」(原因)であり、火傷することが「受けとめ」(結果)であるこの人のはたらきかけ(人の試み)と物の応え(人の受けとめ)を因果の関係として、すなわち「法則」(因果律・連関性)として把握することが「思考」であり、いわゆる「経験から学ぶ」ことである。そして、この思考が諸科学の用語・概念・論理によって精緻化されたものが、「学術的(アカデミックな)知識」としての科学知である。
 教育とは、継続的な経験の再構成 (continuing reconstruction of experience) である。
 さて、これまで述べてきたように、デューイにおいては、経験の内容は、試みる/受けとるという呼応の関係、いいかえれば、学ぶ教わるという呼応の関係のなかで、自然に与りつつ自然を使うという享受の自然観が象られ、深まっていく。こうした経験の象り・深まりが、デューイがいう「経験の再構成」の本態ではないだろうか。デューイにとって、教育とは一人ひとりの「成長」であり、一人ひとりの「成長」の基本は「経験の再構成」であるが、それが意味するところは、明示的に語られていないように思う。
 たとえば、デューイは、一八九七年の「私の教育学的信条」(“My Pedagogic Creed")において、「私が最終的に信じていることは、教育が継続的な経験の再構成 (continuing reconstruction of experience) として把握されるべきである、ということである。すなわち、教育のプロセスと目的は「経験の再構成という]一つにして同じものである」と述べている (MPW:91)。 同じことは、それからおよそ四〇年後の一九三八年に出版された『経験と教育』 (Experience and Education)においても、述べられている。「教えると学ぶは、経験の再構成の継続的なプロセス continuous process of reconstruction of experience である」 と (EE:59)。しかし、どちらの著作にも、「経験の再構成」が何を意味しているのかが、具体的に書かれていない。
 一見すると、知識が量的に増えることや、ある知識が他の知識と結びつくことで体系化されることが「経験の再構成」 であるかのようにも見えるかもしれないが、そうではないだろう。これまで確認してきたことから考えるなら、直接経験から生じるさまざまな知見 (経験知)が増えるなかで、物の背後に人為を超える、自然の「全体」が拡がっていることが想像され、物がその自然からの恵みであると了解されることで、しだいに享受の自然観が形成されること、つきつめていえば、〈自然は、人の願望や認知をはるかに超える大いなる存在であり、人は、その大いなる存在に支えられ、それに与り、その一部として生きている〉と考えること、これが、デューイのいう「経験の再構成」が向かう先ではないだろうか。
 考えること、とはどういうことか、についてデューイは仔細に整理している。意識と無意識の往還というのは、デューイの根本的な発想のひとつと言える。
 デューイは講演を行う以前の一八九九年に、実際に考えている過程としての「考えること (thinking)」 と、その結果としての 「思考 (thought)」の区別に言及している。前者の「考える」は「無意識的ではあるが生き生きと用いられている方法」に、後者の「思考」は「意識的に定式化された方法」に対応している。この二つに関して、「それを経験している人にとってのあるがまま4の経験と、心理学者が反省的分析によってあるがままの経験のなかから導き出したものとを混同すること」を、「心理学的誤謬」と呼んでいる (Dewey 1899: 118)
 考えるリズムは、「推定 (projection) と反省 (reflection) が、精査するなかで、まっすぐ前進したり後戻りしたりしながら、交互に行われるべきである」。すなわち、考えるリズムは、未来を展望して考える 「推定」と、過去に起きたことを振り返りながら考える「反省」が織りなすリズムでもある。 ⑥そのリズムにおいて、「無意識は自発性と新鮮さを与え、意識は事実に基づく確信と統制を与える」といわれるように、無意識と意識は独自の役割を果たす (Dewey 1910: 349-350=1933:343-344)。
 この考えるリズムの説明のなかでは、ホーレスマン・スクールの教師たちが重視した、考えることを無意識から意識へと高めるということは、④においてたしかに言及されている。しかし、それはデューイ思考教育論の核心ではなかった。無意識と意識は、前者から後者に向けて高められるのではなく、絶えざる往還関係におかれるべきものであった
 Hidden curriculumの議論も、デューイ・スクールの試みと深い関係があることは知らなかった。
 「隠れたカリキュラム」はその成果の一つである。それは、デューイ・スクールで校長を務めたジャクソンが、「鉛筆と紙のテスト」では測定しえない、いわば子どもの「内面」を明るみに出すべく、同校での参与観察をもとに提起した概念であった (Jackson 1968)。 その方法としての「観察」については、その後デューイの芸術論もふまえて、教室で直接見聞できることの奥にまで理解を深めるために、観察対象から「表出」していることへの意識を読み取る「表出的意識」を提唱している (Jackson, Boostrom, Hansen 1992)。晩年の『教育とは何か』(二〇一二年)においては、「教育の前提条件」としての「思考の動き (thought in motion)」 について分析している。
 デューイ的な「経験」は、「思考や探究の足場であっても、思考や探究をその外側から拘束する統制的理念や合理的基準の類いではない」。
 
 じつはデューイの近代哲学批判をめぐって大きな論争になったのが、この「経験」の問題であった。デューイが「自然主義的形而上学」という用語で「経験の形而上学」を求めたことを、ローティは(サンタヤナによるデューイ批判に倣って)「形容矛盾」とみなし、デューイの勇み足として批判したからである。哲学の言語論的転回を徹底しようとする観点からは、たしかにその形而上学は近代西洋哲学の残滓に見えよう。 ローティにすれば「経験」の代わりに「連帯」や「会話」があれば十分だし、民主主義も哲学的正当化を放棄してアメリカの文化的伝統の中に埋め込んでしまえばよい、というわけである。
 しかしながら、ローティのような考え方には、きびしい批判も投げかけられてきた。実際にも、言語論的転回を足場にしたローティの近代哲学批判は、冒頭で述べたようなポストモダン的懐疑論を招き寄せるばかりとなっている「連帯」はしばしば分断された世界を取り繕うイデオロギーに転じ、「会話」はネット上の閉じた空間で自己承認を求めてやまない「民主主義」もまた欧米という辺境の特殊な文化とみなされ、日本に民主主義を根づかせる試みは戦勝国アメリカの文化帝国主義への屈服だ、とみなされかねない状況にある。そのアメリカでもま民主主義は大きな危機に瀕している。経験という支えがなければ、これまで人類が積み上げてきた文化は維持も発展もできないかもしれないのである。
 そこで、ここで改めて確認したいのは、デューイが近代哲学批判に耐えうると考えた「経験」は、思考や探究の足場であっても、思考や探究をその外側から拘束する統制的理念や合理的基準の類いではないということである。
 経験とは、有機体と環境の間の相互浸透的な作用であり、直接的経験と反省的経験のリズミカルな運動にほかならない。その経験によって人間は文化を生み出し更新していくとはいえ、経験と同じようにあくまで自然の運動や作用なのである。 しかも、その自然の運動は偶有性をはらんでおり、固定した目的をもっていない。
 経験は個人の実態としても社会的水準としてもつねに生の途上にある。 経験的自然とはいわば徹底的に歴史化された自然なのである。
 デューイの民主主義論について。やはりデューイは、ポストモダン的懐疑論の乗り越えという意味で先駆的だったと言える。
 リベラル民主主義では、自由な個人の多様な意見を主権者としてのデモス(国民)の統一的な意思にまとめるために法的手続きが重視されるが、その反面で一人ひとりの政治参加が軽視されがちになる。このような状況下にで、ハーバーマスは法的手続きの形式化(システム化)を防ぐためにコミュニケーション的理性による討議を導入し、アーレントは一人ひとり異なる人びとの言葉や行為が交わされる政治的な「公共空間」の復権を説いた。それに対してA・ホネットは、ハーバーマスの「手続き主義」とアーレントが継承した「共和主義」の限界、すなわち(手続き主義による) コミュニケーションや討議を可能にしている諸条件の軽視や、(共和主義による) 政治参加する主体への過剰な倫理的要求を克服し、両者を媒介するものとして、デューイの「社会的協働活動」を位置づける2。これを引き継いでいえば、オキュペーションの中に民主主義の可能性を見るデューイの民主主義論は、ハーバーマスとアーレントが共に与している(労働(仕事)と政治参加の対立〉―その変奏が職業教育と市民教育の対立を調停する可能性も秘めていよう
25  そのとき、デューイの民主主義論は、ベースとなる思考枠組みを提供してくれる。デューイは社会を、自己完結的な個人の集合体として捉えるのではなく、最初から個人と切り離せないものとして位置づける。そのうえで社会への関与によって個人は成長し、個人の成長によって社会も改良されていくとみなす。そのとき、個人と社会双方の十全な成長のためには欠かせないものがある。他者や社会への応答責任を負うこと、多様な個人や集団が関心を共有しつつ自由な交流や協働や交換を推し進めること、個人や社会が各々独自の批判的で創造的な知性を駆使することなどであるが、それを可能にしてくれるのが、デューイのいう民主主義にほかならない。このような意味の民主主義的実践=探究で得られた「保証つきの主張可能性 (warranted assertibility)」 としての知識は、暫定的ではあっても信頼に足るものとなり、次の探究のための確かな足場となる。それは同時に、ポストモダン的懐疑論とハイパーモダンのハイブリッドを克服するための足場ともなろう。
 デューイの状況、「一次的な経験」と「二次的な経験」、そして〜に参与すること(take part in)。
 加えて、デューイによれば、存在の直接的な質は、個々の事物にあらかじめ備わっているものではなく、事物と人間の双方が「状況」 のなかに置かれてはじめて享受されるものである。私たちは、その状況の全体を、 要素間の関係として反省的に分析する以前に直接的に感受している。 デューイによれば、反省的な思考を介した「二次的な経験」は、質の直接的な感受がなされる「一次的な経験」を土台としている
 デューイはさらに、経験のこのような通時的構造を共時的構造としても記述している。人間の経験は、無意識の「背景」として潜在的に拡がる全体と、意識の「前景」に焦点化される部分が、絵画の地と図のように折り重なることで成立している (Ibid: 235-6; CT:13)。
 このような潜在的な全体性に根ざした状況のなかで特定の質を直接的に感じとることによって、反省的な思考は方向付けられる。「思考の対象を選択的に決定し、それらを関係づける過程は、状況状況はそこに浸透して内的な統合を果たす質によって構成されているを参照することで統制されている」(QT:246)。
 このようにデューイは、直接的で全体的な位相を備えたものとして、人間の経験を重層的かつ立体的に把握している。経験は潜在的に拡がる全体的な状況のなかで生じ、人間の反省的意識はその部分として派生的=事後的に生じる。確かに、デューイは、目的手段の図式で経験を記述しているのだが、その全体論的構造を踏まえるなら、その都度の経験を規定する目的手段の関係は、潜在的に拡がっている文脈の全体から分出してくると理解すべきである。そのため、前項で確認したような個人主体が企図する目的合理性は、経験全体の構造に照らせば、意識に顕在化することを許された部分的なものとして捉え直される?
 デューイはこれらの表現を通じて、共通の活動への「参与」(participate in / take part in/partake) がなされる際には、「協力者」 (partner) ないし 「参加者」(party) が、活動の「役割=部分」 (part) を分担することで経験を互いに分有する、といった一連の機制を描写している
 ここで、デューイがコミュニケーションの様態を記述するのに、前置詞 “in” を繰り返し用いていることに注目したい。そもそもデューイは、「社会はトランスミッションによって [by]、コミュニケーションによって存在し続けるばかりでなく、トランスミッションのなかに [in]、コミュニケーションのなかに存在する」と述べている id: 7強調は原文)。 デューイにとって、社会的事象だけでなく、すべての出来事は世界に内在する (in) と同時に、世界の部分を構成し (of)、相互に作用しあっている。そのため、「経験は自然のなかにあるのと同様、自然の一部を成している」 (experience is of as well as in nature) (EN: 12 強調は原文)とも言われる。 このような記述は、 デューイの思想がそもそも、世界の外部に何らかの超越者を想定せずに、世界に内在的な観点を立っていることと関わっている。
 デューイにとって、あらゆる存在は自然に内在する。 なかでも人間は、コミュニケーションを通じて経験の意味他者と分有する過程で、共同の世界に参与する。 
 人間は「習慣」(habits) を形成することで、世界の「なかに住む」 (in-habit)。この事態を「センス」と「ミーニング」の観点から記述すれば、以下のようになる。人間は世界のなかで、自らの置かれた状況の全体を「センス」(sense)として質的に感受している。その質的なセンスが分節されることで「ミーニング」 (meaning)が生じる。すなわち、世界内の相互的な交流のなかで、無数の「センス」が経験に受胎され、そこから反省的に「ミーニング」が分出し、この世界を満たす。そのようにして、世界は多様な「意味」(センス/ミーニング)に彩られ、私たちの住み慣れた「家」(home) に変容していく。
 もちろん、世界に住んでいるのは、一人の人間だけではない。多種多様な意味を産み出す自然の多産性は、人と事物の相互作用だけでなく、人間同士のコミュニケーションを条件として成立している。デューイにとって、コミュニケーションは、人びとが共に住まうところの共同世界を構成する決定的な契機なのである。
 こういったデューイのある意味で素朴な共同体論には、批判がある。
100 この点を明確にするために、現代フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシー (Nancy, Jean=Luc) の議論を参照しよう。ナンシーは、西洋思想の底流には、「失われた共同体」に対するノスタルジーが存在すると指摘している。
 そして、「真の意味での共同体喪失の意識はキリスト教的なものである」としたうえで、その失われた共同体への郷愁を体現してきたものこそ、「コミュニオン」をめぐるキリスト教の言説であったと述べている (Nancy 2004=2001:ナンシーによれば、西洋の共同体論は、死すべき存在の有限性を合一的な共同体によって超克できるかのような幻想を絶えず生みだしてきた。しかし、合一的な共同体に内在することは、有限な存在者相互の共同性を合一性のなかへと解消してしまう危険を秘めている。それゆえ、ナンシーは、合一的な共同体によって存在の有限性から救済されるという幻想を振りまく「コミュニオンのシステム」 (le système de la communion) そのものを脱構築するように呼びかけている (Nancy 2004=2001:46=32)。
  「生来の能力は発達や成長の出発点であるが、発達の目的や規範ではない」。
 デューイは次のように述べる。
 発達は、一連の変化を貫いて制御する、内部に宿るある目的によるのだという観念が放棄されるとき、潜在可能性は他の諸事物との相互作用の結果によって考えられなければならない。したがって潜在可能性は、相互作用が生起してしまった後になるまで、知ることができない。一定の時に、個人のなかに顕在化していない潜在可能性があるのは、その個人が今までのところ相互作用していない他の諸事物が存在するからであり、また存在する限りにおいてである (LW 14:109)。
 生来の能力をもつ個人は、特定の人的、物的環境との相互作用を通じて、初めて成長する。そしてその成長の結果から翻って、その個人に特定の潜在可能性があったと推断するのである。ルソーの主張で正しいところは、教育においては生来の能力、身体の諸器官や諸機構を考慮し、これらを適切に行使しなければならないということである。しかしこれらの適切な行使を通して子どもの成長を可能にするのは、適切な人的、物的環境との相互作用である。ここにデューイの文化的自然主義の立場がある。
 ここで「習慣」概念について精緻な分析があった。やや素朴すぎる発達論の向きもあるが、追っておく価値はある。
 とはいえ、前述のように教育的に見て、習慣には否定的に評価され易い面があることは否定できない。そこでデューイの習慣概念を、もう少し精確に見ていくことにしよう。先ず習慣に対する否定的評価の理由の一つは、それが行為の機械的反復に過ぎないということである。しかしデューイによれば、習慣は単なる行為の制御ではなく、行為の制御を通した環境の制御である。その点で習慣の獲得は力の獲得である。また習慣は伝統、慣習への隷属を強いるとも批判される。これは習慣が知性の欠如した状態と等価と見なされるからである。しかし知性的習慣というものが存在するのであり、そのような習慣は既存の習慣に知性の光を当てて、その習慣を柔軟に再組織化することができる。デューイが重視したのは、知性が組み込まれた習慣、知性的習慣である。知性的習慣という習慣理解は、古典的習慣論では奇異なものではない。ある人が幾何学者であるためには、日常の経験的認識を行う能力だけでな長い年月にわたる幾何学と学習の研究を通して獲得された能力や技能が必要である。 稲垣良典によれば、古典的習慣論では、この獲得された能力や技能が習慣と呼ばれたという。つまり習慣 (habitus) は学知 (scientia) と等価だったのである
 習慣には、もう一つのタイプの重層性がある。我われはそれを、『論理学―探求の理論』の第二及び第三章の表題「探求の生物学的基盤」と「探求の文化的基盤」をヒントにして、「習慣の生物学的基盤」と「習慣の文化的基盤」と呼ぼう。「習慣の生物学的基盤」は動物と人間に共通であり、「慣れ」 「馴化」 「習性」などと呼ばれる。いっぽう「習慣の文化的基盤」は、主体と文化的環境との相互作用を通して形成されるものである。人間の場合、「習慣の生物学的基盤」 は「習慣の文化的基盤」につねに既に組み込まれている。
 それでは「習慣の生物学的基盤」から「習慣の文化的基盤」への飛躍は、如何にして可能であろうか。デューイは、言語の発達が「習慣の生物学的基盤」から「習慣の文化的基盤」への飛躍の鍵だと考える。つまり最も広い意味での言語によって構成された意味空間が「習慣の文化的基盤」である。
 また同様に、「成長」の定義も確認しておく。
 137 デューイは、「成長」の教育思想を唱えた。この点についてまず確認しよう。彼は『デモクラシーと教育』において、次の有名なテーゼを示している。
 「われわれの最終的な結論は、生(生活・生命 life) とは発展 (development) であり、発展していくこと、成長していくことが生である、ということである。これが教育的な同等物に言い換えられるとき、それが意味するのは、(i)この教育的な過程はそれ自身を超えるいかなる目的も持たない、つまりこの過程はそれ自身が目的であるということ、そして(i) この教育的な過程とは、連続的な再組織化、再構築、変容の過程である、ということである」 (DE: 54)。
 そして次のように述べられることは、こうした文脈において解釈されるのである。「生きることはそれ自身に固有の質 (quality) を有し、教育の任務とはその質に関わるものである」 (DE: 56)。
 つまるところ、この「成長」の教育思想の要諦にあるのは、経験が呈するその時々における固有性に対しての絶対的な肯定である。デューイ自身の言葉を幾分超えて敷衍するならば、このように言うことができるだろう。すなわち、この思想においては、たとえどのような年齢・職業・地位・状況にある人であろうとも、その生の瞬間瞬間で感得され実感として受け取られるところの経験それぞれは、それ自体として、その時々においてつねに新しく代えがたい。それらの経験は、何か他のものやそれを包含する全体との関係性、もしくはその道具的価値に還元・縮減されてしまうことがないという意味において、その人にとってまさしく固有で充全なものとして肯定される。したがって、いつか未来において実現される何ものかに教育や生きることは従属されてはならないのであって、その都度抱かれた目標に導かれることで更新され刻々と露わになっていく経験の地平それ自体こそが、閑却されてはならないこと、われわれが真に気遣い確認すべきことである。
 この「成長」概念を支えるのが、一次経験、そしてそれに意味を付与した二次経験となる。
 この「表示的方法」の内実は、デューイの議論を約言すれば次のようになるだろう。哲学は、自然科学がそうであるのと同様に、生の経験を洗練することにより得られたものであり、そうした元々の経験の有り様を別のかたちで表示し直し変容させるものとしてある。前出の一次経験とは、このような理論の出発点でありかつ終着点であるところの生の経験のことであり、二次経験とはこれに検証・吟味を重ね洗練させたものである。 この二次経験は、隔てられた複数の一次経験を結び付けて再表示する媒介として機能する本稿では後に、二次経験の実相を、「意味 (meaning)」 の地位の中に見出すことになる。 デューイの言葉に即せば、前者は「粗雑で、巨視的で、生のまま」であり「最低限の偶然的な反省の結果として経験されたもの」としてあって、後者は、「精錬され、反省の対象から導き出され」、「継続的で統制された反省的探究の帰結において経験されたもの」である (EN:15)。われわれは先述のとおり、こうした一次経験の具体的実相として質の感受を位置付けることができる。そのことはデューイ自身が必ずしも明示しているわけではないが、注意深く読むならば議論の道筋はたしかにそれを示している。たとえばデューイは一次経験を「混交性および充全性 (heterogeneity and fullness)」 と等置して記述する (EN: 39)。
 ここでの混交性や充全性とは、記号・言語によってなされる一意的な分析・分節化から逃れ横溢していく現実の特性を指していると考えることができるだろう。こうした一次経験をめぐる記述は、本節の冒頭で見てきた縮減不可能で多元的な質の特性の記述に符合している。
 さらに傍証を加えておく。同様のことは、一次経験を、理知的に構築されたものである二次経験との対比において、その情動的で非理知的な性質、経験の前・認知的位相として説明する仕方からも推察可能である。この文脈の中でデューイは、そうした感情や感覚、あるいは芸術、幻想や無知過ちといったもの言い換えれば、われわれの日常経験の内に質的な実感として現れる事柄が、「真なる実在」の単なる見せかけ (現れ appearance) としてこれまで哲学的に貶められてきたことを批判する (EN:27)。
 デューイが素朴に「自然」というときのそれが何を指しているのかは、「自然」そのものが西洋近代的な概念として批判され得る今は、曖昧模糊としている、ないしは、理想化され過ぎている、と指摘することは可能だろう。
 このことに関わってデューイは、経験を構成している何 (what) といかに (how) という側面に注目しながら、次のように説明する。経験とは、ウィリアム・ジェイムズがそれを二重樽詰めの語として呼んだように、「人間が何を為し、何を被ったか」だけでなく、「どのように人間が働きかけ、働きかけられたのか[・・・] すなわち、経験することの過程」を含んでいる (EN:18) (強調デューイ)。「経験が「二重」であるのは、それが経験の一次的な統合性において、行為と材料、主体と客体との間のいかなる区別も認めず、それら両者を未分析の統一体の内に含んでいるためである」 (EN: 18)。 デューイは、経験されたところの客観的事物や、経験主体の主観的な行為といったどちらか一方に経験を還元することを棄却する。この統一体としての経験は、「人生」や「歴史」といった言葉で語られるものと類推的なものだとも述べられる一次経験の時間的連続性に関するこうした指摘は、後に見る出来事の「終わり」としての質という議論に通じている
(略)
 この経験の統一性という論点の前提とされているのは、自然という一元的で連続的な全体性である。これに関わって確認されるべきであるのが、次の二点である。第一に、デューイが注意を促しているように、経験されているものは「経験」ではなく「自然 (nature)」 である。 彼の経験論的自然主義 (empirical naturalism) もしくは自然主義的経験論(naturalistic empiricism) において、経験とはつねに、自然の内における (in nature) 自然の (of nature) 経験である(EN: 12)(強調デューイ)。したがって、経験は主観的で私的なものとして閉鎖的に完結する過程ではなく、客観的で公共的にアクセス可能な世界の内における、それらの接触としてある点が看過されてはならない。
 第二に、経験されるものが自然であるように、経験する側――たとえば道具や言語を使用する人間もまた同様に、高度に組織化された自然の一様態であるとされる。 デューイの自然主義において、人間の精神活動は、物理科学が探究対象とするところの自然から隔絶され無関係なものではない。経験とは「ある特定のあり方で相互作用している事物」だと述べられるとき (EN: 12)、ここにはそうしたより包括的な自然観が含意されている。 デューイは自然の相互作用の様式をめぐり、それを自然科学が定義付ける物理的なもの (the physical)、生命現象に特有の精神第物理的なもの (the psycho-physical)、 意味世界を有する人間の心的なもの (the mental) に類別したが、それらはあくまでも自然的基礎を共有した連続的なものである。
 下記の記述は、デューイの「反省」が「意識」に縛られないことを強調しているという点で重要である。
174 ジェイムズの純粋経験とベルクソンの純粋知覚はちかしい概念である。つまり、主客が未だ分かたれない、未だ意味を持たない状態を両者は純粋経験・純粋知覚として表現する。 両者の差異はその後の純粋経験・純粋知覚の扱いに現れる。ベルクソンにおいては、純粋知覚が切り開く不確定性を、反省的な思考ではなく、記憶の凝縮という持続の層において埋め合わせる。それに触れることができるのは、ベルクソンにおいては「直観」であるとされる。
 それに対して、ジェイムズとデューイは純粋経験が他の経験と連鎖するという流れを事後的に捉える。そしてデューイは、この事後的な把握を「反省」と言い換える。この「反省」がデューイの議論において「一と多」に関わることが予想される。
 しかし、デューイとジェイムズの立場にも差異が存在する。 デューイは、自身の思想の展開を回顧する一九三〇年の論考「絶対主義から実験主義へ」 (“From Absolutism to Experimentalism") にて、 ジェイムズの一八九〇年の著作『心理学原理』(The Principles of Psychology) に多大な影響を受けたことを認めつつも、ジェイムズが『心理学原理」で論じる「流れ」があくまでも「意識」を重視している点を批判する [FAE: 157] 。 それに対して、デューイは、ジェイムズが「活動する生命 life in action」 という用語で、固定的なものを打ち破ろうと試みていた側面を評価する [FAE: 158]
 つまり、デューイはジェイムズの「行動そのものを、経験そのものを、かつて〈意識〉や〈心〉と呼ばれたものに置き換える立場」を重点的に引き継いだのである[栗田 1993:70]デューイは反省的な「選択」もまた「行為」として引き受けていた。また、「知覚と有機的活動」で示されていたように、この身体的活動・行為への着目は、芸術作品の制作という領域を切り拓くことになる。 デューイによれば、表現とはすべからく身体的な活動の現れであり、それが作品という事物へと展開されることになる [AE: 88=95]。
 デューイ・スクールにおける「仕事」概念。
 今日では「専心的な活動」 (早川 1996: 109) とも訳されている「仕事」の活動が、社会の典型的な営みを学校で再現・表象することを意図したものであることは疑いようもない (Dewey 1899=1915: 92)。 典型的であることは何かを探り出すために、デューイは前近代の共同体型の社会にまで遡り、その答えを「仕事」に凝縮したのであった。こうして実験室学校の子どもたちは、衣食住を中心として生命を繋ぐ「協働」 (cooperation) を 「仕事」として実演する存在となったのである。その限りでは、子どもたちは社会生活を「主題」として、学校という小さな社会で、実際の社会から見れば小さく人工的な舞台で、その主題を活き活きと演じたのだと言える。
 デューイは「コモン・マンの哲学者」であった。
 こうしたロレンスの批評は、はたして「コモン・マンの哲学者 (philosopher of the common man)」 (Ratner et al. 1940)として知られたデューイの思想に対してもあてはまるだろうか。なぜなら、デューイにとっての「コモン・マン (the common man)」に基づくデモクラシーの確信もまた、同じように人間一人ひとりが有している可能性や個々の知性の能力を限りなく信頼する「新しい大地の夢」だったといえるからである。デューイは「創造的デモクラシー」 (“Creative Democracy,” 1939) という著名な論考のなかで、次のように端的に語った。つまり、コモン・マンを信じることは、ある種の「デモクラシーの信条」そのものである。それは「人種、肌の色、性別、出自、家柄、物質的豊かさ、文化的豊かさといったものにかかわりなく、すべての人間がそれぞれの特質を表わしているのと同様、それぞれが有している潜在的な可能性を信じることを意味している (Dewey 1988: 226)。

