非常に多岐にわたる内容であったが、ある程度評価の定まっている教育哲学とは違う文脈での論じられ方を読むことで、理解が深まった。
第一部 近代アメリカにおける消費・政治・宗教
複雑な叙述にもかかわらず内容は単純である。「適応」は、一般的かつ持続的な変化であり、情勢の移り変わりにかかわらず、環境も自己も変えていく。端的に言えば、適応は、情勢変化にかかわらず、理想のために環境の持続的な改善に身を捧げる自己になるという変化のことである(しかし状況を無視するわけではないので、自己のあり方も常に調整される)。そして、「適応」 を生じさせるのが想像力の捉えた理想だと考えれば、上の描写はそのまま道徳的信仰の説明になっていることもわかる。
宗教的な語彙に立ち返ろう。道徳的理想への献身は全人的であり、個別の状況を貫いて、自己の行為や選択に影響するものである。理想への献身を通じて自己の統合がなされる前後に生じる「適応」的な変化、つまり、全般的で続的な態度転換 (conversion) を、「存在全体」の変化と呼ぶのは自然なことだろう。とはいえ、道徳的信仰が、理想に基づいて一般的・持続的に状況に応答する自己に変える(=適応を生じさせる)のだと示されたとしても、現状では単なる言い換えでしかない。より重要なのは、次の一節である。
下記のような帰結主義は、プラグマティズムの特徴のひとつであろう。
66 デューイはそれゆえ超自然主義を批判するのである。むしろ、適応が生じる、つまり、理想に従って諸条件を変え続けるような自己が生じるのであれば、そうさせる契機は何であっても構わないとする。つまり、原因や手段は不問にされているのだ。
この帰結への視線移動は、制度的宗教から「宗教的価値」を決定的に独立させる働きを持つ。宗教の核心を適応という帰結に置くことで、諸宗教が適応を生じさせる原因・手段による囲い込みができなくなるからだ。ロックフェラーが言うように、「いかなる制度的宗教も、適応のプロセスとたかだか偶然的な結合しか持たない」 (Rockefeller, 1991,475)。実際にCFでは、「大義への献身」「詩の一節」「哲学的反省」 (LW9, 11) など、非宗教的な原因・手段が挙げられている。たとえ、神秘的な経験や、諸宗教の主張する原因・手段によって適応がもたらされたとしても問題ではない。重要なのは、その帰結たる「適応」が生じていること、それ自体だからだ。
ここで念頭に置かれているのは、近代科学がもたらした自然観の革命的な変化である。この変化の前後で、自然観それゆえ超自然観にも切断線が引かれている。彼がここで注意を促しているのは、今日の自然観を自明視して、その視点から近代以前の宗教をまなざし、通俗的宗教観を採用することの危うさである。より積極的な表現をするなら、前近代の宗教や自然観を理解するのに、前近代の人たちの見地に立つという人類学的視点を採るべきだと引用文では指摘されているのだ。
デューイの思考法と人類学的なそれとの近接性がある。また、時代性もあるのだろうが、ここに限らず随所で、デューイの「科学」へのnaiveな信頼が顔を出している。
デューイは、一方の視点で他方を説明するのではなく、それぞれの文化的慣習に基づいて両者の差異を明らかにすることで、近代と前近代の距離を表現した。文化にはそれぞれの仕方で合理性があると想定する点で、ここには人類学的な視点があると言える。
その上で、デューイは、社会的分化現代社会が法・政治・宗教などの相対的に自律化した多数のシステムに構造的に分かれていくことに相当する指摘を行っている (cf. Individualism Old and New, LW5, 71)。 「異常なもの」の身近さは、その社会的影響力に由来する。かつて、宗教は「普通でない出来事」の説明原理を提供し、様々な利益を保証したり、また、今日で言う「超自然的な諸力」を利用する技術を提供したりすることで、共同体メンバーを守るような役割を果たしていた (LW946-7)。 「魔術」として知られるものは、当時こうした働きを担っていた (LW4, 3)。この意味で、かつての宗教は共同体の実践的活動や具体的生活から乖離したものではなかった。しかし、発展した諸科学が「普通でない出来事に対する洞察」を提示するようになると、人々の関心事と「超自然」との関係が再編されていく。すなわち、教会などの宗教集団が、帝国や国家や部族の「公的代表者」ではなくなる。別言すれば、ある共同体に生まれることが宗教共同体に生まれることと一致しなくなるのと連動して、「人々の具体的関心」は脱宗教化することになる(LW940-1)。 このことは、宗教集団が共同性を支援する役割を担えなくなったとも言い換えられる。
それにもかかわらず、超自然的なものに諸宗教は固執し、 それは通俗的宗教観として人々の意識に残っている。 それゆえ、超自然的なものと人々の関係再編は途上にあり、「一般の人びとの心は混乱と分裂の状態」にあり、それは、「宗教的な諸々の意味と価値が確固として統合され、正常な社会的諸関係になるまでは続くだろう」 (LW9.47)。要するに、デューイは、通俗的宗教観を批判し、宗教的価値を教会や教団という特定の諸集団から切り離し、宗教システムを自律化しようとしたのである。実際、いわゆる「信仰」を持たない人を含む仕方で宗教的価値を語るのに書籍の三分の一を充てた、と「ニュー・リパブリック』誌に掲載されたN・ガターマンによるCFの書評に対する彼の応答の中で述べられている ("Religions and the Religious, LW9,293)。
従って、かつては宗教集団こそが、共同性を支持するのに中心的な役割を果たしていた、というのがデューイ宗教哲学の根底にある直観である。しかし、社会の機能分化と近代科学の発展による自然観の変化) ゆえに、宗教はかつてのようには共同体の実践的活動を支えられなくなった。
この引用からは、自然と人類との相互作用の歴史が作り上げてきたコンテクストの上に、あらゆる活動や文化が存在しているのだという論点に加えて、それを共同体として捉える視点が読み取れる。 しかも、単に一般的な事実として相互依存関係を自覚することではなく、ほかならぬ自分が実際にそこに組み込まれているという感覚が重要であり、「そうした敬虔さは、生きる上での公正な視座 (a just perspective in life) に不可欠の構成要素である」(LW9,18)。
他者とのつながりの感覚は、実際に共同体に構成員として相互依存関係にあることに由来しているとされる(LW5,83)。とすれば、そうした帰属先が一つのまとまりを持った《全体》として表象される以上、自然的敬虔は、想像力の統合する働きを前提としている。子細にCFを見れば、「より大きな全体という共同的な一部」(LW9, 18 )のように、自己の帰属する共同体には、スケールの程度差があることを示す比較級表現が多く見られることがわかる。
つまり、自己が属しうる共同性の規模には程度差があり、それゆえ、共同性の規模に応じて自然的敬虔のありよう「根本的統一」(EW2, 174) の感覚が及ぶ範囲――にも程度差があり、従って、自然的敬虔に支えられた「普遍的関心」の普遍性にも程度差があることになる。
この辺りは、正直本書全体の議論のなかでどう位置付けてよいかはフォローしにくかったが、内容それ自体は勉強になった。
92 IMの前提には、「グラフィック革命」(以下GR)があるとしばしば指摘される(久野・鶴見、 2010.2:高岡、 2001. 71)。しかし実のところ、同書ではGRの定義は明確化されていない。代わりに、無数の技術革新が例示されている。
