『ブルーノ・ラトゥールの取説』レジュメ、および呼吸器内科医的ラトゥール論

(0) はじめに

 本稿はまず第一に、久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』(月曜社、2019)の内容の要約である。私がこの本におけるラトゥール論を整理すべく、自分のために文章をまとめたものであり、(1)〜(5)は基本的に断りがなければ久保の文章のそのままコピー、あるいはその恣意的な抜粋、並び替えである。ただそれだけでは余りにも本稿をブログ記事として世に出す意義に欠けるので、(6)~(8)という3章が後に続いている。
 「(6) 呼吸器内科医的ラトゥール論」は、ラトゥールのタームを用いて呼吸器内科医としての医療実践を描くとしたらどのようになるのか、その試論となっている。(7)(8)は補遺という形で、ラトゥールから自然文化混淆体、存在論的転回というそれぞれ昨今の学問の潮流的に重要な概念(後者のほうが明らかに巨大だが)へと、どのように議論が広がり得るかをそれぞれ覗き見している。

 (1) 非還元の原理

 アクターネットワーク論(Actor-Network-Theory:ANT)とは何か。その詳細をみる前に、ラトゥールのは研究の核となる「非還元の原理」を先取りしてみてみよう。それは、「いかなるものも、それ自体において、何か他のものに還元可能であることも還元不可能であることもない」というテーゼとして宣言される。その批判の対象となるのは、「技術決定論」と「社会構成主義」という、ふたつの還元主義である。まずはそれぞれの特徴をみていこう。

技術決定論

 科学者は自然現象に関する客観的な知識を生み出し、工学者は科学的知識に基づいて有用と思われる技術を開発する。知識や技術は社会に大きな影響を与えるが、何が本当に社会にとって有用なのかは、社会的な合意形成や文化的な意味づけを通して決定される。
    そして人文社会科学が中心的に扱うべきなのは、「テクノロジーが社会にいかなる影響を与えるか」という、合意形成や意味づけに関わる人々の実践や対立や調停のプロセスである。
    例えば、20世紀において自転車の普及が社会に与えた影響は、社会的/文化的な意味に即した諸概念(「工場労働」、「産業社会」、「階級」、「モビリティ、「男性性」など)によって把握されることで、社会や文化や人間の問題へと変換される。文系的語彙に変換される以前の要素、例えば自動車の駆動系のメカニズムは人文社会科学の対象とはされず、それを専門とする工学者や技術者に委ねられる。
   このような、文系/理系の区別と役割分担を支えてきたのは、「科学的な知識と技術は社会の外部にある自然の物理的な事実に根ざしたものであり、それらの社会への影響は社会内部の論理によって支えられる」という前提である。ここには、科学的な知識や技術の妥当性は「自然」に還元され、人々にとってのそれらの意義や影響は「社会」に還元されるという二つの還元主義的発想の連携がある。

社会構成主義

 テクノロジーは「社会の外部」からやってくるのではなく、人間の集合的な営みである以上、科学的知識や工学的探究もまた社会的な活動であり、社会科学的方法によって分析できるはずだ。こうした発想に基づいて進展してきたのが科学(技術)社会学である。
   1930年代は、マルクス主義科学史家J・D・ボナールの『科学の社会的機態』や理論社会学者R・K・マートンの『17世紀イギリスの科学・技術・社会』などによって、科学者の実践が社会とのいかなる関係において制度化されてきたのかが探究された。1950年代からはマートンを中心とするコロンビア学派において、科学者の組織形態、ピュアレビュー(査読)や引用などの相互評価や報酬体系の分析、知識生産の多寡をめぐる階層形成などが分析された。つまりそれらは、科学者による知識算出を支える制度が社会的に形成されていることに注目したものの、その知識の内実やその妥当性自体は社会的なプロセスの外部に置かれていた。
   1960年代に入ると、科学史を通じて知識の生産や蓄積を規定する「パラダイム」が変化してきたことを指摘し、異なるパラダイムに規定された理論体系が互いに共約不可能な特性を持つことを問題化したトマス・クーンの『科学革命の構造』が出版された。クーンの議論は、論理実証主義を通して精緻化されてきた「科学とは観察と実験に基づく帰納的なプロセスの蓄積によって連続的に発展していくものだ」という発想を揺るがし、「科学的知識の妥当性もまた、時代や地域によって変化するのではないか」という相対主義的発想を広める土台となった。

 こうした状況を経て、1970年代に、制度としての化学ではなく、科学的知識そのものを社会学的な分析対象とする「科学知識の社会学」(Sociology of Scientific Knowledge:SSK)が生まれた(マートン学派の「科学の社会学」(Sociology of Science)とは区別される)。その中心人物の一人デイヴィッド・ブルアは、SSKの分析指針として「ストロング・プログラム」を提唱した。まず、知識を生み出す原因となる諸条件が調べられなければならず(因果性)、原因の精査は、非合理的な誤りとされた信念だけでなく合理的で正しいとされた信念にも行われるべきであり(不偏性)、両者は同じ型の原因によって説明されることになり(対称性)、この説明パターンは社会学自体にも適用できなければならない(反射性)。ストロング・プログラムの要点は、科学的知識の自律性を否定し、ある知識が真/偽とされる原因を広く科学的実践の内外において探究することにある。
    『数学の社会学』においてブルアは、古代からの数学史の分析を通じて、科学的な理論や概念が時代や地域によって異なる社会的な規約(取り決め)の産物として捉えられることを示そうとした。例えば「0+1=1」のような数式は普遍的に正しいと私たちは思っているが、「0」や「1」が加算の対象となる数であることを認められな時代や地域において、この式は端的な誤りである。実際、ブルアによればギリシア初期の数学において1は数の出発点となる尺度であり、尺度によって計られる数ではなかった。特定の知識が妥当になるのは、時代や地域によって異なる取り決めの内側においてでしかない。

 SSKが科学社会学において主導的な地位を占めるようになった1980年代初頭、トレーヴァー・ピンチとヴィーベ・バイカーが共著論文「事実と人工物の社会的構成」において、その方法論を技術の分野に適用することを試みた。ピンチとバイカーは、ブルアのストロング・プログラムを、「あらゆる知識は社会的に構成される」ものであり「知識に関する主張が形成され、受け入れられ、拒否されることの説明は自然界ではなく社会的世界の領域に求められるべきである」とする社会構成主義/社会構築主義的見解(Social Constructivist View)としてまとめた。彼らは、この見解を技術論に適用することで、「テクノロジーの社会的構成」(Social construction of technology:SCOT)と呼ばれる方法論を作り上げていった。
   具体的な分析対象となったのは、自転車の技術史である。それまで自転車史は、「ボーンシェイカー」(ペダルが前輪に固定されている)→「オーディナリー」(前輪を巨大化し後輪を小さくすることで速度が増した)→「セーフティ」(サドルの位置を下げて安全性を増し、ペダルを中央に移して後輪をチェーンで固定する)という、利便性という均質の基準でより優れた技術になっていく進歩の図式で捉えられていた。しかしピンチとバイカーによれば、1880年代当時の状況においてオーディナリーからセーフティへの移行は必然的でも単線的でもなかった。自転車に乗ることをスポーツ的に捉えていた若い男性はオーディナリーを高く評価していた一方で、当時長いドレスを着ていた女性にとっては不便なものであり、より安全なセーフティのほうが許容されていた。それらの「解釈の柔軟性」を反映して、「セーフティ・オーディナリーズ」という様々な変種が当時発売された。このように自転車という人工物には異なる社会集団が関係しており、それぞれの集団は異なる仕方で柔軟に解釈し、それぞれの問題を解決しうる様々な技術的手段が試みられたのだ。
   ブルアの主張を穏当に表現すれば、「科学的知識が生み出され妥当とされていく過程には様々な原因が関わっており、その中には社会的な要素も含まれる」というものになる。しかし、ブルアの記述はしばしば「科学的知識が立とうとされる最終的な原因は社会的なものだ」という主張に横滑りする。これは、科学的知識全般を「社会的」な取り決めに還元する態度であろう。

