2022年7月〜12月に読んだ本

7月

2245 四元秀毅 編『結核の知識』(医学書院、2019)

 広く浅く結核について学べる本。個人的には、入院勧告の対象や、LTBIの治療適応などについて一部混乱があったのと、病態生理と画像との対応のレクチャーが役に立った。しかし臨床で実践できるようになるまでは他の本が必要であろう。

2246 まんしゅうきつこ『アル中ワンダーランド』

 導入が絵のタッチと相まってゾッとする。サクッと読める。

2247 佐藤智寛 『Dr.とらますくの採血&静脈ルート 確保手技マスターノート 』(ナツメ社、2017)

 今更ながら、ロジカルにこの辺りのコツを解説してくれる本を探して手に取った。初歩の初歩から書いてくれているが、「針を寝かせるときの回転の支点は針の先端に置く」とか、だからあれは失敗したのかと思い当たる節のあることが言語化されていてよかった。

2248  アネマリー・モル『多としての身体』(水声社、2016)(再読)

 臨床医をやったうえで、自分の働いている場がここにあるな、という感覚を得ながら読めたのがよかった。あとはストラザーンを読んだうえでここに戻ってきたことで、観点主義とポスト多元主義、「一よりも多いが、多よりは少ない」等の問題意識がよりわかった。前回読んだときは前半に気を取られていたが、後半も良いこと書いてた。ただ複数の善などの話は、一つの実在にも過激な構築主義に陥らないというスタンスが通底しているのはわかるが、まだケア論との接続がうまくいっていない。

一つの医療施設においても、たくさんの異なる動脈硬化がある。そうは言っても、その建物は、決して開くことのないドアによって棟に分けられているのではない。異なる形式の知識は、互いに孤立しているパラダイムに分けられているのではない。これは、病院の生活の偉大な奇跡の一つである。病院には異なる複数の動脈硬化が存在しており、それらには差異があるにも関わらず、複数の動脈硬化はつながっている。実行された動脈硬化は、より多い——しかし、多よりは少ない。(92頁)

 これとか、臨床の実感にも合致していて、かつモル的なポスト多元主義の提示としてクリアカットにまとまっていて非常に良い記述である。

実践に先行して原則に基づいた議論があるのではない。そうではなくて、異なる実践が、それぞれ独自の原則を内包しているのだ。(…)Z病院の動脈硬化は、ここではあるものであり、もう少し先では何か別なものなのである。それは、痛みと詰まった動脈の両方であるが、同じ場所でその両方であるわけではない。診断においては痛みであり、治療においては詰まった動脈である。実在は分配されている。(144頁)

病院での日々の実践において、動脈と患者は推移的な関係にない。そうではなく、異なる場所に分配されている。患者は外来診察室で話、動脈は放射線科で逸脱した存在者として実行される。あるいは、まず患者が話し、後に動脈が治療される。したがって、逸脱した動脈の実在は、病気の患者の内部にではなく、横に位置づけられている。(177頁)

  これもよい。「私たちはここで、血管を治療しているのではありません。患者を治療するのです」(176頁)なんていう言葉は信用ならない。「どちらも治している」わけでもない(そう言うとき、「病い」と「疾病」を分断させている)。まさにそれらは重なり合いつつ、異なる存在であるのだ。

むしろ、切り替えはまさに、スイッチである。このスイッチが、手術を、一つかそれ以上の動脈への介入から、一つかそれ以上の生命への介入に変える。これは、皮膚の下の細部から全体としての患者へのズームアウトではなく、カメラを横にずらして別の客体に焦点を当てるということだ。(178頁)

2249 増井信高『POCTハンター 血ガス・電解質・Cr・hCG×非専門医』(中外医学社、2022)

 血液ガスそのものの読み方を指南しているのは前半部で、しかもエッセンス自体は少ない。しかし逆にそれだけ頭に入れておけばよいということか。あとの半分は救急における電解質異常、婦人科疾患の対応がメインとして載っている。処方まで詳しいのでそれは有難いが、一方で本書の主目的として難解な血液ガスの読み解きを期待した人にとっては物足りないかもしれない。

8月

2250 宇佐見りん『かか』(河出文庫、2022)