一八七三年、乾板による写真技術が登場した。 一八七六年、ベルが電信の特許を取得した。 一八七七年、蓄音機が発明された。 一八八四年、巻きフィルムが登場した。 一八八八年、イーストマンのコダック第一号が製造された。一八九一年、エディソンがラジオの特許を取得した。一九〇〇年頃、活動写真が生まれ、声が電波で初めて送信された。政治関係の全国大会がラジオで広く放送されたのは、一九二八年のことだった。一九四一年、テレビは商業的に重要となり、さらに、カラーテレビが近年商業的に重要となった。 (IM, 13=21-2)
これら一連の出来事がGRを構成するとされる。 GRとは、単に様々なメディアの登場の歴史にすぎないのだろうか。メディア研究の文脈でIMが言及されることを思えば、こうした理解も誤りとは言えない(難波、 2011, 110-6)。 恐らく、邦訳でGRが「複製技術革命」と訳されたのは、訳者が同様の見解を採ったからだろう (IM 邦訳二一頁など)。しかしGRには、いわゆる複製技術に収まらないものが含まれる。
GRがいわゆる「メディア技術」より広い概念であることは、GRについて考えるための素材として、「写真、芸術の複製技術、集団旅行、ホテルやモーテル、ラジオやテレビの歴史のような無数の主題」 (IM, 270=278) が言及されていることからわかる。広く「精巧なイメージ印刷物、人、風景、 出来事のイメージを作り、保存し、伝達し、普及させる人間の能力」が念頭に置かれているのだ (IM, 13=21) 体験の反復・複製に関わるのであれば、モーテルや集団旅行であってもGRの一部である。GRは、メディア技術と聞いて想像されるものより、はるかに広範な「複製の諸技術」 (IM, 169=179) を含んでいる。
さらに、GRと政治の連動を押さえておきたい (IM, 119-22130-4)。 「一八一一九世紀の民主主義革命と一九一二〇世紀のグラフィック革命は、こうした状況に大きな変化をもたらした」とあるように、GRは、民主化と連動する社会構造の変化の一部だとみなされる。大衆化の中で、「誰にでも理解できる」ことが言祝がれ、そうでないものは「時代遅れないかにも僧侶的な貴族社会という烙印・憎悪」を向けられるようになった。民主主義革命は、「芸術と文学がすべての人に開かれるべきなら、すべての人に理解可能で(かつ無害で)あるはずだ」という信念をもたらし、「すべての人が得られる知識や、すべての人が習熟できる技術」が過剰なまでに重視された。ブーアスティンはもう一つの重要な「革命」を指摘している。それは、規格化・標準化によって可能になった大量生産の方式である。
一世紀半ほど前に始まったアメリカ的製造体制、つまり、大量生産は、互換性部品という革新的な発想に基づく。
初めて、あらゆるマスケット銃や時計や錠前が、同じデザインの他のすべてのものの写し (image) になったのである。 (IM,198=209)
一八世紀フランスの鉄砲鍛冶オノレ・ブラン(一七三六一八〇一)は互換性部品を用いたマスケット銃開発のアイディアを展開して、政府のために(当時としては)大量の銃を製造した。パリでブランの実演を見たトマス・ジェファーソン(一七四三一一八二六)は本国に報告書を送ったことで知られる。そうして先鞭をつけられていた標準化は、ビジネスパーソンとして非常に有能だったイーライ・ホイットニー(一七六五一八二五)がマスケット銃の膨大な生産を実際に成し遂げることで、ほかならぬアメリカにおいて一応の達成を見た。ブーアスティンは、互換性部品の発達が可能にした大量生産体制の重要性を随所で指摘し、標準革命の重要性を訴えている (IM, 273=282; cf. 橋本、2013,54-109)。ブーアスティンが「近代アメリカ史」そのもの (IM, 12=30) に取り組んだと語ったように、IMは、近代化の流れの下にある三つの相補的な革新を背景とした立論なのである。
イメージについてのブーアスティンの議論。シュミラークルとか、一時期ポストモダン系の書籍にハマっていたとき以来に聞いた。
96 この直後では、人々が商品よりも名前という記号に左右されることに注意が促されている。これを踏まえると、イメージという言葉が用いられるとき、商品の機能以外の点で他との差異を示すこと、すなわち「差異化」が強調されている (cf. IM, 65=74;232=243)。 要するに、イメージとは 「差異を伴った表象」(=記号)のことである。 「イメージは比較を導く」 のだ (IM, 244=256)。
理解を鮮明にするために、ブーアスティンの用いた例を検討しよう (IM, 214-5=225-6)。 クロード・ホプキンス(一八六六―一九三二)によるシュリッツ・ビールの広告である。シュリッツの醸造所見学に行ったとき、「ホプキンスは、瓶詰される前に蒸気で清潔にしている (purified) のに気がついた。このことが、彼の空想力を捉えた。ボトルが蒸気消毒されているからシュリッツ・ビールは純粋だ (pure) という考えを中心に広告プログラムを練り上げた」。この広告の成功で、シュリッツ・ビールは競合他社を押しのけ、国内売上一位にのし上がる。ホプキンスの広告は事実に基づいており、偽りはない。「きちんとしたビールブランドすべてがこの方法で瓶詰している」ことを消費者が知らないだけなのだ。
ビールの機能(使用価値)は、「喉を潤す」とか「陽気な気分にする」といったものだろう。しかしこの例では、付与された「純粋さ」のイメージとビールの機能の関係は曖昧である。イメージと商品の結びつきの恣意性は、「イメージとイメージされる物との間にある新しい不確かさ」と呼ばれる (IM, 214=225)。加えて、購買を左右するのは、商品の使用価値ではなく、イメージという付随的要素の方だとも指摘される(IM232-3243-4)。 商品やその機能ではなく、それと不確かな結びつきしかない 「イメージ」こそが消費者にとってリアルになっている状況を、ブーアスティンは「イメージが、物になっている」という言葉で表現した (IM, 197=207)。
注目すべきなのは、IM全編を通じて疑似イベントは「自生的な (spontaneous)」ものと対比されていることである。第二章「英雄から有名人へ」では、自生的に生まれる「英雄」がメディアの作り出す「有名人 (celebrity)」と対比され、後者は「人間疑似イベント」だとされる (IM, 66-7=75)。 第三章 「旅人から観光者へ」では、「自生的な文化的産物」が「反復可能」で「人工的」な疑似イベント的アトラクションと対比される (IM, 103=114-5)。ここから、GR以降自生的なものが人為なものに置き換えられたという彼の発想を読み取ることができる (cf. IM, 73-4=83-4)。従って、「疑似イベントは自生的ではなく、誰かが計画するか、打ち立てるか、扇動するかしたために生じる」(IM, 11=19) という見方こそ、疑似イベントにとって本質的だと考えられる。偶有的な特徴の列挙に惑わされず、頭の「私たちの経験に充溢している合成的な目新しさ」という、合成性の指摘を真に受けるべきなのだ。
「広告は、それが現代アメリカに出現して以来、疑似イベントの古典的な事例だった」 (IM, 205=216) とあるように、広告は疑似イベントの典型であり、広告を検討することで疑似イベントの特性を明確化することができる。理解を鮮明にするために、
3-3 イメージと疑似イベントの関係
