<お笑いと構造 第10回> 現代ツッコミ論考

 前回は、「既存のお笑い体系からの脱出法」と題して、メタとシュール、そしてぺこぱをテーマに解説をしました。

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 今回は、漫才の進化が顕著に分かる別の題材として、「ツッコミ」に焦点をあてたいと思います。ただ、「現代ツッコミ論考」という大それたタイトルをつけましが、分類を目的にはせず、ツッコミが多種多様になってきていることさえわかってもらえれば幸いです。

1. ツッコミの基本

 以前論じたように、ツッコミとは一般的に「相方(ボケ)を注意し正す役割」とです。例えば「川に溺れている子供を助ける」というコント漫才を考えます。「大変だ、177に電話しなきゃ!」というボケに対して「なんで天気予報やねん!」とツッコんで笑いが起きたとしたら、それは指摘された「正しいこと(共通認識)」に対して観客が「確かにそうだよね」と納得していることになります。この「納得感」によって笑いを起こすのがツッコミの最も基本的な形態です。
 なお、ボケ部分が長く、「ツッコミはいつこれを指摘するんだろう」という気持ちが観客に生まれ始めたら、それは期待感も煽られていると言えるでしょう。

2. たとえツッコミ、スマートツッコミ

 ツッコミが進化してきた先駆けであり、かつ今でも第一線のお笑いの現場で使われているものは、何といっても「たとえツッコミ」でしょう。理解しやすいように、たとえツッコミが代名詞であるくりぃむしちゅ~の上田さんの例を挙げてみましょう。彼は、”似て非なるもの”に対して、以下のようなたとえツッコミをします。

全然違うわ! 阿藤快加藤あいぐらい違うよ。

 ここにおいて、「共通認識を提示する」というツッコミ本来の役割は一文目の「全然違うわ!」で終えています。そのあとの「阿藤快加藤あいぐらい違う」というのは、もはや(狭義の)ツッコミではなく、「全然違う」という概念を一見全く関係のない「阿藤快加藤あい」に結びつけた意外性という意味で、ボケに近いと考えることができます。

 これをさらに発展させたのは、フットボールアワー後藤輝基さんの「スマートツッコミ」です。これはとあるテレビ番組で使われ始めた表現で、実は明確な定義はないのですが、同じように「(狭義の)ツッコミかどうか」という観点からみると、その何たるかに近づくことができます。
 「スマートツッコミ」の最も代表的な例として、「2つの比較対象に差があるとき」に使う以下のフレーズがあります。

高低差ありすぎて耳キーンなるわ!

 先ほどのたとえツッコミと比較するとよく分かるのですが、ここにおいて、もはや「誤りを正そう」という意図は感じられません。つまりスマートツッコミとは、ある対象/相手に向けて指摘する口調で話すという形式だけを借りながら、むしろ、その与えられたセッティングを踏まえて積極的に「ボケ」ることなのです。

 ただ、このツッコミという形式に乗じてボケるというのは、そのぶん納得感の笑いを捨てていることになりますから、いわば諸刃の剣です。漫才のパターンが指数関数的に増加している現状、他のコンビと何とか差異化を図ろうとして、ツッコミが特定のフレーズを繰り返したり、あるいは独特な言い方をしたりという漫才が年々増えてきていますが、それは結局「変なツッコミの漫才」の域を出ておらず、ある一定以上の評価を得るには限界があるように思えます。これはあくまで私見ですが、よっぽどオリジナルなスタイルを確立しない限り、まずは納得感のあるツッコミを基本にするのがよいと考えています。

3. 霜降り明星:ツッコミで初めてボケが完結する

 次は、2018年のM-1グランプリ王者の霜降り明星について触れたいです。
 霜降り明星におけるボケというのは、従来と比較して一ひねりも二ひねりもしてあるため、それ単体ではやや分かりにくいのが特徴です。例えば、M-1の一本目で披露した「豪華客船」のネタのなかで、ボケのせいやさんが、ハンドルを時計回りと反時計回りの交互に回す動作をしながら、「こっから明日~こっから今日~」と言うくだりがあります。それを二度繰り返すのを待ってから、満を持して粗品さんが

日付変更線で遊ぶな!

 と言います。これも、相手に指摘する口調という「ツッコミ」の形式だけとってはいますが、実質的には、せいやさんの動きと粗品さんの言葉の2つが揃って初めて、一つのボケとして完結すると解釈する方が自然です。間違いなくこれが、現代のお笑い界の(広義の)「ツッコミ」の最先端であると言えると思います。

 ボケ単体ではわかりにくく、ツッコミのフレーズによって完結するという意味では、東京ホテイソンも挙げられるでしょう。ショーゴさんのマイムに対して時間が長めにとられて、満を持してたけるさんが備中神楽の囃子ことばにアレンジを加えた調子でツッコむのが基本スタイルです。
 これは一つの発明ですし、ナイツ塙さんが言うところの強力な「ハード」を作り出したことになるのですが、まだ一度もM-1の決勝に行けていないのが現状です。しかしそれでも彼らは進化を続け、「回文」、そして「英語」のネタは、これまでのフォーマットを生かしながらさらにその一歩先をいく革新的な要素があり、衝撃を受けました。紙幅の都合で今回は説明しきれませんが、何やら今年もさらに進化しているという噂を聞いたので、また彼らの今後に注目です。

