お笑いライブの記録

※2021年6月19日現在の記録です(随時更新)。

2021年(配信ライブ)

6月19日 K-PROライブフェスティバル クラウンヒットパレード2021 アルコ&ピースソロライブ

 アルコ&ピース

6月19日 ダイアン対かまいたち 見届け人は千鳥さん

 ダイアン、かまいたち、千鳥/藤崎マーケット 田崎

6月5日 黒帯単独ライブ「ネタサボってんじゃねぇよ」

 黒帯/オズワルド

5月22日 勇者ああああHP1 第2回 P1層のP1層によるP1層のためのゲーム&クイズショー わいわいP1ワールド!

アルコ&ピース三四郎 相田周二ハリウッドザコシショウ東京ダイナマイト ハチミツ二郎さらば青春の光、松崎克俊

5月22日 ダイヤモンド×黒帯ツーマンライブ『白帯』

ダイヤモンド、黒帯

5月8日 さようなら花鳥風月ライブ

ニューヨーク/ザ・シーツ、素敵じゃないか、スーパーサイズ・ミー、サンジェルマンあとむ、9番街レトロ、ネイチャーバーガー、そいそ~す、ナイチンゲールダンス、マリーマリー、まんぷくユナイテッド、令和ロマン、ナミダバシ 太郎

4月24日 勇者ああああHP1 第1回たぶん見てらんない企画墓場

アルコ&ピース三四郎 相田周二、オズワルド、326、ですよ。、松崎克俊、リップグリップ 岩永圭吾

4月4日 黒帯単独ライブ「ネタサボってんじゃねぇよ」

 黒帯/ZUMA

3月9日 のりこ

 黒帯、マイスイートメモリーズ

3月4日 黒帯単独ライブ「ネタサボってんじゃねぇよ」

 黒帯/パーフェクト・ダブル・シュレッダー

2月21日 蛙亭単独 ネコの日イヴ

 蛙亭

2月19日 GAG単独ライブ「ダサ坊の群像」

 GAG

2月14日 空気階段 第4回単独ライブ「anna」

 空気階段

2月13日 ごちゃごちゃ言わずに 理屈なんて後から考えて ランジャタイとキュウを見て!

 ランジャタイ、キュウ

2月1日 黒リッヒ

 Dr.ハインリッヒ、黒帯

1月8日 漫才総本家

 滝音、パーフェクト・ダブル・シュレッダー、もも、Dr.ハインリッヒ

1月1日 マヂカルラブリーno寄席

 マヂカルラブリー、ランジャタイ、ザ・ギース、脳みそ夫、モダンタイムス、永野

2020年(配信ライブ)

12日24日 Dr.ハインリッヒトークライブ「ディアロークハインリッヒ15」

 Dr.ハインリッヒ

12月22日 terauchi寄席

  黒帯、黒木すず、金属バット、デルマパンゲDr.ハインリッヒ 

12月5日ニューヨークと愉快な仲間達in祇園花月

 ニューヨーク、黒帯、ニッポンの社長ビスケットブラザーズマユリカ

12月2日 M-1グランプリ2020 準決勝

 ラランド、タイムキーパー、金属バット、ウエストランドニッポンの社長、ランジャタイ、祇園マヂカルラブリーからし蓮根、カベポスター、ゆにばーす、キュウ、アキナ、おいでやすこが、オズワルド、ロングコートダディ、インディアンス、東京ホテイソンコウテイ、学天即、ダイタク、見取り図、ぺこぱ、滝音、ニューヨーク、錦鯉

11月28日 裏勇者ああああ~ゲームあんまり関係ない悪ふざけだけで90分弱やってみます~

 アルコ&ピース 、ななまがり、ハリウッドザコシショウガリットチュウ 福島、赤もみじ、怪奇!YesどんぐりRPGオジンオズボーン 篠宮、ひろせひろせ

11月23日 バ吾A・しずる村上トークライブ~限定ライブ配信~「空気階段かたまりに聞く」

 バッファロー吾郎A、しずる 村上/空気階段 水川かたまり

11月22日 【DAY1】K-PROライブフェスティバル クラウンヒットパレード2020

 アルコ&ピース(ソロライブ)/青色1号、赤もみじ、銀兵衛、さすらいラビー、Gパンパンダ、ジャンク、新作のハーモニカ真空ジェシカ、ストレッチーズ、大仰天、トキヨアキイ、春とヒコーキ、ひつじねいり、ファイヤーサンダー、まんじゅう大帝国、モンローズ、リンダカラー、令和ロマン/トンツカタン(ソロライブ)/ラブレターズ(ソロライブ)/ハマカーン、磁石、三拍子、モグライダー、ねじ、ヤーレンズわらふぢなるおウエストランドルシファー吉岡、ドドん、スタンダップコーギー、TAIGA、エルシャラカーニ/Aマッソ(ソロライブ)

10月17日 押見トランスLIVE〜改名〜

  押見トランス/マンボウやしろ、しずる 村上

10月15日 第1回もう中学生大会4

 もう中学生/COWCOW野性爆弾 ロッシー、おいでやす小田、しずる、鬼越トマホーク、ぼる塾

10月9日 Dr.ハインリッヒトークライブ「ディアロークハインリッヒ14」

 Dr.ハインリッヒ天竺鼠 川原

9月21日 ハライチライブ けもの道

 ハライチ/オードリー

9月6日 押見トランスLIVE ニューヨーク!カモンカモンカモン!お前ら俺のことなめてるだろうから1回話し合おうぜ!

 押見トランス/ニューヨーク、しずる 村上

8月27日 結局のところ

 アルコ&ピース 平子、麒麟 川島/平成ノブシコブシ 吉村、オードリー 春日、かが屋 賀屋

8月18日 話をする人と話を聞く人

 Dr.ハインリッヒデルマパンゲ、金属バット

8月1日 押見泰憲ライブ

 押見泰憲/しずる 村上

7月12日 Dr.ハインリッヒ単独ライブ『Dr.ハインリッヒの漫才の館』

 Dr.ハインリッヒ

7月1日 生勇者ああああ~無観客生配信って聞いたんで面白いけど地上波でボツにしてた企画、ちょっと試してもいいですかライブ~

 アルコ&ピース/ペンギンズ ノブオ、ラブレターズ、はんにゃ、フルーツポンチ、GAG、サシャナゴン、永野、古川洋平、園山真希絵、しずる、GO!皆川

2020年

10月28日 M-1グランプリ2020 2回戦 @祇園花月

 にゅ~とらる、スーパーフライデー、帝国チーズグラタン、純ウララカ、お茶の葉、ハブシセン、ハイツ友の会、プードル、特攻県警、あかね、壹番地、キングブルブリン、ラビットラ、エルフ、ノーサイン、アンビシャス、イノシカチョウ、角煮フリーランス空飛ぶリビング、シンスプリント、いつもたいしゃ、にぼしいわし、マトイ、天地コンソメトルネード、豪快キャプテン、ぎょうぶ、ピカソ空前メテオ、コンチェルト、いなかのくるまパーフェクト・ダブル・シュレッダー、武者武者、タナからイケダモンスーン、丸亀じゃんご、アルミカン、黒帯、もも、風穴あけるズタチマチ、ガーベラガーデン、ツートライブ変ホ長調からし蓮根、見取り図