以上を踏まえ、両概念をどう区別できるだろうか。ここでもシュリッツ・ビールの例が参考になる。 ホプキンスが純粋なビールというイメージを組み立てることで、「彼は自分が探していた疑似イベント〔たる広告〕を作り上げた。彼はニュースを作ったのだ」とブーアスティンは語った (IM, 215=226)。とすれば、イメージとは対象(例えば商品)に付与される差異を伴った象のことであり、疑似イベントは、こうしたイメージを対象に付与するための出来事のことだと再定式化できよう。要するに、イメージは、他との差異を示すことで人の心に訴え、普及するものであるのに対して、疑似イベントは、そうしたイメージを対象と紐づけようとする試みである。従って、これらは消費社会を切り取る一連の概念ではあるにせよ、「ほとんど同義的IM、 邦沢三三三三三七頁)ではありえない。
100 観光地としてイエローストーン国立公園が名高いのは、間違いなく、自然現象―定期的に爆発沸騰する間欠泉と「ペイントポッド」が観光者の「規則的な」振る舞いの人工性に近いという事実のおかげである。これこそ、疑似イベントを模倣する自然である。 (IM, 111=122)ここでブーアスティンが語っているのは、疑似イベントに慣れるあまり、疑似イベントではない自生的な事象をも疑似イベントとして享受しているという感性レベルの変質である。「疑似イベントを自然が模倣する」という表現は、新しい技術が新たな環境と化して、私たちの感性そのものを再編するという事態の印象的な言い換えなのだ。これは、マーシャル・マクルーハンの感性論的メディア論を先取りしている (cf. 宮澤、 2008, 99-107 門林、 2009, 37-43)。マクルーハンは、ブーアスティンを苛烈に批判したのだが、ブーアスティンは先んじて彼に類する議論を展開していた。
要するに、疑似イベントには二つの用法がある。 事象としての疑似イベントと、法則としての疑似イベントである。実のところ、「イメージ言語」 (IM, 184=194) などの用例があるように、イメージにも同様の二義性がある。 個別事象としてのイメージと、氾濫したイメージに慣れた私たちが思考・感覚するときの様式を指すイメージである。IM
リップマンの議論を継承・発展した著作として位置づける研究があることを思えば、技術や変革によって変質した私たちの経験のあり方を暗示する疑似イベント/イメージは、やはり私たちの認知を問題にしたリップマンの表現を借りて「疑似環境」と呼ぶことができよう (PO,8)。
以上の再定式化を踏まえると、ブーアスティンがイメージと疑似イベントの役割を描き出すことで明らかにしようとしたのは、アメリカ的生産システムの確立による大量生産の実現、GRによるイメージの複製・流通、 そして、無数の商品やイメージへのアクセシビリティの高まり(=民主化)という絡み合う脈絡に基づいて成立した《消費の論理》だと言える。消費社会に生き、消費に慣れるうちに私たちの感性は、極めて「消費」的に再編成されていく。こうした感性的な再編を追跡するための道具立てが、イメージと疑似イベントから成る《消費の論理》にほかならない。
ジオ番組、あるいは、テレビ番組〔こういったものすべて〕のことを意味する」(IM, 149188) と語られる。これは、旧来の気品あるオリジナル概念が崩壊した結果、すべてがオリジナルと呼ばれてよい社会になったという視点である。
もはやどれが原典かを確定できず、唯一のオリジンはない、オリジナル群だけがあるという直観である。 この視点を、「オリジナルの融解」と呼ぼう。もはやオリジナルとコピーの区別が融けているので、氾濫する表象を、オリジナルを喪失したコピーだとも、それ自体がオリジナルだとも呼ぶことができるという立場である (IM, 204=214)。もはやオリジナル/コピーの二項対立は存在しない。こうした視点は、ボードリヤールの「シミュラークル」をめぐる議論と一致している。
さらに、次の引用では凋落や融解とも異なる見解が示される。それは、オリジナルとコピーに関する従来通りの対比が成立しないことを前提に、それでも「オリジナル」という言葉を使う可能性を追究するものだ。
オリジナルそれ自体は、技術的で秘教的な地位を獲得する。それは、この本のための鋳造型や、その他の大量生産品を作るための打ち抜き型のような、原型の類でしかなくなった。 (IM, 127=136-7)
「でしかない」と消極的な言葉が用いられるものの、 二次創作 (fan fiction) に囲まれた現代のコンテンツ環境を思えば、この見方は魅力的である。 「技術的で秘教的」と形容されていることから、彼の指摘には、精巧なコピーがより多く流通し、人々の「生活を豊かにする」ほど原型の価値が高まるという含意もある (IM, 127=137)。 「民主主義の時代において、 [原型たる〕 芸術作品の殊に絵画の偉業を、どれだけ広範に、そして、どれだけうまくそれが複製されたかによって判断し始めることは、何よりも自然なことではないだろうか」(IM, 127=136-7)という彼の言葉は、私たちが消費社会においてオリジナル/コピーという対を維持したいときに採用できるオプションを提示するものだったのだ。この視点を「原型としてのオリジナル」と呼ぼう。
107 イメージの外はあるか
文化産業は、文化が大衆に開かれたとき、大衆向けの文化商品を大量に製造・流通・消費させて、利益を得る産業である。本章第2節を考慮すれば、IMを文化産業論の一つだと考えるのは自然だろう。この系譜に置くことによって明確化されるのは、「消費の構造的な受動性」に対する彼の批判が、実は、感性を産業に先取りされることへの批判だということだ。最も有名な文化産業論『啓蒙の弁証法 (Dialektik der Aufklarung)』 (1947) を補助線にしよう。
書では、規格化された文化商品が大量製造・流通する状況が検討され、文化商品を産業が提供するだけでなく、規格的な商品を消費者が待ち望むという共犯関係が描かれる (Horkheimaer, & Adorno, 1997, 14232007252-3)。
イメージが溢れる時代、カント的なの図式の転倒が起こる。こういった議論は、常に人と環境の相互作用について論じるデューイと、親和性が高いのだろう。
107 文化産業論として特異なのは、彼らが哲学的リソースを活用する点である。カントの図式論では、感覚的な雑多さを予め基本的な概念に関係づける働きは、まだ主体に期待されていたけれども、今やその働きは産業の手により取り上げられてしまう。 顧客第一のサービスとして図式主義を促進しているのは、今や産業なのだ。(中略) 消費者にとって、それ自身生産の図式主義の内に先取りされていないようなものは何一つなく、さらにそれを分類することなどできない。 (Ibid. 145-6259)
カントによると、予め持つ(因果関係などの) 「図式」により感覚の雑多な流れを整序することで、人間の認識は成立している。このように、カントの時代には図式の適用がまだ主体に期待されていたのだが、今や文化産業が消費者の感覚を先取りし、予め受け取り方の定められたものを提示することで人々を受動化している。文化産業は人々から主体性を奪いながら、人々が主体であるかのように偽装するのだ (Ibid., 167=297) 以上からわかる通り、ブーアステインの消費者の構造的受動性に対する批判は、文化産業論の系譜にある。
問題は、素朴に産業の提示する通りに消費していなくとも、産業から距離を置こうとも、消費社会では感性の先取りから逃れられないことだ。 ロハス、スローライフ、ていねいな暮らし、ミニマリズムなど消費生活から距離をとるライフスタイルそのものが、魅力的な消費形態として流通していることを思い出すとよい。これはイメージの外部がありうるかという問題でもある。 この問題に、ブーアスティンは「イメージの外はある」と主張したと見られてきた(塚原、2005: Debord 1996 辻村、 1984)。構造的受動性という論点を明確化すべく、この問題を検討しておきたい。