 第9章 デューイの知性論についての考察。デューイは「理性」を「自然的な特性」と規定した。

 デューイは、デカルト以来、人間に固有に生来的・普遍的に所有されていると想定されてきた「理性」の実体としての存在を否定した。そして、人間と他の存在との知的能力の相違を「自然事象の間での相互作用が複雑で、親密さを増していく段階的な区別」として説明した。つまり、デューイは「知性」について、人間の知的能力の機能が他の生命体に対して相対的に優秀であることを評価する用語として説明した。
 この点で、デューイは、人間の行為を「知性的」に導くために不可欠な「反省 reflection」 という思考の機能についても、「理性」のような特権的な器官の機能としてではなく、「自然的な特性」であり、「自然の中で発生する自然的な出来事」として考察できると述べている。 デューイは、近代西欧の認識論哲学とは異なり、「理性や純粋直観のような新しい力や能力を突然持ち出すことはしない」で、いわば、形而上学的な先験的なものの存在を前提とせずに、人間の知的能力に現実的に示されている優秀性について説明を試みている4。たとえば、デューイは、人間の「知性的」と評価できる知的能力の機能について、熟練した医師の診断・治療の活動など実行的手腕の優れた人の知的活動、あるいは日常生活における現実的な問題解決などを事例として説明している。つまり、デューイにとって人間の知的能力が「知性的」に機能したことは、現実の具体的な問題の解決を適切に達成した実践的な活動に示される。
  reflective thoughtとreflective thinkingの違い。また、「反省」には「示唆」が必要、というのは、「探究的学習」がいかなる条件で可能か、という問いにもつながる。
 デューイは『思考の方法』(一九三三年改訂版) で、「前反省的」な事態から「後反省的」な事態の「中間」には、「(1)示唆 suggestion」・「(2) 知的整理 intellectualization」 (3) 「指導観念 guiding idea すなわち仮説 hypothesis」・「(4) 推論reasoning」・「(5) 行動による仮説の検証 testing by action」 という「思考の状態 states of thinking」 があると述べている。そして、デューイは、このような「思考の状態」を、「反省的思想の五つの側面あるいは局面 five phases, or aspects, of reflective thought」 と呼んでいる。しかし、しばしば反省的思想 reflective thought と反省的思考 reflective thinking とが混同されてきた。思想とは、「意識の流れ the stream of consciousness」という一連の精神的過程 mental process である。つまり、思考が機能して観念生成形成されて展開されていく過程である。 一方、思考とは、知的能力が機能 function することである。 それに対して、『思考の方法』の改訂版 (一九三三年)では、「段階」という捉え方については否定的と読むことのできる論述が見られる。たとえば、「反省的思想の五つの側面の前後関連 sequence は固定していない」として、「五つの側面」が、探究の過程において繰り返し現れたり、並行的に現れたり、一貫して現れていたりすることが指摘されている。
 また、「一側面は拡大されるかもしれない」として、一つの「側面」が非常に広く及んで別の「側面」を下位に含みこむこと、そのため下位に含まれた「側面」が明瞭に現れないことがあることも指摘されている。確かに探究においては、その過程において多様な「示唆」が発生し、それぞれの「示唆」について 「知的整理」、「指導観念すなわち仮説」、「推論」が必要に応じて繰り返される。この点で「五つの側面、あるいは局面」について、探究が進行する過程を明確に区分する不可逆的な、それぞれに固有の固定的な「段階」として理解することはできない。
 この点で、「反省的思想の五つの側面あるいは局面」は、問題解決を導くための手続き的規則ではなく、問題解決を成功させた指導観念を事後に分析することによって見られる、反省的思想の一般的な特質なのである。現実的には、指導観念を実行に移す前に、その指導観念の確実性を点検・評価するための観点として使用することが可能である。
 さらに熟慮、態度、習慣と概念がまとまって説明されている。
 したがって、ある観念が「示唆」された場合、その観念の対象(夕立) とその「示唆」を引き起こした事物・事象(黒雲)との間に、意味的な関連や連続があるのかを確認することが必要となる。両者の間の意味的な関連や連続について点検・確認する思考が 「反省 reflection」 である。 「反省」によって意味的な関連や連続を確認することによって、不利益な帰結を回避したり、有益な帰結を確保したりするように、あらかじめ次に必要とされる行動の方法を考えることができる。この点で「反省」は、意味を自覚的に使用して、その関連や連続に従って論理的に機能する思考である。思考の「知性的」な機能である
 しかし、「反省」は「示唆」された観念についてなされる。観念が「示唆」されなければ「反省」は機能しない。また、先に述べたように、「示唆」される観念は、すでに経験されている対象でなければならない。つまり、すでに「反省」がなされて、その意味について十分に自覚されている対象でなければ、その観念が「示唆」されることはない。
 この点で「示唆」と「反省」は、相互対立する機能ではなく連続的に補完し合う機能である。 「反省」という思考の「知性的」な機能は、「示唆」という思考の非合理的な機能を受けて機能する。 「反省」が機能するために「示唆」は不可欠な機能である。デューイの思考論では、このように思考の「知性的」な機能には、思考の非合理的な機能が不可分・不可欠の役割を果たしている。思考の機能に関して、思考の合理的な機能と非合理的な機能を分離して後者を排除することはできない。 二つの機能が適切に連続して、直面している状況の特質が明確化され、また、問題解決へと導く指導観念が考案されるのである。
 したがって、「反省的思想」が、 「示唆」という統制不可能で非合理的な思考から不可分・不可欠に連続している以上、探究の過程に先験的な「段階」を設定して、それに思考の機能を従わせることはできない
 デューイは、「示唆」された観念について「反省」する優秀な思考を、 「熟慮 deliberation」 と呼んでいる。デューイは、「熟慮」について、「可能な行動の各種の方向が、実際にはどんなものなのかを見つけ出す実験である」と説明している?。つまり、直面している状況についての、あるいは選択すべき行動の方法についての判断を下す前に、いくつかの可能な他の選択肢を採用した場合の帰結についても想像上で実験して、それぞれの帰結について十分に比較・検討することである。 デューイが、熟練した医師の診断を事例として説明しているように、「顕著な症状はチフスであることを強く示唆し得るのが,医師は与件の範囲をさらに広げ、またそれらを詳細に検討するまでは、一つの結論、すなわち、可能性のある結論の中の一つを強く優先することも回避する」という、一連の思考の機能である。
 デューイによれば「態度 attitude」 とは、「一つの積極的な刺激」という「機会があれば、いつでも、特定の様式で、あからさまに行動しようと準備できていること」である3g。つまり、ある行為が必要とされている場面で、その必要性を速やかに認知し、適切な行為を容易に実行に移すことができる準備状態である。したがって、 「熟慮」が必要とされる場面で、適切に「熟慮」がなされるように、思考が速やかに機能できるように準備されている状態が、上記のような「優秀な思考の態度」なのである。
 しかし、このような「態度」は、「熟慮」とは別個の要素として、別の過程や機会に形成されるものではない。特定の場面において特定の刺激を得て、特定の行為を実行することが可能な状態として意識の前面に出てくることは、それ以前に類似した状況において、その特定の行為によって、その状況に適切に対応することに成功したという経験の積み重ねに基づいている。この点で、「知性的」に遂げられた知的活動に対する「反省」を積み重ねることによって形成された「習慣 habit」 に基づく。 「態度」は「習慣」の一種である
 デューイは、「習慣」を「固定化された仕来り routine」 と区別して、 「熟達した技能の形式、すなわち行動の効率性a form of executive skill, of efficiency in doing」であると述べている。特定の行動が、「特定の刺激に対する特別な敏感さや近づきやすさ」によって容易 (速やか)に引き起こされることである。活動を経験として反省的・連続的に積み重ねることから形成された、特定の状況において人間の実践を目的に向けて高い確実性において効率的に導くための、知的能力に基づく行動様式なのである。
 しかし、「習慣」は、直面している状況に特定の要素が存在している場合に、それを選択的に認知して、それに優先的に反応するという点で、認知における特定の構えに基づいて発動する。このことは、ロック以来の経験についての考え方と対立し、観察言語の成立の論拠を否定する論点を提起している。つまり、デューイにとって認知とは、感覚与件の徹底的な受動的受容という公正な観察ではない。
 しかし、たとえ「典型的」な対象や状況と相互作用することを通じて、その対象や状況についての共通性の高い意味を習得したとしても、デューイによれば、人は問題状況に直面した時、意味の認知・使用に関して、「独自の反応」をしなければならない。直面している問題状況において独力で意味を認知・使用できることに学習の成果すなわち、「資質・能力」が育成されたことが示される。
 キーワードは「一次経験/二次経験の連環」である。
 デューイの経験概念における一次経験と二次経験は、切り離してとらえることができない。たとえば、序章で田中が指摘しているように、両者を切り離してとらえることは、教育学のなかでいえば、「経験主義」と「系統主義」の対立を生みだすことになる。すなわち、一方で、系統主義・二次経験の重視は、デューイの思想に含まれている目的合理性の側面を過度に強調し、結果としてデューイの思想を矮小化されたプラグマティズムに貶めてしまうことになる。そのようなデューイ解釈は、学びを知識技能の習得に縮減することになりかねない。他方で、経験主義・一次経験の重視は、一次経験を二次経験を不可知的に基礎づけるものと意味づけることになるだろう。そうした意味づけは、より強固な目的合理性を招きかねない。すなわち、かつていわれた「這い回る経験主義」のような、一次経験の過大な目的化に帰着しかねない
 しかし、一次経験/二次経験の連環に着目するなら、どちらか一方を重視することがもたらす危うさを回避できる。端的にいえば、この二つの経験を連環させることは、二次経験的な「知識」を一次経験的な「全体」によって批判しながら、一次経験における「全体」への参与的なつながりを二次経験における「知識」においてたえず組み替えることであり、経験を形而上学的動態として位置づけることである。 
 ここでは、予示するにととどめるほかないが、こうした経験の連環は、デューイの思考の基本パターンといえるかもしれない。というのも、たとえば、デューイのいう「シンパシー」 [sympathy] も、 衝迫的な交感/知性的な共感という連環する二つの意味で使われている。また「インタレスト」 [interest] も、参与している関心をもつという連環する二つの意味で使われている。さらに、木下が確認しているように、「センス」 [sense] と「ミーニング」[meaning] も連環している。「センス」は、情況全体を質的に感受することを意味し、「ミーニング」は、そのセンスの内容を反省的に意味づけ、センスから出させることである。おそらく、こうした連環する二つの位相を基本的に分けるものは、意図し思惑し欲望する「自己」がないか/あるか、だろう。そしてそれは、ハイデガーの、「存在」と存在者という「存在論的差異」を思い出させるだろう。

 

 

2637 谷川嘉浩 『信仰と想像力の哲学: ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房、2021)