 「うーちゃんは」の一人称、関西弁とも九州弁とも似つかない極度にローカルな「かか弁」の文体、が主人公の幼さ、醜さを際立たせて表現している。しかしそれで描かれるのは、男性と女性の関与によって生じる出産が女性のほうにアンバランスにもたらす不条理さ、母と娘という関係性とそれの転覆を目指す無理解的な発想、等々であり、その歪さが生々しく立ち現れている。

2251 松田 光弘『誰も教えてくれなかった皮疹の診かた・考えかた』(医学書院、2021)

 基本的には「紅斑」の診かたの本であるが、めちゃくちゃタメになった。非皮膚科医にとって病棟管理でちょうど必要なくらいの病態の説明に留めて、かつ、どのようなフローチャートで思考すればいいかも明瞭にまとめてくれている。皮疹が出たと病棟からコールがあっても怖れなくなる本。

2252 近藤和敬『ドゥルーズガタリの『哲学とは何か』を精読する 〈内在〉の哲学試論』(講談社選書メチエ、2020)

 概念を創造するのが哲学である。哲学と哲学史についてこれまで思っていたようなことをすべて裏切られるような刺激的な読書体験であった。

2253 佐藤達夫『注射のための解剖学』(インターメディカ、2021)

 今後静脈採血や静脈路確保で失敗した際の復習に使いたい。

2254 ドゥルーズガタリ『哲学とは何か』(河出文庫、2012)

 近藤和敬の本と併せて読んだ。

2255 『治療 2021年9月号特集 とことん極める! 腎盂腎炎』(南山堂、2021)

 泌尿器科志望であろうが総合診療科志望であろうが内科志望であろうが、必ず付き合っていかなければならない腎盂腎炎、ないしは尿路感染症について、臨床の痒いところに手が届く本。尿培養から真菌が入ればどうすればいいか、カテーテルの交換に意味はあるのか、AFBNとは何なのか、など、知りたい情報がコンパクトにまとまっていて最高。必読だと思う。

2256 千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書、2022)

 現代思想に関する入門書はいくつか読んできたが、このような構成・コンセプトの本は初めてで新鮮であった。現代思想の根本的な思考を「脱構築」に置き、デリダは概念の脱構築ドゥルーズは存在の脱構築フーコーは社会の脱構築を推し進めた人物として紹介する。それからその現代思想の潮流にある思想としてニーチェフロイトマルクスを紹介し、精神分析ラカンルジャンドルを紹介する。ここまででも充分におもしろい構成だと思ったのだが、その次の章が「現代思想のつくり方」なのが特に目を引いた。
 それまでのデリダドゥルーズフーコーの思想に通底する態度を(敢えて、戦略的に)一般化し、こうすれば現代思想を「つくれる」と読者を煽る。このような筆者の態度は、(こちらもまた敢えて、戦略的に)「自己啓発」や「ライフハック」といったビジネス本のような言葉遣いをするそれと同じものだろう。そのあとのポスト・ポスト構造主義の紹介からの、「単数の否定神学的なXへと集約せずに、複数的な問題にひとつひとつ有限に取り組む」という提起で締める最後は、入門書でありながらも、千葉氏なりの「解釈」を存分に押し出してもいる。
 個人的には、「素手で」とは言わないまでも、人文系の院生でもない私は入門書を読んだうえでも何度も哲学書の難解な文章に挫折を繰り返してきたので、「付録 現代思想の読み方」で「こうやって読むものなのか」と目から鱗が落ちる気分だった。千葉氏が後書きで言ってたところの「駒場」的な空気を味わわせてもらって、大変ありがたい本である。
 現実的には、こうやっていろんな入門書の入門書的な本に加えて、入門書的な本、そして原著、を繰り返し行き来しながらちょっとずつ理解を深めていくしかない、というのは確実にそうなので、その努力を続けていくしかないのだが。
 「単数の否定神学的なXへと集約せずに、複数的な問題にひとつひとつ有限に取り組む」とかは、今のケア論の流れとも共鳴し合っていておもしろい。

2257 鈴木真事『ビジュアル基本手技 7―カラー写真とシェーマでみえる走査・描出・評価のポイ 必ず撮れる!心エコー 大型本』(羊土社、2008)

 心エコーの当て方を実際にあてているわかりやすい写真とともに解説してくれる。基本が集約された良書だと思う。

9月

2258 西嶋佑太郎『医学用語の考え方,使い方』(中外医学者、2022)