8月7日 8月本公演 @NGK

 天竺鼠、川上じゅん、まるむし商店かまいたちウーマンラッシュアワー中川家小籔千豊、川端泰史、すっちー、池乃めだか

2019年

12月7日 12月本公演 @祇園花月

 西川のりお・上方よしお笑い飯、おいでやす小田、コロコロチキチキペッパーズ信濃岳夫、チャーリー浜、辻元茂雄 他

12月4日 M-1グランプリ2019 準決勝 ライブ・ビューイング @MOVIX京都

 金属バット、ダイタク、くらげ、東京ホテイソンセルライトスパマヂカルラブリーすゑひろがりずラランド、錦鯉、ロングコートダディからし蓮根、ニューヨーク、トム・ブラウン、オズワルド、カミナリ、四千頭身インディアンス、囲碁将棋、ミルクボーイ、かまいたちぺこぱ、ミキ、アインシュタイン天竺鼠見取り図、和牛

10月17日 terauchi寄席 @よしもと漫才劇場

 黒帯、黒木すず、金属バット、コウテイデルマパンゲDr.ハインリッヒ

8月29日 スーパーマラドーナNGK初単独ライブ『スタートライン』 @NGK

 スーパーマラドーナラニーノーズ山田、ロングコートダディ堂前、ダブルヒガシ大東、モンスターエンジン、見取り図

2018年

11月18日 11月本公演 @祇園花月

 西川のりお・上方よしお、松旭小天正、ロザン、藤崎マーケット霜降り明星、メンバー/すっちー、吉田ヒロ、高橋靖子、清水けんじ

10月24日 M-1グランプリ2018 3回戦 @祇園花月

 マイスイートメモリーズラングレン、とれたて力、パーフェクト・ダブル・シュレッダー、ミーハーパイソンズ、もも、バニラハンバーグ、リップグリップ、ニメートルズ、モンスターエンジン武者武者、絶対的7%、アンダーポイント、たらちね、タートルデッパ、ツートライブパーラー、マグリット鬼としみちゃむ、ありんくりん丸亀じゃんご、パンドラ、黒帯、ガーベラガーデン、ブービーバービー、センサールマン和田・平賀、なにわスワンキーズどんぐり兄弟パーティーパーティー、きみどり、カベポスター、風穴あけるズハブシセン、戦士、ドーナツ・ピーナツ、ピュアピュアズ、コウテイ、ヤング、キャタピラーズ、ミルクボーイ、金属バット

10月10日 10月本公演【平日公演】 @よしもと西梅田劇場

 パンクブーブーちゃらんぽらん冨好スーパーマラドーナアインシュタインさや香諸見里大介池乃めだか吉田ヒロ今別府直之、吉田裕、信濃岳夫金原早苗森田まりこ 他 

2017年

10月26日 M-1グランプリ2017 3回戦 @祇園花月

 カーチェイス、所ローズ、コウテイ、とり松、どんぐり兄弟、丸亀じゃんご、かまいたち、隣人、センサールマン、美たんさん、モンスターエンジン、プードル、チャイルドプリンス、風穴あけるズ、安定志向、帝国チーズグラタン、わんぱくウォリアーズ、金属バット、スーパー土瓶、ジャンゴ、雷鳴、リップグリップ、パンドラ、マグリットマユリカ、アルミカン、ミルクボーイ、Dr.ハインリッヒ、女と男、ピュアピュアズ、ツインターボキャタピラーズ、薔薇とノンフィクション、トットspan!、アキナ

7月20日 7月本公演 @祇園花月

 中田カウス・ボタン、まるむし商店桂三金吉田たち、ヒガシ逢サカ、パーティーパーティー/辻元茂雄、アキ 他

6月26日 話をする人と話を聞く人 @道頓堀ZAZA HOUSE

 Dr.ハインリッヒデルマパンゲ、金属バット

2016年

11月14日 11月本公演 @祇園花月

 Wヤングまるむし商店月亭方正藤崎マーケット、学天即/辻元茂雄、松浦景子平山昌雄、アキ、島田珠代若井みどり森田展義

11月7日 M-1グランプリ2016 準々決勝 @NGK

 タナからイケダコマンダンテコーンスターチラニーノーズシンクロック見取り図、マユリカからし蓮根、ジュリエッタプリマ旦那ミキ、デルマパンゲ吉田たちラフ次元、天竺鼠プラス・マイナス、馬鹿よ貴方は、アインシュタインとろサーモンザ・プラン9武者武者、ロングコートダディセンサールマンスーパーマラドーナてんしとあくまトットヘンダーソンセルライトスパ学天即、ボーイ、金属バット、尼神インター、モンスターエンジン和牛、大自然ネイビーズアフロ藤崎マーケット祇園ギャロップ霜降り明星かまいたちアキナ、銀シャリ

11月3日 ウエストランド第一回単独ライブ「GRIN!」 @南堀江knave

  ウエストランド

10月20日 M-1グランプリ2016 3回戦 @祇園花月

 コッペパンネイヴィベイビー、丸亀じゃんご、くのいち、もっちーず、ブラボー、オオイチョウ黒帯、ミルクボーイ、チキチキジョニーお茄子カリー、豆腐、バネ、さや香センサールマン蛙亭武者武者、自由気まま、どんぐり兄弟、ひこーき雲、ニッポンの社長天才ピアニスト、コウテイメトロクラフト、ヒラメカレイ、きみどり、マルセイユツインターボ和田・平賀、ジョニーレオポンヘンダーソンニメートルズ、ムニムニヤエバからし蓮根、バブルズマンション、プリマ旦那祇園ダブルアートspan!ネイビーズアフロボルトボルズ

9月26日 狂宴封鎖的世界メーデー」 @新宿村LIVE

 鳥居みゆきラブ守永

4月5日 POISON吉田が5人+2人と漫才 @NGK

 ブラックマヨネーズ 小杉、テンダラー 浜本、ザ・プラン9 お〜い!久馬、すっちー、ダイアン 津田、アインシュタイン 稲田、スピードワゴン 小沢

3月27日 Aマッソ第3回単独ライブ「風呂魚」 @大阪・千日前 TORII HALL

 Aマッソ 

2015年

11月19日 第17回東京03単独公演「時間に解決させないで」 @大阪・サンケイホールブリーゼ

 東京03

10月28日 M-1グランプリ2015 3回戦 @祇園花月

 きみどり、リップグリップ、ムニムニヤエバ大阪ほっと家族、ロックンロールブラザーズチキチキジョニーブラボー、イサリビももかんラッシー、スーパーマラドーナパーフェクト・ダブル・シュレッダー、センサールマンスパンキープロダクション)、どんぐり兄弟コウテイねぐらもぐら、ハチミツラジカル、シンクロックZUMA、ジョニーレオポンセルライトスパニュー梅林、十手リンジン、プリマ旦那金属バット、和田・平賀、タナからイケダ銀シャリフリータイム、span!ノルウェースウェーデンミサイルマン女と男、ヘッドライト、天竺鼠 