相互排他的対立を超えて

 科学的な知識や技術の自律性を重視する人々は、社会構成主義を、理性的思考によって自然の事実を探究する科学者の営為を社会集団間の力学に還元するものだとして批判する。一方の社会学者は、自律説的発想を、集合的で社会的な理性の働きによって保証されるべき知識の妥当性を自然の純粋な結合の力に還元するものだとして批判する。両者はいずれも、自らが依拠する「自然」や「社会」への還元を理性的なものとみなし、もう一方への還元を暴力的なものとみなしている。
 非還元の原理は、こうした相互排他的対立を解除するために導入されている。知識や技術の妥当性は所与の「自然」や「社会」に還元できない。それらを支える諸要素は互いに結びついており、諸要素がおりなす関係の動態を通じて、知識や技術を還元できるような「自然」や「社会」のあり方が暫定的に生みだされる(=「還元不可能であることもない」)。
 「自然」の事実を「社会」に還元しえたかのようにみえたSSKやSCOTの議論は、ラトゥールにとって、科学と技術だけでなく諸現象を「社会的なもの」に還元して理解する社会科学全般の隘路を意味するものだったのであった。

(2) カロンによるアクターネットワーク論

 さて、本章からは「非還元の原理」を念頭に、アクターネットワーク論(以下、ANT)の内実に迫っていこう。実は、ANTの発想それ自体はラトゥール独自のものではなく、ミッシェル・カロンによって提唱されたものであることをまず理解しなければならない。 

「社会的なもの」についての問題

 科学的知識を対象とするピンチとバイカーの分析には、「社会的要素」に含めていいのかよくわからないものが登場している。例えば、振動問題の解決策として導入されたゴムタイヤは、やがて安全と速度への要求を同時に満たすものとして対立する社会集団のいずれにも歓迎された。ピンチとバイカーは、「ゴムタイヤの意味は、いかにして可能な限り早く走れるかという全く異なる解決を構成するものとして翻訳された」と記している。だが、ゴムタイヤが「振動低減」だけでなく「高速化」という意味を持ったのは、関連する社会集団がそう解釈したからだろうか? まずゴムタイヤ付き自転車で早く走れるという状況がなければ、そのような解釈など生じ得ないのではないか? 
  問題は省略された「翻訳」(Translation)の主語は何か、である。SCOTの論旨を一貫させるのであれば、それは社会的な何かでなければならない。だが、あらかじめ高速走行を可能にするものとしてゴムタイヤを解釈する人々がいたことの文献的証拠は提示されていない。ピンチとバイカーの記述において、「集団による解釈」→「問題-解決図式」→「技術的実装」という経路を想定できるのは振動低減機能だけである。むしろ、問題-解決図式を変容させたのは特定の質性を持ったゴムタイヤであり、ゴムタイヤと自転車を構成する他の部品との相互作用であり、それらの新たな機能システムと自転車乗りたちの結びつきであるとは考えないのだろうか。

ANTとは何か

 そのような観点から、技術の構成には人間以外の存在者もまた関わっているということを指摘したのが、カロンの「社会が作られるとき:社会学的分析ツールとしての技術研究」だ。この論文で分析されるのは、フランスにおける電気自動車導入の試みである。
 1970年代初頭、フランス電力公社のエンジニア・グループが電気自動車「VFL」の導入を計画した。ガソリン車が公害や騒音の元凶とされていた当時、彼らはポスト工業化社会の消費者のための自動車と銘打ってVFLを提唱した。最初の数年、開発は順調に進められた。駆動モーターと蓄電池の開発はCGEという企業が担当し、自動車の本体の作成にはルノー社が協力し、政府の各省庁からの補助金も期待された。当時盛んだった社会運動もポスト工業化社会への動きとしてVFLに賛同した。しかし、三年後、VFLの燃料電池のために新しく開発された触媒が使用の過程で汚染を受けやすいものであることが判明し、CGE社の研究者が有望であると主張していた亜鉛空気蓄電池は大規模な充電ステーションの設置を必要とする不完全な技術であることがルノー社によって指摘された。ルノーのエンジニアは、環境汚染は公共交通の整備で解決すると主張し、実際にガソリン自動車の燃費を改善することで汚染を減らせることを証明した。やがてガソリン自動車反対運動も失速し、数ヶ月のうちにVFL計画は現実離れしたフィクションとなってしまった。
 まずカロンが注目するのは、エンジニアたちの実践が、著しく異なる特徴や背景をもつ諸要素(モーター、電池、省庁、民間企業、社会運動、消費者など)と結びついていることである。新たな技術が成功するかどうかは、そうした異種混交的な要素間の連関(association)がどれほど堅固で持続的になるかにかかっている。技術的人工物はそれ単体で便利だったり不便であったりすることはなく、他の諸要素といかに結びつくかによって全く異なる働きをなす。いずれの人工物も他の人工物との連関を絶たれれば、無用の長物と化す。さらに重要なことに、人間もまた連関の一部をなしており、それゆえに連関を俯瞰できない。
 こうした連関を分析するために、カロンは自らが80年代初頭に科学論の分野で提唱したANTを導入する。既存の社会学的前提に反して、アクター(行為者、Actor)は人間に限定されない。差異を生みだすことによって他の事物の状態に変化を与えうるものはすべてアクターであり、それらは相互に独立したものでもない。各アクターの形態や性質は他のアクターとの関係の効果として生みだされる。 アクターの働きによって異種混交的なネットワークが生みだされ、アクターはネットワークの働きによって定義され変化させられる。このため、「アクターネットワーク」とは、アクターであると同時にネットワークでもある。したがって、円形の項とそれをつなぐ線分で描かれるような一般的なネットワークモデルではアクターネットワークは捉えられない。円が線に、線が円になる。原理的に不安定な動態の内部に自らの視点を位置づけることを、アクターネットワークという概念は要求する。

 「翻訳」とは、あるアクターを起点にして種々のアクターが結びつけられ共に変化していく過程である。VFLの例では、まずフランス電力公社のエンジニアたちを起点にして、種々のアクターが結びつけられていく。CGE社は電気自動車のモーターと電池を開発するものへと、ルノー社は車体を製作するものへ、各省庁は開発を支援するものへ、社会運動家や消費者はポスト産業化社会実現のために電気自動車を歓迎するものへと変化していく。当然そこには人間以外のアクターも関わっており、計画が頓挫しはじめる時期には触媒や蓄電池を起点として種々のアクターが変化していく。触媒の汚染を通じて燃料電池は信頼性を失い、充電ステーションを必要とする蓄電池との関係を通じて電気自動車は実現困難な技術に変わる。 ネットワークの変容は、ルノーのエンジニアを起点とする変化に引き継がれ、ポスト産業化社会の実現を望む人々はガソリン自動車に反対するのではなく、公共交通の整備とガソリン自動車の燃費低減を歓迎する人々へと変化していく。
    カロンの議論をピンチとバイカーの分析事例に適用すれば、自転車という技術の安定は、ゴムタイヤを起点として種々のアクターが変化した過程として把握されるだろう。他のアクターとの関係を通じてゴムタイヤは高速化という新たな性質を持つようになり、当初はその奇妙な外観を笑っていた若い男性たちも、ゴムタイヤ自転車を悪くないと感じてしまう者へと変化していく。 人々が解釈を通じて技術を一方的に変化させるのではなく、技術との関わりにおいて人々もまた変化する。

