俺ならできるし、ここまでやってきてる

 今年は激動の一年であった。同じ年の初めには帯広の銀世界にいて、競馬場の前のでっかい病院のICUに正月から出勤していたかと思うと信じられない。隔世の感がある。私は今、奈良の地にいて、呼吸器内科医をやっている。ひたすら呼吸器のことを考えていればいいのは楽だしやり甲斐があるけど、研修医だと責任がないからと言って逃げ出せていた場面もぜんぶ今は両肩にのしかかってくる。奈良は盆地で寒いが、氷点下の肌が切れるようなそれとはたぶん違う。たぶんって言うのはもう身体は思い出せなくなっているから。記憶はあっても身体はすぐに順応してずっとここにいたみたいな顔をしている。たまに青くて高くて澄んだ空になることがあって、晴れ晴れとした景色に心が弾んでくるのだけが同じ。青い空が同じことが、それ以外がぜんぶ違うことを浮き彫りにすらしている。

 10月に帯広に戻って旧交を温めていたのだが、実はそのあと2週間くらい精神的にかなり沈んでしまっていた。その時間が楽しくなかったわけじゃない。むしろいる間は、やっぱりここは私のアナザースカイなんて思ったりしていた。けれど、結論、戻るのが早すぎたのだと思う。すべてを思い出にしてこんなときもあったねとしてしまうにはまだ自分は何者にもなれていないし成し遂げていない。帯広に戻れば自分の価値をわかってくれて誉めてくれて安心安全な世界が広がっていて、もちろんそういう場所がこの世にあるってだけでかけがえのないことなのだけれど、今はまだ自分のことを認めてくれるかわからない人たちに囲まれてヒリヒリしながら精進しないといけない時期だ。肌寒い帯広で生暖かいお湯に包まれたおかげで関西に戻ってきて湯冷めした。まじでそんな甘いことをしている場合じゃない。

 2023年にいちばん聞いたラッパーは間違いなくWatsonだろう。今流行りのUKドリルの聞き心地のいい跳ねるようなフロウに、日常生活の思いがけない固有名詞が急に出てきてユーモアがあるリリック。Watsonのばーちゃんのエビフライはサックサクなんだとか、どうでもいい情報が入ってきて親近感が湧くのに最後は超かっこいいライムで落とすからずるい。中毒性が半端じゃなかった。Watsonは異常な制作スピードでも知られている。どれだけスマッシュヒットを出せば気が済むんだというくらいに曲を発表し続け、クオリティを落とすどころか成長し続けて最後に1stアルバムのSoul Quakeで1年を締め括った。そのなかの”24/7”という曲の「俺をみたら時間ないーと言い訳では使えないーよ」は、そんな彼だからこそ吐ける、説得力しかないラインだ。間違いない、誰も言い訳できない。

 でも私もそんな気持ちでこの1年はやっていた。「俺をみたら時間ないーと言い訳では使えないーよ」。誰かと競争しているわけではないけど、呼吸器内科医として文句のつけようのない実力をつけたうえで、人類学という分野でこれだけできるんだぞということを証明したい。それはずっと思っている。自分との闘いだ。胸に刻んで歯を食いしばって目から血を出して頑張っている。頑張っているアピールとかではなくて、現に頑張っているからこう書いている。でもしんどいときもあって、自分がいかにチンケで何もできないかを痛いほど思い知らされる。何のためにここまで時間と身と精神を削ってやっているのかわからなくなる。鋭く自分に向いた内省に殺されそうになる。そういうときに自分を励ましてくれるのが表題の言葉だ。「俺ならできるしここまでやってきてる」。最近知った天竜川ナコンという一風変わったYouTuber・ラッパーの曲名だ。Watsonのラインがセルフ・ボースティング的に気持ちを大きくしてくれるのに対して、ナコンのそれは実存的苦しみを抱えながらそれでも胸張って生きていくためのものだ。絶望と自己否定を知っている人だけが吐ける、希望と自己肯定の言葉である。

 相変わらず日常でも仕事の合間でもTwitterをみている。ガザの虐殺に心が暗くなる。私の尊敬する人類学の先生が、ハマスがなぜ最初にイスラエルを攻撃したかをわかることこそが、解釈学的理解ですよと教えてくれた。私は解釈学的理解なるものをどこかで表層的な、綺麗事的な何かと思っている節があったことに気づいた。それはとんだ思い違いだった。目の前に起きている歴史的な出来事を紐解くのに必要なスキルであり態度なのだ。みんなそれをすっ飛ばすからすぐにわかった気になったりわかってもらえないと言って怒ったりする。先生の一言は、私の人類学への認識もそうだけど、世界に対する向き合い方も変えた。

 ガザで起こっていることについて腹を立ててイスラエルあるいはアメリカのやっていることを許せないと思うのだけれど、一方で私はぬくぬくと幸福な毎日を送っている。それは現実だ。何ができるかと自問することで何かが変わるわけではないけれども、少なくとも自問しないよりは責任感があるし何かしらの態度表明でもある。金子游の性加害「疑惑」だってそうだ。最近だと松本人志のそれも。ぜんぶにちゃんと怒ってそれを口に出して世界を一ミリでも動かさないといけない。欺瞞なんだけどまずやれることはそれだし、あとはサイトから署名したり募金したり現実的な行動も伴っていけばいい。残念ながら今の私に筆で世界を変える力はない。でもいつかその端緒を掴めるように準備をすることはできる。自分の半径数メートルの世界だけよければいいやなんていうフェイク野郎にはなるな。

f:id:SatzDachs:20231231065424j:image