 非常に多岐にわたる内容であったが、ある程度評価の定まっている教育哲学とは違う文脈での論じられ方を読むことで、理解が深まった。

第一部 近代アメリカにおける消費・政治・宗教

 複雑な叙述にもかかわらず内容は単純である。「適応」は、一般的かつ持続的な変化であり、情勢の移り変わりにかかわらず、環境も自己も変えていく。端的に言えば、適応は、情勢変化にかかわらず、理想のために環境の持続的な改善に身を捧げる自己になるという変化のことである(しかし状況を無視するわけではないので、自己のあり方も常に調整される)。そして、「適応」 を生じさせるのが想像力の捉えた理想だと考えれば、上の描写はそのまま道徳的信仰の説明になっていることもわかる。
 宗教的な語彙に立ち返ろう。道徳的理想への献身は全人的であり、個別の状況を貫いて、自己の行為や選択に影響するものである。理想への献身を通じて自己の統合がなされる前後に生じる「適応」的な変化、つまり、全般的で続的な態度転換 (conversion) を、「存在全体」の変化と呼ぶのは自然なことだろう。とはいえ、道徳的信仰が、理想に基づいて一般的・持続的に状況に応答する自己に変える(=適応を生じさせる)のだと示されたとしても、現状では単なる言い換えでしかない。より重要なのは、次の一節である。
 下記のような帰結主義は、プラグマティズムの特徴のひとつであろう。
66 デューイはそれゆえ超自然主義を批判するのである。むしろ、適応が生じる、つまり、理想に従って諸条件を変え続けるような自己が生じるのであれば、そうさせる契機は何であっても構わないとする。つまり、原因や手段は不問にされているのだ。
 この帰結への視線移動は、制度的宗教から「宗教的価値」を決定的に独立させる働きを持つ。宗教の核心を適応という帰結に置くことで、諸宗教が適応を生じさせる原因・手段による囲い込みができなくなるからだ。ロックフェラーが言うように、「いかなる制度的宗教も、適応のプロセスとたかだか偶然的な結合しか持たない」 (Rockefeller, 1991,475)。実際にCFでは、「大義への献身」「詩の一節」「哲学的反省」 (LW9, 11) など、非宗教的な原因・手段が挙げられている。たとえ、神秘的な経験や、諸宗教の主張する原因・手段によって適応がもたらされたとしても問題ではない。重要なのは、その帰結たる「適応」が生じていること、それ自体だからだ。
 ここで念頭に置かれているのは、近代科学がもたらした自然観の革命的な変化である。この変化の前後で、自然観それゆえ超自然観にも切断線が引かれている。彼がここで注意を促しているのは、今日の自然観を自明視して、その視点から近代以前の宗教をまなざし、通俗的宗教観を採用することの危うさである。より積極的な表現をするなら、前近代の宗教や自然観を理解するのに、前近代の人たちの見地に立つという人類学的視点を採るべきだと引用文では指摘されているのだ。
 デューイの思考法と人類学的なそれとの近接性がある。また、時代性もあるのだろうが、ここに限らず随所で、デューイの「科学」へのnaiveな信頼が顔を出している。
 デューイは、一方の視点で他方を説明するのではなく、それぞれの文化的慣習に基づいて両者の差異を明らかにすることで、近代と前近代の距離を表現した。文化にはそれぞれの仕方で合理性があると想定する点で、ここには人類学的な視点があると言える。
 その上で、デューイは、社会的分化現代社会が法・政治・宗教などの相対的に自律化した多数のシステムに構造的に分かれていくことに相当する指摘を行っている (cf. Individualism Old and New, LW5, 71)。 「異常なもの」の身近さは、その社会的影響力に由来する。かつて、宗教は「普通でない出来事」の説明原理を提供し、様々な利益を保証したり、また、今日で言う「超自然的な諸力」を利用する技術を提供したりすることで、共同体メンバーを守るような役割を果たしていた (LW946-7)。 「魔術」として知られるものは、当時こうした働きを担っていた (LW4, 3)。この意味で、かつての宗教は共同体の実践的活動や具体的生活から乖離したものではなかった。しかし、発展した諸科学が「普通でない出来事に対する洞察」を提示するようになると、人々の関心事と「超自然」との関係が再編されていく。すなわち、教会などの宗教集団が、帝国や国家や部族の「公的代表者」ではなくなる。別言すれば、ある共同体に生まれることが宗教共同体に生まれることと一致しなくなるのと連動して、「人々の具体的関心」は脱宗教化することになる(LW940-1)。 このことは、宗教集団が共同性を支援する役割を担えなくなったとも言い換えられる。
 それにもかかわらず、超自然的なものに諸宗教は固執し、 それは通俗的宗教観として人々の意識に残っている それゆえ、超自然的なものと人々の関係再編は途上にあり、「一般の人びとの心は混乱と分裂の状態」にあり、それは、「宗教的な諸々の意味と価値が確固として統合され、正常な社会的諸関係になるまでは続くだろう」 (LW9.47)。要するに、デューイは、通俗的宗教観を批判し、宗教的価値を教会や教団という特定の諸集団から切り離し、宗教システムを自律化しようとしたのである。実際、いわゆる「信仰」を持たない人を含む仕方で宗教的価値を語るのに書籍の三分の一を充てた、と「ニュー・リパブリック』誌に掲載されたN・ガターマンによるCFの書評に対する彼の応答の中で述べられている ("Religions and the Religious, LW9,293)。
 従って、かつては宗教集団こそが、共同性を支持するのに中心的な役割を果たしていた、というのがデューイ宗教哲学の根底にある直観である。しかし、社会の機能分化と近代科学の発展による自然観の変化) ゆえに、宗教はかつてのようには共同体の実践的活動を支えられなくなった
 この引用からは、自然と人類との相互作用の歴史が作り上げてきたコンテクストの上に、あらゆる活動や文化が存在しているのだという論点に加えて、それを共同体として捉える視点が読み取れる。 しかも、単に一般的な事実として相互依存関係を自覚することではなく、ほかならぬ自分が実際にそこに組み込まれているという感覚が重要であり、「そうした敬虔さは、生きる上での公正な視座 (a just perspective in life) に不可欠の構成要素である」(LW9,18)。
 他者とのつながりの感覚は、実際に共同体に構成員として相互依存関係にあることに由来しているとされる(LW5,83)。とすれば、そうした帰属先が一つのまとまりを持った《全体》として表象される以上、自然的敬虔は、想像力の統合する働きを前提としている。子細にCFを見れば、「より大きな全体という共同的な一部」(LW9, 18 )のように、自己の帰属する共同体には、スケールの程度差があることを示す比較級表現が多く見られることがわかる。
 つまり、自己が属しうる共同性の規模には程度差があり、それゆえ、共同性の規模に応じて自然的敬虔のありよう「根本的統一」(EW2, 174) の感覚が及ぶ範囲――にも程度差があり、従って、自然的敬虔に支えられた「普遍的関心」の普遍性にも程度差があることになる。
 この辺りは、正直本書全体の議論のなかでどう位置付けてよいかはフォローしにくかったが、内容それ自体は勉強になった。
92 IMの前提には、「グラフィック革命」(以下GR)があるとしばしば指摘される(久野・鶴見、 2010.2:高岡、 2001. 71)。しかし実のところ、同書ではGRの定義は明確化されていない。代わりに、無数の技術革新が例示されている。
 一八七三年、乾板による写真技術が登場した。 一八七六年、ベルが電信の特許を取得した。 一八七七年、蓄音機が発明された。 一八八四年、巻きフィルムが登場した。 一八八八年、イーストマンのコダック第一号が製造された。一八九一年、エディソンがラジオの特許を取得した。一九〇〇年頃、活動写真が生まれ、声が電波で初めて送信された。政治関係の全国大会がラジオで広く放送されたのは、一九二八年のことだった。一九四一年、テレビは商業的に重要となり、さらに、カラーテレビが近年商業的に重要となった。 (IM, 13=21-2)
 これら一連の出来事がGRを構成するとされる。 GRとは、単に様々なメディアの登場の歴史にすぎないのだろうか。メディア研究の文脈でIMが言及されることを思えば、こうした理解も誤りとは言えない(難波、 2011, 110-6)。 恐らく、邦訳でGRが「複製技術革命」と訳されたのは、訳者が同様の見解を採ったからだろう (IM 邦訳二一頁など)。しかしGRには、いわゆる複製技術に収まらないものが含まれる。
 GRがいわゆる「メディア技術」より広い概念であることは、GRについて考えるための素材として、「写真、芸術の複製技術、集団旅行、ホテルやモーテル、ラジオやテレビの歴史のような無数の主題」 (IM, 270=278) が言及されていることからわかる。広く「精巧なイメージ印刷物、人、風景、 出来事のイメージを作り、保存し、伝達し、普及させる人間の能力」が念頭に置かれているのだ (IM, 13=21) 体験の反復・複製に関わるのであれば、モーテルや集団旅行であってもGRの一部である。GRは、メディア技術と聞いて想像されるものより、はるかに広範な「複製の諸技術」 (IM, 169=179) を含んでいる
 さらに、GRと政治の連動を押さえておきたい (IM, 119-22130-4)。 「一八一一九世紀の民主主義革命と一九一二〇世紀のグラフィック革命は、こうした状況に大きな変化をもたらした」とあるように、GRは、民主化と連動する社会構造の変化の一部だとみなされる。大衆化の中で、「誰にでも理解できる」ことが言祝がれ、そうでないものは「時代遅れないかにも僧侶的な貴族社会という烙印・憎悪」を向けられるようになった。民主主義革命は、「芸術と文学がすべての人に開かれるべきなら、すべての人に理解可能で(かつ無害で)あるはずだ」という信念をもたらし、「すべての人が得られる知識や、すべての人が習熟できる技術」が過剰なまでに重視された。ブーアスティンはもう一つの重要な「革命」を指摘している。それは、規格化・標準化によって可能になった大量生産の方式である。
 一世紀半ほど前に始まったアメリカ的製造体制、つまり、大量生産は、互換性部品という革新的な発想に基づく。
 初めて、あらゆるマスケット銃や時計や錠前が、同じデザインの他のすべてのものの写し (image) になったのである。 (IM,198=209)
 一八世紀フランスの鉄砲鍛冶オノレ・ブラン(一七三六一八〇一)は互換性部品を用いたマスケット銃開発のアイディアを展開して、政府のために(当時としては)大量の銃を製造した。パリでブランの実演を見たトマス・ジェファーソン(一七四三一一八二六)は本国に報告書を送ったことで知られる。そうして先鞭をつけられていた標準化は、ビジネスパーソンとして非常に有能だったイーライ・ホイットニー(一七六五一八二五)がマスケット銃の膨大な生産を実際に成し遂げることで、ほかならぬアメリカにおいて一応の達成を見た。ブーアスティンは、互換性部品の発達が可能にした大量生産体制の重要性を随所で指摘し、標準革命の重要性を訴えている (IM, 273=282; cf. 橋本、2013,54-109)。ブーアスティンが「近代アメリカ史」そのもの (IM, 12=30) に取り組んだと語ったように、IMは、近代化の流れの下にある三つの相補的な革新を背景とした立論なのである
 イメージについてのブーアスティンの議論。シュミラークルとか、一時期ポストモダン系の書籍にハマっていたとき以来に聞いた。
96 この直後では、人々が商品よりも名前という記号に左右されることに注意が促されている。これを踏まえると、イメージという言葉が用いられるとき、商品の機能以外の点で他との差異を示すこと、すなわち「差異化」が強調されている (cf. IM, 65=74;232=243)。 要するに、イメージとは 「差異を伴った表象」(=記号)のことである。 「イメージは比較を導く」 のだ (IM, 244=256)。
 理解を鮮明にするために、ブーアスティンの用いた例を検討しよう (IM, 214-5=225-6)。 クロード・ホプキンス(一八六六―一九三二)によるシュリッツ・ビールの広告である。シュリッツの醸造所見学に行ったとき、「ホプキンスは、瓶詰される前に蒸気で清潔にしている (purified) のに気がついた。このことが、彼の空想力を捉えた。ボトルが蒸気消毒されているからシュリッツ・ビールは純粋だ (pure) という考えを中心に広告プログラムを練り上げた」。この広告の成功で、シュリッツ・ビールは競合他社を押しのけ、国内売上一位にのし上がる。ホプキンスの広告は事実に基づいており、偽りはない。「きちんとしたビールブランドすべてがこの方法で瓶詰している」ことを消費者が知らないだけなのだ。
 ビールの機能(使用価値)は、「喉を潤す」とか「陽気な気分にする」といったものだろう。しかしこの例では、付与された「純粋さ」のイメージとビールの機能の関係は曖昧であるイメージと商品の結びつきの恣意性は、「イメージとイメージされる物との間にある新しい不確かさ」と呼ばれる (IM, 214=225)。加えて、購買を左右するのは、商品の使用価値ではなく、イメージという付随的要素の方だとも指摘される(IM232-3243-4)。 商品やその機能ではなく、それと不確かな結びつきしかない 「イメージ」こそが消費者にとってリアルになっている状況を、ブーアスティンは「イメージが、物になっている」という言葉で表現した (IM, 197=207)。
 
 注目すべきなのは、IM全編を通じて疑似イベントは「自生的な (spontaneous)」ものと対比されていることである。第二章「英雄から有名人へ」では、自生的に生まれる「英雄」がメディアの作り出す「有名人 (celebrity)」と対比され、後者は「人間疑似イベント」だとされる (IM, 66-7=75)。 第三章 「旅人から観光者へ」では、「自生的な文化的産物」が「反復可能」で「人工的」な疑似イベント的アトラクションと対比される (IM, 103=114-5)。ここから、GR以降自生的なものが人為なものに置き換えられたという彼の発想を読み取ることができる (cf. IM, 73-4=83-4)。従って、「疑似イベントは自生的ではなく、誰かが計画するか、打ち立てるか、扇動するかしたために生じる」(IM, 11=19) という見方こそ、疑似イベントにとって本質的だと考えられる。偶有的な特徴の列挙に惑わされず、頭の「私たちの経験に充溢している合成的な目新しさ」という、合成性の指摘を真に受けるべきなのだ。
 「広告は、それが現代アメリカに出現して以来、疑似イベントの古典的な事例だった」 (IM, 205=216) とあるように、広告は疑似イベントの典型であり、広告を検討することで疑似イベントの特性を明確化することができる。理解を鮮明にするために、
3-3 イメージと疑似イベントの関係
 以上を踏まえ、両概念をどう区別できるだろうか。ここでもシュリッツ・ビールの例が参考になる。 ホプキンスが純粋なビールというイメージを組み立てることで、「彼は自分が探していた疑似イベント〔たる広告〕を作り上げた。彼はニュースを作ったのだ」とブーアスティンは語った (IM, 215=226)。とすれば、イメージとは対象(例えば商品)に付与される差異を伴った象のことであり、疑似イベントは、こうしたイメージを対象に付与するための出来事のことだと再定式化できよう。要するに、イメージは、他との差異を示すことで人の心に訴え、普及するものであるのに対して、疑似イベントは、そうしたイメージを対象と紐づけようとする試みである。従って、これらは消費社会を切り取る一連の概念ではあるにせよ、「ほとんど同義的IM、 邦沢三三三三三七頁)ではありえない。
100 観光地としてイエローストーン国立公園が名高いのは、間違いなく、自然現象―定期的に爆発沸騰する間欠泉と「ペイントポッド」が観光者の「規則的な」振る舞いの人工性に近いという事実のおかげである。これこそ、疑似イベントを模倣する自然である。 (IM, 111=122)ここでブーアスティンが語っているのは、疑似イベントに慣れるあまり、疑似イベントではない自生的な事象をも疑似イベントとして享受しているという感性レベルの変質である。「疑似イベントを自然が模倣する」という表現は、新しい技術が新たな環境と化して、私たちの感性そのものを再編するという事態の印象的な言い換えなのだ。これは、マーシャル・マクルーハンの感性論的メディア論を先取りしている (cf. 宮澤、 2008, 99-107 門林、 2009, 37-43)。マクルーハンは、ブーアスティンを苛烈に批判したのだが、ブーアスティンは先んじて彼に類する議論を展開していた。
 要するに、疑似イベントには二つの用法がある。 事象としての疑似イベントと、法則としての疑似イベントである。実のところ、「イメージ言語」 (IM, 184=194) などの用例があるように、イメージにも同様の二義性がある。 個別事象としてのイメージと、氾濫したイメージに慣れた私たちが思考・感覚するときの様式を指すイメージである。IM
 リップマンの議論を継承・発展した著作として位置づける研究があることを思えば、技術や変革によって変質した私たちの経験のあり方を暗示する疑似イベント/イメージは、やはり私たちの認知を問題にしたリップマンの表現を借りて「疑似環境」と呼ぶことができよう (PO,8)。
 以上の再定式化を踏まえると、ブーアスティンがイメージと疑似イベントの役割を描き出すことで明らかにしようとしたのは、アメリカ的生産システムの確立による大量生産の実現、GRによるイメージの複製・流通、 そして、無数の商品やイメージへのアクセシビリティの高まり(=民主化)という絡み合う脈絡に基づいて成立した《消費の論理》だと言える。消費社会に生き、消費に慣れるうちに私たちの感性は、極めて「消費」的に再編成されていく。こうした感性的な再編を追跡するための道具立てが、イメージと疑似イベントから成る《消費の論理》にほかならない。
 ジオ番組、あるいは、テレビ番組〔こういったものすべて〕のことを意味する」(IM, 149188) と語られる。これは、旧来の気品あるオリジナル概念が崩壊した結果、すべてがオリジナルと呼ばれてよい社会になったという視点である。
 もはやどれが原典かを確定できず、唯一のオリジンはない、オリジナル群だけがあるという直観である。 この視点を、「オリジナルの融解」と呼ぼう。もはやオリジナルとコピーの区別が融けているので、氾濫する表象を、オリジナルを喪失したコピーだとも、それ自体がオリジナルだとも呼ぶことができるという立場である (IM, 204=214)。もはやオリジナル/コピーの二項対立は存在しない。こうした視点は、ボードリヤールの「シミュラークル」をめぐる議論と一致している。
 さらに、次の引用では凋落や融解とも異なる見解が示される。それは、オリジナルとコピーに関する従来通りの対比が成立しないことを前提に、それでも「オリジナル」という言葉を使う可能性を追究するものだ。
 オリジナルそれ自体は、技術的で秘教的な地位を獲得する。それは、この本のための鋳造型や、その他の大量生産品を作るための打ち抜き型のような、原型の類でしかなくなった。 (IM, 127=136-7)
 「でしかない」と消極的な言葉が用いられるものの、 二次創作 (fan fiction) に囲まれた現代のコンテンツ環境を思えば、この見方は魅力的である。 「技術的で秘教的」と形容されていることから、彼の指摘には、精巧なコピーがより多く流通し、人々の「生活を豊かにする」ほど原型の価値が高まるという含意もある (IM, 127=137)。 「民主主義の時代において、 [原型たる〕 芸術作品の殊に絵画の偉業を、どれだけ広範に、そして、どれだけうまくそれが複製されたかによって判断し始めることは、何よりも自然なことではないだろうか」(IM, 127=136-7)という彼の言葉は、私たちが消費社会においてオリジナル/コピーという対を維持したいときに採用できるオプションを提示するものだったのだ。この視点を「原型としてのオリジナル」と呼ぼう。
107 イメージの外はあるか
 文化産業は、文化が大衆に開かれたとき、大衆向けの文化商品を大量に製造・流通・消費させて、利益を得る産業である。本章第2節を考慮すれば、IMを文化産業論の一つだと考えるのは自然だろう。この系譜に置くことによって明確化されるのは、「消費の構造的な受動性」に対する彼の批判が、実は、感性を産業に先取りされることへの批判だということだ。最も有名な文化産業論『啓蒙の弁証法 (Dialektik der Aufklarung)』 (1947) を補助線にしよう。
 書では、規格化された文化商品が大量製造・流通する状況が検討され、文化商品を産業が提供するだけでなく、規格的な商品を消費者が待ち望むという共犯関係が描かれる (Horkheimaer, & Adorno, 1997, 14232007252-3)。 
 イメージが溢れる時代、カント的なの図式の転倒が起こる。こういった議論は、常に人と環境の相互作用について論じるデューイと、親和性が高いのだろう。
107 文化産業論として特異なのは、彼らが哲学的リソースを活用する点である。カントの図式論では、感覚的な雑多さを予め基本的な概念に関係づける働きは、まだ主体に期待されていたけれども、今やその働きは産業の手により取り上げられてしまう。 顧客第一のサービスとして図式主義を促進しているのは、今や産業なのだ。(中略) 消費者にとって、それ自身生産の図式主義の内に先取りされていないようなものは何一つなく、さらにそれを分類することなどできない。 (Ibid. 145-6259)
 カントによると、予め持つ(因果関係などの) 「図式」により感覚の雑多な流れを整序することで、人間の認識は成立している。このように、カントの時代には図式の適用がまだ主体に期待されていたのだが、今や文化産業が消費者の感覚を先取りし、予め受け取り方の定められたものを提示することで人々を受動化している。文化産業は人々から主体性を奪いながら、人々が主体であるかのように偽装するのだ (Ibid., 167=297) 以上からわかる通り、ブーアステインの消費者の構造的受動性に対する批判は、文化産業論の系譜にある。
 問題は、素朴に産業の提示する通りに消費していなくとも、産業から距離を置こうとも、消費社会では感性の先取りから逃れられないことだ。 ロハス、スローライフ、ていねいな暮らし、ミニマリズムなど消費生活から距離をとるライフスタイルそのものが、魅力的な消費形態として流通していることを思い出すとよい。これはイメージの外部がありうるかという問題でもある。 この問題に、ブーアスティンは「イメージの外はある」と主張したと見られてきた(塚原、2005: Debord 1996 辻村、 1984)。構造的受動性という論点を明確化すべく、この問題を検討しておきたい。
 彼は旅行の性格が根本的に変わった現代でも旅行者のような旅は可能かと自問し、今なお可能だと答えた (IM116127)。これを見るとブーアスティンは「イメージの外はある」と答えたように見える。ただし、「他の何十万もの観光者のような、生気のない気楽で快適な経験以外のものに出会おうとするなら、私たちは事前に多額の費用を使って準備し、工夫し、計画しなければならない」 (Ibid.) と付言されていることに注意が必要である。 同様の主張は、直後にも繰り返される (IM, 117=127)。 興味深いことに、現代における旅の例として挙げられる事例は、神話の冒険を再現したリチャード・ハリバートン(一九〇〇-一九三九)の旅行記である。 彼の実践は商業的に整備される以前の「旅」を再現することであり、そこには確かに危険と周到な計画が伴っている。とはいえ、それが神話的イメージの再演である以上、ブーアスティンが批判したコンテンツツーリズム (IM, 116=126) との違いはないし、多大なコストは旅の偶有的な特徴にすぎない。そもそも、旅行の性格変化は社会構造の問題であり、個人の意志や努力の問題ではないのだ。
 実はブーアスティンも、「今日、旅の冒険は、... 人為的で見せかけ的で非現実的な性質を必然的に帯びる」 (IM, 117=127) と認める。 そして何より、「私たちはリスクや危険を組み立てるか、 探し出さねばならない」 (IM, 116=127) と述べているように、ハリバートンの試みは、商品化された観光から意識的に距離をとる旅行だという点で自生性からほど遠く、極めて疑似イベント的である。とすれば、「旅は可能だ」という彼の発言は、「今日でも旅はカリカチュアとして可能だ」という皮肉なのだと理解せざるをえない