「アクターを追い/倣え」

 カロンの議論において重要なのは、VFLの事例におけるエンジニアたちがある種の社会学者(Engineer-Sociologist)として捉えられていることである。フランス電力公社やルノーのエンジニアたちは、異種混交的な要素間の連関の一部であると同時に、それらをいかに組み替えていくかをめぐる論争に携わっている。革新的な技術に携わるとき、エンジニアたちは社会に関する理論を作りあげ、それらの理論をめぐる論争に加わる必要に迫られる。 社会学者は自前の分析ツールを用いて社会について学ぶ代わりに、エンジニア=社会学者の活動を追い、彼らが社会をいかに解釈し分析したのか、その分析が技術的装置を通じていかに受容され拒否されたかを調べることで社会について学ぶことができるとカロンは論じる。
 ここにおいて、「社会」とはもはや、人間を中心とする通常の意味での社会関係ではない。それは、「アクターネットワーク」と呼ばれる異種混交的な連関そのものであり、既存の用法において別種の領域とされてきた「社会」も「テクノロジー」もそこから生じるものに他ならない。
 そしてこのような意味での「社会」は、研究者もまたその内側に生きている。だから研究者にできることは、自らもアクターとしてそこに連なりながら、連関を組み替えていこうとするアクターの動きを追い、そこから学ぶことしかない。より正確には、研究者が実際にやってきたことはそのような内在的な運動に他ならない。「アクターを追い/倣え」(Follow the Actor)というANTの有名な指針は、何か新奇な手法を提案するものではなく、文理を問わず研究全般がそのような営為であることを肯定し、学問的な知の前提とする宣言として捉えうる。

 (3) ラトゥールによるアクターネットワーク論

 カロンの論文は、科学・技術という具体的な対象に適合した分析モデルとしてANTを提示していた。それに対してラトゥールは、哲学的な概念構築に基づく「非還元論考」を打ち出し、私たちが生きるこの世界そのものが「原理的に還元不可能な諸要素の原理的に制限のない結びつき」であるという世界の存在論的水準に踏みこんだ議論を提示する。ラトゥールにおけるANTとはどのようなものなのか、その具体的な中身をみていこう。

仲介と媒介

  科学技術論の文脈においてANTは、技術が社会的に構成されるという側面だけでなく、社会が技術によって構成される側面にも目を向ける、ある種の折衷主義として評価されることがある。しかしこうしたANT理解では、「技術」や「社会」という領域は自明のものとして温存されてしまっている。両者への還元を回避する発想が、 両者への還元を折衷的に利用する方法論へとすり替えられているのだ。
 ラトゥールのANTの真髄である非還元的発想を理解するうえで、有名な「市民」と「銃」の例がある。市民(人間)と銃(非人間)という二つのアクターが結びつくとき、両者が合成されて新たなアクター「市民+銃」が現れる。この第三のアクターの働きが、第一のアクター(市民)に内在する意図(目的①)に完全に従うと考えると、「善良な市民は銃を持っていても発砲などしない」という道具説(社会構成主義)的な説明になる。一方、銃という第二のエージェントに内在する殺傷という機能(目的②)に完全に従うと考えると、「善良な市民でも銃を持てば殺人を犯しかねない」という自律説(技術決定論的な説明)になる。いずれの場合も、一方のアクターは他方のアクターが所与の目的をそのまま助けるものにすぎない。それらは、入力に対して一義的に出力を返す仲介項(Intermediary)として把握されている。つまり「仲介項」は、「意味や力をなんら変形することなくそのまま移送する(transport)」ものであり、「インプットが決まりさえすれば、そのアウトプットが決まる」ようなものである。*1
 だが、より一般的には第三の可能性が実現される。二つのアクターが互いに互いの行為を変容させる媒介項(Mediation)として働くとき、それぞれが元々持っていた目的が変化する。媒介項への入力に対する出力は前もって規定できず、媒介項との関わりは自らを予想できない仕方で変容させるのである。ここでは「変換」(transformation) が生じる。

 この入門書で必要となる専門用語はごくわずかであるが、そのうちの二つをもちいれば、社会的なものを産出する手段を中間項としてとらえるのか、媒介子としてとらえるのかによって非常におおきな違いが生じる〔・・・〕 中間項は、私の用語では、意味や力をそのまま移送するものである〔・・・〕実際のところ中間項は、ブラックボックスとしてとらえられるだけでなく〔・・・〕ひとつのものとしてあつかわれる。他方で媒介子は、まったくひとつのものとみなすことはできない 〔・・・〕媒介子は自らが運ぶとされる意味や要素を変換し、翻訳し、ねじり、手なおしする。*2

 「媒介項」には、人間、人工物、動植物、抽象概念に至るまで、何でも含まれる。 例えば、相手を殺すつもりで銃を手にした人(アクター1)であっても、手にした銃(アクター2)の重さに我にかえって、殺人をやめるかもしれないし、銃で脅して相手を屈服させようとするかもしれないし、銃で人を殺そうと考えた自分に嫌気がさして自殺してしまうかもしれない。こうして、あらかじめ想定される目的とは異なった新しい目的③(殺人の中止、脅迫、自殺など)が生みだされる。目的の変容は、市民や銃を起点にして様々なアクターが巻きこまれながら変化していく翻訳のプロセスの効果であり、それは各アクターに前もって想定される行為の方向性に従うとは限らないのである。
 「仲介」と「媒介」の概念について理解したところで強調しておきたいのは、ラトゥールのANTにおいて重要なのは、単に異質な二者が結びつく(ハイブリッド)ということではない、ということである。むしろ、それが起点となって他の様々なアクターが巻き込まれること(翻訳)が重要なのだ。「市民+銃」は害獣を射殺する猟師になるかもしれないし、徴兵されて異国の戦場に赴くかもしれないし、銃規制運動のリーダーになるかもしれない。その意味で人間は、銃の使用に対して外在的な位置を保つことはできず、「人間+銃+…」の一部であり、アクターネットワークに内蔵している。

 本節の議論をまとめよう。技術決定論と社会構成主義は、 諸要素間の関係を主に仲介として捉えることで「技術」や「社会」への還元を行う。一方ラトゥールの ANTはそれらの関係を主に媒介として捉えることで、還元主義を回避する。それは断じて、両者の中間に位置する折衷案ではない。

ブラックボックス

 ここで注意しておきたいのは、「媒介」や「翻訳」といった概念は、還元主義的発想を単に批判するためではなく、非還元主義によって還元主義を包摂するために導入されているということである。一般的な仲介項の働きが例外的な媒介項の働きによって相対化されるのではなく、むしろ、一般的な媒介項の働きによって例外的な仲介項の表れが説明される。
 入力に対する出力を予想できない媒介項によって特徴づけられるアクターネットワークは、原理的に不安定なものである。しかし各アクターの行為を通じてネットワークが相対的に安定し、一定の持続性を持つようになると、アクターネットワークは暫定的ではあれ確固たる世界の有様を生みだす。
 媒介と翻訳の過程を通じて種々のアクターが緊密に結びつけられ、各アクターが共に向かえるような新たな目的が構成され、特定のアクターが他のアクターが行動する際の必須の通過点(Obligatory Passage Point)となり、アクター間の隊列が整えられるようになる。この段階までくると、諸アクターの関係性の全体が一つのアクターとして他のアクターと関係を結ぶことが可能になり、内部の諸アクターの働きは他のアクターに直接影響を及ぼさなくなる。こうした「ブラックボックス化」(Black Boxing)と呼ばれる契機に至って、媒介項(未規定の入出力)は一時的に仲介項(一義的な入出力)に変換される。
 このように、アクターネットワークは外側からの境界づけや外部環境とのシステム論的相互作用によって安定するのではなく、アクターがネットワークを構成し、それらのネットワークがブラックボックス化されて一つのアクターとなり、さらにそれと他のアクターが構成するネットワークがアクターになる……という多レイヤーの入れ子構造を形成することで安定していく。ただし、それは常に暫定的な階層性でしかなく、特定のレイヤー内に関係が限定されるわけでもない。

(4) 実験室研究

 さて、ここまででラトゥールのANT(そしてその根底にある非還元の原理)について確認してきた。ここからは、ラトゥールがその第一人者である実験室研究(Laboratory Studies)、すなわち実験室をフィールドとして科学者の日常的な営為を対象とする研究の成果についてみていこう。科学的な実験を、特定の時空間における物質的・社会的条件のもとで装置や道具を用いて行われる極めて具体的な実践として捉えるうえで、ANTという分析の枠組みはどのような示唆を与えるのだろうか。