彼は旅行の性格が根本的に変わった現代でも旅行者のような旅は可能かと自問し、今なお可能だと答えた (IM116127)。これを見るとブーアスティンは「イメージの外はある」と答えたように見える。ただし、「他の何十万もの観光者のような、生気のない気楽で快適な経験以外のものに出会おうとするなら、私たちは事前に多額の費用を使って準備し、工夫し、計画しなければならない」 (Ibid.) と付言されていることに注意が必要である。 同様の主張は、直後にも繰り返される (IM, 117=127)。 興味深いことに、現代における旅の例として挙げられる事例は、神話の冒険を再現したリチャード・ハリバートン(一九〇〇-一九三九)の旅行記である。 彼の実践は商業的に整備される以前の「旅」を再現することであり、そこには確かに危険と周到な計画が伴っている。とはいえ、それが神話的イメージの再演である以上、ブーアスティンが批判したコンテンツツーリズム (IM, 116=126) との違いはないし、多大なコストは旅の偶有的な特徴にすぎない。そもそも、旅行の性格変化は社会構造の問題であり、個人の意志や努力の問題ではないのだ。
実はブーアスティンも、「今日、旅の冒険は、... 人為的で見せかけ的で非現実的な性質を必然的に帯びる」 (IM, 117=127) と認める。 そして何より、「私たちはリスクや危険を組み立てるか、 探し出さねばならない」 (IM, 116=127) と述べているように、ハリバートンの試みは、商品化された観光から意識的に距離をとる旅行だという点で自生性からほど遠く、極めて疑似イベント的である。とすれば、「旅は可能だ」という彼の発言は、「今日でも旅はカリカチュアとして可能だ」という皮肉なのだと理解せざるをえない。
第二章 「リベラリズムは豚を焼くために納屋を焼いてしまった」
ここからは、デューイの公共哲学・政治学・シティズンシップ教育の議論。
108 本章の副題に名前を挙げたリップマンとデューイは、公共哲学・政治学・シティズンシップ教育などの文脈で、その思想的対立が取り沙汰されてきた。世に言う、リップマン=デューイ論争である。 論争の典型的な理解によると、彼らは自由放任経済に共通して対抗しているものの、リップマンは反民主主義的で社会行動を疑い、専門家に期待をかけたのに対して、民主主義の擁護者ジョン・デューイは市民教育と政治参加を肯定したというものである stein, 2018)。このような論争理解は、広く共有されたものである(例えば Dalton, 2002,194-5)。
137 以上から、POのステレオタイプ論に混同があったことがわかる。 デューイが主題的に論じたのは、認知上の制約(=意味ないし先入見)である。けれども、例えば「自然を支配や征服の対象とみなすのが西洋の自然観である」「二〇一六年大統領選挙でのトランプの当選は都市部のインテリには社会の実情が見えていないことを暴いた」といった決め打ち的な見方と、いわゆる先入見の両方を、リップマンは「ステレオタイプ」と呼んだ。しかし引用箇所でデューイが論じたのは、あくまでも後者にすぎない。先入見という認知上の制約 (PO, 52ほか)と、結論ありきで対象に関わるような類型的な認識 (PO, 49ほか)は、問題の水準が異なる。リップマンは、ステレオタイプが「事実」を歪めているとの発想に基づいてステレオタイプを鋭く批判した (PO,44)。そのとき、「先入見」をステレオタイプと混同してしまったために、自らの手で議論全体を隘路に追い込んでいたことに、当時の彼は気づいていなかった。リップマンは、結論ありきの見方を批判しようとしたはずが、認知のあり方ごと火にくべたのだ。
しかし続けて出版されたTPPには、POへの自己批判が見られる。TPPの企図を見た上で、問題の箇所を確認しよう。多元主義的な発想は「無秩序の兆候」だとされ、「一つの精神と一つの目的を持った一つの身体として、社会を捉えるよう教えられてきた」 (TPP, 146=112)。しかし、実際の人間は多様な精神・目的を持つがゆえに、同じ出来事に別々のイメージを抱いている。そうした多様な個人から構成される社会は当然ながら多元的である (TPP, 149-51 = 114-6; cf. PO, 7)。 多様な先入見を持つ人々が共在しているという現実の前では、「一つの社会」という観念など幻想だ。こうした齟齬を原因として、現実への「幻滅」や「戸惑い」が拡がるのだと考えたリップマンは、誤った人間観・社会観を訂正する必要があると結論した (TPP 145=111)。 「この混乱に対して、リベラリズムはこれ以上ない親切心で一方ならぬ貢献をしてきた」 (TPP, 152=116)。 リベラリズムが混乱を収拾する意図でした試みが、ますま
デューイは、「あらゆるステレオタイプを免れた「偏りのない (disinterested)」 立場を標榜したリベラリズム」が自己横溢に陥ることを見抜いていた。
POへの自己批判と言うべき一節である。あらゆるステレオタイプを免れた「偏りのない (disinterested)」 立場を標榜したリベラリズムは、すべての偏りを批判する以上、個別の目的にコミットできない (cf. PO,52)。加えて、その主張通り、すべての人間が状況に埋め込まれているなら、利害関心を欠くのような「宙に浮いた (disembodied) 状態」を無批判に主張することは、リベラリズムの自己矛盾を明かすものである (TPP, 157-8=120-1)。以上がリップマンの議論であり、彼は自分の理論が隘路に陥ったことを悟った。しかし、彼の議論がデューイの「誤読」の上に構築されている以上、リップマンと同じくリベラルな革新主義者だったとしても、デューイまでもが隘路に陥ったとは言えない。デューイの先入見論へ視線を移そう。
先の記事にも書いたが、デューイの「一次経験」の重視は、現象学のそれを思わせる。
5 探偵と衣服、そして初心
デューイは、意味に先行する経験を理論的に仮定して、「体験 (life-experience)」ないし「一次経験」と呼んだ。 それはあくまで理論的な仮構なので、実際の経験は「過去世代や昔の反省の産物」つまり「様々な解釈や分類」で常に覆われている(EN, 37)。こうして経験を秩序づけるものは、「先入見 (prejudices)」と呼ばれる。彼は、先入見を哲学の使命と結びつけた。哲学の「特別な任務」は「哲学を手段とした体験の研究」なのだが、実際の「体験」が先入見に浸っていることから「哲学は先入見の批判である」とされる (Ibid.)。つまり、歴史や文化に彩られた先入見との批判的な付き合いが、デューイにとっては哲学的な課題なのだ。
完全に「先入見の全般的な放棄」は難しく、「いくつかの知的習慣を脱ぐ」という慎ましいフレーズに留まったのは、いかにもプラグマティストであり、また、人間の思考の限界をよく理解していたがゆえだろうと思う。
(しかし]私たちは、自身の時代や場所の文化に同一化しているとき、自分が持ったり着たりしている諸々の知的習慣を、自分自身からいつまでも脱がせたままにはできない。とはいえ、文化の知的促進が私たちに求めるのは、いくつかの知的習慣を脱ぐこと、つまり、それらが何からできているのか、 そして、 それらを着ることで私たちに何が起こるのかを見るために、批判的に調査することである。 (Ibid.)