第二章 「リベラリズムは豚を焼くために納屋を焼いてしまった」

 ここからは、デューイの公共哲学・政治学・シティズンシップ教育の議論。
108 本章の副題に名前を挙げたリップマンとデューイは、公共哲学・政治学・シティズンシップ教育などの文脈で、その思想的対立が取り沙汰されてきた。世に言う、リップマン=デューイ論争である。 論争の典型的な理解によると、彼らは自由放任経済に共通して対抗しているものの、リップマンは反民主主義的で社会行動を疑い、専門家に期待をかけたのに対して、民主主義の擁護者ジョン・デューイは市民教育と政治参加を肯定したというものである stein, 2018)。このような論争理解は、広く共有されたものである(例えば Dalton, 2002,194-5)。
 
137 以上から、POのステレオタイプ論に混同があったことがわかる。 デューイが主題的に論じたのは、認知上の制約(=意味ないし先入見)である。けれども、例えば「自然を支配や征服の対象とみなすのが西洋の自然観である」「二〇一六年大統領選挙でのトランプの当選は都市部のインテリには社会の実情が見えていないことを暴いた」といった決め打ち的な見方と、いわゆる先入見の両方を、リップマンは「ステレオタイプ」と呼んだ。しかし引用箇所でデューイが論じたのは、あくまでも後者にすぎない。先入見という認知上の制約 (PO, 52ほか)と、結論ありきで対象に関わるような類型的な認識 (PO, 49ほか)は、問題の水準が異なる。リップマンは、ステレオタイプが「事実」を歪めているとの発想に基づいてステレオタイプを鋭く批判した (PO,44)。そのとき、「先入見」をステレオタイプと混同してしまったために、自らの手で議論全体を隘路に追い込んでいたことに、当時の彼は気づいていなかった。リップマンは、結論ありきの見方を批判しようとしたはずが、認知のあり方ごと火にくべたのだ。
 しかし続けて出版されたTPPには、POへの自己批判が見られる。TPPの企図を見た上で、問題の箇所を確認しよう。多元主義的な発想は「無秩序の兆候」だとされ、「一つの精神と一つの目的を持った一つの身体として、社会を捉えるよう教えられてきた」 (TPP, 146=112)。しかし、実際の人間は多様な精神・目的を持つがゆえに、同じ出来事に別々のイメージを抱いている。そうした多様な個人から構成される社会は当然ながら多元的である (TPP, 149-51 = 114-6; cf. PO, 7)。 多様な先入見を持つ人々が共在しているという現実の前では、「一つの社会」という観念など幻想だ。こうした齟齬を原因として、現実への「幻滅」や「戸惑い」が拡がるのだと考えたリップマンは、誤った人間観・社会観を訂正する必要があると結論した (TPP 145=111)。 「この混乱に対して、リベラリズムはこれ以上ない親切心で一方ならぬ貢献をしてきた」 (TPP, 152=116)。 リベラリズムが混乱を収拾する意図でした試みが、ますま
 デューイは、「あらゆるステレオタイプを免れた「偏りのない (disinterested)」 立場を標榜したリベラリズム」が自己横溢に陥ることを見抜いていた。
 POへの自己批判と言うべき一節である。あらゆるステレオタイプを免れた「偏りのない (disinterested)」 立場を標榜したリベラリズムは、すべての偏りを批判する以上、個別の目的にコミットできない (cf. PO,52)。加えて、その主張通り、すべての人間が状況に埋め込まれているなら、利害関心を欠くのような「宙に浮いた (disembodied) 状態」を無批判に主張することは、リベラリズムの自己矛盾を明かすものである (TPP, 157-8=120-1)。以上がリップマンの議論であり、彼は自分の理論が隘路に陥ったことを悟った。しかし、彼の議論がデューイの「誤読」の上に構築されている以上、リップマンと同じくリベラルな革新主義者だったとしても、デューイまでもが隘路に陥ったとは言えない。デューイの先入見論へ視線を移そう。
 先の記事にも書いたが、デューイの「一次経験」の重視は、現象学のそれを思わせる。
5 探偵と衣服、そして初心
 デューイは、意味に先行する経験を理論的に仮定して、「体験 (life-experience)」ないし「一次経験」と呼んだ。 それはあくまで理論的な仮構なので、実際の経験は「過去世代や昔の反省の産物」つまり「様々な解釈や分類」で常に覆われている(EN, 37)。こうして経験を秩序づけるものは、「先入見 (prejudices)」と呼ばれる。彼は、先入見を哲学の使命と結びつけた。哲学の「特別な任務」は「哲学を手段とした体験の研究」なのだが、実際の「体験」が先入見に浸っていることから「哲学は先入見の批判である」とされる (Ibid.)。つまり、歴史や文化に彩られた先入見との批判的な付き合いが、デューイにとっては哲学的な課題なのだ。
 完全に「先入見の全般的な放棄」は難しく、「いくつかの知的習慣を脱ぐ」という慎ましいフレーズに留まったのは、いかにもプラグマティストであり、また、人間の思考の限界をよく理解していたがゆえだろうと思う。
 (しかし]私たちは、自身の時代や場所の文化に同一化しているとき、自分が持ったり着たりしている諸々の知的習慣を、自分自身からいつまでも脱がせたままにはできない。とはいえ、文化の知的促進が私たちに求めるのは、いくつかの知的習慣を脱ぐこと、つまり、それらが何からできているのか、 そして、 それらを着ることで私たちに何が起こるのかを見るために、批判的に調査することである。 (Ibid.)
 デューイは、先入見の全般的な放棄、つまり、裸でいることの不可能性を指摘する。私たちは生活する上で、様々な判断・選択・会話を避けることができず、それゆえ、何の先入見も持たないことはできない。状況づけられた自己でしかありえない私たちは、常に既にいくつもの先入見を身に着けているのだ。それ以上に重要なのは、「いくつか の知的習慣を脱ぐ」という慎ましいフレーズである。自己は無数の先入見を身に着けているが、そのうちのいくつかを脱ぎ去って、検討することはできる。リップマンの描いたリベラリズムのように、すべての先入見を一挙に批判する必要はない。「いくつか」というフレーズデューイ心理学の誤読を原因として生まれた、たったこれだけの違いが、リップマンを袋小路に導いたのである。
 習慣、慣性についての説明。「先入見」というのは「学習」の成果であるのは、これもやはり、カント的な「図式」(それはアプリオリに人間に備わっているとされる)論から一歩先に進んでいるのであろう。そしてその先入見の困難さから、省察的なプロセスにつながる、という理論的な地図を描けたのは大きかった。人類学もまた「先入見の全般的な放棄」を迫られて退路を絶たれた学問であるから、やはりデューイから得るものは大きいのではないか。
142 「連続性 (continuity)」 と 「相互性 (interaction)」を手がかりに、この概念の理解を深めることができる。まず、経験の連続性とは、あらゆる経験がそれ以降の経験に影響を与える「慣性 (habit)」を持つという原理のことであり、慣性は、個別の習慣 (a habit) から出来上がっている (Experience and Education, LW13, 13-9)。 従って、 「知的習慣」 (EN,37)とも呼ばれる先入見は、経験を持続的に規定するものにほかならない。以上のような「連続性」の指摘によって彼が注意を促すのは、経験の構成要素が、自己の意志から相対的に自律的に機能するという事実である。「あらゆる経験は〔それ自体が〕 運動する力 (a moving force) なのだ」 (LW13, 21)。 それゆえ、私たちに可能なの丸ごと先入見を取り換えることではなく、手持ちの先入見のいくつかを漸進的に更新することだ。せいぜいその程度ではあるが、それで十分なのだ。そこで生じうる変化は、不連続で劇的な革命ではなく連続的な生成変化である。
 経験が自己を少しずつ変える点を考慮すれば、陶冶された素朴は、先入見の漸進的な更新を通じて自己の生成変化をもたらすものである。
 また、意味=先入見が「学習」の産物である点も無視できない。というのも、デューイによると、意味などの記号の学習では、学習者の振る舞いに注目や反応を示す 「観察者 (observer)」が学習の成否を握るからだ (EN, 177)。自己は先行してその出来事に知悉する他者から意味=先入見を学習する。他者という 「先人 (ancestry)」に基づいて、自分の経験を構成する意味を組み立てるのである。 しかし現実社会を見渡せば、他者からの影響を否定し、自分が何ものにも依存しておらず、他者を助ける義理もないと考える「忘恩 (ingratitude)」 (EN, 108,124-5) が散見される(cf. Rorty, 1998, 86-7)。デューイは自己を孤立的に把握する見解を批判しつつ、自己が他者や環境と相互依存的な関係にあることを自覚するよう説き、その自覚を「自然的敬虔」と呼んだ (LW9,36)。 それによって、他者との根本的な協働関係が自分のあらゆる行為や見解の前提にあるという事実への注目を、つまり、経験の「相互性」への自覚を促したのである (LW13.23-7)。 経験が状況づけられていることを自覚しなければ、先入見の社会的性格に焦点が当たることもないため、その起源や由来を調査することもできない (cf. EN, 107-9; LW9.57)。 それゆえ、自然的敬虔は、陶冶された素朴を成立させる条件だと言える。
 先入見を完全に免れることは不可能だとしても、自覚されない先入見を見つけ出し、その由来を辿り、それが私たちに与える影響を調査することができるだけでなく、自分の先入見を部分的・漸進的に更新することで、自己を変化させていくことができる。先入見の更新には、実際の目的に応じた先入見の選別が含まれるので (EN, 102-3)、 デューイは、哲学が一種の目利きとしてその作業に貢献しうると考えていた (EN, 37,394-6)。
 そしてこの「反性的思考」は、ローティの「連帯」につながる概念であるのだ。
164 従って、分岐する二つの道経験解釈のための二つの態度を見出したことになる。 ①固定的な先入観と結びついた「伝統、教授、模倣」で特徴づけられる慣習的思考に絶対的確信を抱く教義的態度と、 ② 「活動的で、忍耐強く、注意深い考察」により特徴づけられる 「反省的思考」に依拠した科学的態度である (Ibid., xvi)。 ここで上記の対比にさらなる補助線を引こう。それは、ローティの「客観性」と「連帯」という対概念である (ORT, 22)。ここでいう「客観性」は、人間の考えとは無関係に成り立つとされる真理を追究し、それに従って生きるべきだという願望を指す。それにローティが対置するのは、「説得」に基づいて協力し合いながら何をよしとするかを手探りで追究していく「連帯」志向である。
 プラグマティストは、自分たちの共同体との連帯を望んでいる。そして、客観性への願望を、すなわち、自分たちの共同体を超えるような実在に触れていたいという願望を、この連帯への願望に置き換えたいと望んでいる。
 彼らの考えからすれば、科学者が持っている徳というのは、力よりも説得に信頼を寄せ、同僚の意見を尊重し、新たなデータや考えに関心を持ち、あるいはそれらを熱心に求めるという、そうした習慣にほかならない。
 明らかにローティは、デューイの科学的方法概念を下敷きに、「客観性」と「連帯」の対照を行っている。デューイ自身は科学的態度の重要性を繰り返しただけだったが、ローティに倣って上述のような背景を読み込むことができるのである。
 しかしながら、この世界情勢を鑑みるに、「「重なり合う関心」が持つ公共的含意に注目するよう促し、様々な文化的背景を持つ「部外者」たちが異なったままに、共生し、協働するための論理」がどこまで可能かということについては、楽観的ではいられないだろう。
192 ロールズのこうした議論は、デューイが単に曖昧な形で導入したにすぎない 「公的関心」概念を発展的に理解することを可能にする。すなわち、公的領域では、理想実現のための活動の背景ないし「源泉」(原因や手段)への参照を積極的に控えた方がよく、まさにその省略によって共同のためのプライバシーが確保されるというものだ。私たちは、公共の問題に対する関心を重ねさえすればよい。なぜどのようにそれに関心を持っているかなどは問題ではないし、問題にすべきでもない。理想実現への活動に対して各人が好き好きに理由を与えられるので、異なる文化的背景ゆえに経験を違う仕方で解釈する者同士が、互いを許容できる余地が生まれるからだ。 公共哲学者ジョン・デューイは、PIPとCFを同時期に執筆することで、「重なり合う関心」が持つ公共的含意に注目するよう促し、様々な文化的背景を持つ「部外者」たちが異なったままに、共生し、協働するための論理を示したのである。