2013年

11月16日 日清食品 THE MANZAI 2013 本戦サーキット @祇園花月

 相席スタートアインシュタインアルコ&ピース、インディアンス、ウーマンラッシュアワーえんにち、カーニバル、学天即、キングコング銀シャリコマンダンテ、タモンズ、千鳥、天竺鼠テンダラートレンディエンジェルNON STYLE、ハライチ、モンスターエンジン、和牛

10月27日 日清食品 THE MANZAI 2013 本戦サーキット @NGK

 アインシュタインウーマンラッシュアワー、カーニバル、学天即、かまいたちキングコング銀シャリコマンダンテジャルジャルスパナペンチチーモンチョーチュウ、千鳥、テンダラー東京ダイナマイトトンファーなすなかにし2丁拳銃NON STYLEモンスターエンジン、和牛

4月14日 THE MANZAIツアー in NGK @NGK

 COWCOWテンダラー、ロザン、スーパーマラドーナ、 千鳥、銀シャリ、磁石、オジンオズボーン 

2012年

11月17日 日清食品 THE MANZAI 2012 本戦サーキット @NGK

 アインシュタイン、赤い自転車、ウーマンラッシュアワー 、学天即、さらば青春の光シャイニングスターズジャルジャルスーパーマラドーナ、千鳥、天竺鼠テンダラーDr.ハインリッヒトレンディエンジェルNON STYLE、パープーズ、ライセンス、レイザーラモン、ロザン、和牛、笑い飯

 注:マジでドイタなお笑いファンだった時代↑

自炊でつくったご飯をただ載せるブログ (2)

 30枚溜まったので第2弾。第1弾はこちら↓

satzdachs.hatenablog.com

 

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21/05/13 ミートスパゲッティ

ソースのとろみ出すのに苦労した。

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21/05/14 ツナコーン炒飯

疲れていてもさっとつくれるのでよい。

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21/05/15 十勝和牛のステーキ

働いて、お金を稼ぐというのはこういうことです。

 

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21/05/16 冷蔵庫の残り物のバター醤油炒め

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21/05/18 鱒のホイル焼き

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21/05/19 鱒のムニエル

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21/05/20 豚バラ大根

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21/05/21 和風きのこバター醤油仕立て

パスタソースに冷蔵庫で余っていた玉ねぎとほうれん草を足した。

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21/05/22 牛バラ肉のカレー

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21/05/23 ハンバーグ

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21/05/24 カレイの煮付け

近くの広尾という港でとれたカレイ。

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21/05/25 鳥手羽、小松菜としらすの炒めもの

少し焦げたのが反省点。

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21/05/26 たらこバタースパとピザ

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21/05/28 炊き込みご飯

十勝産の長芋の短冊切りを添えて

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21/05/29 炊き込みご飯

少量はつくれなかったので、リターンズ

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21/05/30 鮭のキャベツ煮

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21/06/01 豚丼with アスパラ

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21/06/02 鶏肉のトマト煮込み

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21/06/03 麻婆茄子

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21/06/05 和風カルボナーラ

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21/06/06 きのことサーモンの和風パスタ

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21/06/07 豆ご飯、京鴨肉のコンフィー

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21/06/08 ガリバタ鶏

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21/06/10 豚肉のしょうが焼き

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21/06/12 回鍋肉、万願寺とうがらし、そして北海道は厚岸の牡蠣

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21/06/13 帯広の有名な焼肉店、平和園の冷凍のジンギスカンをスーパーで買ってみた

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21/06/14 お惣菜祭り

疲れ切って帰った日に。

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21/06/15 ホルモン炒め

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21/06/16 豚バラ茄子

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21/06/17 豚バラ白菜

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21/06/19 皿うどん

せいほ — Notes on "Anthropology and Sociology for Doctors and Medical Students"

 「あの人、せいほだから」

 それは、医療現場でしばしば聞く言葉である。想像に難くないように「せいほ」とは「生活保護(受給者)」のことであり、しばしばその隠語には差別的なニュアンスが含まれている。幾度となくトラブルを巻き起こす患者が「せいほ」だと明らかになると、医療者たちは納得した表情を浮かべ、「せいほ」だという噂はさざ波のように伝わっていく。あるいは、「害のない」「ふつうの」患者だとしても、「せいほ」だということは眉を顰めてヒソヒソ声で語られる情報として受け止められる。
 臨床実習中にも、医師として過ごしたまだごく僅かな間にも、同様の場面には何度も遭遇してきた。そのような態度の根底には、明示的に言われることがない(本人も自覚していない)にしても、「せいほ」は怠惰であるとか、ずるいとか、まともに取り合う価値のない相手であるとかいった偏見が多かれ少なかれ存在している。私はそのたび、体の芯が熱くなるような怒りを感じる。社会のセーフティネットをどう捉えるかということについての私の信念・信条があり、上述のような振る舞いは社会正義に反していると強く思うのである*1

 誤解を招く導入かもしれないので、以下、いくつかの点について注釈を加えておく。
 もちろんいわゆるDifficult Patientのすべてが「せいほ」ではないし、「せいほ」のすべてがDifficult Patientではない。医療者とトラブルになることと、「せいほ」であることにはたして相関があるのかどうか、寡聞にしてわからない*2。だから以降の議論では、「『せいほ』の人がトラブルを起こしたときの、医療者の向き合い方」という風に場面を明確に設定して話を進めていこうと思う。
 同様にして、医療者の皆が皆「せいほ」の人たちに対してネガティヴな態度をとるわけではないというのも事実であろう。ここで、医療者に対する偏見という点にも牽制を加えておく必要がある。ネガティヴな感情を持つ人からそうでない人までグラデーションであるし、そのネガティヴな感情の中身もそれぞれ多様だと思う。
 また、病院でトラブルが起こるとき、医療者が身体的な危害を加えられる場合もあり、それはどんな事情があろうと言語道断である。そこまでいかないにしても、暴言を投げかけられた医療者の精神的ダメージや、円滑な業務遂行を阻害されることの不利益についても考慮するのがフェアだろう。

 ただ、以上の点を留保しておくとしても、である。片足の爪先だけ医療の世界に突っ込んだ身として、病院でトラブルが起こっていて、目の前の患者が「せいほ」だとわかった瞬間に流れるあの何とも微妙な——感覚的な表現が許されるならば「うわっ」という空気、あれだけはいつも肌で生ぬるく感じる。そのたびに私は憤りを覚える。

人道主義への絶望

 しかし私は沈黙する。他職種、上司はもちろん、同じ立場であるはずの研修医に対してもその憤りを表明できない。他人との衝突を恐れる私のひ弱な精神性もまた、原因のひとつである。
 また、ただでさえ忙しい医療者たちにとって、トラブルによる陰性感情のやり場を「せいほ」という属性に求めるという思考回路について理解できないわけでもないし、それを頭ごなしに否定することはできない。私は一介の研修医であり、本当の意味で当事者性を持ってこの問題に直面したことはいまだない。