デューイは、先入見の全般的な放棄、つまり、裸でいることの不可能性を指摘する。私たちは生活する上で、様々な判断・選択・会話を避けることができず、それゆえ、何の先入見も持たないことはできない。状況づけられた自己でしかありえない私たちは、常に既にいくつもの先入見を身に着けているのだ。それ以上に重要なのは、「いくつか の知的習慣を脱ぐ」という慎ましいフレーズである。自己は無数の先入見を身に着けているが、そのうちのいくつかを脱ぎ去って、検討することはできる。リップマンの描いたリベラリズムのように、すべての先入見を一挙に批判する必要はない。「いくつか」というフレーズデューイ心理学の誤読を原因として生まれた、たったこれだけの違いが、リップマンを袋小路に導いたのである。
習慣、慣性についての説明。「先入見」というのは「学習」の成果であるのは、これもやはり、カント的な「図式」(それはアプリオリに人間に備わっているとされる)論から一歩先に進んでいるのであろう。そしてその先入見の困難さから、省察的なプロセスにつながる、という理論的な地図を描けたのは大きかった。人類学もまた「先入見の全般的な放棄」を迫られて退路を絶たれた学問であるから、やはりデューイから得るものは大きいのではないか。
142 「連続性 (continuity)」 と 「相互性 (interaction)」を手がかりに、この概念の理解を深めることができる。まず、経験の連続性とは、あらゆる経験がそれ以降の経験に影響を与える「慣性 (habit)」を持つという原理のことであり、慣性は、個別の習慣 (a habit) から出来上がっている (Experience and Education, LW13, 13-9)。 従って、 「知的習慣」 (EN,37)とも呼ばれる先入見は、経験を持続的に規定するものにほかならない。以上のような「連続性」の指摘によって彼が注意を促すのは、経験の構成要素が、自己の意志から相対的に自律的に機能するという事実である。「あらゆる経験は〔それ自体が〕 運動する力 (a moving force) なのだ」 (LW13, 21)。 それゆえ、私たちに可能なの丸ごと先入見を取り換えることではなく、手持ちの先入見のいくつかを漸進的に更新することだ。せいぜいその程度ではあるが、それで十分なのだ。そこで生じうる変化は、不連続で劇的な革命ではなく連続的な生成変化である。
経験が自己を少しずつ変える点を考慮すれば、陶冶された素朴は、先入見の漸進的な更新を通じて自己の生成変化をもたらすものである。
また、意味=先入見が「学習」の産物である点も無視できない。というのも、デューイによると、意味などの記号の学習では、学習者の振る舞いに注目や反応を示す 「観察者 (observer)」が学習の成否を握るからだ (EN, 177)。自己は先行してその出来事に知悉する他者から意味=先入見を学習する。他者という 「先人 (ancestry)」に基づいて、自分の経験を構成する意味を組み立てるのである。 しかし現実社会を見渡せば、他者からの影響を否定し、自分が何ものにも依存しておらず、他者を助ける義理もないと考える「忘恩 (ingratitude)」 (EN, 108,124-5) が散見される(cf. Rorty, 1998, 86-7)。デューイは自己を孤立的に把握する見解を批判しつつ、自己が他者や環境と相互依存的な関係にあることを自覚するよう説き、その自覚を「自然的敬虔」と呼んだ (LW9,36)。 それによって、他者との根本的な協働関係が自分のあらゆる行為や見解の前提にあるという事実への注目を、つまり、経験の「相互性」への自覚を促したのである (LW13.23-7)。 経験が状況づけられていることを自覚しなければ、先入見の社会的性格に焦点が当たることもないため、その起源や由来を調査することもできない (cf. EN, 107-9; LW9.57)。 それゆえ、自然的敬虔は、陶冶された素朴を成立させる条件だと言える。
先入見を完全に免れることは不可能だとしても、自覚されない先入見を見つけ出し、その由来を辿り、それが私たちに与える影響を調査することができるだけでなく、自分の先入見を部分的・漸進的に更新することで、自己を変化させていくことができる。先入見の更新には、実際の目的に応じた先入見の選別が含まれるので (EN, 102-3)、 デューイは、哲学が一種の目利きとしてその作業に貢献しうると考えていた (EN, 37,394-6)。
そしてこの「反性的思考」は、ローティの「連帯」につながる概念であるのだ。
164 従って、分岐する二つの道経験解釈のための二つの態度を見出したことになる。 ①固定的な先入観と結びついた「伝統、教授、模倣」で特徴づけられる慣習的思考に絶対的確信を抱く教義的態度と、 ② 「活動的で、忍耐強く、注意深い考察」により特徴づけられる 「反省的思考」に依拠した科学的態度である (Ibid., xvi)。 ここで上記の対比にさらなる補助線を引こう。それは、ローティの「客観性」と「連帯」という対概念である (ORT, 22)。ここでいう「客観性」は、人間の考えとは無関係に成り立つとされる真理を追究し、それに従って生きるべきだという願望を指す。それにローティが対置するのは、「説得」に基づいて協力し合いながら何をよしとするかを手探りで追究していく「連帯」志向である。
プラグマティストは、自分たちの共同体との連帯を望んでいる。そして、客観性への願望を、すなわち、自分たちの共同体を超えるような実在に触れていたいという願望を、この連帯への願望に置き換えたいと望んでいる。
彼らの考えからすれば、科学者が持っている徳というのは、力よりも説得に信頼を寄せ、同僚の意見を尊重し、新たなデータや考えに関心を持ち、あるいはそれらを熱心に求めるという、そうした習慣にほかならない。
明らかにローティは、デューイの科学的方法概念を下敷きに、「客観性」と「連帯」の対照を行っている。デューイ自身は科学的態度の重要性を繰り返しただけだったが、ローティに倣って上述のような背景を読み込むことができるのである。
しかしながら、この世界情勢を鑑みるに、「「重なり合う関心」が持つ公共的含意に注目するよう促し、様々な文化的背景を持つ「部外者」たちが異なったままに、共生し、協働するための論理」がどこまで可能かということについては、楽観的ではいられないだろう。
192 ロールズのこうした議論は、デューイが単に曖昧な形で導入したにすぎない 「公的関心」概念を発展的に理解することを可能にする。すなわち、公的領域では、理想実現のための活動の背景ないし「源泉」(原因や手段)への参照を積極的に控えた方がよく、まさにその省略によって共同のためのプライバシーが確保されるというものだ。私たちは、公共の問題に対する関心を重ねさえすればよい。なぜどのようにそれに関心を持っているかなどは問題ではないし、問題にすべきでもない。理想実現への活動に対して各人が好き好きに理由を与えられるので、異なる文化的背景ゆえに経験を違う仕方で解釈する者同士が、互いを許容できる余地が生まれるからだ。 公共哲学者ジョン・デューイは、PIPとCFを同時期に執筆することで、「重なり合う関心」が持つ公共的含意に注目するよう促し、様々な文化的背景を持つ「部外者」たちが異なったままに、共生し、協働するための論理を示したのである。