第二部 信仰と想像力の哲学

第五章 創造的想像力と

 「人類学的想像力」とはよく言われるが、その源流にロマン主義があったのは学びであった。
203 こうした背景の下で、エイブラムスは、アイルランド詩人のW・B・イツ(一八六五―一九三九)からメタファーを借りてロマン主義の革命を巧みに表現している。彼によると、一八世紀までの文芸批評で、精神は「鏡」、外界を歪みなく表象する力だったのに対して、ロマン派以降で、精神は「ランプ」、それ自身「光を放つ投光器」になったのだ。こうした想像力観の転換は、想像力の基礎が模倣概念から表現概念へと移行したために生じた(F,128=137)。以下では、この移行を掘り下げよう。
 模倣説的な想像力観は、プラトンの隠喩に由来する。 「鏡や水、あるいは影と呼ばれる物の不完全な模像のような反映物に、プラトンは自身の著作の中で繰り返し言及し」、そこから芸術に関する結論を導き出した (A,29=30)。
 「すべての反省的探究は問題状況から始まる」というのは、デューイの基本的発想のひとつ。
212 者で社会起業家のフローレンス・ナイチンゲールは、より多くの負傷者を救うための看護体制や看護教育体制を築くという目的を抱き、看護師と職位、医療とロジスティクス、医療と衛生観念といった要素を結びつけた。これは、確かに既存の諸要素を利用している。しかし、この再配置は諸要素を調和的な一体と変えたという意味で質的変化を伴っており、まだ現実化していない事柄を実現したという意味で、創造的でもある。
 この再配置については、QCでより具体的に言い換えられている。すべての反省的探究は問題状況から始まる。そして、どんな問題状況も、手持ちの素材では決着をつけられない。問題状況は、その状況自体には見られない素材を導入することによってはじめて、解決された状況へと進展する。想像力でざっと見渡し、既知のものと比較することが、最初の段階である。(LW4, 151 )
 その上で、整合的で組織だった状態になるまで、問題をあれこれと実験的に探索していく (LW4,184)。 その結果辿り着いた「本当の意味で総合」と呼びうるような地点は、「先行するものを再配置するという操作」を通じて辿り着いた「同化」の過程であり、同時に、「新たなものが加わった差異化のプロセス」 である (LW4,151)。 以上の議論は、想像力の改変的働きを社会的な文脈で再記述したものにほかならない。
 本節では、CFの想像力論を整理してきた。以上の検討からわかるのは、CFの想像力論が、PSYの想像力論をほぼそのまま継承していること、それゆえ、ロマン派の想像力論を相続していることである。
 これはずっとだが、デューイが「自然」というときに無批判に前提しているもの、については常に留保が必要であろう。
213 賛同を取りつけた知識人には 例えばジョージ・サンタヤナ、ウォルター・リップマン、ジェイムズ・ファレル、バートランド・ラッセルに加えて、デューイ自身の名前があった。
 この自然主義には、哲学や宗教が何らかの特権的な位置に立って、諸科学を基礎づけるという第一哲学的構想を拒否するという含み――「最小限の自然主義」(井頭、2010.70-91) があるし、実際、CFの前提となる議論を展開しQCの企図は、第一哲学を退けることにあった (LW4, 3-39)。 
 ただし、西洋近代の伝統的な二項対立の解体という発想自体は、彼の生きた時代(ポストモダン最盛期より前)を考えると、やはり先駆的だったのだろう。
 日常と日常、聖と俗、精神と物質、理性と想像力のように一連の区画化がなされてきた領域のうち、前者を後者よりも特別なものとして取っておこうとする西洋の伝統的な二項対立図式の解体を含意しており、従って、前者を特権的に哲学や神学)が担うという発想を前提ごと放棄するものなのだ。とはいえここでは、デューイがロマン主義的遺産を「自然」化された形で摂取することで、想像力の機能を理論化し、生涯にわたってその重要性を主張するようになり、それを「自然主義」と好んで呼んだことを改めて確かめておきたい。 214
 そもそもデューイは何らかの実在例えば、何らかの命題で記述できるような「理想」の実在を信じることではなく、何らかの理想的目的の力に自分の行動の主導権を渡すことこそが「信仰」なのだと述べていた(LW9.15)。
 だとすれば、「理想」の実在を前提にするような問いは、そもそも関心の外に置かれて然るべきなのである。デューイが語ろうとしているのは、「信仰」や「宗教的態度」が存在するとすれば、それは、何かの実在を信ことではなく、とにかくただ単に理想的目的の「力」に自らの行為と選択の主導権を委ね、別の何かに委ねないこ とだということである。そうして自己を導くことになる「力」を持つという点で、諸々の理想的目的は一致している。
 より厳密にいえば、そうして一致するほどに理想的目的が私たちを導く力に権威を認めているのである。
 下記はまさにデューイ的プラグマティズムの真骨頂であるということは、これまでの議論を読んでいれば頷ける。
247 ブーアスティンは、完成された大衆消費社会を前に、かつての気高き理想は機能不全に陥ったと嘆いたのに対して、消費社会の成立過程を目撃していたデューイは、心理学的知見を踏まえながら、大衆=消費者が、自身の経験から「最も大切なもの」を掴み取り、それを「理想的目的」へと組み上げていくことの意義を説いた。 そして、個別の状況で実践される「目的」の遥か先―有限たる人間には手の届かない地点には、「理想」があると示唆した(厳密には、善の感覚に根差した目的は常に理想から「力」を借り受けているのだと彼は言った)。それは、極限に存在する「理想」側から自己を描き出す理論であるとともに、自身を取り囲む環境(=存在する諸条件) への注意深さを要請する理論であるという点で、自己を超えるものを二重に導入するものである。
 こうして超自然を排除した形で理想を再構築することで、デューイは有限性を自身の哲学に導入し、法外な能力を人間に帰属させなかった。しかし同時に、実際には手が届くことのない「理想」の視点から人間について語ることで、人間の有限性を意識させながら、手の届く「理想的目的」がどのようにして組み立てたられるかを説明した。さらに、その実現のために、他者や自然に対する感受性(=自然的敬虔や共感)、つまり、「存在する諸条件」への注意深さが必要だと説くことで、また別の観点から有限性の自覚を促した。 これは、ブーアスティンが危惧した、大衆=消費者の「全能の錯覚」を抑制する働きを持つだろう。
 デューイ哲学の構想は、目前の社会問題、喫緊に迫っている判断や決断など、 中距離ないし近距離の利益や解決に関係している理想的目的は、こうした目前の未来に関する想像や計画のことである。しかし同時に、目前の事態から遠く離れた極限としての「理想」を目指すという遠大な時間性を回復する試みが、彼の哲学には組み込まれている
 フロイト、ユング、フロムについて予備知識が乏しく(より正確には、精神分析的な言語に久しく触れていなかった)、勉強のためのメモ。
4 テクストにおける痕跡の抹消
 PRの第二章では、精神分析学的宗教論の二類型としてフロイトとユングが対比される。通俗的には、フロイトは宗教を幻想への退行だと敵対的に論じ、ユングは宗教を好意的に論じたと理解されるのだが、フロムは、実情がさほ単純でないことを確認していく。 ユングは、「宗教を心理的現象に還元すると同時に、無意識を宗教的現象へと高めた」(PR,20)。つまり、彼は人間が外なる力(と解されるもの)に「囚われ」る経験を宗教の核心とみなし、その外なる力の源泉を無意識に帰したのである(PR, 17)。それゆえ、彼は「宗教的教義 (dogma) や夢」を宗教的現象の表れとみなした(PR, 18)。 しかし、「ユング的思考の論理でいえば、狂気を顕著な宗教的現象の一つだと呼ばねばならないだろう」と、フロムはユングに疑義を呈する (Ibid.)。 フロムが念頭に置くのは、全体主義やマッカーシズムのような集団的狂気である (PR, 16)。
 それに対して、フロイトは「宗教はある種の幻想である」と指摘するだけでなく、「宗教はある種の危険物である」と言うに至った(PR, 12)。 なぜそこまでフロイトは宗教を危険視したのか。
 デューイとフロイトの重なり。宗教はある種の幻想であり、危険物でさえある。
264 依拠させると「将来の倫理が神への信仰 (belief) と浮沈をともにする」ので、世俗化する時代にあって「宗教と倫理を結びつけたままでは私たちの道徳的価値が破壊されかねない」との想定がフロイトにはあった (PR, 13)。「同胞愛」や「自由」 (PR, 13) といった理想を持っていた「フロイトは倫理の名の下に宗教に反対する」のだが、逆説的に「これは『宗教的』と言ってよい態度である」とフロムは評した (PR,20)。
 ユングは「依存と無力の感覚」を宗教の核心とみなし、フロイトは「独立性と、自己の力の自覚」を本来的な宗教性だと捉えた、とフロムはまとめる (PR,14)。 このことから、ユングが権威主義的宗教の、フロイトが人間主義的宗教の思想的源泉となったことが読み取れる。しかし、それは源泉の一つでしかない。というのも、宗教論という文脈でフロムは、ユングをウィリアム・ジェイムズと、フロイトをジョン・デューイとそれぞれ二重写しにしているからだ。フロムの考えでは、「フロイトの立場は、複数の本質的な点でデューイの採用した立場と類似する」。フロイトと重なるように、デューイは「宗教の超自然的な教義が人間の宗教的態度を弱らせ掘り崩している」と指摘した(PR, 20n10)。この箇所は、以下で確認されるフロムが抑圧したはずの影響関係が顔を出したものと考えられる点で、単な指摘以上の含みがある。
 フロムとデューイは権威主義を批判しつつも、デューイは関係論的な議論を嗜好した点で異なる。デューイのアクターネットワーク理論との親和性の高さなども、こういったところからきているのだろう。
 要するに、フロムとデューイは権威主義を批判して一種の自律性を求めながら対照的な方策を提示したのである。フロムは、他者への依頼心の過剰を危惧して自立を促す批判性に訴えたのに対して、デューイは、孤立的人間観が自己に他者や自然との相互依存的な関係を忘れさせ、有限性の感覚を鈍らせていると診断した。そう整理すると、自力派のフロムと他力派のデューイという図式に聞こえる。しかし実情はそれほど単純ではない。そもそも、フロムが幼児固着を批判したのは、「依存」が権威への従属を意味しており、幼児的な依存関係こそが自己から自律を遠ざけると考えたからだ。それゆえ、「率直な指摘」を患者に向けるべきだと言い、それによって患者を自立させようとした(PR, 80)。批判性が患者を権威への依頼心から解放し、「独立した存在として自分を捉える」ことを可能にするのだとフロムは信じたのだ (Ibid.)。 それに対して、依存を強調するかに見えるデューイは、自己の被投性を想起させるべく、他者や自然とのつながりの自覚を意味する「自然的敬虔」を持ち出した。これは、フロムの言う「依存」とは別のものを指している。加えて、フロム自身が指摘する通り、デューイとフロムは読者の大半が気づいていないと思われる事実、つまり「無意識的要素」に注意を促そうとする点で共通する (MH, 30-1) ものの、彼らが注意を促すものは異なっている。フロムは他者に自己を明け渡す依存を批判したのに対して、デューイは、自分が自分以外のものに多くを負っていること―環境に対して依存していることへの自覚を促し、代わりに相互依存性を忘却する全能感を「忘恩(ingratitude)」と呼んで批判した (EN, 108, 124-5)。 こうした差異は、彼らがどの視点から書いているかに注目することで理解可能になる。フロムはあくまでも精神分析家として語っており、デューイは普通の人(common man)の協働について語っているのだ。次節ではこの点を確かめていく。
 以上から、フロムとデューイの宗教論の違いは、議論の視点にあったことがわかる。フロムは、自分の個別性を発達させられない病める他者に相対する「治療者の役割」を歴史的に明確化することに力点を置いた。彼は、精神分析家として書いたのである。一方、デューイは、様々な人々が連帯しながら、 理想の萌芽を育て、実現していくとのヴィジョンを描くことに注力した。彼は、民主主義の哲学者として書いたのである。
 デューイにとっての「教師」の二重性。
 治療者は他者に愛を差し向けることで、その人が愛を行使できるようにするというように、フロムの議論では、愛のために介入的に愛を注ぐという二重性が重要な役割を果たしていた。それと同様に、デューイの「教師」は、学習者に二重の関心を抱く存在である。学習者が自分の取り組みに反省的注意を向けられるように教師が反省的注意を向ける教師を特徴づけるのは、配慮への配慮である。つまり、学習者が自分の成長や可能性に対して配慮できるように、教師が学習者の責任や可能性に対する配慮を持たねばならない。学習者が自分なりに問いや疑問を抱き、「探 求と解決の手助けになるように、自分の行為と想像をコントロールする力」、つまり、探求の「自制性 (discipline) 」 を身につけることが、教師の目指すところなのだ(School and the Society, MW1, 101-2)。

第八章 民主主義へのジェファーソン的 「信仰」

 繰り返しになるが、「「ジェファーソンの人民への信頼」とは、自然権的理想を生きられるような「良識(common sense)」や「理性」を人々が持つと前提する」というのは、やはりそこまで楽観的になれない世界情勢である。
 現実には、結果も機会も能力も平等ではないにもかかわらず、自然的に平等な権利を人民は持つとされ、当の自然権を基礎としつつ、未完の理念として自然権的理想は掲げられている。 理想の実現が常に未完であり続けるとしても、自然権的理想へと社会が漸近するためには、自然権が名目だけの権利であってはならない。各人が自然権を生きる機会、つまり、「自分の持つ資質を発展させる平等な機会」が実際になければならないはずだ。しかし、機会だけでは不十分である。そうした機会だけでなく、自然権的理想への漸近を実際に生きるための能力、つまり、各人がそれぞれの仕方で自身の資質を開花させていく能力を持つと前提せねばならない。デューイによると、「ジェファーソンの人民への信頼」とは、自然権的理想を生きられるような「良識(common sense)」や「理性」を人々が持つと前提することである(LW14,214)。 要するに、極限に未完の理念として自然権的理想が暗示され、その実現のために邁進 するという「信仰」が存在するのだとすれば、そうした信仰を生きるための能力が人間にはあると想定せざるをえない。
 「信頼」と呼ばれたのは、公理のようにそれを信じる態度のことであり、これなくして自然権という発想は機能しえない。従って、自然権は(理想として規準になるだけでなく)政治の「基礎」でもあると言われる (LW14, 210)が、自然権の導入はそれを生きることができる能力を公理のように前提する。論理的にそうせざるをえないのである。
305 しかしながら、複雑かつ巨大な社会にあって、一市民が自己信頼を抱くことは難しく、歴史的・文化的にマイノリティとして排除されざるをえなかった人たちはなおさらである。そこで彼は、様々な問題状況に身を置き、他者の言葉を聞くことにした。 主題や状況に応じて様々な道具を使い、時には作り、そして行動した。 人間は状況を変えうる可能性があるし、それを果たすための知性や想像力を持っていると力強く、時にあっけらかんと語り、有限性や不安と大らかに付き合うよう励ました (cf. LW14, 227; MW14,118)。 デューイは、知性や創造性に関する見方を転換することの潜在的帰結を考慮し、楽観的にも思える理想を民主主義の前提として語ったのである。 こうした語りかけによって社会環境を変えることが、彼が知識人として果たした責任の一つだった。
 この楽観性のニュアンスを明確化すべく、ホフスタッターを再登場させよう。 デューイは政治家や教師といった権威への批判は効果的に行ったが、解決が新たな問題を引き起こすことに無頓着だったとホフスタッターは考えた。デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』に代表される一九五〇年代の社会学的な大衆社会論に言及しながら、豊かなはずの社会が画一的な群衆を生み出し、進んで他者に同一化し権威に従う現在の社会状況を読者に思い出させる(Hofstadter, 1963,390=2003,340; cf. Riesman, 2001=2013)。デューイは、一九五〇年代以降に展開される画一性のディストピアを目撃しておらず、 新たな権威主義の登場には気づかなかったと論難される。
 この批判の直前に、デューイとフロイトが現実に存在する種々の対立を見抜いた鋭さにおいて共通する一方で、前者には解決への楽天的な希望があり、後者には根本的な解消はないという対比がやや唐突に挿入されている (Ibid..389=340) 楽観主義者デューイという馴染み深いラベルである。しかし、ホフスタッターの繊細な叙述にもかかわらず、実のところデューイはある意味でフロイト的である (cf. Rieff, 1960=1999.ch. 2)理想を有限な私たちには完全に実現できないものとしたデューイにとって、個別具体的な目的は達成できても、理想は決して到達しない。
 だからこそ現在世代の「人類」は、次世代の「人類」へとバトンを渡し続けねばならない。私たちには部分的な改変や細部の改良をすることしかできず、次の時代の「私たち」も同様である (cf. “Philosophy and Democracy," MW11, 42-3)。この果てのない課題を深刻に捉えて悲観することもできるが、分かれ道で「信頼」の方を歩いたデューイは別のやり方を選んだ。デューイは、読者や聴衆に孤立のイデオロギーを避けるよう促し、世界とのつながりを思い出させようとした。デューイ哲学が、どこか暢気さや楽観性を感じさせるとすれば、それは人間の可能性に対する信頼という条件を社会に根づかせるために、意識的に導入されたスタイルだからにほかならない。「私たちは過去を取り消すことはできないが、未来に働きかけることはできる」(LW7,304) 過去がどうであれ、弁解や悲観によって不作為に陥るには及ばない。デューイの鷹揚さに倣って肩の力を抜き、自分たちにはそうできると信じさえすれば、過去の経験が未来への責任を、自己や環境を変えていく責任を私たちに抱かせるからだ。
 先の記事で、「経験に住まう」という言語にハイデッガーの類似性を指摘したが、(「経験」から始める)デューイにとってハイデッガーは、哲学そのものは特権的な位置に温存する態度なのだという。
 デューイにとってハイデガーのような超克は、哲学的伝統が抱えていた実体的な区分は放棄するが、哲学そのものは特権的な位置にとっておきたいという矛盾する身振りに見える。 二つの伝統の超え方は決定的にすれ違っており、互いに互いの理路に満足することはない。
 デューイは、問題の存立基盤を解体して問いを解消しようとした (cf. MW104) だけでなく、哲学の伝統的な諸問題への関心を保持することで生じかねない潜在的帰結に警鐘を鳴らした。哲学者が、専門化した哲学ジャンルへの愛着からその内側でだけ仕事をする素朴さ―「既に過去のものである事実を繰り返すことに満足する」姿勢は、過去の蓄積が将来の行為にもたらしうる「可能性」を見失わせかねない (LW212)。それに加えて、知性が発揮され諸条件を探求することへの無関心 (EN, 120)、 そして、 概念や規範を生み出した具体的経験や日々の生活といった文化的脈絡への鈍感さ (Ibid.) にもつながりかねない。デューイによると、そうした無感覚は「適当なラベルを貼っ好奇心を形而上学博物館に預けること」に等しい (EN, 19)。 あらゆる超自然の否定としての自然主義を掲げ、第一哲学のような特権的な立場を放棄するよう哲学に迫っているのである (谷川、 2020c)。
 デューイが「哲学を文化として見る」と言うとき、哲学が本質的に自律していて他との関係がないかのように哲学を特権視する発想を批判しているだけでなく、むしろ人間の営みの中で、哲学が芸術・科学・宗教・政治などと相互に影響し合い、相互依存的な関係を形作ってきた、その連続性を積極的に考慮に入れるという発想の転換を表現している。哲学しようとするときに私たちに必要なのは、一つの専門職と化した「哲学」が何とどのように絡まり合って成立しており、何から影響を受け、何に影響を与えてきたのかを注意深く調査することだ(第二章)。問題状況に手頃な概念を分類ラベルとして貼って満足するためでなく、知的荒野を歩き回って自分で確かめるために、様々な文化の一つとして哲学を捉え、周囲に対して「共感」的に関わらねばならないのである(第六章、第七章)。
 

2632 ティム・インゴルド『教育とは何か』(亜紀書房、2025)

訳者あとがき

301 以下、本書の議論を簡単に追っておきたい。
 第1章でインゴルドは哲学者ジョン・デューイの思想に依拠しながら、教育を知識の伝達だとする根強い考えに異を唱え、教育とは注意の実践なのだと主張する。何も共有しない者たちが環境のなかで交感し、共有化すると同時に変異することで、私のなかに知識が成長してゆく、教育とはそうした変容の力なのだ。
 第2章では単に生きることと、常に自らを更新しながら生を送る/導くことの差異が指摘され、教育の核心は後者にあると議論される。 インゴルドによれば、その違いは注にある。ときに私たちは、他の存在を物言わぬ他者として対象化し、なにかしら概念のラベルを貼ることで理解したと考えがちである。だがこれは、たとえて言うなら動物の生を理解しようとして標本を作るようなものだ。そうではなく、私の被る経験が常に為すことを越えて次なる行動を導いてゆく習慣の原理の内に自らをさらけ出し、他の事物に注意を払いながら交感することによってはじめて自己は更新されうる。したがって、学ぶ者を世界から切り離して理論武装させる強い教育ではなく、世界へと導き出して外気にさらす弱い教育こそ重要なのである。
 ではそのような開かれた教育はどのように可能となるのか。第3章では「短調」であることの重要性が指摘され、あらゆる物事が形成途上の「連続的な誕生の世界」であるアンダーコモンズでの実践が論じられる。長調の理解の世界では、すべての存在はあらかじめ確固たる形態を持ち、問題はあらかじめ解答を隠し持っていて、自由とはその選択肢から選ぶだけの偽の自由にすぎない。それに対し、短調の共有しつつあることの世界では明確な解答がない代わりに環境の変異に応じて自ら経路を見出す本当の自由が存在する。インゴルドによれば、本当の教育とはアンダーコモンズにおいて教師と生徒が対等な人格として同じ方向を向き、ともに答えのない作業に辛抱強く取り組み、相互の見通しを変容させ、一定の「似た考え」に至る、そのような営みなのである。
 第4章では、こうした教育の営みは人類学と本質を共有することが指摘される。短調の教育において教師と生徒が学校で相互の変容を経験するように、人類学者もまたフィールドでそこに暮らす人々とともに相互の変容を経験する。だが人類学者はしばしばフィールドでの経験を民族誌的なデータとして対象化してしまう。これでは生を世界から切り離し、標本として陳列棚の文脈に位置づけることで葬ってしまうようなものだ。そうではなく、それ自体を文脈から解放して世界の内の生へと取り戻すアートとしての人類学が重要なのであり、そのことがネオリベラリズム経済の論理の下でもっぱら商品としての革新と「スマート」な解決を志向する科学主義を和らげる可能性があるのだとインゴルドは言う
 第5章では、ネオリベラリズム経済の軍門に降った大学を開かれた民主的な場として取り戻し、来たるべき大学を構想するにはどうすればよいかについて、脱植民地主義の諸理論を採用しつつ論じられる。それはインゴルドにとって、「万人に開かれ、他者に奉仕するために真実を追求する」 大学という創設期の理念に立ち戻ることである。 地域に根差し、多様な生の関心の線がもつれ合い、「私たちとともに勉強する人々を現前させ、彼らから学び、ともに議論し、異議をも唱えられ: ・・・・・・まったく同様に彼らが私たちから学び、議論し、異議をも唱えられる」(本書233頁)ような多元宇宙/多元大学を目指すべきなのである。そのようにしてさまざまな世代がお互いに配慮し、変容し、わずかな似た考えに達し、新しい世代が新たに始められるようにするのだ。