 だがそれ以上に、私の沈黙の理由には、こういう局面で人道主義的な反論の仕方をすることへの絶望がある。もし「人道的な」医師であれば、「せいほ」を上述のような仕方でネガティヴに表現することを咎め、問題を起こす患者に「共感的態度」で接することを勧めるだろうか。
 この、「患者さんを思いやり、共感しよう」というようなたぶんにmoralな色合いを纏った標語(クリシェと言っていいかもしれない)は、届く人には届くし、届かない人には届かない。「共感」は卒前医学教育のなかで、「ああいつものあれね」とでもいうような説教くさいワードとして、半笑いで茶化しながら受ける道徳の授業のような受け止められ方をしている(と、私は思う)。あるいはOSCEという試験をくぐり抜けるためのあくまで技術的な要素の一つに成り下がっている(と、私は思う)。

 それではいったい、どのような仕方で歩み寄りを求めるべきなのだろうか? 私は、「せいほ」に対する偏見に満ちたふるまいに対して、「生活保護受給者という他者を理解する」という切り口に希望を見出したい。むろん「共感的態度」の重要性そのものを否定するわけではないのだが、人道主義的な半笑いワードと誤解されやすいそれよりは、いたってリアリスティックで、私たちがやるべきことを明示してくれるこの言葉のほうが好ましいと私は思う。

他者を理解する

 ここで紹介したいのが、4月に出版されたばかりの『医師・医学生のための人類学・社会学―臨床症例/事例で学ぶ』の第4章、人類学者の浜田明範の短い論考である。ここでは、「月毎に入退院を繰り返す」生活保護受給者のCさんが、医療費が無料になるからそのようにしているのではないかという疑われ医療者たちから否定的な感情を向けられる、という事例が冒頭に紹介されている。まさに「『せいほ』の人がトラブルを起こしたときの、医療者の向き合い方」である。

www.nakanishiya.co.jp

 浜田はその事例に対して、前提として「Cさんの行為が、Cさん自身の戦略とともに、生活保護に関する細やかな仕組みによっても方向づけられている」とする。まずこれは非常に重要な考え方である。「せいほ」が怠惰であるとかずるいとか思われるとき、その人の行動はすべて彼/彼女の管理下にあり、その行為の責任は当人にすべて帰されるという前提に立っている。そうではないというのが上の一文であり、これは社会科学の基本的な考えである。
 そのうえで、「Cさんの行為を理解するためには、単純に彼女は病人役割*3から逸脱しているのでけしからんと理解して済ませるのではなく、彼女が病人以外のどのような役割をもっており、そこではどのような行為が期待されているのか、また、彼女の行為がどのような制度的・技術的な前提によって支えられ、導かれているのかを検討する必要がある」と書いている。
 それはまさに、医療現場における「せいほ」をめぐる問題系について風穴を空ける考え方であると思う。私が卒前医学教育において「共感」ではなく「他者理解」という表現を使うべきだと考る理由は、「他者理解」はそうしようとする態度さえあれば、いくばくかの知識(Cさんの事例ならば生活保護制度をめぐる諸々)を身につけることにより少なくとも試みることができるということである*4
 この「いくばくかの知識」というのが大事で、それは決して、文学的想像力といった(そういった分野に関心がない人にとっては)曖昧模糊としたものに頼るわけでも、その人の倫理観に情動的に訴えかけるわけでもない。生活保護受給者の行為が「どのような制度的・技術的な前提によって支えられ、導かれているのか」を「知る」という、いたってシンプルで、ソリッドな過程である。

 以下の浜田の一節は、ここだけでもすべての医師・医学生に読んでもらいたいと思わせられる、素晴らしい文章だ。

……医療社会学や医療人類学では、Cさんの行為を道徳的に批判するよりも、Cさんの行為を可能にする条件に目を向けることに価値があると考える。問題を個人の性格や資質に還元するよりも、個人にそのような行為をおこなわせる条件を再検討するほうがより根本的で、広範に適用可能な解決につながると考えるからである(40ページ)。

 なお、以上は私が勝手に行った文脈づけであり、本来の著者の意図とは少なからず逸脱している可能性があることを、本節の最後に一応つけ加えておく。

「社会」について

 「共感」や「想像力」と同じような文脈で登場する言葉として、「傾聴」がある。いかにも、「傾聴」することは「他者理解」においても同様に重要である。しかし医学教育の場に輸入されるにあたって、その言葉はしばしば、患者の心の中・内面を掘り下げることを意味して、そういう「パーソナルな(個人的な)」領域を詳らかにすることが「他者を理解する」ことだと受け取られる節がある。それはまったく間違っているというわけではないが、いくらか訂正が必要である。
 前掲書の第2章、「社会科学と医療」で星野晋は、社会の「マクロ的側面」と「ミクロ的側面」という言葉を用いて以下のように論じている。

 ……医療専門職が社会科学から学ぶべきことは、社会の状況や動向を把握しその文脈で保健・医療を理解するマクロ的な視点と方法、そこで得られる知見を関連づけつつ、多様で変化しつづける臨床現場の具体的ケースを読み解くミクロな視点と方法ということになる。そして社会のマクロ的側面とミクロ的側面は常に連動している以上、両者を同時並行してあるいは関連づけながら学ぶことが肝要である。

 医療はそれぞれの国や地域において、法・制度・政策・経済などに規定される社会の仕組みの一部をなしている(=社会のマクロ的側面)。一方で、医療の対象とする患者や医療福祉サービスの利用者は、家族・近所・職場などの人間関係を生きる社会的存在である(=社会のミクロ的側面)。この両方の視点があってこそ、人類学を人類学たらしめるのである。
 ごく一部の人類学に関心のある読者によってクラインマンが読まれているというのは、非常に喜ばしい事態である。しかしその「説明モデル」や「病いの語り」といった概念が独り歩きすると、そういう社会科学の広い視座が失われてしまう危険性もある*5。これは「微小民族誌」がしばしば批判の的になるのと似たような背景である。

 前節の「せいほ」のCさんの話も、とどのつまりは「社会のマクロ的側面」と「社会のミクロ的側面」から理解せよということである。それが異質馴化(Making the strange familiar)であり、そのことが自分の当たり前の前提を疑うことにつながる、すなわち馴質異化(Making the familiar strange)である。

『医師・医学生のための人類学・社会学』についての覚え書き

 これまで医師・医学生が人類学を学びたいと思ったときには、人文系の学生向けの書籍を読むか、ごく限られた文脈での書籍(精神医学という文脈のなかで、クラインマン・グッドの解釈人類学の流れを理解する*6)を読むしかなかった。そんな私自身の昔のことを考えれば、このような、実際に医師・医学生にとって場面を想起しやすい事例をベースに人類学・社会学の概念を学べる書籍が出たのは、間違いなくマイルストーンな出来事である。
 本を読むのが億劫だという人、そういうブンケイの話は興味ないよという人も、最初の数十ページだけでも読むことを何としてもオススメしたい。それだけこの本は、「現場の医師・医学生にどうすれば還元できるか」について考え抜かれて書かれている。

 以下、蛇足ではあるが、そのほか本書について良いと思った点と悪いと思った点をそれぞれふたつずつ挙げて、締めと代えさせていただく。

・提示されている症例が、家庭医・精神科医というかねてから人文系との相性が良い診療科だけではなくて、呼吸器内科医や神経内科医、ひいては救急医によるものが混ぜられているのが素晴らしい。人文社会科学は一部のマニアックな人たちが学ぶためだけのものではなくて、すべての医師・医学生にとって有用になり得る可能性を秘めている(と、私は思う)。