第二部 信仰と想像力の哲学
第五章 創造的想像力と
「人類学的想像力」とはよく言われるが、その源流にロマン主義があったのは学びであった。
203 こうした背景の下で、エイブラムスは、アイルランド詩人のW・B・イツ(一八六五―一九三九)からメタファーを借りてロマン主義の革命を巧みに表現している。彼によると、一八世紀までの文芸批評で、精神は「鏡」、外界を歪みなく表象する力だったのに対して、ロマン派以降で、精神は「ランプ」、それ自身「光を放つ投光器」になったのだ。こうした想像力観の転換は、想像力の基礎が模倣概念から表現概念へと移行したために生じた(F,128=137)。以下では、この移行を掘り下げよう。
模倣説的な想像力観は、プラトンの隠喩に由来する。 「鏡や水、あるいは影と呼ばれる物の不完全な模像のような反映物に、プラトンは自身の著作の中で繰り返し言及し」、そこから芸術に関する結論を導き出した (A,29=30)。
「すべての反省的探究は問題状況から始まる」というのは、デューイの基本的発想のひとつ。
212 者で社会起業家のフローレンス・ナイチンゲールは、より多くの負傷者を救うための看護体制や看護教育体制を築くという目的を抱き、看護師と職位、医療とロジスティクス、医療と衛生観念といった要素を結びつけた。これは、確かに既存の諸要素を利用している。しかし、この再配置は諸要素を調和的な一体と変えたという意味で質的変化を伴っており、まだ現実化していない事柄を実現したという意味で、創造的でもある。
この再配置については、QCでより具体的に言い換えられている。すべての反省的探究は問題状況から始まる。そして、どんな問題状況も、手持ちの素材では決着をつけられない。問題状況は、その状況自体には見られない素材を導入することによってはじめて、解決された状況へと進展する。想像力でざっと見渡し、既知のものと比較することが、最初の段階である。(LW4, 151 )
その上で、整合的で組織だった状態になるまで、問題をあれこれと実験的に探索していく (LW4,184)。 その結果辿り着いた「本当の意味で総合」と呼びうるような地点は、「先行するものを再配置するという操作」を通じて辿り着いた「同化」の過程であり、同時に、「新たなものが加わった差異化のプロセス」 である (LW4,151)。 以上の議論は、想像力の改変的働きを社会的な文脈で再記述したものにほかならない。
本節では、CFの想像力論を整理してきた。以上の検討からわかるのは、CFの想像力論が、PSYの想像力論をほぼそのまま継承していること、それゆえ、ロマン派の想像力論を相続していることである。
これはずっとだが、デューイが「自然」というときに無批判に前提しているもの、については常に留保が必要であろう。
213 賛同を取りつけた知識人には 例えばジョージ・サンタヤナ、ウォルター・リップマン、ジェイムズ・ファレル、バートランド・ラッセルに加えて、デューイ自身の名前があった。
この自然主義には、哲学や宗教が何らかの特権的な位置に立って、諸科学を基礎づけるという第一哲学的構想を拒否するという含み――「最小限の自然主義」(井頭、2010.70-91) があるし、実際、CFの前提となる議論を展開しQCの企図は、第一哲学を退けることにあった (LW4, 3-39)。
ただし、西洋近代の伝統的な二項対立の解体という発想自体は、彼の生きた時代(ポストモダン最盛期より前)を考えると、やはり先駆的だったのだろう。
日常と日常、聖と俗、精神と物質、理性と想像力のように一連の区画化がなされてきた領域のうち、前者を後者よりも特別なものとして取っておこうとする西洋の伝統的な二項対立図式の解体を含意しており、従って、前者を特権的に哲学や神学)が担うという発想を前提ごと放棄するものなのだ。とはいえここでは、デューイがロマン主義的遺産を「自然」化された形で摂取することで、想像力の機能を理論化し、生涯にわたってその重要性を主張するようになり、それを「自然主義」と好んで呼んだことを改めて確かめておきたい。 214
そもそもデューイは何らかの実在例えば、何らかの命題で記述できるような「理想」の実在を信じることではなく、何らかの理想的目的の力に自分の行動の主導権を渡すことこそが「信仰」なのだと述べていた(LW9.15)。
だとすれば、「理想」の実在を前提にするような問いは、そもそも関心の外に置かれて然るべきなのである。デューイが語ろうとしているのは、「信仰」や「宗教的態度」が存在するとすれば、それは、何かの実在を信ことではなく、とにかくただ単に理想的目的の「力」に自らの行為と選択の主導権を委ね、別の何かに委ねないこ とだということである。そうして自己を導くことになる「力」を持つという点で、諸々の理想的目的は一致している。
より厳密にいえば、そうして一致するほどに理想的目的が私たちを導く力に権威を認めているのである。
下記はまさにデューイ的プラグマティズムの真骨頂であるということは、これまでの議論を読んでいれば頷ける。
247 ブーアスティンは、完成された大衆消費社会を前に、かつての気高き理想は機能不全に陥ったと嘆いたのに対して、消費社会の成立過程を目撃していたデューイは、心理学的知見を踏まえながら、大衆=消費者が、自身の経験から「最も大切なもの」を掴み取り、それを「理想的目的」へと組み上げていくことの意義を説いた。 そして、個別の状況で実践される「目的」の遥か先―有限たる人間には手の届かない地点には、「理想」があると示唆した(厳密には、善の感覚に根差した目的は常に理想から「力」を借り受けているのだと彼は言った)。それは、極限に存在する「理想」側から自己を描き出す理論であるとともに、自身を取り囲む環境(=存在する諸条件) への注意深さを要請する理論であるという点で、自己を超えるものを二重に導入するものである。
こうして超自然を排除した形で理想を再構築することで、デューイは有限性を自身の哲学に導入し、法外な能力を人間に帰属させなかった。しかし同時に、実際には手が届くことのない「理想」の視点から人間について語ることで、人間の有限性を意識させながら、手の届く「理想的目的」がどのようにして組み立てたられるかを説明した。さらに、その実現のために、他者や自然に対する感受性(=自然的敬虔や共感)、つまり、「存在する諸条件」への注意深さが必要だと説くことで、また別の観点から有限性の自覚を促した。 これは、ブーアスティンが危惧した、大衆=消費者の「全能の錯覚」を抑制する働きを持つだろう。
デューイ哲学の構想は、目前の社会問題、喫緊に迫っている判断や決断など、 中距離ないし近距離の利益や解決に関係している理想的目的は、こうした目前の未来に関する想像や計画のことである。しかし同時に、目前の事態から遠く離れた極限としての「理想」を目指すという遠大な時間性を回復する試みが、彼の哲学には組み込まれている。