4. カミナリ:伏線回収

 上述した霜降り明星東京ホテイソンは、書き下すと「(明らかに目の前でおかしなことが行われているが)何か分からなかったけど、すっきり言語化された」ということになると思います。それに対して、これから紹介するカミナリは、「今まで(おかしなところがあることすら)全く気が付かなかったけど、言われてみればそうだ」というツッコミを得意とします。

 例えば、M-1 2016の決勝で披露された「川柳」という漫才では、ボケのまなぶさんが「実はね、うちの社交的なじいちゃんが川柳めちゃめちゃ得意で」という導入から始まります。この「社交的な」という部分には冒頭で触れないままに漫才は進んでいくのですが、後半、以下のようなくだりによってその伏線が回収されます。

たくみ:さっきから俺のことはめようとしてるな。俺が川柳で来ちゃったら立場ないから。だから変なテーマばっかやってくんだべ。
まなぶ:うっせえ。
たくみ:ちがう、うっせえじゃなくて。俺をはめようとして変なテーマばっかやってるんでしょ?
まなぶ:ああもう、うっせえうっせえうっせえうっせえ。あっちいけ。
たくみ:社交的なじいちゃんの孫とは思えねえな。

 このやりとりが始まった当初では、このやりとりの意図が何なのか、そもそもボケなのかも分かりません。しかしそれがたくみさんの最後の一言によって、一気に冒頭のやりとりを観客が思い出し、笑いとなるのです。つまり、ステルスにされていたおかしな部分の指摘による意外感から、その後に遡及的に納得感が訪れる構図になっています。これを一言で端的に言うと、「伏線回収」ですね。

 ここでは最も分かりやすい例をひきましたが、カミナリの漫才には大小様々な伏線とその回収が複雑に絡み合っていて、今の漫才師のなかでも指折りのギミックの精密さがあります。それが方言によっていやらしくなさ過ぎなくなるというか、狙っている感じが薄まるというのも何ともよくできているなと思います。ちなみに、M-1 2017での「一番強い生物」はさらに台本が洗練され、後半に怒涛の伏線回収が待っています。

5. スリムクラブ:スロー漫才の頂点

 ここまで、ツッコミの基本形、たとえツッコミ・スマートツッコミ、霜降り明星、カミナリと話してきましたが、この並びにも意図はあって、この順にボケからツッコミまでの間がだんだんと長くなっています。「間が命」としばしば言われるように、基本的なツッコミの場合なら間髪入れずに誤りを正すことが大切になってくるわけですが、例えば伏線回収をするならば間をとって溜めに溜めたすえに放出する、ということになってくるわけです(前節で書き漏らしましたが、その「間」を不自然に見せないための、たくみさんがまなぶさんの頭をはたいてじっと見合うという演出があり、あれも一つの発明だと思います)。

 それではさらにその限界すらも超えて間をとるコンビは誰かといえば、M-1 2010の決勝で世間に衝撃を与えたスリムクラブです。彼らは、適切なツッコミの間を逃してこそ、その奇怪な世界観をより効果的に演出することに成功しているのです。

真栄田:間違ってたら、失礼ですけど、あなた以前、私と一緒に、生活してましたよね?
内間 :………………………………………してません。

 街で出会った見知らぬ人に声をかけられるというネタにおける一幕。この「………………………………………」がどのくらいの間なのかは実際の映像を観てもらうほかないですが、当然、即座に「してないよ!」と言う間は逃しています。そこから間をとってたとえツッコミをしたり、さらにそれから上述したような他のギミックを使う間すらも逃します。そして、観客がみな頭のなかにあらゆるツッコミのパターン浮かべては捨て去り、果たして何を言うんだという思いが最高潮に高まったところで、「してません」という一周まわって一番普通のツッコミがくるのです。これには当時、ほんとうに痺れました。
 極限まで漫才のテンポを落として初めてこれは可能になったことで、その前年まではキングコングトータルテンボスNON STYLEパンクブーブー、ナイツなど、ある面でいかにボケ数を詰めこむかという競争になっていた賞レースの世界の常識を根底から覆したのです。

内間 :なんとかならんかねえ?
真栄田:民主党ですか?
内間 :………………………………………この状況でね、民主党のこと考えるの、民主党にもいませんよ!

 そして私が特に好きなのは決勝の二本目のネタで、知らない人の葬式に真栄田さんが行くという設定の漫才のこのくだりです。先ほどと同様に、「………………………………………」の間で観客の頭に様々な考えが去来し、間髪入れないツッコミのフレーズがなくとも笑いが訪れるわけですが、そこから内間さんが普通の返しをすると思いきや、「この状況で民主党のことを考えるのは民主党にもいない」という全く予想外の、しかし非常に説得力のあるフレーズがくるのです。この言葉は、「………………………………………」の間で誰も想像できなかったはずです。だからこそ、意外感の破壊力が通常のそれとは比べものにならないものになる。こちらも極限までテンポをスローにし、そして一本目のネタでスタイルを観客に知ってもらえたことによって可能になったくだりです。

6. 終わりに

 以上、「ツッコミ」という一言で括られるなかにも色々なバリエーションがあるということを、比較的最近の漫才師を例にとりながら説明してきた。触れられなかったネタも当然たくさんあるので、それについてはまた別の機会に触れたいと思います。
 実はこれで、<お笑いと構造>という連載を始めたときにとりあえず出そうと思っていた10本を書き終わったことになります。というわけで次回どんな記事を書くのかは未定ですが、また紹介したいものがあれば更新しようと思います。なお、現代お笑い概論の他の連載は引き続き書いていくので、そちらもよろしくお願いします。