第1章/伝達に抗して

 人類学の側からすると私のアプローチは、人類学を民族誌と同じものだとするよくある見方――人類学者のおこなうこととは、他者およびその世界についての勉強/研究であるという前提――と真っ向からぶつかる。私たちは他者を勉強/研究しているというよりも他者とともに勉強/研究しており、そのことによって人類学は民族誌的である以上に教育的なものとなっているというのが私の主張である。そして他者とともに勉強/研究したことによって――あるいはそうしているあいだも他者は私たちとともに勉強/研究するようになる。私たちがはじめに受けた教育は、続いて私たちが教育者となるよう求めてくる。最初のものを「フィールド」と呼び、二つ目のものを「学校」と呼ぶにせよ、両者は勉強/研究の場であり、どちらも他方なしには存在できない。それゆえ、民族誌的であることが人類学的なプロジェクトの第一目的だとして、教室のなかで指導と学習の名目のもとにおこなわれていることは単なるおまけにすぎないとみなす信念をきっぱり拒絶すべきなのである。人類学と教育が、知識の産出とその伝達という区分の両側にあり続ける限り、両者は永遠にお互いを否定し続けることになるだろう

 そしてその考え方、もとい、本書が基本的に基づいているのは、デューイの思想である。

 いまこそデューイの教育哲学においてコミュニケーションと伝達に並ぶ重要な役割を持った第三の用語を導入するときだろう。それは「環境」である。 コミュニケーションが生の共有化であり、伝達がその永続化であれば、環境はその変異である。それは単に個体の周囲にあるものというのではなく、あるいは取り巻く状況の総計といい。環境が作り出すのは、時間とともにそうした諸状況が共同的になされる活動のパターンへと巻き込まれてゆくあり方である。
 taskscapeという概念は医学教育関連の文献でも目にしたが、正直あまり意味はよくわかっていない。
045 あなたと私が共有する経験は、あるいは私がレシピ本の著者と共有する経験は、連関する作業の領野を旅することである。以前に私は別なところで、この領野を指すために「作業 taskscape」という用語を案出した。本のなかの指示は景観中の道標のように、実践する者が作業景のなかを進むにつれて特定の方向表示を提供するのであり、それぞれの指示は、著者が件の料理を用意したこれまでの経験を振り返ったときに、全体の過程のなかで決定的な分かれ目であったとみなした点に戦略的に配置されている。そうした点と点のあいだでは、調理者は注意深くかつ柔軟に、だが明示的に規定された手順にそれ以上は頼ることなく言葉を変えると、巧みに――その進路を見出せるものと期待されている。するとレシピは、それ自体では知識ではない。むしろレシピは、それまでの経験のおかげですでに部分的にはなじみのある作業景のうちに位置を取ることによって、知識への経路を拓くのである。
 インゴルドは「習慣」に新しい意味を与える。
46 習慣の基本的な特徴は、すべておこなわれ受け止められた経験が、それをおこない受け止めている当事者本人を修正する一方、その修正が他方にはそれを望もうが望むまいがにかかわらず、引き続き起こる後の経験の質に影響を及ぼすというのである。 

  よく知られている通り、教育においてデューイは「経験」を重視する。

055 斜辺定理とその復唱という閉じた輪の外では今日ほとんど聞かれない言葉 ―という秘儀的な語を含むことは、それが経験か遠くにあることを確認させるだけなのだ。その定理は、デューイの言葉を借りれば、「世界のなかにそれ自体として存在し、思考や表現の通常の慣習に同化されていない」ように見える。
 教育とは何かについての理解は、学校からではなく生から開始せねばならないとデューイが考えていたことを思い出すだろう。学校教育の問題は、本当の知識が生起する生きられた経験のるつぼから、教えるものを単離するやり方にあるというのが彼の見立てである。
 その帰結は知識を情報へと縮減する傾向性であり、言葉や他の記号形態によって運ばれることで、もともとその意味を生み出した過去や遠い場所の実践へと参与する機会を持たない人々にとって、その意味は失われる。古代ギリシアの建築者にとって、斜辺は日常的ありふれた言葉だったのだろうが、もはや現在の児童にとってそうではない。ここには常に危険があるとデューイは警告する。学校は次第に単離された形態での情報の伝達だけに関わるようになり、学校で教えられたり学ばれたりするものは日々の生活から切り離され、技術的な優秀さと日常知識とが分岐してしまう。そのことによって教育の景観は連続的な変異であることをやめ、同質で等方的な共通知識の基盤から突き出した専門化の尖塔

第2章

068 すなわち「為すことdoing」と「被ることundergoing」である。あらゆる経験には、この両方の要素があるはずだとデューイは語る。 問題は両者の関係を把握することにあり、意識の働きとはこの関係を知覚することである。それは単に交代するということではありえない。もしそうだとすれば経験にはパターンなどなく、単なるとぎれとぎれの挿話の連なりにすぎないということになろう。デューイの論点は、生は断片的ではなく連続的だということにあり、それは被ることが為すことそれぞれの内に閉じ込められているのではなく、むしろ溢れ出すがゆえである。したがって世界のなかで私たちが取る行動は、私たちがそれまでに為す過程で被ったものや、為すことが引き起こした周囲の状況から受けた影響を自らに繰り入れ、その行動の意味の一部を引き出すまた反対に、 私たちがそうした行動を実行するなかで現在被っているものや、もたらされる環境的な帰結は、これから為すことに影響を及ぼす。デューイを長めに引用すれば、生きることの過程とは以下のようなことだ。 
 経験に住まうとはどういうことか、為すことと被ることという概念をもとに論じる。デューイは「一次的経験」を重視するのはフッサールぽいとかねてから思っていたが、ここでの言葉遣いはハイデッガーぽくて、現象学との近接性を感じた。
72 なぜなら行動の能動的な部分は、その目的、つまり最終状態によって決定されているからである。結局のところ意志の原理によれば、為すことと被ることは能動と受動、あるいは行為性と受容性という区分の両側へと別々に位置づけられる。だが習慣の原理ではこの対立は解消される。ここでは、被ることは為すことであり、為すことは被ることである。能動的に被ることは為すことの終わりを絶えず飲み込み、それらを純粋な始まりへと押し出す。 デューイの言葉では、飲み込みは 「受容 taking in」 であり、押し出しは「放出 going out」である。したがって、彼が「経験の被ることの局面」と呼ぶものは、一方ではそれが「明け渡し surrender」 を含むにせよ、他方では「受け入れるためにエネルギーを放出する活動であって、エネルギーを温存する活動ではない」。私たちが経験のさなかに受動的であるだけだとすれば、経験に圧倒されて応答することはできないだろう。「受容するためには、われわれはエネルギーを結集し、それを事態に適した音階に調整しなければならない」とデューイは続ける。私はこの結集と調整を 「交感 correspondence」と呼び、この章の議論の核心をなすもう一つの用語とする。交感によって、私たちは外から変えられるというよりも、内から変容するのである。為すことは被ることの内側にある。これこそ為すことを経験の実行として際立たせるものである。なぜなら経験を実行すると常にすでに経験の内側にいることであり、経験に住まう/習慣のうちにあることだからである。したがってデューイが理解していたように、被りつつ為す doing undergoing ことによって私たちは世界に住まう。

第3章 / 短調の教育

 116 前章での私の関心は、教育の強い意味と弱い意味を区別することにあった。強い意味の教育とは、私たちが文明として知るものについてある種の基本綱領を定める、壮大で力強い声明を述べ伝えるものであった。弱い意味の教育とは、私たちを確実性から引き離し、防御的な体勢や立場から抜け出させる私たちを武装解除するおずおずとした横溢や逸脱であった。これはマッシュラインが示したように、 educate と ex-ducereの違いである。とはいえ実はこの違いは、哲学者のジル・ドゥルーズと精神分析家のフェリックスガタリが「長調」と「短調」の科学〔訳注:邦訳では「メジャー科学」と「マイナー科学」〕と呼ぶ、より一般的な対比の一つの実例にすぎない
 インゴルドは、ドゥルーズ=ガタリを引用して、「短調」性を強調する。
 137 ドゥルーズとガタリは、共著『千のプラトー』を織り成して果てなく展開する思索を組み立てるための支柱としてアジャンスマンを選び出し、その潜在性を十全に引き出している。彼らの手にかかると、それは外的な配列による決定から事物を引き離す自由にするように働くのであり、まさに構成要素が情動的な交感による複合的な動きへと解放されるようにするためなのである。この意味でのアジャンスマンである。それには対象もなければ主題もない。(略)ドゥルーズとガタリは、分析され解釈されるために表紙と裏表紙に挟まれている完成された人工物としてその本を扱わないよう私たち読者に懇請する。彼らは、彼らが書いたように私たちがその本を読むことを望んでおり、そうすることで私たちがともに乗り出す終わりなき旅のなかで、私たちの思考を彼らの思考と織り合わせる――彼らと交感することを求めている。彼らにとって、書くことは歩くようなものだ。それは「現実とじかにつながった実験」であり、事物の流れに対してすべての瞬間に応答する即興的な動きである。ここですべての語は、すべての足取りのように短調の身振り、すなわち外気にさらすことの瞬間である。したがってアジャンスマンの働きとは、長調から短調へと転調させることである。この動きによって開かれる自由は、「私たちに影響し、私たちを動かし、私たちを方向づける。だが私たちに帰属はしない」とマニングは書く。
 143 彼らにとって学校は、諸個人がその机の周りに集まり、置かれた事物に注意を払うところである。そして目的のための手段としてではなく、あるがままの事物に注意を払うことを、マッシェラインとサイモンズは「勉強」と呼ぶ。彼らにとって勉強とは知識の専有ではなく、専有を解除することであり、知識を異化すること、公有のものとすることである。おそらくは年長世代の人々によって差し出された知識は、若い世代の人々にはまだ専有されていない。このことこそすべての世代が新しく始めること、自らを新しい世代として経験することを可能にするのである。 先述した勉強の見解がもたらす二つ目の帰結は、勉強は媒介 intermediate ではなく、あいだにあるin-between ということである。私は「媒介」という言葉で、ある状態から別の状態へと移行する段階のことを指している。
  被りつつ為すことで我々の中に育つ知識をポランニーは「暗黙知」と読んだが、その言葉は、「言葉の下」へ追いやる行為だとマニングは批判する。たしかに、ここで思考は終わり、というストップをかける言葉に思える。
151 私たちはみな、これまでまったく説明されなかった物事や、説明不能でさえある物事を知っている。私たちは現実の作業を完了させるために、こうした知識へと生のあらゆる瞬間に頼っている。習慣の実践のなかで、被りつつ為すことを経験的に実行することで私たちの内に育ってきた知識である。だがそれは私たちの人格にきわめて深く刻み込まれているがゆえに、詳説や分析の射程外にあり続けている。哲学者のマイケル・ポランニーはこれを「暗黙知」と呼んだ詳説が可能であるのは、その下に広がる広大な暗黙の領域に比べるとほんの先端にすぎないとポランニーは考えたのだだがそれでも彼の考えは、暗黙を明示の対極に位置づけ、公式には教育されていない知識と知性を意識の下層に押し込める点で主流派の立場である。マニングでさえも、習慣から生まれた知識を潜在意識、つまり「言葉の下」へと追いやる誘惑に屈してしまっている 身体化embodiment の概念に夢中の別な理論家たちは、それをさらに奥深くへ、習慣がハビトゥスになる無思考な身体的自動性の暗がりへと押し沈めてきた
 だが川が岸の下を流れているのではないように、短調は長調の下を走っているのではない。それは下ではなく、ただなかにあるのだ。その領域は中間の場所、つまりミリューから世界を含み込んで開かれている。ミリューは隠れた堆積物ではない。それは感覚――ハーニーとモートンがアンダーコモンズの説明のなかで、「他者があなたに感じている感じに対する感じ」あるいは「触知性hapticality」と呼ぶものへの開かれである。それは長調に対して直角に交わる次元にあるのであって、対極にあるのではないこの触知の次元を「暗黙」と呼ぶことは誤っている。 
 ポランニーにとって詳説は、発話や筆記のなかで物事を言葉にすること、あるいは数学の公式のように言葉と同等の記号へと変換することを意味していた。これは詳記specification と分画化 articulation という一対の操作をともなうと彼は考えた。詳記するとは決まった参照関係の座標に物事を固定することを意味する分画化するとはそれらを完成された構造へとつなぎ合わせることである。したがって私たちは、グラフに点を打つとき、方程式に値を入れるとき、あるいは紙に語を打つとき、詳記する。それらをつなぎ合わせるとき、つまり点を線に、値を加算記号や減算記号に、語をスペースにつなぐとき、私たちは分画化する。 活字からなる一文大文字と句点によって挟まれ、徹底的に構造化された――は文字的な分画化の典型である。 一定期間の懲役を科された独房の囚人のように、その語たちも幽閉されて沈黙と不動を申し渡される。 
153 そうすると何が逃れ去るのだろうか。知識の詳記不可能な部分——ポランニーが「欠陥ある分画化のために言い残された残渣」と表現したものは見落とされ、沈黙したまま文字化できない支離滅裂に追いやられるのだろうか。あるいは、その語を生み出す身振りによって生気を与えられた、生き物としての言葉に対する感覚は、その監獄の門を打ち開く力を持つだろうか。詳説の解体とその一文/申し渡しの撤回は、勉強を停止させることではまったくなく、発話の息遣いに乗って羽ばたく言葉の詩学を私たちへと明らかにする。ランシエールが言うように、「話すという行為において、人は自らの知を伝えるのではなく、詩作するのである。 (.....) 人は職人として、つまり語を道具のように取り扱う者として伝達を行なう」。詩人として意思疎通するとは、熟練の職人が道具と素材を大切にするように、言葉を大切にすることだ。すべての言葉は小川の流れにある小石のようにきらめく宝石である。私たちはそれを話すことのなかに感じるのだ。口内から湧き出すにつれて、また活発な舌と動き続ける唇から発せられるにつれて。あるいは書くことのなかに感じるのだ。体の動きや手の曲がり具合のなかで形作られるにつれて。すると触知性は、言葉をあきらめることを意味するのではなく、言葉の下に沈み込むことを意味するのでもない。
 デューイは学習者中心主義、問題解決型学習の源流にあり、そして、ヴィゴツキーの発達の最近接領域(ZPD)、レイヴ&ヴェンガーの正統的周辺参加に通じるのである。デューイいわく、ただ参与すればいいというわけではなく、ある特定の参与の仕方が必要である。それはミリューにおける学習であり、「教師と学習者、つまり師と生徒が両者とも、その過程において一つの関心を共有し、それによって変容する立場」なのである(ZPDとの違いとしてインゴルドは強調している)。
157 ここではビースタの主要なテーマ、「誰かから学習することは、誰かに教わることとは根本的に異質な経験である」に注目したい。では、「から学習すること」と「に教わること」の違いとは何だろうか。ビースタにとって、教えることは命令ではなく贈物である。とはいえあらゆる贈り物と同様に、それは教師の力から分け与えられる何かではない。ある事物はあらかじめ贈り物なのではなく、それが贈り物として受け取られたときにはじめて贈り物になるのだ。もしそれが拒絶されたならば、贈り物ではなく不用品である。同じことは教えることにもあてはまる。生徒たちが教えられたことを認めて「受け取られた」とき、はじめてそれは教えることとなる。教師には、そのようなものとして受け取られるかどうかについて何も言う権利はない。 教師は教えることとして受け取られたいと望むにせよ、結果を決めることはできないのだ。ビースタが言うように、この意味で「教えることは教師が所有していない贈りものを贈ること」である。教育に必要不可欠なこととは、自らが持っているもの、つまり実際のところ自らがそれであるもの(なぜなら勉強の過程では、個人/人格と所有物/属性は不可分であるのだから)を「テーブルの上に」置く準備のできた誰か――そう認められた瞬間だけ散発的にそうであるにすぎないにせよ「教師」と呼んでおこう ―がそこにいることである。
 これはデューイが、学習者自身に教育を委ねることの愚かさと考えたものに対する彼自身の答えでもあった。「もし教師が本当に教師であるならば、(目的と計画を指示するためではなく)何がなされるべきかの議論で共有できるために、生徒たちや彼らが必要とするもの、経験、技術や知識の程度といったものを十分知っているべきである」とデューイは助言する。実質的なまたは情報的な内容という点では、そうした教師から学習することは何もないかもしれない。だが彼が模範を示し、私たち―彼の生徒労の成果を確認する限りにおいて、私たちは彼に教わったと主張しうるだろう。ここで教師は勉強をすることのお手本であり、生徒たちの寛大な案内人にして同行者であり、その仕事の根気強い評価者である。これは発達心理学の偉大なる先駆者レフ・ヴィゴツキーの古典的な主張にあるような、足場を作ること、つまり手助けなしにはできないことを学習者が達成するための社会的支援を提供することの問題というだけではないヴィゴツキーにとって、学習は彼が「発達の最近接領域」と呼ぶところで起こる。これは個人で問題解決できる範囲(「実際の発達水準」)と、より能力のある者の手助けによって問題解決できる範囲が到達する距離の差として定義される個人はこの領域で経験を積むにつれ、実際の範囲は徐々に近接領域を埋めるように広がり、最初は補助有りでも解けなかった問題を含みながら近接領域は外へと拡張するヴィゴツキーの理論に影響されたジーン・レイヴやバーバラ・ロゴフといった人類学者は、学習を徒弟制の過程と捉えて分析した。そこで学習者は、より経験豊富なパートナーの導きのもとに同じ問題の解決へと参与することで能力を向上させる。その焦点はどのように物事がなされるかを示すこと、注意の教育、そして行動と知覚の微調整にあった。レイヴの言葉を用いれば、徒弟制とは「実践における理解」の問題であり、主流派の心理学ではいまだ影響力の強い「文化獲得」の観念とは対比をなすものであった。
 出来合いの情報パッケージとして知識や技術を伝達し、受け取る様子ではなく、知識と技術を調整して再び成長させるために世代間がともに働くやり方を強調する点で、徒弟制モデルは古典的な社会的学習モデルからの大きな進歩であった。個人はお互いに孤立したなかで学ぶという考えを破棄するのであり、その点ではデューイの教育に対するアプローチと完全に一致している。だがデューイにとって、そこにはそれ以上のものがあった。確かに教育は参与に依存するのだが、ただ参与すればいいというわけではない。それは特定の種類の参与であるべきなのだ。教育的な参与に特徴的なもの、そして教育を単なる訓練既存の同業者組合あるいは専門家集団へ加入するための準備から区別するものとは、教師と学習者、つまり師と生徒が両者とも、その過程において一つの関心を共有し、それによって変容する立場にあることだ。これは発達の最近接領域における学習と、ミリューにおける学習の違いである。 訓練中の徒弟は発達の最近接領域に置かれ、見習いから熟達への移行の途中にある一方、アンダーコモンズの生徒はあいだである中間の場所、すなわちミリューにいるのだ。ビースタが言うように前者は、「一方が......他方を取り入れることによって学ぶ」。後者については、参与が「そこに加わるすべての者の見通しを変化させ………共有された見通しをもたらす」。一方は「非教育的」であり、もう一方のみが「教育的」なのである。ビースタにとって、これはデューイの「教育」がレイヴの「実践における理解」を超えるところである。私たちの言葉で言えば、それは共有しつつあることと理解することを区別するものであり、同様に問題との交感と問題解決とを区別するものでもある。ではデューイの導きに従って、教えることを共有化と変異の過程として、注意と応答の過程として考えたらどうなるだろうか師と生徒が、はじめから語るべき物語を持った諸個人/人格として関わり、無限に続く実演と実験、確認の終わりなき繰り返しを辛抱強い実験の精神でともに進んでゆく、そうした過程として捉えたらどうなるだろうか。するとランシエールが言うように、その無限とは「もはや教師の秘密なのではなく、生徒の歩みなのである」。秘密はついに明らかになり、師にはもう隠すものなど何もないのだが、旅詩作は永遠に続く。 