科学の「事実らしさ」を支えるもの

 ラトゥールによれば、科学者が知識を生産するプロセスそれ自体において、科学的なものに限らない諸要素との結びつきを拡大していく運動が必要とされる。それを示すために、彼はカリフォルニアに位置するある実験室の「ボス」をめぐる架空の例を、以下のように記述していく。
  ある専門外の素人がボスの後を追い、詳細な日誌をつけ始める。ボスの一週間は目まぐるしく過ぎる。南フランスに飛び、巨大製薬会社の幹部とパンドリンの特許や製造について議論する。パリに立ち寄って脳ペプチドの研究を促進するために厚生省の官僚と話し合い、自らの研究プロジェクトに関する規制を緩めることを約束させる。ワシントンの大統領執務室で大統領と糖尿病患者の代表者を前に感動的なスピーチを行って大統領の支援と代表者の賛同を勝ちとり、国立科学アカデミーのワーキングランチに出席して新たな成果をだしつつある研究者が他分野に流出しないよう学術誌に新たなセクションを創設することを提案し、畜肉処理場を訪問して視床下部を傷つけずにヒツジの頭を切断する新たな方法を試すよう担当者に要求する。ボスは世界中を飛びまわり、科学的なものと非科学的なもの、人間と非人間を問わず膨大な要素と結びつきながら、パンドリンという新しい物質の事実らしさを高める方向にネットワークが組み替えられていくために精力的に活動している。
 もちろん、彼の研究チームの全員がこうした実験室の外側の作業に従事しているわけではない。もう一人、別の観察者が研究チームの一員を同時期に追っていたとしよう。彼女は一週間ほとんど毎日実験室の中にいてパンドリンをめぐる実験に携わっている。ボスの旅行について尋ねられると、彼女は少し見下したような態度になって「私は単に科学を行なっているだけです。 基礎科学、確固たる科学を」と言う。

 実験室の外側(エクスターナル)を飛びまわる研究者と実験室の内側(インターナル)に居続ける研究者。そのどちらが真に科学を行なっているのだろうか。科学の社会学的研究は、かつて前者の状況を主に精査する「エクスターナルアプローチ」と呼ばれており、科学的知識生産の内部を精査する科学認識論などの「インターナルアプローチ」と対置されていた。だが、ラトゥールの着眼点はそのどちらかではない。
 一年間の観察を終えてお互いの日誌を読み合わせた二人の観察者は気づく。彼女の論文が受理されたのはボスが創設を提案した学会誌の新セクションである。彼女は(ボスの大統領執務室でのスピーチの後で)糖尿病協会の資金援助によって新しいテクニシャンを雇用することができたし、いまでは畜肉処理場から以前より清潔な視床下部を得ているし、脳中のペプチドを精密に示すことのできる機器を(ボスが設立を支援した)スウェーデンの企業から提供されている。 彼女が実験室の内側において「確固たる科学」を進めるためにこそボスは実験室の外側でより多くのアクターを巻き込まなければならず、ボスが世界中を飛びまわって同盟者を増やすほど彼女の「科学」は確固たるものになっていく。
 内側で科学がより純粋なものになるほど、外側ではより広大で異種混交的な連関が作られなければならなくなる。実験室における探求の成否は、外側から実験室に取り込まれる諸アクターが充分に飼いならされ(清潔な羊の視床下部)、他の実験室と比較可能な同型性を保ちながら(優秀なテクニシャン)、発見につながる新たな要素(パンドリンを捉える機器)どれだけ導入できるかにかかっている。 実験に基づいて産出される知識や技術の有効性は、それが滑らかな仲介項として機能しうるように実験室外の諸アクターが首尾よく隊列を整えうるかにかかっている。
 エクスターナルとインターナルのどちらかが科学の本質なのではなく、両者が互いを支え合い、強化し合うことで科学は「事実らしさ」を増していくのである。

循環する指示

 ANTを通して実験室の現場をみることでわかるのは、科学者が「自然の事実」に向き合っている場面にこそ、諸アクターの絡まり合いがあるということである。ではその「絡まり合い」というのは実際、どのようなものなのだろうか。以下では、『科学論の実在——パンドラの希望』における二つの事例分析を検討する。

 第一の事例は、アマゾンの森林に関する調査研究である。現地の植物学者とフランス人の土壌学者を中心とするこの調査は、森林とサヴァンナが接する境界地帯で森林がサヴァンナに向けて前進しているのか、あるいはサヴァンナが森林にむけて前進しているのかを解明するために行われた。この調査旅行にラトゥールは同行し、いかにして世界(アマゾンにおける森林—サヴァンナの遷移)を言葉(森林・サヴァンナの遷移をめぐる報告書の記述)に詰め込むことができるのか、これがラトゥールの問いである。そして彼がアマゾンで見いだすのは、自然の事実を知るために入念に自然に手を加えていく科学者たちの姿である。
 ラトゥールの詳細な記述のうち、ここでは土壌学者たちの活動に絞って追跡しよう。彼らはまず、生い茂る森林に溶け込んで測量を開始し、標本となる土壌を取りだす穴を掘る位置を印づける。 次に「ペドフィル」と呼ばれる道具(糸を吐きだし、その長さを測る装置)を用いて無数の糸で地表を覆い、それぞれの穴の距離を測る。これらの数値がノートに記された結果、土壌はその各部が座標によって把握される一つの幾何学的な空間へと変換される。
 次に土壌学者たちは、各所に掘られた穴からドリルを用いて円筒形の土壌サンプルを採取し、土壌比較器と呼ばれる装置によって分析する。これはボール紙の小さな立方体の容器を縦横10×10個分収納できるスーツケース型の箱であり、様々な穴の様々な深さから採取された土塊が立方体の一つ一つに収められていく。こうして土壌は、幾何学的に配列され、容易に比較可能・入れ替え可能・移送可能な土塊の配列へと変換される。
 一連の作業が終わって近所のレストランに戻った土壌学者は、方眼紙を片手に机の上にならべた土壌比較器を観察する。 方眼紙上には森林とサヴァンナが接する土壌の横断図が描かれ、特定の座標の深さによる色の差異がまとめられた図表が完成する。このとき、土壌は容易に移送可能で複写可能な一枚の方眼紙上の図表へと変換されている。比較器を精査し図表を描く過程を経て、調査者たちは「砂状のサヴァンナと粘土状の森林のあいだで、サヴァンナ側の境界に沿って帯状の土地が伸びており、その土地はサヴァンナよりも粘土状であり、森林ほど粘土状ではない」こと、つまり森林に適した土壌がサヴァンナに向かって前進していることを見いだした。以上の観察結果は清書された図表とそれを説明する文章になって報告書に盛り込まれる。いまや土壌は報告書にまで変換された。ついに世界が言葉に詰め込まれたのである。

 以上の記述を通じてラトゥールは何をしようとしているのだろうか。それはまず、世界と対応する言明こそが真であるという対応説的発想が科学者の具体的な実践に対していかに的外れかを示すことである。 対応説では世界と言語の間にはまず断絶が存在し、言明による対象の「指示」 (reference)は、両者を分かつ断絶を飛び越えて言明が世界に一致することを意味する。しかし、アマゾンに赴いた科学者達が行っていたのは、世界を虚心坦懐に観察してそれと一致する言葉を探すことではない。彼らの活動を通じて、①土壌は、②ペドフィル等によって区画化された幾何学的大地→③土壌比較器に収められた土塊の配列→④図表(土壌の断面図)→⑤報告書の文章という一連の変換をうける。同時に、この変換は常に逆方向にもなされうるように維持される。 報告書の文章は、これらの変換の跡を逆にたどってもとの土壌へと戻りうるものでなければならず、これらの結びつきがどこかで——ペドフィルの糸がもつれてカウンターが誤作動したり、比較器のボール紙が破れて土塊が混じったりして——断たれれば、その妥当性は損なわれる。
 土壌から報告書に至る各段階は後続する段階によって示される事物であり、先行する段階を示す記号となっている。 言語から世界へ指示が一方的に与えられるのではなく、諸アクター間を指示が循環しているのだ。このとき、各アクターは固有の形式(形相)と物質性(質料)を持つが、それらの性質は常に他のアクターとの関係に規定される。例えば、土壌比較器の配列(③)は、ボール紙や木製の枠といったその物質性において区画化された大地(②)の形式を受け取り、それによって土塊の升目状の配列という自らに固有の形式を実現する。その形式は、さらに方眼紙と鉛筆の線からなる物質性をもった図表(④)に引き受けられることで、土壌の断面図という新たな形式へと変換される。言い換えれば、ある段階のアクターは先行する段階のアクターを質料とする形相として、後続する段階のアクターを形相とする質料として働くようになるわけだが、そこには常に変換に由来する非連続性(断絶)が伴う。図表は土壌比較器と隅々まで対応するわけではなく、土壌比較器なしに図表が区画化された大地を示すこともない。このように、各アクターの形式と物質性は他のアクターとの関係を通じて変形され、それらが入念に調整されることで一連の変換、「循環する指示」(Circulating Reference)が形成される。世界と言語が正確に対応するという一般的で規範的な見解は、循環する指示が安定的に形成され、仲介項に変換されたあらゆる媒介項を省略できるようになった時にのみ暫定的に妥当なものとなる。
 このように、科学的な認識が確実になるためには「言葉よりも世界自身をはるかに強く攪拌し、変換する」ことが世界に要求されるのである。科学者たちが自然の「実在」を正確に把握するためには世界を特定のしかたで 「制作」しなければならず、世界を「制作」するからこそ彼らは「実在」を把握することができる。