フロイト、ユング、フロムについて予備知識が乏しく(より正確には、精神分析的な言語に久しく触れていなかった)、勉強のためのメモ。
4 テクストにおける痕跡の抹消
PRの第二章では、精神分析学的宗教論の二類型としてフロイトとユングが対比される。通俗的には、フロイトは宗教を幻想への退行だと敵対的に論じ、ユングは宗教を好意的に論じたと理解されるのだが、フロムは、実情がさほ単純でないことを確認していく。 ユングは、「宗教を心理的現象に還元すると同時に、無意識を宗教的現象へと高めた」(PR,20)。つまり、彼は人間が外なる力(と解されるもの)に「囚われ」る経験を宗教の核心とみなし、その外なる力の源泉を無意識に帰したのである(PR, 17)。それゆえ、彼は「宗教的教義 (dogma) や夢」を宗教的現象の表れとみなした(PR, 18)。 しかし、「ユング的思考の論理でいえば、狂気を顕著な宗教的現象の一つだと呼ばねばならないだろう」と、フロムはユングに疑義を呈する (Ibid.)。 フロムが念頭に置くのは、全体主義やマッカーシズムのような集団的狂気である (PR, 16)。
それに対して、フロイトは「宗教はある種の幻想である」と指摘するだけでなく、「宗教はある種の危険物である」と言うに至った(PR, 12)。 なぜそこまでフロイトは宗教を危険視したのか。
デューイとフロイトの重なり。宗教はある種の幻想であり、危険物でさえある。
264 依拠させると「将来の倫理が神への信仰 (belief) と浮沈をともにする」ので、世俗化する時代にあって「宗教と倫理を結びつけたままでは私たちの道徳的価値が破壊されかねない」との想定がフロイトにはあった (PR, 13)。「同胞愛」や「自由」 (PR, 13) といった理想を持っていた「フロイトは倫理の名の下に宗教に反対する」のだが、逆説的に「これは『宗教的』と言ってよい態度である」とフロムは評した (PR,20)。
ユングは「依存と無力の感覚」を宗教の核心とみなし、フロイトは「独立性と、自己の力の自覚」を本来的な宗教性だと捉えた、とフロムはまとめる (PR,14)。 このことから、ユングが権威主義的宗教の、フロイトが人間主義的宗教の思想的源泉となったことが読み取れる。しかし、それは源泉の一つでしかない。というのも、宗教論という文脈でフロムは、ユングをウィリアム・ジェイムズと、フロイトをジョン・デューイとそれぞれ二重写しにしているからだ。フロムの考えでは、「フロイトの立場は、複数の本質的な点でデューイの採用した立場と類似する」。フロイトと重なるように、デューイは「宗教の超自然的な教義が人間の宗教的態度を弱らせ掘り崩している」と指摘した(PR, 20n10)。この箇所は、以下で確認されるフロムが抑圧したはずの影響関係が顔を出したものと考えられる点で、単な指摘以上の含みがある。
フロムとデューイは権威主義を批判しつつも、デューイは関係論的な議論を嗜好した点で異なる。デューイのアクターネットワーク理論との親和性の高さなども、こういったところからきているのだろう。
要するに、フロムとデューイは権威主義を批判して一種の自律性を求めながら対照的な方策を提示したのである。フロムは、他者への依頼心の過剰を危惧して自立を促す批判性に訴えたのに対して、デューイは、孤立的人間観が自己に他者や自然との相互依存的な関係を忘れさせ、有限性の感覚を鈍らせていると診断した。そう整理すると、自力派のフロムと他力派のデューイという図式に聞こえる。しかし実情はそれほど単純ではない。そもそも、フロムが幼児固着を批判したのは、「依存」が権威への従属を意味しており、幼児的な依存関係こそが自己から自律を遠ざけると考えたからだ。それゆえ、「率直な指摘」を患者に向けるべきだと言い、それによって患者を自立させようとした(PR, 80)。批判性が患者を権威への依頼心から解放し、「独立した存在として自分を捉える」ことを可能にするのだとフロムは信じたのだ (Ibid.)。 それに対して、依存を強調するかに見えるデューイは、自己の被投性を想起させるべく、他者や自然とのつながりの自覚を意味する「自然的敬虔」を持ち出した。これは、フロムの言う「依存」とは別のものを指している。加えて、フロム自身が指摘する通り、デューイとフロムは読者の大半が気づいていないと思われる事実、つまり「無意識的要素」に注意を促そうとする点で共通する (MH, 30-1) ものの、彼らが注意を促すものは異なっている。フロムは他者に自己を明け渡す依存を批判したのに対して、デューイは、自分が自分以外のものに多くを負っていること―環境に対して依存していることへの自覚を促し、代わりに相互依存性を忘却する全能感を「忘恩(ingratitude)」と呼んで批判した (EN, 108, 124-5)。 こうした差異は、彼らがどの視点から書いているかに注目することで理解可能になる。フロムはあくまでも精神分析家として語っており、デューイは普通の人(common man)の協働について語っているのだ。次節ではこの点を確かめていく。
以上から、フロムとデューイの宗教論の違いは、議論の視点にあったことがわかる。フロムは、自分の個別性を発達させられない病める他者に相対する「治療者の役割」を歴史的に明確化することに力点を置いた。彼は、精神分析家として書いたのである。一方、デューイは、様々な人々が連帯しながら、 理想の萌芽を育て、実現していくとのヴィジョンを描くことに注力した。彼は、民主主義の哲学者として書いたのである。
デューイにとっての「教師」の二重性。
治療者は他者に愛を差し向けることで、その人が愛を行使できるようにするというように、フロムの議論では、愛のために介入的に愛を注ぐという二重性が重要な役割を果たしていた。それと同様に、デューイの「教師」は、学習者に二重の関心を抱く存在である。学習者が自分の取り組みに反省的注意を向けられるように教師が反省的注意を向ける。教師を特徴づけるのは、配慮への配慮である。つまり、学習者が自分の成長や可能性に対して配慮できるように、教師が学習者の責任や可能性に対する配慮を持たねばならない。学習者が自分なりに問いや疑問を抱き、「探 求と解決の手助けになるように、自分の行為と想像をコントロールする力」、つまり、探求の「自制性 (discipline) 」 を身につけることが、教師の目指すところなのだ(School and the Society, MW1, 101-2)。
第八章 民主主義へのジェファーソン的 「信仰」
繰り返しになるが、「「ジェファーソンの人民への信頼」とは、自然権的理想を生きられるような「良識(common sense)」や「理性」を人々が持つと前提する」というのは、やはりそこまで楽観的になれない世界情勢である。