 医師/医学生であれば、漠然と使い分けていたり混同していたりする用語について、著者の徹底的な調査によって歴史から理解する。マニアックではあるが、我々にとってはあるあるの話でもあって、読みやすくつくられていると思った。

2259 杉山裕章『個人授業 心電図・不整脈 ホルター心電図でひもとく循環器診療』(医学書院、2011)

 ホルター心電図を学ぶ機会がなかったので、総論的に学習した。

2260 『芸人雑誌 volume7』(太田出版、2022)

 真空ジェシカの表紙が欲しくて購入したが、マヂカルラブリーのインダビューが読み応えがあった。中身がないみたいなことを「遅延行為」と言い換える言語感覚は野田氏っぽくて好きだ。あとは「内輪の拡大」という表現もちょうど自分のそれと一致していたので、プレイヤーの方もそう思っているのかと勉強になった。 関係ないが、雑誌のなかで2回も雷獣についてメンションがあって、ほんとに存在が大きくなりつつあるんだなと感心した。壊れないかだけ心配だけど陰ながら応援している。

2261 河合真『極論で語る神経内科』(丸善出版、2018)

 当院に神経内科がないので、研修医が学ぶ程度のことが勉強できたらと思って手に取ったが、痒いところに手が届く感じの内容ではなかった。

10月

2262 村上春樹中国行きのスロウ・ボート』(中央公論新社、1986)

 彼の作品の描く女性は、男性を翻弄する未知の存在にみえて、結局は男性に慰みや快楽を与えてくれる都合の良い存在でしかないように思えて、あまり好きになれない。

2263 佐藤雅也 編『レジデントのための食事・栄養療法ガイド』(日本医事新報社、2022)

 いまの自分にとって応用可能なレベルを超えていて、ここまで考えて病棟管理できないよ……となった。いつか参照するためにとっておきたい。

2264 佐藤泰志きみの鳥はうたえる』(河出文庫、2011)

 『草の響き』がとにかく良かった。自律神経症で病んだ男が治療のために走り始め、いつしか当初の意味を超えて走るという行為そのものに没頭していく。職を失ったりノッポの死であったり待合室にいる女だったり、物語には喪失が通奏低音としてあるのだが、しかしその奥にたしかな生命の息遣いを感じる。草の響きが生きているということそのものを証明する。「僕は無言でたんたんと走っている。いったい何を病んでいるというのだろう」。『きみの鳥はうたえる』はある意味で想像を超えず、そこまで気に入らなかった。

2265 小林健二『極論で語る消化器内科』(丸善出版、2018)

 やはり消化不良感が否めないものの、極論シリーズのなかでは良いほうだった。

2266 チェーホフ『かもめ・ワーニャ伯父さん』(新潮文庫、1967)

 どん詰まりになってピストル自死というある種のお決まりのエンディングを迎える『かもめ』にはチープさも禁じ得なかったが、それとのコントラストで余計に、ソーニャが耐え忍びつつ自分の生を生きることについて高らかに宣言する『ワーニャ伯父さん』には胸を打たれた。

「でも、仕方がないわ、生きていかなければ! ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時がきたら、素直に死んで行きましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい! と思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、微笑ましく振返って、私たちーーほっと息がつけるんだわ。

2267 猪飼 浩樹ほか『レジデント・ジェネラリストのためのリウマチ・膠原病診療』(メジカルビュー社、2022)

 呼吸内科診療をやっていくうえでリウマチ・膠原病疾患は避けては通れないだろうと思い読んだが、めちゃくちゃ良かった。書かれていることは初学者向けというより痒いところに届く系だが、地味にコラムとして各疾患の全体像をサマライズしてくれているのがありがたい。治療のフローチャートも末尾にまとめられていて、リウマチ・膠原病疾患に関してこの本以外に必要あるのかと思うほどの充実度。文章も読みやすく、6000円弱で大変満足のある一冊だった。

2268 舞城王太郎『Jason Fourthroom』(ナナロク社、2022)

ちょっと声が聴きたくなって/なんて言って電話して/一体それから/何を喋ればいいんだろう?