・この本の構造自体が、おそらく敢えて(無機質で人文系の学問とは相性の悪そうな)コアカリの構造に則っているのがユニークである。卒前医学教育の枠組みでこれができるのだという編者らの気概を感じる。

・紙幅の限界もあり、ひとつひとつが総論的な域を出ていないのが残念である。パーソンズの役割論はたしかに頻出の重要概念であるが、こう何度も重複して出てくるとさすがに飽きてくる。一方でたとえば補完代替医療は医療と社会科学の接点で考えるのに非常に有用なテーマであると思うが、不完全燃焼のまま原稿が終わった感がある。もう少し事例数を減らして、ひとつあたりの原稿枚数を増やしてもよかったのではないかと思う。

飯田淳子は巻末で「それで結局、臨床現場ではどうすればよいのか」という問いについて触れているが、本書では到底まだ答え切れていないと思う(もちろん、答える必要があるのか、というところから問いを立てることもできる)。しかしそれは本書の次に出る書籍の役割であろう。

*1:そもそもそういうのをシニカルに言えるのが医師なのだ、みたいなノリも、煙草吸う中学生のそれとほとんど同じでダサい。

*2:何となく多そうな気がする、という私の所感それ自体も、無意識の偏見に根ざしているのかもしれない。

*3:医療社会学におけるパーソンズの有名な概念であるが、その紹介は紙幅に収まらないため今回は断念する。

*4:あくまで「できる」ではなく「試みることができる」である。ほんとうはここに書いたほど容易ではないし、そのような他者理解の不可能性に向き合ってきた学問こそ人類学である。

*5:ただもちろん、そのようなリスクよりも、クラインマンが医師に読まれることのメリットのほうがはるかに大きい。

*6:江口重幸『病いは物語であるー文化精神医学という問い』(金剛出版、2019)。むろんこれは良書である。

ハンバーグと剰余

 今日は丸一日休みだったので、ハンバーグをこねて焼いていた。
 まずはみじん切りした玉ねぎ1/4個をバターで炒め、小麦粉を混ぜてから冷ましておく。合い挽き肉180gに塩胡椒をふってから2分ほどよく練り、それに生卵1/2個、パン粉10g、そして先ほどの玉ねぎを混ぜる。それからまた力をこめて練る。最初は合い挽き肉のボソボソした感触だったのが、徐々にぬるぬると弾力が増してくるのが手のひらで感じられる。ちぎって糸をひくくらい粘りが出るまでになったら、手にサラダ油を塗り、両手で投げ合うように往復させて、中の空気を抜きながら徐々にハンバーグの形に近づけていく。厚さを均等にして、真ん中にくぼみをつくる。そしたらフライパンにサラダ油を引いて中火で両面を1分半ずつ焼く。あっという間に焼き色がつくが、その健康的な肉汁の香りとは裏腹に、まだその中身には赤がぐにゅぐにゅしたまま眠っている。だから蓋をして蒸らすようにしながら、今度は弱火で5分間焼く。これでようやく完成だ。

 私はお腹が空いたので、ごはんをつくった。何をつくってもよかったが、特に必然性のない選択として、ハンバーグを選んだ。お腹を満たすためにハンバーグをつくった。それと同時に、ハンバーグをつくるためにハンバーグをつくってもいた。ハンバーグの自己目的化。自己目的化は常に私の目指すところであり、憧れであり、叶わぬ望みである。
 このようなことはこれまでにも書いてきたことと思う。しかしさらに大事なことは、私が今日ハンバーグをつくるという経験において、「ハンバーグの自己目的化」では説明し尽くされない剰余が存在しているということだ。それは何も、センテンスがひとつだから起こったことではない。冒頭のハンバーグの調理過程を詳述した文章でもなお、そこには描き切れない剰余が顔をみせる。

 ハンバーグをこねて焼くという経験の「総体」をテクストとして書く、というのはそもそも無謀な試みである。つねに何かを書き損ねながら私は文字を綴らなければならない。帯広の自宅で2021年18時30分からハンバーグをこねて焼いたという一回性の経験は、数多の剰余を抱えながら足早に逃げていく。
 しかし剰余は逃すばかりではない。それはやってくることもある。私がハンバーグについて書いた経験を、あなたが読んだときだ。あなたは、私が思ってもみなかったところに目を引かれ、問いかける。あるいは誤読をして、私の経験を脱臼する。あるいは、私が書いていない、あなたの経験を現前させる。それらはすべて、読むという行為を通じてなされる。
 Aというものを書こうとしてAを書く、ということにはすでに飽き飽きしてしまっている。というより実は、気づいていなかっただけで、それをできたことはかつて一度もなかったのだ。経験をテクストにおこすとき、つねにそこには剰余がある。その剰余がおもしろくて、毎日闇雲に筆を走らせている。一回性のハンバーグの経験は常に捉え損ねられながら、しかし留保され、剰余を産み出し続けるのだ。

 こねくり回したような文章を書いてしまった、というオチを書くかどうかで20分迷って、結果、迷ったという事実を最後に記しておくことにする。いかにもこれは余計だった。

自炊でつくったご飯をただ載せるブログ (1)

 独り暮らしを始めて1ヶ月半ほどが経ち、なるべく毎日料理をつくるようにしている。料理をできるようになりたいという気持ちから頑張っているが、同時に料理をとても楽しいと思う気持ちが生まれていることも確かである。「こういう味のものをつくりたい」と考えながら味付けをして、結果その通りに、あるいは想像以上のものができたときの快感が心地よいのだ。通学に時間をかけることがなくなった今、料理をつくりながらラジオを聴く、という習慣をつくったことも継続できている秘訣かもしれない。
 つくるたびに写真を撮って、ごく少数の人にみせて悦に入っていたのだが、30枚フォルダに溜まったのでブログに載せてみることにした。料理初心者の自己満足であり、決して目を見張るような料理がみられるわけではないので、そっと覗き見する感覚でみてもらえれば幸いである。

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21/04/04 酢豚

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21/04/05 焼うどん

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21/04/06 イカの塩辛ともやしの炒めもの・チキチキボーン

この日からランチョンマットが導入されました。

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21/04/07 高菜炒飯

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21/04/10 高菜炒飯

高菜が余りまくっていたので、リターンズ。

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21/04/11 麻婆茄子

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21/04/12 カルボナーラ

色合いまで考えてなくて、かぼちゃサラダで黄色ばかりになったのが反省点。

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21/04/13 豚バラ茄子

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21/04/14 きのことほうれん草のバター醤油パスタ

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21/04/15 残りものと冷凍食品たち

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21/04/16 ツナコーン炒飯

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21/04/18 豚丼
帯広は豚丼が有名なのだが、自分で味付けしてうまくいったのが嬉しかった。