制作される実在

 第二の事例は、「発酵は有機物が引き起こす現象ではない」という学説が支配的であった19世紀の後半、ルイ・パストゥールの発見した、乳酸発酵を引き起こす微生物(乳酸発酵素)である。ラトゥールは、パストゥールの論文「いわゆる乳酸発酵に関する報告」を分析することで、乳酸発酵素という新たなアクターが現れていく軌跡を描き出した。
 論文の冒頭で、この新たな実体の存在は否定されている(段階1)。「現在に至るまで、綿密な研究でも有機的存在の発生を発見することは不可能なままである。そのような存在を識別した観察者も、同時にそれらは偶然の産物であり、発酵過程を駄目にしていると確証した」とパストゥールは述べる。次に、注意深く観察すればそのような存在=アクターXが感覚されることが示される(段階2)。乳酸発酵には「灰色の実体の点々」が伴う。その灰色の物質は圧縮乾燥された通常の酵母と全く同じようにみえ、わずかに粘りがある。この段階ではアクターXは、「見え」や「粘り」といった移ろいやすい感覚所与(=観察者というアクターへのわずかな働きかけ)の集合にすぎない。
 さらにパストゥールは、実験室の様々な要素を動員し、アクターXがそれらに「何をなしうるか」を見定めていく(段階3)。それは液体にまかれ、発酵の引き金をひき、液体を濁らせ、白亜を消失させ、沈殿を形成し、気体や結晶を生じさせ、粘性をもつ。このとき、アクターXは感覚所与の集合体から、これらの振る舞いの集合体、これらの「行為の名前(Name of Action)」へと変化している。だが、アクターXは行為の名前ではあってもいまだ行為の源泉ではない。ここでパストゥールは、この実体を醸造酵母と比較し、分類学において名前と位置を有するような有機的存在へと変える(段階4)。醸造酵母に見出される一般的特徴のすべてがXに見出されること、また、同じ液体に醸造酵母とXをまくと異なる結果(アルコール発酵と乳酸発酵)が得られることから、Xが自然分類において醸造酵母に隣接する属に位置する構造をもつことが導かれる。
 分類学上に位置を占めるに至ったX、すなわち「乳酸発酵素」 はいまや確立した実体である。 あらゆる作用の起源は酵母へと移行し、それを中心に従来の実践が再定義される(段階5)。つまり、生き物としての発酵素の存在を前提にして、発酵現象一般に当てはまる条件(酵母の純粋性、各酵母の性質に適合した養分の存在、溶液の化学的組成等)が特定されていくのである。

 こうして、アクターXは識別不可能な存在(段階1)から発酵をめぐる諸作用の起源 (段階5)まで、その姿を変化させてきた。この過程は、新たなアクター(乳酸発酵素)の働きが他の諸アクターをいかに変化させうるのかを明らかにする一連の「試行」(Trial) を経て、そのアクターがネットワークの一員となる(=実在するようになる)過程に他ならない。
 ラトゥールによれば、パストゥールは同時に三つの試行に従事している。第一に、上記の論文を通じて酵母が発酵の単なる副産物ではなくその主要因であるという言説を流通させること、第二に、実験室の様々な非言語的要素を動員して発酵酵母が適切で豊かなパフォーマンスを行う状況を作りだすこと、 第三に、 アカデミーの同僚たちの検証によって第一の言説と第二の状況の間に必然的な結びつきがあることが明らかにされることである。 全ての試行が成功すると、第一の言説はパストゥールの作り話ではなくなり、その背後に実在が確かに存在するようになる。 言説と実体の対応を産出する「循環する指示」が確立されることによって、パストゥールは発酵酵母が生き物であることを証明できるようになり、それは醸造酵母とは異なる特定の発酵の引き金をひく実体となる(段階6)。

 以上でみてきた一連の過程において、パストゥールというアクターがまず行っているのは、(A)〈アクターXの周囲に様々なアクターを配置し、それらがこうむる変化を特定していくことでXの存在を際立たせること〉である。この段階では、Xの有様は他のアクターとの関係に大きく依存している。パストゥールが諸アクターを組織することを通じてXの性質や働きが形成されていくのであるから、確かに彼はアクターX=乳酸発酵素を「制作」している。
 しかし、彼の活動を通じてXが他のアクターと関係づけられていくことは、(B)〈他のアクターの有様が乳酸発酵素との関係に次第に依存するようになっていくこと〉でもある。酵をめぐる多くの要素(培地の性質、溶液の科学的組成、生化学、チーズの製造法など)が乳酸発酵素の存在をあてにして定義され変形されるようになるにしたがって、乳酸発酵素の「事実らしさ」が強まっていく。パストゥールもまた、「乳酸発酵素の発見者」としての自らの地位や名声を、発酵素の働きに大きく依存している。この段階に至れば、あるアクターがいかに逸脱的に振る舞おうと乳酸発酵素の有様を大きく変えることはなく、逆に発酵素を軸に形成されてきた諸関係に適合的なかたちで自らを変えざるをえない。こうして、乳酸発酵素は他のアクターの働きかけに対して相対的に独立した実体(「実在」)となる。パストゥールによる制作の過程(A)と乳酸発酵素が実在していく過程(B)は、別個の過程ではない。製作がより入念に行われるほど、実在はより確かなものとなる。このように考えれば、「制作」と「実在」は矛盾せず、表裏一体である。
 常識的な発想は「乳酸発酵素についてのパストゥールの言明」を一方に置き、 他方に「パストゥール以前から存在する物質」を置いた上で、両者が正確に対応することを自明視する。しかしながら、乳酸発酵素に関する科学的言明とある物質が対応するという状況は、パストゥールが乳酸発酵素を作りあげた後、すなわちパストゥールと関わった諸アクターが互いを分節化しながら循環する指示を形成するようになった後でしか生じえない。したがって、 「パストゥールの語る乳酸発酵素と正確に対応する物質」はパストゥール以前には存在しない。 対応を生みだす関係性がパストゥール以前には構築されていないからだ。「パストゥール以前から存在する、パストゥールが語る乳酸発酵素と正確に対応する物質」という、どうやっても存在を証明できないものについては大真面目に語ったりしないほうが無難だ。それがむしろ明白で常識的な判断ではないだろうか。そうラトゥールは言っているのである。