現実には、結果も機会も能力も平等ではないにもかかわらず、自然的に平等な権利を人民は持つとされ、当の自然権を基礎としつつ、未完の理念として自然権的理想は掲げられている。 理想の実現が常に未完であり続けるとしても、自然権的理想へと社会が漸近するためには、自然権が名目だけの権利であってはならない。各人が自然権を生きる機会、つまり、「自分の持つ資質を発展させる平等な機会」が実際になければならないはずだ。しかし、機会だけでは不十分である。そうした機会だけでなく、自然権的理想への漸近を実際に生きるための能力、つまり、各人がそれぞれの仕方で自身の資質を開花させていく能力を持つと前提せねばならない。デューイによると、「ジェファーソンの人民への信頼」とは、自然権的理想を生きられるような「良識(common sense)」や「理性」を人々が持つと前提することである(LW14,214)。 要するに、極限に未完の理念として自然権的理想が暗示され、その実現のために邁進 するという「信仰」が存在するのだとすれば、そうした信仰を生きるための能力が人間にはあると想定せざるをえない。
「信頼」と呼ばれたのは、公理のようにそれを信じる態度のことであり、これなくして自然権という発想は機能しえない。従って、自然権は(理想として規準になるだけでなく)政治の「基礎」でもあると言われる (LW14, 210)が、自然権の導入はそれを生きることができる能力を公理のように前提する。論理的にそうせざるをえないのである。
305 しかしながら、複雑かつ巨大な社会にあって、一市民が自己信頼を抱くことは難しく、歴史的・文化的にマイノリティとして排除されざるをえなかった人たちはなおさらである。そこで彼は、様々な問題状況に身を置き、他者の言葉を聞くことにした。 主題や状況に応じて様々な道具を使い、時には作り、そして行動した。 人間は状況を変えうる可能性があるし、それを果たすための知性や想像力を持っていると力強く、時にあっけらかんと語り、有限性や不安と大らかに付き合うよう励ました (cf. LW14, 227; MW14,118)。 デューイは、知性や創造性に関する見方を転換することの潜在的帰結を考慮し、楽観的にも思える理想を民主主義の前提として語ったのである。 こうした語りかけによって社会環境を変えることが、彼が知識人として果たした責任の一つだった。
この楽観性のニュアンスを明確化すべく、ホフスタッターを再登場させよう。 デューイは政治家や教師といった権威への批判は効果的に行ったが、解決が新たな問題を引き起こすことに無頓着だったとホフスタッターは考えた。デイヴィッド・リースマンの『孤独な群衆』に代表される一九五〇年代の社会学的な大衆社会論に言及しながら、豊かなはずの社会が画一的な群衆を生み出し、進んで他者に同一化し権威に従う現在の社会状況を読者に思い出させる(Hofstadter, 1963,390=2003,340; cf. Riesman, 2001=2013)。デューイは、一九五〇年代以降に展開される画一性のディストピアを目撃しておらず、 新たな権威主義の登場には気づかなかったと論難される。
この批判の直前に、デューイとフロイトが現実に存在する種々の対立を見抜いた鋭さにおいて共通する一方で、前者には解決への楽天的な希望があり、後者には根本的な解消はないという対比がやや唐突に挿入されている (Ibid..389=340) 楽観主義者デューイという馴染み深いラベルである。しかし、ホフスタッターの繊細な叙述にもかかわらず、実のところデューイはある意味でフロイト的である (cf. Rieff, 1960=1999.ch. 2)理想を有限な私たちには完全に実現できないものとしたデューイにとって、個別具体的な目的は達成できても、理想は決して到達しない。
だからこそ現在世代の「人類」は、次世代の「人類」へとバトンを渡し続けねばならない。私たちには部分的な改変や細部の改良をすることしかできず、次の時代の「私たち」も同様である (cf. “Philosophy and Democracy," MW11, 42-3)。この果てのない課題を深刻に捉えて悲観することもできるが、分かれ道で「信頼」の方を歩いたデューイは別のやり方を選んだ。デューイは、読者や聴衆に孤立のイデオロギーを避けるよう促し、世界とのつながりを思い出させようとした。デューイ哲学が、どこか暢気さや楽観性を感じさせるとすれば、それは人間の可能性に対する信頼という条件を社会に根づかせるために、意識的に導入されたスタイルだからにほかならない。「私たちは過去を取り消すことはできないが、未来に働きかけることはできる」(LW7,304) 過去がどうであれ、弁解や悲観によって不作為に陥るには及ばない。デューイの鷹揚さに倣って肩の力を抜き、自分たちにはそうできると信じさえすれば、過去の経験が未来への責任を、自己や環境を変えていく責任を私たちに抱かせるからだ。
先の記事で、「経験に住まう」という言語にハイデッガーの類似性を指摘したが、(「経験」から始める)デューイにとってハイデッガーは、哲学そのものは特権的な位置に温存する態度なのだという。
デューイにとってハイデガーのような超克は、哲学的伝統が抱えていた実体的な区分は放棄するが、哲学そのものは特権的な位置にとっておきたいという矛盾する身振りに見える。 二つの伝統の超え方は決定的にすれ違っており、互いに互いの理路に満足することはない。
デューイは、問題の存立基盤を解体して問いを解消しようとした (cf. MW104) だけでなく、哲学の伝統的な諸問題への関心を保持することで生じかねない潜在的帰結に警鐘を鳴らした。哲学者が、専門化した哲学ジャンルへの愛着からその内側でだけ仕事をする素朴さ―「既に過去のものである事実を繰り返すことに満足する」姿勢は、過去の蓄積が将来の行為にもたらしうる「可能性」を見失わせかねない (LW212)。それに加えて、知性が発揮され諸条件を探求することへの無関心 (EN, 120)、 そして、 概念や規範を生み出した具体的経験や日々の生活といった文化的脈絡への鈍感さ (Ibid.) にもつながりかねない。デューイによると、そうした無感覚は「適当なラベルを貼っ好奇心を形而上学博物館に預けること」に等しい (EN, 19)。 あらゆる超自然の否定としての自然主義を掲げ、第一哲学のような特権的な立場を放棄するよう哲学に迫っているのである (谷川、 2020c)。
デューイが「哲学を文化として見る」と言うとき、哲学が本質的に自律していて他との関係がないかのように哲学を特権視する発想を批判しているだけでなく、むしろ人間の営みの中で、哲学が芸術・科学・宗教・政治などと相互に影響し合い、相互依存的な関係を形作ってきた、その連続性を積極的に考慮に入れるという発想の転換を表現している。哲学しようとするときに私たちに必要なのは、一つの専門職と化した「哲学」が何とどのように絡まり合って成立しており、何から影響を受け、何に影響を与えてきたのかを注意深く調査することだ(第二章)。問題状況に手頃な概念を分類ラベルとして貼って満足するためでなく、知的荒野を歩き回って自分で確かめるために、様々な文化の一つとして哲学を捉え、周囲に対して「共感」的に関わらねばならないのである(第六章、第七章)。