 本章では、live a lifeとlead a lifeの対比も論じられる。デューイ自身がそうなのだが、西洋近代的個人を前提とするマッチョイズムではないか、という批判は、モアザンヒューマン的な観点からも、障害学的な観点からも可能であろう。

 第4章 / 人類学のアート 

 つまり科学論者のカレン・バラッドが言う通り、私たちは自らも世界の一部であり、その「差異的な生成変化 differential becoming」においてのみ世界を知ると認めることだ。第二に、教育の専門家が「学校」と呼ぶものと人類学者が「フィールド」と呼ぶものを比較し、勉強の実践は両者に共通であることを示す。すると人類学の真の目的は、しばしば想定されているような民族誌的なものではなく、教育的なものだと主張することになる。第三に、人類学についてのこの考え方がいかにアートとの密接な同盟関係をもたらすのかを示し、同時に第四には、近代の精神史における巨大な断絶の淵源となってきたアートと科学のあいだの溝を埋めるためにこの同盟がどう役立つかを示す。教育の界隈では、科学とアートのつながりをSTEMやSTEAM、SHAPEといった略語の言葉遊びを使って言及することが最近の流行りになっている。だが本章の最後から二番目の節で示すように、こうして作られたものは偽の夜明けを告げ知らせるにすぎない。 来たる世代に新生の経路をもたらすどころか、新しい世代を絶滅の危機にさらすネオリベラル資本主義的な病理の兆候なのである。だが別のやり方は可能であり、それは人類学のアートのなかにあることを結論で示したい。

  通常、参与観察は相反する営みの弁証法的なものとして(明示されていなくても)捉えられがちだが、インゴルドは、その矛盾はそもそも存在しないと言う。

180 参与と観察のあいだの矛盾とされているものは、この知ることからの存在することの除去、認識論からの存在論の除去の帰結にすぎない科学の言うところに従えば、まがりなりにも私たちが理解しようとするならば、川の真ん中を泳ぐことから得られる主観的経験を捨てて川岸の足場に戻らねばならない。そうすることで安全で安定したそれぞれの位置から、客観的にその経験を顧みることができるというのだ。まさにこの動きにおいて、人々とともに被ったことは、人々について勉強するために自ら望んで受けた試練へと変換される。それは言ってみれば、共有された生が深い注意を払いながら為すことをくくり出し、フィールドワークという意図的に為したことのうちで被ったものの一つとして枠づけ直してしまうことになる。そしてこれが起きるのは、私たちが参与観察によって実際におこなっていたことは民族誌なのだと言ったときである。

  完全に医療者側でもなく、完全に人類学者側でもない存在として、anthropology with medicineを私は目指したい。 

181 私の信じるところでは、問題の原因はその小さな単語、「のof」にある。なぜなら、私たちがあれの人類学やこれの人類学を持ち出すときはいつでも、問われている物事の周りをぐるぐる回るかのようであり、私たちがそこから観察している場所や経路を囲い込まれた探究の主題へと変えてしまう。第2章で記したように「の性of-ness」は、交感する他者を対象へと変換し、観察を対象化にするのだ。この文脈ではジャクソンが言うように、観察は「客観的データ」を生み出す。だがともに観察することや、から観察することは、対象化することではない。それは人や事物に注意を払うことであり、それらから学ぶことであり、教えと実践を辿ることである。これは徒弟がある技術の実践において観察する従うやり方であり、崇敬者が祈りの繰り返しのなかで観察する/従うやり方であり、人類学者がフィールドにおける日々の作業のなかで観察する/従うやり方である。の性が意図的であれば、ともに性 with-ness は注意的である。そして後者がお膳立てするのは、知覚と行動のなかでの、観察者と観察される者の参与を通した結合である

 一方で、with-nessを目指すフィールドワークとは、何をすればいいかわからず途方にくれる辛い時間もあるのだろうと推察する。探究的、仮説生成的なフィールドワークといっても、ただ「自由」にさせればいいわけはない、というのは、最近学生と一緒に書いた論文で論じた。 

 私が主張したいのは、教育の実践としての人類学である。これは人類学者のケネラム・バリッジがメタノイアと呼んだもの、つまり「それぞれが存在の述語を変化させる一連の進行中の変容」にささげられた実践である。言うまでもなくこれは、「すべておこなわれ被られた経験が、それをおこない被っている当事者本人を修正する」というデューイの「習慣の原理」を再定式化する別 のやり方にすぎないメタノイアは民族誌の目標だとバリッジは主張したものの、私の考えではむしろ教育の目標を的確に表現しているように思える

 デューイ→ローティのアメリカプラグマティズムの流れをもっと勉強する必要がある。『プラグマティズム入門』みたいなのはもう読んでるはずなんだけど、あれは自分にとって早過ぎたと思う。何を学んでいてもデューイが顔を出してくる今、真剣に向き合いたい。 

 おそらく人類学者にとって、自らの専門性を支えるそうした柱を手放すのは難しいのだろう。もっとも別のところでは、ジャクソンはより教育的な言葉を用いてその人類学的な企図を定義している。彼が言うには、それは「経験について考えるための新しい可能性を開くこと」であり、哲学者のリチャード・ローティに従ってその過程を啓発 edification と呼んでいる。ローティにとって啓発することは対話を続いたままにすることであり、同じ理由から最終的で客観的な解決だという主張のすべてに抵抗することである。それは余地を開くことであると彼は言い、以下のように書く。「詩人が時折かいま見せてくれ
185 人類学は詩と同様に、不思議に思い wonder さまよう wander 。不思議に思うことは注意のなかにあり、さまようことは辿ることのなかにある。見習い人類学者は、他者の為すことや言うことに、また周囲で起きていることに注意を払うよう求められる。そしてその帰結が何であれ、どこへ連れてゆかれるのであれ、他者が行くところを辿り、彼らの命じることを為すように求められる。こうして外気にさらされることは不安を与えるものであろうし、かなりの実存的な危機を伴う。それはまるで未だ形を成していない世界へと舟を漕ぎ出すようなものだ。事物は既成のものではなく、連続的な生成の最先端で、常に始まりの状態にある。マッシュラインが言うように、与えられたものによってではなく、与えられつつあるものによって命じられるのであり、人は待つ覚悟をせねばならない。事物を待つことは、まさしくそれらに注意を払い、観察することである。そして人類学者であれば誰もが知っている通り、参与観察の時間は本格的な活動に費やされるよりも、人々が現れることや物事が起きることを待つために費やされる方がずっと多いのだ

  フィールドワークは結果を得るために方法論を適用することではなく、すべての答えを問いへと変換する辛抱強い実験の実践である。モーテンがアンダーコモンズにおける勉強を、「人々とともに語り、歩き回ること」と言ったとき、あるいはハーニーが勉強を「他者が何かをするときにあなた自身が他者によって所有されることを許容する場」と書いたとき、それは学校の勉強とまったく同じようにフィールドでの勉強についても同様だろう。だがこれは、人類学者の「フィールド」がその受け入れ先の「日常生活」とまったく同じではないということでもある。まるで外気にさらされるのは完全に前者の側だけであり、後者は普段通りの作業を粛々と続けているかのようなのだ。だが学校との並行関係が示唆しているのは、反対に受け入れ先にとってもまたフィールドは平凡な時間を外れた場であり、いつもの予測は中断されるか一時停止状態に置かれ、物事は異化されて専有を解除されることである。それはミリュー、つまり中間の場所であり、世界は人類学者に対してだけでなく、その受け入れ先の人々に対しても同様に開かれる。これはまさしく共有しつつあること(理解ではなく)の進行を可能にする開かれである

  インゴルドの民族誌軽視の論調は、言いたいことはわかるが、逆説的に、民族誌があるということで、ともに(with)学ぶことができるのでは、とも思った。(民族誌としてまとめると言わないまでも)こういうことを知りたくて来ているんだと言うからこそ、フィールドに受け入れてもらえるということもあるだろう。人類学はopen-endなプロセスなので、来たときに「このために来た」とは言えない、「ここで起こっていることを学びに来た」という言い方になる。

 虎の巻として参与を売り歩く学習化の営業マンと同様に疑ってかからねばならない。教育的な参与とそうではない参与のあいだには違いがあるとビースタが主張するように、参与観察もそれがすべての参与者のものの見方を変容させるときにはじめて人類学的だと言えるのだ。単に順応すること他者の為すことや言うことを当然のものとして、「うまく馴染む」ように学ぶこと―――は民族誌的データの収集には十分だろうが、それは変容を生み出す可能性をまったく含んでいない。デューイにとってはその可能性——単なる情報の伝達を超えた共有化と変異の過剰――こそ教育を訓練から区別するものであったことを思い起こそう。私たちにとっても同様に、それが人類学を民族誌から区別するのである。この区別には時間的な次元もある。マニングなら人類学は「出来事のなかに」あると言うだろう。それは内側から知るための方法として、裂け目の差異化を通して進行し、あらゆる経験の実行に伴う変化によって屈曲する。その時間は、マニングが「可動的な共生」と呼ぶものの内で――つまり交感のなかで ―ともに進むことによって過ごされる時間である。他方の民族誌は、遡及的な説明を提示する。すでに起こった出来事から、その動機となった意図や出来事が埋め込まれた文脈を仮説的に推論し、その出来事を引き起こした因果関係をさかのぼるのだ。
 人類学は交感であり、民族誌は後付けの解釈である。
 以下に続く文章は、アレントの「世界への愛」を引用しつつ、マニフェストとして宣言される。
196 レヴィナスにとって自己と他者の建設的な対話の源となるのは、両者のあいだの関係からのみ生じうるのであって、どちらかの側から持ち込まれた概念的な荷物によってではない。これは、他者性とは絶対的かつ無条件のものと承認することである。ある者は他の者よりもさらに他であるといった、程度の違いを認めることはできないのだ。他者性をそのように承認することは、おそらく直感的には人々を他文化の諸世界と隔離するように感じられるのとは反対に、みなが同じ世界——一つの世界だが汲み尽くせぬ多数性と差異の世界に加わり、参与するための条件である。それは、人々がこの世界における旅の仲間として一緒に行くための道、つまり共有化のやり方を発見するための存在論的な基盤を据えるのだ。すでに見たように人類学的な参与観察のフィールドは、何よりもまずこの意味における共有化のフィールドなのである。このフィールドでは、差異は既成の同一性に訴えることで先験的な所与として与えられるのではない。最初からすべてが浸された関係の母体のなかで、まさにそこにいることによって差異が生まれ続けるのだ
 だが民族誌的な構えに付きまとう時間分裂症は、関与のまさにその瞬間において他者に背を向けることで、フィールドワークのやり取りからこぼれ出た差異を、それに先行する分割へと変換してしまう。そしてやり取りそれ自体は共者化の方法であることを止め、ある固定された世界観をもう一つのそれへと翻訳することによって分断を横切る架橋作戦へと変換されるのである。これは差異化を多様性に、過程を副産物にすることである。その帰結は他者を諸世界の分割、つまり私たちの世界と彼らの世界の分割の両側に置き、他性は私たちの種類の人々と、ある別な種類の人々とのあいだの隔たりの指標と受け止めなおされるだがそう受け取られた他性は、もはや絶対的ではなく相対的─私たち自身の解―なものである。言うまでもなくこのことこそ、他の種類とみなしたものへどのように関与するかをあらかじめ決めてしまうのだ。さらにこのことは、他者を人類学的あるいはアーティスト的な自己を理想化して投影するたの代理人にしてしまい、差異を目に見えるアイデンティティとして、他者性を外部性としてコード化することになる。フォスターが指摘するように、これでは平等な足場の上に万人が参加できる内在性の政治ではなく、他者が効果的に排除される周縁性の政治のはじまりということになりかねない。
 この他者の周縁化は、他者を文脈の内に位置づけようという主張によって悪化するばかりである。第2章で見たようにそれは他者を枠組みに押し込めることで、その現前の力を弱め、不一致を抑え、無害なものとするのだ。このように理解されて説明され、武装解除
 実際のところ、自由は実践されるのでなければ無意味である。このことこそ、抑圧された者の教育学に関するフレイレの宣言文の核心にあるものだ。それ「男性も女性も現実を批判的かつ創造的に扱い、どのようにすれば世界の変革へと参与できるかを発見する」ための手段である。しかしこの自由は意志の自由ではなく習慣の自由である。それは意志力の働きのうちにではなく、愛にもとづく行動のなかにある。対話なしに自由がありえないように、フレイレによれば「世界とその人々への根本的な愛なしには」いかなる対話もあり得ないこれはまさしく世界への愛であり、アレントが責任ある教育の前提条件とした世界に対する愛にほかならない。だが愛は所与のものとして訪れるのではない。それは応答的で責任ある存在としての私たちに課された任務なのだ。そしてあらゆる任務と同様に、 それは引き受けられるものである。すべての愛にもとづく行動は、自由の理念あるいは解放の理念への深い関与を実際に示すとフレイレは言う。 すると自由とは、私たちが絶えず取り組まねばならない理念なのである。私たちの人間性が皿の上に載せて渡されるのではないように、自由もそのようには渡されない。あるいはデューイが一世紀前に言ったように、自由は「そもそもの所有物や贈り物ではない。それは達成されるものであり、創り出されたもの」である。このようにしてなんとか自由を生み出すことは愛にもとづく労働である。それは教育の仕事であり、その実験室それがもっとも濃密であるところ―――とは、あるいはそうであるべきは、大学なのだ。

第5章/共通善のための大学

245 歴史家にして政治理論家であるアシル・ムベンベは、大学の脱植民地化を省察しながら、「脱植民地化の過程の終わりには、私たちにはもはや大学はないだろう。私たちにあるのは多遍性/多遍大学である」と主張する。では多遍性/多遍大学とは何だろうかと彼は
 それは世界中に複製を作るようなやり方で大学を増やしたものではない。あるいは、世界中に拡張された商業ネットワークのハブとしてあらゆる組織を位置づける高等教育のビジネスモデルによる発明品でもない。ムベンベの答えは、多遍主義とは「認識論的多様性」への開かれを示すものである。それは知ることのやり方を垂直に序列化するのではなく、水平に読み解くということである。つまりそれぞれを平等な対話の内へ等しく置くことであって、ヨーロッパの啓蒙主義の科学や人文学で祭り上げられている、それらを凌駕する普遍性という主張のもとに組み込むことではないのだ。ここでムベンベはデ・ソウザ・サントスと共鳴し合っている。彼にとって知識生産の啓蒙主義モデルは、排他的かつ認識論的虐殺的な「単作文化」であり、それを押しつけることで、基準に沿わない異なった知ることのやり方を摩滅させ、あるいは死に追いやってしまう
246 すると多遍性とは、多様な知およびそれらの関係の生態系を指しており、大学的な単作文化の普遍性とは正反対である。これは普遍性を完全にあきらめることではない。そうではなく別種の、合理的ではなく関係的な普遍性を示唆しているのだ。 ミニョーロは、メキシコ・チアパス州のサパティスタ運動の呼びかけに呼応しながら、「たくさんの世界が共生できる一つの世界に向けた普遍的な/万人のための企図」としての多遍性に向けて類似した見解を発展させている。こうした世界は、決して差異を人間性の度合いが多いか少ないかという観点で見てはならないという条件の下で、一つである多数の世界の住民たちが協働することを通してのみ実現可能であるとミニョーロは続ける
 インゴルドは痛烈にSTEM批判を加える。
261 いわゆるSTEM科目に携わる人々のあいだに広く見られるこの態度が明らかにしているのは、非実用的な研究への高尚な訴えとは、みじめにも科学が知識生産の市場モデルの軍門に降ったことを取り繕うための煙幕にすぎないということだ。それは、グローバルな科学エリートの手へと次第に集中しつつある特別な利益を利己的に守ろうとすることにほまかならない。自らが仕える企業と結託したそのようなエリートは、それ以外の世界すます貧しくなる使い捨てのような人間の大多数を含む をデータマイニングのための資源くらいにしか考えていないのだ。 それでは、「非実用的」ではない研究とはなんなのだろうか。科学政策に特有の言葉遣いでは、そこには二つの選択肢だけがある。それは「実賎主導型」もしくは「問題志向型」である。実践主導型の研究は、芸術作品や建築物、デザインといった新しい創造物を生み出すものとされる。問題志向型の研究は、解決策を案出するために既存の知識を応用するものとされる。だがあなたは問いたくなるだろう。その実行にあたって実践的ではない研究とはなんだろうか? あるいは創造的ではない学問的な営みとはなんだろうか? またあなたは、私たちが解くように求められている問題は、本当に解決策をその内に隠しているのだろうかとも問うだろう。
279 大学は共有化の場であるべきなのだ。すると共有化が貢献する「善」とは何だろうか。それは商品ではないし、商品の一式でもない。それは同様に「品々」 でもない。工場は品々を生産するが、大学は工場ではないのだ。品々は完成されているのだが、大学は更新の場所であるか、もしくはそうなるべきである。そして共通善は永続的な更新にほかならない。前カンタベリー大主教であるジャスティン・ウェルビーは近著『英国を再想像する』のなかで次のように書いている。 「共通善は またそれが含むすべての価値や実践は法制化されるものでも命令されるものでもない。それは社会に参与するすべての人々による大小無数の活動の総計である」。この意味で共通善は社会的生そのものであり、共同体のなかの諸個人が絶えず作り出すものである。それは私たちの相互的な関係のなかにいるあなたと私であり、それ以外の全員なのだ。あるいはひとことで言えば、それは私たちの住まう世界である。
 大学が共通善に奉仕すると言うことは、社会の更新に本質的な役割を果たすと主張することだ。だがそれは、現在の大学がほとんど放棄した役割でもある。その代わりに大学は、政府や財界、工業界への知識商品の供給者として、また学生というお得意様に訓練や資格認定という形式でサービスを提供するものとして自らを位置づけるようになった。そして共通善が品々の供給とは区別されるように、他者に奉仕することは、他者へのサービスを提供することとはまったく異なる。前者は寛大さに、 すなわち社会的世界の参与者である私たちが、自己の形成について負っているものを与えることにもとづいている。 後者は契約に、すなわち対価のためにサービスすることにもとづいている。奉仕するとは何を意味するのかを理解するうえでの曖昧さを利用したり、善と品々をごっちゃにしたりすることは容易であり、大学はミッションステートメントのなかで日常的にそうしている。 大学の目的は世界を変えることだと宣言しながら、他方では何百万ポンドもの助成金や契約を獲得したことや、卒業生に高収入の就職先を確保したことを誇ることができるのだ。だがどれほど取り繕おうとしても、その使命と誇示が明らかに矛盾していることは隠しきれない。大学は営利事業として稼働することと同時に共通善に奉仕することはできないのだ。前者を選ぶのであれば、後者に対するすべての約束を反故にすることとなる。ではどちらを選ぶべきだろうか?
 最後に、デューイの「民主主義と教育」に還ってくる。
282 そのうえこの見解は、自分たちの子供の教育がかかっている一般市民の見方とも強く共鳴する。さらにこのことは、大学教育に対するほとんど軽蔑ともいえる根深い反感を少なくとも部分的には説明している。それは頂上を目指す競争から取り残され、企業によるグローバル化のきらびやかな新世界には必要とされていないと感じている多くの人々のあいだで共有されている感覚だ。留意すべきは、こうした人々もまた民主主義を擁護して声を上げていることである。 民意としての民主主義というその発想は危険なまでに歪められたものにせよ、高等教育に対する見立てが間違っているというわけではない。大学はコスモポリタンなエリートを生み出す制度として設計されていると受け取られ、そうしたエリートはあらゆる利益を独占することに手を尽くし、その地球規模の野心が人々の場所や共同体や国に根差した帰属意識を踏みにじるとみなされているのだ。実際に、ポピュリズムと呼ばれるものの下で起きている民主主義の腐敗は、部分的には高等教育のグローバル化に対する反動であり、大学もその責任の一端を引き受けねばならない。この民主主義と教育の断絶は、すでに私たちの社会を引き裂いている。 それを修復するための術を見つけることはきわめて重要である。そして私が提案する最善のやり方は、教育と民主主義はどちらも共有化の作業であるというデューイの考えに戻ることである。