ANTにおける非人間的な存在について

 以上の検討を経て、ラトゥールがなぜ人間以外の存在者をこれほどまでに重視するのかを理解しやすくなってきたと思われる。「非人間もまたアクターである」、「人間も非人間も対称的に扱われうる」といった主張は、ANTに人々の関心を引きつける特徴の一つであるが、しばしば、事物のふるまいを人間の意図的な行為と同等のものとして把握できるというラディカルな(あるいは復古的な)主張と混同されてきた。だが、ラトゥールによれば、「ANTは、常識に反した何かしらの『人間と非人間の対称性』を打ち立てるものではない」。両者が対称的に扱われるということは、「人間の志向的意図的な行為と因果関係からなる物質世界とのあいだのまがい物の非対称性をアプリオリに押しつけないということであって、それ以上の意味はない」。
 人間と非人間を対称的に扱うとは、両者の本質とされてきた「志向性」や「法則性」を、アクターネットワークから派生する二次的要素として扱うということである。人間から主体性を非人間から客体性を剥奪することによって、両者を媒介項同士の諸関係(=アクターネットワーク)のなかに位置づけることが可能になる。 主体性や客体性は、ネットワークが多数の媒介項を少数の仲介項に変換するように動くことで生みだされる、暫定的な効果として捉え直される。膨大な数の非人間が仲介項として働くような状況が維持される限りにおいて、それらを人間という主体によって外側から観察され制御される客体としてみなすことができる。だが、そのような状況を生みだしているのは、諸関係に内在する人間と非人間の媒介項同士の関わりである。

(5) ノンモダニズム

 以上みてきたように、ラトゥールの非還元主義は、第一の発想と第二の発想を同時に否定することで両者の矛盾を乗り越えることを目指す。したがって、「科学とは何か」という問いに対する応答は、「私たち人間の認識とは無関係にこの世界に存在するものがあり、科学はそれを捉える最良の手段だ」(モダニズム)という発想を否定しながら、「私たち人間が認識できないものはこの世界に存在せず、私たちが世界を認識する仕方は社会や文化に規定される」(ポストモダニズム)という発想にも帰着しないというアクロバティックな道筋を辿ることになる。そのいわば「ノンモダニズム」の思想について、迫っていくことにしよう。

私たちはいまだかつて近代的であったことはない

 カントの理性批判において、神の実在は私たち人間が原理的に認識できない「もの自体」へと変換される。同時に、外側から世界を捉える権能が、 創造主としての神から人間理性(超越論的主観性)へと部分的に委譲される。やがて、理性に基づいた科学的探求は世界の真実を漸進的に解明するものとみなされるようになり、その先に措定されるものもまた、「実在する神」から実験や方程式を通じて明らかになる「自然」へと変換されていく。それはラトゥールらがアクターネットワークの動態として捉えてきた媒介や翻訳の働きを徹底的に否認し、表向きは自然と社会の分離(科学的知識と伝統的知識の峻別、 自然の事実と文化的な解釈の分離、科学技術とその社会的受容の区別)を強力に推進することで、より確実で豊かな世界が築かれることを約束する希望に満ちた体制である。
 だが同時に、近代的な純化の実践は、翻訳を自覚的に取りあげることを不可能にするがゆえに、翻訳を通じたハイブリッドの爆発的な増殖を可能にする。ラトゥールによれば、近代人は、自然と社会を注意深く分離したからこそ近代社会は成功したのだと考えている。だが、「実際には、人間と非人間を大々的に混合し、何ものをも括弧に入れずにどんな組み合わせも排除しなかったからこそ成功した」のである。
 ただし、ラトゥールは隠された実践を暴露して近代という偶像を破壊しようとしているのではない。彼が主張するのは、表向きの「純化」と水面下の「翻訳」の両方の働きを認めるべきだ、ということである。だが近代人である限り、この二つが一貫した構成に見えることはない。「近代憲法」は純化のみを肯定し、翻訳の存在を否定するからだ。したがって、両者を一貫した構成において捉えるようになった時、私たちは近代人が言う意味での近代に属する存在ではなくなる。近代的な純化の水面下にある非近代的な翻訳の実践を正面から見すえることによって、「私たちはいまだかつて近代的であったことはない」(We have never been Modern)という発想に基づくノンモダニズムが形成されるのである。

対称性人類学

 非近代社会は、近代社会からみれば不当なハイブリッドによって翻訳の実践を注意深く方向づけている。ただし、これは極めて形式的な対比にすぎない。 翻訳の実践をベースにして考えれば、「近代/非近代」という対比や「近代化」の諸段階によって区別されてきた多様な状況を連続的に捉えることができるだろう。ラトゥールは、ANTに基づいて近代的発想を前提とせずに近代/非近代社会の諸実践を対称的に精査する試みを「対称性人類学」(d'anthropologie symétrique)と呼ぶ。それは、まずもって、非近代社会の諸実践を政治・宗教・親族、技術といった様々な領域に切り分けられない「全体的社会事実」(M・モース)として捉えようとしてきた人類学的方法論を、近代社会の分析に適用する試みである。こうしたラトゥールの議論は、非近代社会を主な分析対象としてきた文化/社会人類学にとっても大きな含意を持つものであった。「自然の事実」なるものが異種混交的なネットワークを特定の仕方で組替えたもの(循環する指示)の効果にすぎないのであれば、 「単一で均質な自然とそれを解釈する複数の多様な文化」という文化相対主義の基本的な枠組が解除されるからである。
 このように、研究者と研究対象となる人々を非対称的に扱わないという発想は、社会学者の岸雅彦や、人類学者のマリリン・ストラザーンにも部分的に見出すことができる。

 岸は、『マンゴーと手榴弾:生活史の理論』(2018年)に収められた論考「鍵括弧を外すこと―ポスト構築主義社会学の方法」において、被差別の当事者が差別の存在を否定するように語る時、社会学者はいかなる分析ができるのか、という問題を論じている。ここでは三人の社会学者の手法が検討されている。第一に、「差別を受けたことはない」という当事者の語りを、差別的な社会構造によって自らが受けた差別について語ることさえできないほど被差別者が抑圧されていることの証拠として捉える八木晃介の議論、第二に、膨大な生活史の聞き取りにおいて当事者の大半が「差別をうけた」と語らなかったという結果を根拠にして、差別が存在するという仮説を棄却する谷富夫の研究、第三に、言語的なラベルによって人々を暴力的にカテゴリー化するものとして差別を捉え、語る当事者と語りを聞く研究者の相互作用のなかで当事者たちの生の多様性が浮かびあがることを重視する桜井厚の「対話的構築主義」である。実証主義者である谷の手法はモダニズムとして、八木と桜井の手法はポストモダニズム的な学問的変遷として把握できる。
 だが、岸によれば、 桜井の手法では、語りが相互作用において「構築」されているという見解から、「その語りが現実といかに関わるかは問えない」という帰結が導かれてしまう。語り手が「何を語ったか」ではなくそれを「いかに語ったのか」を重視することで、会話の鉤括弧を外すこと(語りを現実と結びつけること)ができなくなるのである。しかし、岸にとって社会学者が調査を行ってその結果を書くということは、語りの引用符を外して、研究者が地の文で書くことに他ならない。岸は言う。「語りと実在とを完全に分離してしまうと、私たちは実在について語る回路をすべて断たれてしまう」。それは、カテゴリー化の暴力を受けている他者に対して最大限の配慮をすべきだという政治的な理由だけでは正当化されえない。
 岸の手法は、あらゆる調査が研究者によるカテゴリー化や解釈を含むことを前提にしている。桜井が強調するような語りの構築性が否定されるわけではない。だが、岸にとって「構築されている」ことは真実ではないことを意味しない。語りは構築されているからこそ修正できるし、修正によってより確かな(=事実と対応する)言明を生みだすことができる、というわけだ。こうして、語りにおける構築は、実在からの乖離ではなく、実在に至る正当な回路を生みだすものとなる。つまり、岸の手法は、汎構築主義的発想によって近代的な対応説における厳然たる事実への希求を再生しようとするものである。