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21/04/19 ナポリタン

具材切るまでやってからウスターソースと赤ワインがないことに気が付き、コンビニまで走った。

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21/04/20 野菜炒め

オイスターソースを求めてスーパーに行ったついでに、たこの刺身が半額になってたので買った。

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21/04/23 炒飯

初任給のお祝いにケーキを添えて。

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21/04/24 にんにくの芽ともやしとベーコン

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21/04/25 焼きそば

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21/04/26 豚バラとニラともやし

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21/04/28 ガリバタ鶏

1週間前に買った鳥モモ肉を冷凍してあったのだが、白ワインで蒸す感じで炒めたら良くなった。

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21/04/29 鶏肉のトマト煮込み

マ・マーナポリタンのソースを転用した。

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21/05/01 いかの塩辛ともやしの塩焼きそば

完全なる失敗。味付けがうまくいかず謎の色合いに。ニラ卵もまったくまとまらず。

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21/05/02 焼きそば

焼きそばの麺を3玉単位でしか買えず、リターンズ。

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21/05/03 焼き鮭

気合を入れて品数多めに。釧路産の生鮭で、塩をふるつもりだったが素材そのままでとにかく美味い。男爵いもを茹でて、マヨネーズつけるつもりが素材そのままでとにかく美味い。北海道。

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21/05/04 回鍋肉

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21/05/05 たらこスパゲッティ with ザンギ

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21/05/06 焼きビーフ

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21/05/07 ジャワカレー

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21/05/09 豚の生姜焼き

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21/05/10 鮭のムニエル

オリーブオイル、白ワイン、バター、バルサミコ酢で味付け。

 

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21/05/12 豚キムチ

国試にインストールされた思考

*2021年3月15日、大幅に改稿しましたが、いまだ編集途中です。随時、加筆・修正されていく予定です。
*2021年3月20日、第3稿へと更新しました。

0. はじめに

 国試の問題というのは、基本的には5択である。すなわち国試勉強とは、5つある選択肢の中から1つ正しいものを選ぶ、という作業を何百、何千、何万回と繰り返すことである。
 5択において正答するための最も効果的な方法は、もちろん適切な医学知識を習得することだ。ただ、予備校において教えられるような、キーワード的な解き方のできる問題というのは多く存在する。それとは別に自分で国試の過去問を解いているだけでも、「これを見たらこう」というような反射的な思考が知らぬ間に身に付いていることにあるとき気が付く。それが国試の問題を解くうえでの単なるテクニック、あるいは臨床上でも役に立つような思考であるならばよいのだが、そういった「事実」には得てして「価値」が織り込まれている。
 本稿では、過去問演習のなかでほとんど無意識にインストールされたと考えられる思考のうち2つを取り上げ、医師国家試験の根底にある価値を問う。ただ自分でも書いていてよくわからないところも多いので、あくまで試論として読んでいただだけると幸いである。

1. 「自己決定」信奉

104B14 インフォームドコンセントで最も重要なのはどれか.

a 文書による説明
b 医師による説明
c 患者による意思決定
d 医療従事者のサポート
e 医事訴訟での責任回避

正解:c

 姿形を変えながらではあるが、「自己決定の尊重」が答えになる問題はほとんど毎年出る。医療がパターナリズムに支配されていた時代、引いては人体実験の凄惨な歴史を鑑みるに、もちろん「患者による意思決定」が守られない医療というのはあってはならない。医師として必ず知っておくべき問題である必修ブロックで出題されるのも頷ける話である。
 しかしながら、そうやって自己決定権に対する問題を繰り返していくうちに、「患者の自己決定が最優先」という思考がインストールされていくのは、何とも気持ちの悪いものでもあった。「患者の意志を尊重」=「正解」という回路——むろんそれは国試の問題としての「正解」であるが——に抵抗感を覚えるその理由は、まずもって私が最近流行しつつある中動態の議論にかぶれていることだろう。

 中動態の詳しい議論については私の過去のブログを見て欲しい*1が、國分功一郎は、私たちが自明視している<能動態―受動態>の対立のある言語をして「尋問する言語」と呼ぶ。例えば中動態であれば単にファイノマイ=私が現れていると表現されていたのを、現代の言語ではI appear(能動態)なのかI am shown(受動態)のどちらかに訳さなければならない。ここで、自発的に来たのか、それとも誰かに言われて仕方なく来たのか、を何としてでも区別する必要がある。すなわち「自発的に来たのか? それとも誰かに言われて仕方なく来たのか?」という尋問に答えを出さなければならない。
 ここにおいて問われているのは、意志(will)の概念の有無だ。自分の意志で現れたのか、それとも自分の意志ではなかったのか。

 意志という概念がもつ機能について、ジョルジョ・アガンベン(1942-)というイタリアの哲学者が、『身体の使用』という書籍において「意志は、西洋文化においては、諸々の行動や所有している技術をある主体に従属させるのを可能にしている装置である」と書いている。つまり、意志という概念を使うと、行為をある人に所属させることができるのだという。
 例えば、ある病気で入院している患者(Aさん)が、自分の治療方針について決定したとする。それがAさんの「意志」によるうものだとしたら、その「決定」という行為はAさんに帰属する。これが何を意味するかというと、「自分の意志で決めたから、自分の責任だ」ということで、その行為の責任をその人自身が負うということである。すなわち意志は行為の帰属を可能にし、行為の帰属は責任を問うことを可能にする。

 確かにAさんは自分の治療方針を決定した。しかしながらそれには、医師に言われた説明が影響していることだろう。家族に言われた言葉があったのかもしれない。そしてその家族は、本で読んだ同じ病気の患者のストーリーに感化されたのかもしれない。その本は、家族の友人によって薦められたものだったのかもしれない。
 このように行為の原因というのは、いくらでも、過去と周囲とに遡っていくことができる。人というのは、自らの人生の歴史をもっていて、そして今まさに周りの人々・環境とつながって生きている。その全てから孤立した条件下での行為など存在しない。ところが、意志という概念を使うと、その遡っていく線を切断することができる。「君の意志がこの行為の出発点になっている」と言える。

 『中動態の世界』を読んだ当初の印象とは違い、その後さまざまな文献を読むに中動態とは簡単に/単純に「免責」できる、と主張しているわけでもないようである。例えば國分功一郎・熊谷晋一郎『<責任>の生成ー中動態と当事者研究』(新曜社、2020)では、「自分が応答すべきである何かに出会ったとき、人は責任感を感じ、応答respondする」のがresponsibilityであると説くが、ここはイマイチ納得のいかない部分である。私の理解力が悪いのかもしれないが、國分らの言う「責任」概念がいまだに十分に書き下されていないように感じる。
 よって、国試の所詮5択に対してナイーヴに「患者の自己決定がすべてではない!」と主張するつもりはなく、問題としては充分適切であると考えている。ただ一方で、「患者に決めさせればそれで万事OK」という思考を無意識にインストールし、それを無条件で信じる医学生が毎年たくさん生み出されているのならば、それはそれでやはり悲しい、とも思う。