2269 今井直彦『極論で語る腎臓内科』(丸善出版、2022)

 酸塩基の話、電解質の話が本書のかなりの部分を占めていて、内容的に『POCTハンター 血ガス・電解質・Cr・hCG×非専門医』と比較しながら読んだ。前者に関してはそこまで新しい学びはなかったが、後者に対しては苦手な低Na異常などが理屈こみでクリアカットに書かれていて、かなり頭が整理された。

2270 木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社、2020)

 めちゃくちゃ凄い本だった。短歌(に限らずだが)の方法論と言うと、感覚的で曖昧な芸術論みたいなものも少なからずあると思うが、この本は徹底的にロジカルで明確な作戦と技術がある解説書であった。ここまでやっている人ならそら短歌の世界で売れるのも必然だよなと思わされる圧巻の語り口であった。一方で読者をアジテートするような部分さえ持ち合わせていて、読めば誰でも短歌を読みたいとなるのではないか。

真似をして真似をしてはみ出る部分がオリジナリティと呼ばれるものだ。オリジナリティは気にしなくても読者が見つけてくれる。/そこに魔法なんてない。ただ地道な作業があるだけだ。/つくり始めて300首くらいまでは57577をはみ出さず定型を守ってほしい/助詞を抜くな。/余白に甘えるな。/いまこの瞬間、あなたが見ている月について言葉はいらない。どんな言葉よりもその月のほうがうつくしいからだ。(…)それが思い出になったとき、目を閉じてもう一度その記憶のなかの月をよく見てほしい。おそらく何かが欠けていて、何かが不鮮明になっているはずだ。そこにこそ詩の入り込む余地がある。/僕が歌集を出すために短歌で説得したのは、おそらくたったの数人だ。/(困ったら)雨を降らせろ。月を出せ。花を咲かせろ。鳥を飛ばせろ。風を吹かせろ。ひかれ。だれか、何かを待て。時間、空の様子、季節を述べろ。/予定調和的な言葉のつながりを避けよ/言わなくてもわかる箇所なども積極的に避ける/手っ取り早いのはその逆だ。すでに名付けられた「もの」の意味を分解し、言葉による固定を流動させることによって詩を生むことだ。わかる「もの」をわかりにくい「こと」にして理解のスピードを遅くするというのがひとつの手法としてある。/もしもいま、普通ではないと感じるのであれば、短歌を後回しにして、そのことを解決するために時間を使ってほしい。/小説家の舞城王太郎さんが『阿修羅ガール』でガラケーのボタンを押す音を「にちにち」と表現していたのですが、それと同じくらいの最適さを持って読者の認識を固定する力のある擬音、すばらしい発明です。

  あとは本書内で紹介されていた彼のこの二首が好きだった。

ばあちゃんはいつも本屋でぼくに買う本の厚さをよろこんでいた 七月、と天使は言った
てのひらをピースサインで軽くたたいて

11月

2271 坂本 壮・田中竜馬編『救急外来、ここだけの話』(医学書院、2021)

 充実のボリューム。別に2年目でなくて1年目から救急外来の振り返りに使える本だったと思う。ともかく振り返ると気になる点がちゃんと書いてある。

2272 『ユリイカ 金子國義の世界』(青土社、2015)

 バーに置かれている絵に惹かれて読んだ。彼の絵は、私が今いる土地の思い出をいろどるものとして忘れないものになると思う。

金子國義アリスの画廊』を見て驚いたのは、描かれた顔、顔、顔の信じられない正面性でる。フロンタルとでもいうか。無理な姿勢であってもとにかく顔は正面を向いている。しかもくっきりした眉、高く少し上を向いた傲慢そうな鼻、眉と距離のある大きな目。それこそ観相術的にカネコ・フェースとでも呼びたくなるような一類型しか出てこない。顔に表われるはずと永く信じられてきた心の襞の人間性の多種多様、十人十色性がきれいさっぱり否定された世界なのである。 要するにマヌカン、マネキン的人間のイメージが登場する。博物学から観相学が、そしてそこからファッション・プレートが誕生してくるという、知られざる近代誕生劇のスリリングな瞬間が、金子國義によってなぞり返されていく。(125頁)