 ストラザーンは、学問的な分析概念としての「社会」に相当するものが彼女の分析対象であるメラネシアに存在しないことを強調する。彼女が試みたのは、メラネシアにおける人々の実践を近代的な分析枠組みによって説明するのではなく、むしろ、諸々の実践を説明するメラネシアに固有の論理(「彼らの哲学」)に可能なかぎり沿う形で学問的な分析概念(「西洋思想における形而上学」)を用いることによって、近代的思考に基づくそれらの分析概念を変形させていくことであった。
 ストラザーンもまた岸と同じように、研究対象となる人々の実践に則して自らの人類学的理論を変更することを選択する。だが、岸が提案する理論の変更は、「厳然たる事実」への希求に基づいて行われる限りにおいて「修正」である。これに対して、ストラザーンの論述は、近代的な思考の枠組を修正することでメラネシアの事実を透明に反映しようとするものではない。理論の変更は対象との一致を帰結しない。齟齬は残され、関係づけられ、増幅される。彼女の民族誌記述は、分析者が提示する基準や差異が分析対象となる人々の実践における基準や差異と水平的に反響しあうことで展開される。それはまた、他の人類学者による様々な民族誌記述との水平的な反響と、他の様々な地域における実践との水平的な反響を引き起こしながら「部分的つながり」(Partial Connections)を生みだしていく。研究者と研究対象者の対称性は、互いに互いの視点を包摂しあうことにおいて展開され、原理的な齟齬を伴う相互作用に基づく民族誌的テクストが、そこから様々な思考と論理が取りだされうるような人工物として構築されることになる。

プラズマ的外部

 しかしラトゥールは、両者とは異なる態度で「事実」に迫ろうとする。
    ラトゥールは、「追跡」してきた主なアクターである科学者たちとの関係において、対話の相手が自明視するコンテクストに乗らないまま対話を続けるために、ラトゥールは相手の議論を常にデフォルメし戯画化しながら返答を繰りだす。そこでは、両者が噛み合わないまま話し続けることで反論の連鎖を生みだし、広範なネットワークの再編につながるような議論を進めることが目指される。あるアクター(対象)について分析することは、そのアクターがとりもつ諸関係に連なることであり、そこに新たな諸関係を導入することである。だからこそ、分析する者と分析されるものとの間には常に齟齬が生じる。分析する者が提示できるのは「失敗と隣り合わせの報告」でしかないが、分析される者と媒介項同士として関わることを通じて「議論を呼ぶ事実」を構築することも可能になる。
   汎構築主義を「厳然たる事実」に結びつける岸の手法とは異なり、ラトゥールは汎構築主義を「議論を呼ぶ事実」に結びつける。そこでは、岸が重視する公的な討議やストラザーンが構築する反響的なテクストとは異なる仕方で、異種混交的なアソシエーションを組み直しながら諸アクターが共有できる「共通世界」を立ち上げることが目指される。それは、所与のコンテクストを前提としないものたちが、噛み合わないままに発話=分節化しあうことのできる場である。
   世界に外在しているように見える私たち人間の有様は、私たちが非人間的存在者と共に内在するアクターネットワークの派生的で一時的な効果にすぎない。私たちは非人間と結びつくことで以前とは異なる存在へと変化し続けてきたのであり、その変化を前もって完全に理解することも制御することもできないし、現にしていない。私たち=人間が外側から世界を観察し制御できているように見えても、その視座は、私たちが世界の内側で人間以外の媒介項と織りなす諸関係によって徹底的に規定されている。私たちは関係性の中に内在している。したがって、まだ関係のなかに取り込まれていない未知の要素をあらかじめ確定したり制御したりすることはできない。
 こうした内在的な外部要素を、ラトゥールは「プラズマ」と呼ぶ。それはネットワークの網の目の合間にある「まだ計測されておらず、まだ社会化されておらず、まだ基準設定の連鎖に組み込まれておらず、まだカバーされ、調査され、動員されておらず、あるいは、主体化されていないもの」である。近代的な対応説が措定してきた世界に外在する視点を退けるノンモダニズムにおいて、新たなかたちで外部が見いだされる。 それは超越的でも超越論的でもない、この世界の内側にあるつながりの隙間としての外部である。私たちは、プラズマ的外部に対する外在的な知識を得ることはできない。

(6) 呼吸器内科医的ラトゥール論

 ラトゥールの市民と銃の例は、呼吸器内科医である私をして、様々な医療機器、デバイスが不可欠な日々の診療行為を必然的に想起させる。私たちは素手で医療を行うことはできない。
 例えばCT画像で間質性肺炎の所見を認め、経時的に呼吸状態の悪化している患者に対して、クライオバイオプシーという気管支鏡検査を行う場面を考えよう。 

 私の所属している病院ではクライオバイオプシーは手術室で行う。××先生、術者の××先生、××先生、××先生、××先生、××先生、私。あとは透視を手術室に持ち込んでやるので放射線技師。あとはおそらく看護師と、そのほか職種が不明なスタッフ2名が、10mx10mの手術室に集まっていた。床、壁は他の多くの医療機関の手術室と同じように緑である。
 返り血を浴びるくらい血が出る可能性のある手技であるため、術者は放射線のプロテクターの上にガウンも着る。またベッドが普段より高いので、術者は黒い足場に乗って気管支鏡を入れていく。麻酔器の前には、ミダゾラムフェンタニルを調整する担当の医師がいる。
 目的の気管支にクライオの青いチューブを入れる。Cアームの透視をまわして、接線方向に調整し、プローブの先が胸膜にいちばん近いところをみつける。助手にワイヤーが中に入ったバルーンを入れてもらい、白いバンドがみえるかみえないかくらいの位置に調節する。入ったら中のワイヤーを抜いて、クライオを入れて予行演習をする。胸膜のちょっと手前の場所に位置できたら、外で機器の近くに立っている医師がペダルを踏み、1、2、3、4、5秒とカウントして術者が気管支鏡ごと一気に引き抜く(アップもダウンもかけずに、右手でクライオをおさえる、手首の返しが重要)。助手は少しだけ遅れてバルーンを膨らませる。 凍らせたあとにすぐに術者はペダルを踏んだ医師のもとへ行き、先端についた検体を擦りとってもらい、すぐに気管支鏡で元の場所に戻って出血を確認する。

 私がファイバーを握るとき、「呼吸器内科医+気管支鏡」という別様のアクターとなっている。「呼吸器内科医+気管支鏡」はお互いに触発されながらさまざまな行為を行う。ファイバーの先から麻酔をかける。血が出ていれば物理的にファイバーの先で抑える。また、気管支鏡に不慣れな人であれば、アップをかける親指に力を入れ過ぎて痛めることもあるだろう。最初はひとつひとつ頭で考えてから動作をしていたのが、次第に気管支鏡が自分の身体の延長であるかのように感じるようになっていく。
 そしてここでさらに重要なのは、単にその異質の二者が結びつくことではなく、それが起点となって他のアクターが巻き込まれること(翻訳)であるというのは、第3章で確認した通りである。間質性肺炎の検体ひとつを採取するためだけに、さまざまな人、モノが関わり合っていることは明らかだ。術者、助手、麻酔をかける医師、ペダルを踏む医師、放射線技師、看護師、気管支鏡、バルーン、モニター、透視、ミダゾラム
 さらにもちろんそのネットワークは手術室内のみに閉じられているわけではない。私はクライオバイオプシーが終わると、ホルマリン漬けになった検体をリュックに入れて、自転車を漕いで病理診断室のある病棟へ急ぐ(私の所属している病院はいくつか棟が分かれており、互いにそれなりの距離がある)。その検体は検査技師によってスライスされ、染色されてプレパラートに挟まれ、顕微鏡の下に置かれる。臨床症状、CT所見、病理所見について、呼吸器内科医、画像診断医、病理診断医が議論し、診断と治療について決定する。その結論は診察室において患者に告げられる。膠原病関連の間質性肺炎であれば、ステロイドの小さな錠剤を飲み始めなければならないかもしれない。線維性過敏性肺炎であれば、飼っているペットを手放したり、場合によっては、引越しを求められることがあるだろう。そのような重大な決定であれば、家族との話し合いも必要になり、生活が根本から変わっていくかもしれない。

