佐藤純一 編『文化現象としての癒し : 民間医療の現在』(メディカ出版、2000)

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「これって、すごい効くらしいなあ」
 そう言って母が見せてきたのは、新聞の広告。黒地に白抜きでデカデカと「塗るだけで絶対に治る! ×××」と書かれている。僕はすぐさま「そんなんインチキに決まってるやん」と言いかけるが、逡巡する。この広告を書いてる人からすれば僕が「インチキ」なのだろう、そしてそれを母は母なりの理由があって信じている、だとすれば、そんな僕の言葉など何の意味があるのだろうか――
 皆さんにも、民間医療のそういった広告について、親しい人から質問された経験はあるのではないだろうか。あるいは未来の医療者として、民間医療を信じる患者さんがあなたのもとにやって来るかもしれない。
 本書は、そんな医療系学生にとって非常に身近な問題である/になり得る民間医療について、社会科学の見地から論じた希少な本である。

 そう言われてもすぐにはイメージがつきにくいと思うので、論じられている内容の例を本文から引用する。
「近代医学が、科学への擬態化で、病気とその治療・治癒において、『患者の主体』というものを捨象した」のに対し「民間医療はあくまでも患者の主体、つまり患者自身の煩い、悩みと期待と満足のなかにその病気・治療概念を構成している」。例えば「病気との共生」を謳う民間医療では、「病気は『自然的(必然的)結果』、または『体からのメッセージ』と考え、メッセージである病気を敵視したり、病気を撲滅しようとするのは反自然で無理なこと」とし、だから「治療の目的は、症状の消失や快復ではなく、『いかに病気とうまくつきあっていくか』になり、効果と有効性は『うまくつきあった』という患者側の満足によって表現されることになる」。
 ……どうだろうか。やはり「なんだこのインチキは」と思うだけだろうか。しかしもしかしたら、実際に「病気と共生」論を信じている患者が来たとして、我々のパラダイムである近代医療の手法を持って治療したいと思うのならば、この「理屈」を理解したうえで接しなければならないのである。

 誤解の無いように言っておくが、この本は正統医療(=近代医療=西洋医療)と民間医療、どちらかの立場を支持することを意図したものではない。また「みんな違ってみんないいじゃん」的な過度な相対主義に陥るわけでもない。医療の様々な「理屈」を、過去の医療の視点(医療思想史)、「第三世界」の医療の視点(医療人類学)、現代の先進国の医療の視点(医療社会学)から、解剖していく。ただ唯一の明確な答えを出すことを目的としない社会科学分野の学問は、我々を「抜け出ることが困難にも見える深い迷路」(本文より引用)へ誘うかもしれないが、それでも、必ず将来必要となる視点を与えてくれるだろう。