2. 「同性愛者ときたらHIV/AIDS」

106A22 39歳の男性。同性愛者。頭痛を主訴に来院した。2週前から微熱と全身倦怠感とを自覚していた。2日前から頭重感を伴うようになった。昨日から持続的な頭痛が加わり、次第に増悪してきたため受診した。これまでの経過で嘔吐したことはないという。意識レベルはJCS I-1。体温37.6℃。脈拍 92/分、整。血圧162/70mmHg。呼吸数21/分。SpO2 96%(room air)。口腔内に白苔を認める。Kernig徴候は陽性である。血液所見:赤血球400万、Hb 13.2g/dL、Ht 41%、白血球6,200、血小板11万。免疫学所見:CRP 8.2mg/dL。HIV抗体陽性。脳脊髄液所見:外観は水様、初圧200mmH2O(基準70~170)、細胞数42/mm3(すべて単核球:基準0~2)、蛋白55mg/dL(基準15~45)、糖40mg/dL(基準50~75)。脳脊髄液の墨汁染色標本を別に示す。 診断として考えられるのはどれか。

※画像と選択肢は省略。正解はクリプトコッカス髄膜炎である。

 厚生労働省の発表によると*2、令和元年新規報告を感染経路別にみると、HIV 感染者、AIDS 患者のいずれにおいても、同性間性的接触が半数以上を占め、HIV 感染者ではその割合はさらに高い。

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令和元年エイズ発生動向年報(1月1日~12月31日)より

 本問において、「同性愛者」というのはHIV感染者/AIDS患者の事前確率が高い」という意味を持つ情報として入れているのだろうし、それ自体が不適切であるということはない。ただ、先述したように国試対策をするというのは何度も何度も5択で演習を繰り返すということであり、そのうちに問題文中に「同性愛者」という文字列があればすぐさま「HIV/AIDS」を連想するように習慣づけられていく。
 次の年の、同じテーマを含む他の問題を見てみよう。

107D18 病歴と疾患の組合せで正しいのはどれか。

a 同性愛 - ニューモシスチス肺炎

b 温泉旅行 - クラミジア肺炎

c 鳥類の飼育 - マイコプラズマ肺炎

d アルコール依存 - レジオネラ肺炎

e 産褥期のネコとの接触 - Q熱

※正解はa,e。

 「病歴と疾患の組合せ」というしばしば出題される形式は、非常に曖昧な問いかけであり、ともすればキーワード的なつながりのみを求める問題としても解釈できる。ただ先ほどと同様に「同性愛者であればHIV感染者/AIDS患者の事前確率が高い」という知識を問う設問として解釈するのならば、繰り返しになるがその意味では全く問題はない。
 ただこのような問題の形式では、よりあからさまに、受験生は「同性愛」→「HIV/AIDS」→「易感染性」→「ニューモシスチス肺炎」という反射的な連想ゲームを要求される。そのように問題演習するうえでパターン認識*3されたものとして頭の中につくった(あるいは、つくられた)「同性愛者」→「HIV/AIDS」という回路と、「同性愛者イコールAIDS」というようなステレオタイプ(決めつけ)の近接に、私は気持ち悪さを感じていた。

 今日ではよく知られているように、同性愛者の方々には、偏見(ネガティブな決めつけ)・差別(偏見に基づいた行動)*4と戦ってきた歴史がある。HIVが主に性交によって感染すること、そして同性愛者の社会で最初のHIV感染者が発見されたことから、「異性愛規範から外れた人々はHIV/AIDSに感染している」という偏見が強固に存在している*5
 
国試において「同性愛者」というキーワードが出てきた場合は、確実にHIV感染者/AIDS患者の問題である*6。「確実に」と書いたが、自分の記憶する限りでは「同性愛者」というワードが出てきてHIV感染者/AIDS患者の問題がなかった、というだけなので、実際には詳細な国家試験の過去問の検討を要する*7
 いずれにせよ、結局は、「(国試において)同性愛者であればすべてHIV感染者/AIDS患者」という思考を身につけていくわけだが、国試演習に没入しその反射神経を鍛えるあまり、その(国試において)の括弧が取れてしまいかねないことへの気持ち悪さがあったということだろうか。106A22の冒頭の「同性愛者。」というにべもない一言や、予備校で「同性愛者ときたらHIV/AIDS」と何度も教え込まれる経験——それらが相まって、同性愛者の方々に対する差別的行動を生み出すことへの恐怖を生み出していたのだと思う。

 しかし国試の問題演習をしていた頃に抱いていた違和感を今言語化して冷静に考えてみると、「国試はステレオタイプの形成に加担している可能性がある」とは簡単には主張できないと思い直している。「同性愛者」→「HIV/AIDS」という短絡的なキーワード連想がたとえ頭の中につくられたとしても、やはり(先ほどから強調しているように)「同性愛者がHIV感染者/AIDS患者の高リスク群である」という前提をわかったうえなのであれば、それは問題ないということになるのかもしれない。同性愛者イコールAIDS』というようなステレオタイプ」は「同性愛者はみなAIDSだ」というテーゼに書き下したほうがよりクリアだが、こう書いてみると、HIV/AIDSへの理解が進みつつある今、生物医学的な知識をつけたうえでこれ自体に同意する医学生はまさかほとんどいないと言っていいだろうと思う(残念ながら適切な根拠はない)。
 考えてみれば、ある病歴がある疾患の高リスク群であるということを記憶するのは、端的にはキーワード連想として頭の中に収納することである。例えば「ビールの多飲は痛風のリスク*8である」という知識があって、「ビール→痛風」というキーワード連想ができあがったとしても、ビールを飲んでいる人を見ていつも必ず「この人は痛風だ」と確信するわけでもない。

 結論、「同性愛者であればHIV感染者/AIDS患者の事前確率が高い」ということは大前提わかったうえで、「正しい知識」と「価値判断」の越境可能性について自覚的であるならば、生物医学的に診断するうえで「同性愛者→HIV/AIDS」という思考回路を利用することは批判され得ない、ということなのだろうか。このようにステレオタイプ/偏見と結びつきかねない医学知識というのは、他にも多く存在する*9。とすれば次の問い*10の一つは、そのように医師が自らの認知を反省的に検討するプロセスは、どれだけ可能か/どのように行われているか、ということになるだろう*11

*1:

satzdachs.hatenablog.com

*2:api-net.jfap.or.jp

*3:このようなパターン認識の刷り込みは、臨床推論の教育と非常に相性が良い。 

*4:本稿におけるステレオタイプ、偏見、差別の使い分けは以下の文献に基づいている。

https://opentextbc.ca/socialpsychology/part/chapter-12-stereotypes-prejudice-and-discrimination/

*5:Weeks, J. 1981. Sex, Politics and Society: The Regulation of Sexuality since 1800. New York: Longman

*6:国試において、性的指向のような繊細な情報をどういう理由で・どう聴取したのか、という過程までが問題に含まれることは決してない。

*7:もし「同性愛者」という単語が出てきてHIV感染者/AIDS患者の問題でないならば、どうして事前確率を高めるわけでもない「同性愛者」という情報を問題文に記載する必要があったのか、という問いが生じるかもしれない。これの肯定側の意見と否定側の意見をそれぞれ検討してみよう。
Pros:この主張は「文中には問題を解くうえで必要な情報だけを記載する」という前提のもとに成立するものであり、実際の国試では、最近ではより顕著に(∵キーワード的に解くことを防ぎ、難易度を上げるため?)問題に直接関係ない情報も記載される。よってそれ自体が不自然なことではない。むしろ、関係のない情報を載せることが、過度に関連づけないというメッセージを伝えることにも寄与すると考えることもできる。
Consアウティングの問題などを鑑みるに、疑う疾患に直接関係ない場合に、性的指向についてわざわざ言及することは避けるべきであり、「同性愛者という情報が不要だ」と主張することは一定の妥当性を持つ。