 このようにみていくと、呼吸器内科医も、「呼吸器内科医+気管支鏡+…」というアクターネットワークに内蔵していることがわかる。あくまで試論であるためこれ以上詳細には立ち入らないが、こういった、間質性肺炎の診断と治療という過程における、さまざまなアクターの絡まり合いを丁寧に追っていくことは、下記でストラザーンとモルを下敷きに論じたMDDの議論について、さらなる新しい視点をもたらし得るだろう。

satzdachs.hatenablog.com

 乳酸発酵素の議論はそのまま、医療において新しい抗体や受容体、ホルモン、あるいは診断概念が発見される過程に重ね合わせることが可能であろう。「信州大学消化器内科の浜野らの語るIgG4関連疾患と正確に対応する疾患」は浜野ら以前には存在しない、対応を生みだす関係性が浜野ら以前には構築されていない、云々。発展の目まぐるしい医療の世界においては、不断に新たな疾患が制作され、あるいは実在していく。

 あともうひとつ、呼吸器内科医として私がラトゥールに触発されるのは、プラズマ的外部という概念である。医療こそ、常に「まだ計測されておらず、まだ社会化されておらず、まだ基準設定の連鎖に組み込まれておらず、まだカバーされ、調査され、動員されておらず、あるいは、主体化されていないもの」を意識しなければならない実践である。
 再び間質性肺炎の話に戻るが、経験豊富な医師でさえ、初めてみるようなCT画像所見や、予測しなかった臨床経過を辿る患者に出会うことは珍しいことではない。あるいは単に、必要な情報を集められないままに治療を開始しなければならないことは、もっと日常的な出来事である。すべてを観測できているわけでも、すべてを知り尽くしているわけでもないなかで、「呼吸器内科医+気管支鏡+…」というアクターネットワークに組み込まれていない「何か」が、プラズマ的外部があるということを前提に医師は医療をしている。それはあまりに自然に行なっているがゆえに、むしろ医師にとっては何ら特別なことを言っているように聞こえないかもしれない。
 そう考えると、私たち医師にとってのラトゥールが言うところの「議論を呼ぶ事実」は、希少疾患や難渋した症例について論文にまとめる、「症例報告」という形式がひとつあてはまるのかもしれない。そういった視点から、日々の医療実践と、それを論文にまとめて科学的な議論の俎上にあげること、基礎医学的な研究成果が臨床を変えていく過程、それでもなお永遠に目の前の患者の身体で起こっていることのすべてを知り尽くせない、コントロールし尽くせない=プラズマ的外部が残り続けるということを論じるのは、刺激的な議論になる可能性がある。

(7) 補遺① ダナ・ハラウェイとラトゥール

 「人間+銃」、あるいは「呼吸器内科医+気管支鏡」という、非人間的なテクノロジーと人間の接合体というモチーフは、必然的にダナ・ハラウェイの議論を想起させる。サイボーグ・フェミニズムについては、下に掲載するブログを参照されたい。

satzdachs.hatenablog.com

 ラトゥールは『わたしたちが近代人だったことは一度もない』 (We Have Never Been Modern) 〔邦訳『虚構の「近代」――科学人類学は警告する』〕において、「自然文化」(nature-cultures)という概念を提出している。先にみてきたように、モダニズムを特徴づける自然と文化という二元論的な分断を疑ってかかるラトゥールは、「自然」と「文化」のあいだにハイフンを入れる。「自然」「文化」という用語から、このふたつの概念のあいだに対話的な関係があることはなんとなくわかるし、それが複数形になっていることから、影響や相互作用が複数あることもうかがえる。
 『Medium 第2号 特集:ダナ・ハラウェイ』(七月堂、2021)に掲載されているターシュ・ベイツ「わたしたちがホモ・サピエンスだったことは一度もない」において、フェミニズム理論家マリアン・デコーヴェンの議論を引用しつつ、ハラウェイ『伴侶種宣言』における「自然文化混淆体」(naturecultures)の概念に注目している。たしかに自然文化の関係性の解釈がひとつではないことを示唆する点では、ハラウェイの「自然文化混淆体」という用語は「自然-文化」と変わらない。しかし、ふたつの単語をひとつに折り畳んだハラウェイがこだわっているのは、自然文化混淆体が対話の関係ではなく共時構成の(co-constitutive)関係にあるということ、つまりそれは自然と文化それぞれに付随するあらゆるものが相互に絡まりあったものである、という点である。

(8) 補遺② 「存在論的転回」との関連について

 『現代思想 第44巻第5号 人類学のゆくえ』(青土社、2016)に収載されている、久保明教「方法論的独他論の現在」では、人類学において一大ムーヴメントを形成している「存在論的転回」に至る3つの系譜のうちのひとつとして、ANTを位置付けている。
 自然/社会の近代的分割は、自然の領域と人間的な領域を一方による他方の規定という仕方で捉える非対称的な分析視角を伴う。古典的な人類学においては、自然/社会を正しく区別する近代社会と両者をあやまって混同する(=妖術や精霊といった社会的解釈の産物を現実の存在とみなす)前近代的な社会という分割を構成していた。
 またその後、「異なる文化に属する人々は異なる仕方で世界を捉える」という相対主義的な文化観が現れたが、それもまた、世界の有様は人々による認識や解釈によって構成されるという相関主義的発想(自然<社会)と、その前提となる「人々によって異なる仕方で捉えられる事象もまた自然科学によって同一の地平で捉えられる現象である」という素朴実在論的発想(自然>社会)の接合によって成り立っている。
 これまで繰り返し書いてきたように、ラトゥールは、自然/社会、科学/文化、近代/未開という対句により把握されてきた諸領域をアクターのネットワークとして捉えることで対称的に分析する、非近代論的な人類学のあり方を提唱してきた。人間と非人間を含む様々なアクターが織りなす関係を通じて特定の現実が生み出される過程を追跡するANTは、自然と社会の近代的な分割の背後に、両者を混ぜ合わせるアクターの動態を見いだす。
 実験室人類学から科学技術社会論に至る系譜において、主に近代における科学技術を対象としてきたANTだったが、一部の人類学者にとっては、未開/近代の対称的分析という構想という観点から興味を引いた。妖術や精霊といった事象を現実そのものではなく人間による解釈や意味づけの産物とみなすカント主義的視角が否定されうるのであれば、それらを乳酸発酵素や真空状態と同じように人間と非人間が織りなす関係性の産物として捉える新たな分析が可能になる。

 久保が論じている残る二つの系譜は、在来知的な研究の流れと、ポストモダン人類学からポストプルーラル人類学へ至る流れである。特に後者について補足しておくと、ポストモダン人類学は、民族誌による異文化表象の産出自体が西洋近代による周辺社会の認識論的搾取の一環を担うという批判に端を発し、他者表象の脱植民地化を目指して、彼ら(調査対象となる人々)を表象する私たち(民族誌の筆者および読者)の視点を私たち自身が反省的に捉えるという図式である。その流れを汲んで現れたポストプルーラル人類学において、例えばストラザーンの民族誌記述は、先にも論じたように、自己と他者のすれ違う視点を具体的な事例分析を通じて部分的に接合することで読者の思考の暗黙の基盤を揺さぶり、他方向への思考の改変を「喚起」する装置として構成されている。

 それら3つの系譜が合流するところに現れた「存在論的転回」というムーヴメントは、決して単色ではなく、さまざまな論者がひとまとめにされている。しかしその共通の特徴として言えるのは、カント的相関主義というバランサーを切り落とし、それが支えていた「単一の自然/複数の文化」という従来の図式への批判に基づいて、この世界に存在するものについての他者の見解を「真剣に扱うこと」(taking seriously)を提唱する。そこで現れる図式は「単一の文化/複数の自然」である。
 なお久保は、下記の通りに存在論的転回を批判している。「それが生み出す知の有様とその実定性を明確に示すことがない限り、周辺社会の視点から西洋近代を相対化するポストモダン人類学の亜種(表象に代わる思考の脱植民地化)として、文化(彼らが解釈する世界のあり方)から存在論(彼らにとっての世界のあり方)に名称のみを置き換えただけの議論として批判され続け、新味がなくなるにつれて衰退するだろう」。

*1:B. Latour, Reassemgling the Social: An Introduction to Actor-Network-Theory, Oxford University Press, 2005, p.39.

*2:B. Latour, Changer de société- refaire de la sociologie, La Découverte, 2006, p.238.