Promoting Success: A Professional Development Coaching Program for Interns in Medicine

“Career interests were intentionally mismatched to allow for safe exploration and honest discussion without concern for future career impact.”をはっきり明記しているところが、この論文のミソ。ただし専門性をずらしたことが、評価懸念がないということ以外にどんな意味を持つかについてのdiscussionはない。また、学年は同じであるし、施設も同じ。

Promoting Success: A Professional Development Coaching Program for Interns in Medicine (Palamara et al., 2015, J Grad Med Educ 7(4):630–637)

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

背景・問題意識

研修医時代(特にインターン期)は医師としての専門性発達における最も苦しい移行期であり、経験不足・長時間労働・業務の圧縮が重なり、多施設研究ではインターン後期でバーンアウト率が81%にも達すると報告されている。しかし、

  • 従来の評価(evaluation)によるフィードバックは、研修医が「患者ケア」「医学知識」以外のコンピテンシー(システム基盤実践、診療に基づく学習改善、対人コミュニケーション、プロフェッショナリズムなど)への気づきを得るには不十分。
  • 低評価の研修医は自分の弱点に気づきにくく能力を過大評価しがちな一方、高評価の研修医は逆に自己評価を過小評価しがちで、いずれも「ブラインドスポット」を生み最適な成長を妨げる。
  • リメディエーション(補習)プログラムは既に多数報告されているが、これは「基準に達していない研修医」向けであり、"平均以上でも本来のポテンシャルに届いていない"研修医全体をカバーしていない。
  • アドバイザーや指導教員(preceptor)は評価者(evaluator)としての役割も兼ねることが多く、この「二重の役割」が研修医にとって本音を話しにくくする障壁になっている。

こうした背景から、著者らはポジティブ心理学に基づくプロフェッショナル・ディベロップメント・コーチングプログラムを、内科レジデンシーの**全インターン(成績を問わず)**を対象に開発・実施・評価した。

方法

  • 対象: 2012–2013年度、内科インターン72名・指導医(コーチ)26名。
  • 設計思想: 「非評価的(nonevaluative)・学習者主導(learner-driven)・対等(egalitarian)」。評価権限を持つプログラムディレクターや上級キャリアメンターはコーチから意図的に除外し、役割の衝突を回避。
  • コーチインターンのマッチング: 志望専門科を意図的にミスマッチさせ、将来のキャリアへの影響を懸念せず安全に自己開示・探索できるようにした。
  • コーチ研修: 26名が2時間の研修を受講。「アクティブリスニング」「自己省察を促す問い」「弱みではなく強みを言語化すること」に焦点。
  • セッション構成: 四半期に1回、平均40分。各回にガイド(GROWモデル、Values in Action強み調査、PERMA[ポジティブ感情・エンゲージメント・関係性・意味・達成]モデルなど)を用意し、クラウド(Dropbox)で共有。
  • 評価: 量的サーベイ(開始時・年度末の2)+定性的インタビュー。Maslach Burnout Inventory(燃え尽き尺度)、コミュニケーションの質、専門的発達の自己評価等を測定。IRBでは「適用除外(exempt)」と判定。

結果

  • 82%のインターンがコーチと3回以上面談(99%は最低1)
  • 94%が「良い/非常に良い」と評価、96%が他プログラムにも推奨したいと回答。
  • コーチとのコミュニケーションの質を「excellent」と回答した割合は48%→69%に上昇、「自分の実践を振り返る機会」への満足度も有意に改善(P=.02)
  • 燃え尽き(emotional exhaustion高値)は、前年度コホート(1年目終了時47%)と比べ、本プログラム下では33%と低い傾向(ただし統計的有意差なし、対照群なしの記述的データ)
  • 課題として、コーチの半数(50%)が実際には何らかの形で監督的(supervisory)な関係性をインターンと持ってしまっていたと報告(意図的なミスマッチだけでは評価的関係の完全な排除は難しいことを示唆)

Discussion / Conclusion

  • 成績を問わず全インターンを対象にした、ポジティブ心理学ベースの強み志向コーチングプログラムとしては初の報告。
  • 低コスト・低負担(コーチの時間は年9時間程度)で高い受容性を達成。
  • 対照群なし・単一施設単一診療科・小サンプルという限界はあるが、初期評価としては専門的発達支援とバーンアウト部分軽減の両面に肯定的なエビデンスを示した。
  • 1年目の成果を踏まえ、3年間の縦断的コーチングプログラムへと拡張された。

参考文献リスト(本論文が引用する主要26編・簡略版)

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  9. Lipsett et al. Resident self-other assessor agreement. Arch Surg 2011.
  10. Quirk M. Intuition and Metacognition in Medical Education. 2006.
  11. Wu et al. Resident evaluation and remediation. JGME 2010.
  12. Ratan et al. A model for remediation of at-risk residents. Obstet Gynecol 2008.
  13. Yao & Wright. The challenge of problem residents. J Gen Intern Med 2001.
  14. Ogunyemi et al. Structured faculty mentoring program. Teach Learn Med 2010.
  15. Webb et al. Emotional intelligence and the ACGME competencies. JGME 2010.
  16. Gable & Haidt. What (and why) is positive psychology? Rev Gen Psychol 2005.
  17. Gazelle et al. Physician burnout: coaching a way out. J Gen Intern Med 2015.
  18. Bachkirova & Kauffman. The blind men and the elephant (coaching定義論). Coaching 2009.
  19. Linley & Kauffman. Positive psychology and coaching psychology. Coaching Psychol Rev 2007.
  20. Sheldon & Lyubomirsky. How to increase and sustain positive emotion. J Posit Psychol 2006.
  21. Peterson & Seligman. Character Strengths and Virtues. 2004.
  22. Whitmore J. Coaching for Performance(GROWモデルの原典). 2009.
  23. Seligman M. Flourish. 2011.
  24. Maslach et al. Job burnout. Annu Rev Psychol 2001.
  25. Buerhaus et al. Impact of the nurse shortage on hospital patient care. Health Aff 2007.
  26. Donelan et al. Physician and nurse practitioner perspectives on primary care. N Engl J Med 2013.

AMEE 3日目振り返り

9:00-10:30 "From Prompt to Practice: Building AI Agents for Medical Education"

 ありがたいことにお声がけいただき、AIのセッションのファシリテーター役。むしろ自分が勉強しなければいけない立場でのその役割に、大いに緊張し(そしていくつかのやらかしをし)たが、内容自体もワークショップの運営という観点からも良い経験になった。

 なんといっても、運営側として、まさかここで中高の同級生に再会するとは思わなかった。彼と話していて印象深かったのは、MAX PLANCK研究所には社会科学者も3割くらい在籍していて、例えばAIの社会実装を考えるにしても、どのような倫理的課題があるか、社会的・文化的コンテクストと照らし合わせるとどのような可能性があるか、が議論されている。そして実際に、(コンピューターサイエンティストの)彼と話していても、対応できる話題のレンジが広く、それを噛み砕いて自分の言葉で話す能力が、日常からそういう議論をしていないと備わらないものなのだろうと圧倒された。ウィーンで再会できることに感動し、そしてまた、今後も折々で(私がもっと立派な研究者になって)会えると嬉しい。

11A – Plenary – “Where the Mind is Without Fear” – Reimagining Health Professions Education: Reflections on Knowledge, Humanity, and Global Connectedness

 端的に言って感動した。非西洋圏から、恵まれた出自を持つわけではなく、自らの訛った英語にコンプレックスを抱きつつも、AMEE communityに参与していったSpeakerの物語。素晴らしいのは、それがルサンチマンの塊や、強者の語りになるのではなく、次の(非西洋圏の)世代の人々へのempowermentを表明する、大変力強いメッセージになっていたことであった。ローカルな知と実践から始めよ、というのは、自分の研究は凄い意味があるってことじゃん!と、勝手に私個人宛のメッセージとして受け止めることもできた(そしてそういう風に、「これは自分へのメッセージだ」と感じた聴衆はその場にたくさんいただろう)。
 ポストモダニズム以降、西洋中心主義的なものへの批判というのは人文社会科学系の学問で特に目新しいというわけではないが、それを今敢えて言わなければいけないということに医学教育業界の来し方・行く末について考えさせられたし、また、壇上から錦織先生に呼びかけるシーンもこれまでのアジア圏からの共闘について(こちらが勝手に)思いを馳せさせられるものであった。彼女のスピーチで特筆すべきは、QAでもあった通り、脱植民地主義を強調するわけではなく、あくまでグローバルなconnectednessを創造していきましょうという、協調的・ポジティヴなものであったことで、壇上で(白人女性の司会に対し)そういう振る舞いをするということそのものが、AMEEにおける規範的なものの更新に大きく貢献していると感じた。

 タイトルおよび発表の引用元も、彼女の出自に関係したローカルな詩人である、という点も、上記のようなメッセージを送るうえで非常に重要だったと思う。もし自分が壇上で日本のものを引用するなら何だろう、と妄想を膨らませもした。

 

 最後に、今年AMEEに参加できて本当によかったと思う。いちばんは、布施の快活クラブで論文を書きながら考えていたことが、世界でたくさんの人が(方法論は違えど)同じように疑問に思ったり解決したいと考えたりしているのだな、という空気を肌で感じられたことが収穫であった。同時に、私の研究は絶対面白いしみんなに有用だしもっと知って欲しい!とも思った(そのためにはたくさん発表をし、論文を書く必要がある)。

 進路についても大きな進展があった。当座はその大きな夢に向けて、日々の努力を一歩一歩、積み重ねていきたい。

AMEE 2日目振り返り

8/25 9:00-10:30 6O: Point of View

10分発表、20分(!)ディスカッションのセッション。このセッションは、これまででいちばんengageできた感覚があって楽しかった!
  1. When "Do No Harm" Meets Artillery Fire: Why War Medical Ethics Is No Longer Optional for Healthcare Professionals
戦争が跡を絶たないこの時代、軍医でなくてもWar Medical Ethicsのcase senarioを議論する必要があるという、現代的なテーマ。
日本人の先生が、日本も改憲の流れがあり憂慮している、これは選択制でなく必修にすべきだ、とコメントされていたので、それに乗っかり、こんな感じで質問。
I agree that exposure to conflict-related ethical dilemmas is important. But do you think introducing these cases alone is sufficient to develop ethical reasoning skills? How would you ensure that students are actually developing the capacity to reason ethically, rather than simply becoming familiar with different scenarios?
→ケース自体が特殊な性質があるが、方法は検討が必要とのこと。また、griefという観点からも、深める余地があるとフロアからコメントがあった。
  1. Interprofessional Assessment as an AI-Resilient Strategy in Health Professions Education
個人で解答するAI-vulnerableな課題から、複数の医療職が協働して取り組むcontext-driven assessmentへ移行すべき、という主張。言いたいことはわかるが、I wonder whether AI simulated patients could also be used to assess the competencies you mentioned. For example, rather than assessing whether students can produce the “right” answer, could we assess how they negotiate, communicate, and adapt their responses in an interaction with an AI patient?みたいに質問。「AIでは養われない他の能力」を強調するよりは、いかにmergeさせるかという方向のほうが生産的なのではないかという気がした。
  1. continuing professional development (CPD)のためのGlobalなcommunity of practiceを形成したいという提案。
私は、このトピックはかなり関心を抱き、You mentioned the need to balance global standardization with local cultural and contextual adaptation. When we talk about developing global CPD standards, who gets to decide what the “core” competencies are? “Core” competencies itself is a western concept and is also culturally and contextually constructed. How can we avoid imposing particular cultural assumptions about professionalism through global standards?などと質問。対話をしていく必要、Delphiなどもひとつの方法、とご返答いただく。それに重ねて、司会が「議論するうえで、trustをどう確立するか」というのは、非常に本質的な問いと感じた。対話の基盤をいかに築くか?

11:00-12:30 7H: Short Communication - Professinoal Identity Formation

  1. From Role Sensitivity to Responsibility: An Oscillating Relational Trajectory of Professional Identity Formation among Pre-Clerkship Medical Students in Japan
学生のidentityは固定的に形成されるのではなく、他者との関係、役割、社会的期待の中で「揺れ動きながら」再配置される(relational self)。非常にcriticalな議論だと思った。An Oscillating Relational Trajectoryは、stepwiseとされがちな熟達理論に一石を投じると思われる。フロアからの質問も大変盛り上がっていた。
  1. Scaffolded Reflection: Transforming Reality Shock into Professional Growth in Emergency Medicine
救急医学での「reality shock」を、**MaRIS(Mindfulness, Affective Reflection, Supportive Environment)を用いて学習に変換できるか検討。
  1. Becoming a Physician–Scientist: Early Research Participation as an Identity Sandbox for Preclinical Medical Students
これは、研究活動への参加そのものが、学生の「自分もresearcherになれる」というidentityをどう形成するかをCoPで説明。正統的周辺参加を引用していたので、その「正統性」はいかに担保するか、単なる「辺縁参加」になる懸念はないか、と質問したかったが、当てられなかった。
  1. Learning Motivation and Professional Identity Formation in Junior Medical Students: A Mixed-Methods Study in Taiwan
台湾の学生が、モチベーションとPIFについての質的・量的な研究について発表。非常に初々しく、率直で、それでいてsolidな発表だったので、会場がいちばんボルテージが上がったようにみえた。私は、You mentioned cultural adaptation of the scales. Beyond linguistic translation, did you find any concepts of professional identity that were difficult to capture because they are culturally specific to Taiwan?と質問、ディスカッションしながら訳していったと。
  1. Social Media as Digital Backstage: Collective Reconstruction of Professional Identity Among Physician Trainees
formalカリキュラムから離れて、SNSに書き込むのが、ゴフマンが言うところの"back-stage"概念で説明できるのではないかという発表。私はそれを持ってくる妥当性は理解できるものの、hidden curriculumと何が違うのかわからなくて、質問したかったが、タイムアップ。
 昼は、イリノイ大学の医学教育修士プログラムにいる人類学者のdavidとdesicussion、master programを探し続けていたが、これまでで最もビビッときた! 当座の目標ができた。

14:00-15:30 8E: Research Paper 6 - Humanities

  1. Perceptions of Pediatric Residents on the Use of Psychodrama and Life Story Narrative in Teaching How to Break Bad News
 フレームワーク的な概念と、実際の臨床をつなぐ、phychodramaの試み。
  1. Attunement: fostering empathic communication through silence. A hermeneutic inquiry in palliative care
 臨床における沈黙(silence)は、単なる「言葉がない状態」ではなく、患者と医師が意味を共同で生み出すdialogical space。医師がコントロールを手放すことで、沈黙そのものが「聴くこと」「ともに存在すること(Being-with)」になると解釈している。以下のようにコメント。I’m a pulmonologist, and I often care for patients with advanced lung cancer at the end of life. I’ve often found myself in situations where I felt I had no choice but to be silent, but your presentation made me rethink those moments. You suggest that silence should be cultivated not as a performative skill, but as authentic intersubjective attention. How, then, can we actually teach or cultivate this kind of attention in medical education? フィールドノートでも「何も返せなかった」はよく使うので、これがpublishされれば引用したいと思った。
  1. Spiritual Well-Being of Resident Physicians: A Narrative Inquiry Study
 研修医自身が「spirituality」をどのように捉え、それが研修生活におけるwell-beingや医師としての経験にどのような意味を持つのかを、narrative inquiryで探った研究。こういうレジデントの文献も読んでいかないとなあ
  1. カリキュラムをCategory として表現してもらう。

9E: FRINGE

 すごい熱狂。司会が音楽とともに拍手しながら出てくる。
Seeing, Hearing, Becoming: Using Spoken word Poetry to Transform Reflective Practice
→身体的感覚を喚起するようなSpoken word poetry。energeticで非常にevocativeであった。
Love as Incantation: A Poetic Reimagining of Health Professions Education
→愛に関する詩の朗読
In what ways might a wine-tasting experience inspire medical education
→まずドレスデンについての観光のレクチャー→そのプレゼンのレビューを、壇上でワインのテイスティングを観客にしてもらいながら、なぞっていく、という面白い構造。いちばんウケていた様子。
Mood Quilting as a Metaphor for Telling our Teaching Stories
→教育実践の中で経験した出来事や感情、葛藤、気づきなどを「布片(patches)」のように集め、それらをつなぎ合わせて、自分の teaching story(教育者としての物語) を表現する。
'Who Is the Impostor?': Using a Social Deduction Game to Explore Patient Safety Threats
→人狼系のゲーム。医師、看護師、レジデントの一人が医療安全を乱そうとする。
Our House [of Medicine] is Haunted: A Multisensory Exhibit of Horror and Hope
→racismなどの過去のトラウマについての絵の作品の掲示。