*8:このリスクという言葉も、因果の連鎖が遠くなればなるほど、不思議な言葉である。すなわち同性愛者が「リスク」という言葉に対して私は強烈な違和感を抱いている。あくまで同性愛者→unsafeなセックス→HIV/AIDS という道のりなのであって、同性愛者であるということそれ自体がAIDS患者になる原因である、というわけでは(もちろん)ない。

*9:例えば「キティちゃんサンダルを履いてくる親御さんが怪我した子供を連れてきた場合には虐待を疑え」という比較的有名な文言がある(らしい)。キティサンダル=ヤンキー出身→虐待リスクという思考回路だが、これも本論と同様の意味で差別的認知を含み得る。さらにはアルコール多飲や精神疾患を持っている人の主訴への向き合い方も同様の問題系を含む。

*10:むろん本稿は国試に対しての以下のような問いとして捉えることもできる。すなわち、国試が臨床に近づけて考えるのか、もしくは国試という仮想の場を共通理解として続けていくのか。

*11:研究室でディスカッションした際は、二つの論点が挙げられた。一つ目は、「患者の経験からどう見えているのか」を省察することを促す家庭医療学との関連。特に文化人類学・精神力動から影響を受けた部分だという。二つ目は、患者から「怒られる/「感謝される」経験。特に前者について、このような省察を導き得るものである一方で、、単純にトラブルを避けるために「うまくやる」(より浅い層でのプロフェッショナリズム)ことの可能性についても語られた。

3月までの話と、4月からの話

 友達のNとMに声をかけ、TNM勉強会なる会を始めたのが2020年1月。まずは、お互いに疑問に思ったことを調べスライドを作ってくる、という方式でスタートした。ちなみにだが、これでは発表者にそれなりに負担がかかるため、夏に差し掛かる頃には型式の変更を余儀なくされた。
 TNM勉強会はペースメーカー的な役割も兼ねていた。始まった当初、ご機嫌に「勉強してる感」に浸っていた私たちだが、5回生の3月末のある日の勉強会終わり、誰が言い出すでもなく「いっかい、今のペースでQBを進めたらいつ終わるのか計算してみよう」という流れになる。すると「このままではQBをすべて解き終わるのが2年半後」ということが判明し、ここでようやく現実と向き合いガチャガチャと焦り始めた。

***

 かなり率直に言うと、「自分は医学をマジメに勉強していない」というコンプレックスを抱き続けた5年間だった。この国試に向けた1年は、それに対する償いのような意味合いを持っていたように感じる。
 もちろん医師としてはこれからだが、ただとりあえずは初期研修医として働き始めるうえで恥ずかしくないくらいには知識がついたと思う。別に点数も大したものではないが。ともかく、小手先的に(直前にQBを詰め込む等)ではなく、ちゃんと勉強してちゃんと合格できたのはよかった。
 いまだにどうしても、「医学知識が(国試を受かる程度には)持っている自分」を俯瞰で見ると違和感しかない。やはり一度染み付いた自意識は簡単には拭えない。

***

 国試前の1ヶ月間は、修羅としか言いようのないくらい過酷なものだった。とにかく変則的なことが多かった。
 毎年、大阪の会場は桃山学院大学和泉市)のみであったが、12月中旬の発表でさらっと電通大学(寝屋川)と大和大学(吹田)の3つに増えていたのが混乱の始まりだった。当然桃山学院大学にアクセスできるところにホテルを予約しているため、それをどうするのかということが大きな問題となった。私たちはTNMの3人で勝手に動いていただけなのでまだよかったが、大学単位でホテルを予約しているところなどは本当に大変だったのではないかと推測する。
 最終的に自分が受ける会場がわかったのが1月12日で、すでに国試1ヶ月前を切っていた。んなことあるかい。結局、寝屋川だった。
 あとは何よりコロナが大変だった。1月に入り感染者急増し、私は実家住みのため、両親・兄と家庭内別居が始まった。そしてもちろん私は一切外出をしない生活を1ヶ月送った。ずっと同じ日がぐるぐる回っていて、黙々とAnkiという単語帳アプリを回す日々は、さながらエンドレスエイトのような絶望感があった(知らないアニメで喩えてみた)。

 国試当日の朝、平熱で目が覚めたことに感謝する。検温があるとは聞いていたが、額にピッとやるやつと思いきや、検疫所にあるようなサーモグラフィーが会場の入り口に設置されていた。感度どのくらいなんだと思いながら無事通過。「会場に入った時点で今年は勝ち」と、TNMで称え合う。
 会場は、「私語禁止」と言われているのにも関わらず、ご飯を食べながらペチャクチャうるさかったのがストレスだった。イヤホンで外音を遮断しすべての感情を無にした。
 国試前日は緊張で2時間しか眠れなかったため、Cブロックは朦朧としながら解いた。さすがに今日は眠れるだろうと思って1日目の夜を迎えたが、「緊張状態が続いている」→「思ったより寝れない」→「緊張してくる」→「さらに寝れない」→「さらに緊張してくる」→……と、LHサージさながらのポジティブフィードバックでドツボにはまり、深夜2時頃に布団から起き上がって頭を抱えていた。最終的にはラジオを聴きながら寝オチし、5時間は睡眠を確保できた。心からラジオに感謝である。
 1日目の手応えが本当になく、必修8割切ったかもだなんだと騒いでいたが、蓋を開けてみれば、ちゃんと合格する点数に届いていた。自己採点能力の低さと、自らの強迫症的な性質を思い知らされた国試であった。

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 まあそんなことは最早どうでもいい。ともかく、今はホッとしている。もう二度と、「自分が知らないことはないか」を血眼になって探す強迫症的ゲームに参加しなくていいのは大きい。4月から北海道は帯広で初めての一人暮らしが始まるが、無理しない程度にやっていけたらと思っている。
 そういえば、研修先を選んだ理由を書き忘れていた。今のところ私は様々な理由から何らかの臓器別内科医になるつもりだが、いまだ家庭医療学への関心も強く、初期研修のうちに勉強できるところを探しているうちに辿り着いた病院だ(と、いうのは正確ではなくて、本当は偶然行ったところで話を聞いているうちに気に入って、という時系列である)。初期研修医の教育を大事にしてくれていること、研究の継続が可能な労働環境であること、これまた偶然に信頼できる先輩が一つ上にいたこと、などがその他の理由として挙げられる。あとは中高時代も考えるほど12年ほど同質なコミュニティにいたので、そこから少しでも出られるということは嬉しい。
 自分がどういう道に進んでいくのか、ということについては、おいおい書いていければいいと思っている。まず第一には、医師として胸を張れるように、しっかりと医学の研鑽を積んでいきたい(勢い余って随分と殊勝なことを言ってしまった)。

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6年間の図。ほんとうにフィールドノートに救われたと思う。