金子氏が描く若い女や男たち――彼らは第二次性徴の未だ不完全な「少女」 や 「少年」ではなく、「女性」や「男性」という、肉体や性的欲望の存在を無化したような言葉も似合わないカタレプシーのようにこわばり、その皮膚や四肢は硬質で無機的な素材を思わせる。彼らは濃密に性的な匂いを漂わせているにも関わらず、常にどこか不自然で、観る者に異化効果のようなものを感じさせる。 意地悪で我侭そうな顔つきの、つまり金子作品におなじみの相貌を備えた女の子たちは、固く突き出した乳房と引き締まったウエスト、豊かな肉付きの臀部と太腿、細く真っ直ぐに伸びた膝下を持ち、その体つきはセクシーでエロティックでありながら、同時に鋼製の人形も連想させる。そんな男女が繰り広げる場面は、ときに露骨に卑猥である。 外性器を誇示したり、複数人の間で性愛の営みを展開したりしている。しかしこのような場面は、現実的な劣情を喚起させるというよりも、むしろ組体操による活人画じみている。金子氏の絵画の登場人物たちは、多くの場合、観る者を見つめ返しておらず、観者の存在に気づいていない(あるいはひたすら無頓着である)。しかしその情景は、舞台上の演者たちが、瞬間的に凝固した活人画のように見える。密室じみた空間でのエロティックな行為を窃視しているつもりで、実は観客の存在を予め想定したスペクタクルを見せられているかのような、反転構造がそこにはある。その光景を眼差す者もまた、時間の凝固した
劇場空間の中に閉じ込められてしまうであろう。(171頁)

2273 若原直人『やさしくわかる眼の診かた』(羊土社、2017)

 初期研修医にとっても有用だが、(あまり系統だった教え方をされない)医師国家試験の勉強においても全体像の把握のために使える本だと思った。「超コモンから救急まで“眼底”“眼圧”なしでもここまで診れる!」というサブタイトル通り、眼科医に特別な検査なしに考えるべき疾患、その病態がまとまっていた。総合診療科から眼科医に転科(!)した著者だからこそ、どちらの気持ちも汲んでくれる内容になっていてよかった。

2274 中井久夫分裂病と人類』(東京大学出版会、1982) 

 現在中心的・カイロス的な狩猟採集民の時間から、がクロノス的時間が流れ始めた農耕民への変化、そこで「微分回路」を持つ分裂病気質の位置付けがどのようになってきたのか、非常に大局的な歴史観ではあるがとても慧眼であると思った。

微分回路は見越し方式ともいわれ、変化の傾向を予測的に把握し、将来発生する動作に対して予防的対策を講じるのに用いられる。まさに先取り的回路ということができる。またウォッシュ・アウト回路と言われるごとく、過渡的現象に敏感でこれを洗いだす鋭敏さがあり、 t=0 において相手の傾向を正しく把握する。 しかしこの〝現実吟味力”は持続しない。すなわち出力が入力に追随するのは、 t=0付近だけで、時がたつにつれて出力は入力に追随できず、 すぐ頭打ちとなり漸次低下する。増幅力の維持も不能不定となる。 中等度の増幅力では突然入力にも漸変入力にも合理的に対応できるが、ある程度以上の増幅に弱い。また過度の厳密さを追求して t=0 における完全微分を求めようとすると相手の初動にふりまわされて全く認知不能になるという。(9頁)

もし不安に駆られて完璧な予測を求めようとするならば、これはt=0 における完全微分を求めることで、かえって相手の初動にふりまわされてしまい、発病のごく初期に見られるごとく身近な人物のほとんど雑音にひとしい表情筋の動きに重大で決定的な意味をよみとり、それにしたがって思い切った行動に出る。また入力の変化から将来の傾向を鋭敏に予測し、過渡的現象も見のがしはしないが、時とともに出力の変動は入力の変動を反映しなくなり(現実吟味性の低下)、エネルギー的にも低下、増幅力も維持できず、不安定になる。このあたりは分裂病親和者の疲れやすさ、あるいは分裂病者のポテンシャル喪失を想わせる。(10頁)

逆に「積分回路」は、過去全体の集積であり、つねに入力に出力が追いつけず、傾向の把握にむかないが、ノイズの吸収力が抜群である。両者を対比すれば、前者の特性がいっそうよく浮き彫りされるだろう。(11頁)

われわれが知る現在の狩猟採集民たとえばブッシュマンは、長年にわたり農耕牧畜民の圧迫をこうむり次第に沃野から駆逐され、さらに近代国家の「自然保護地区」からの実力による排除によって絶滅に瀕しており、かつて人類の主流であったおもかげは今はない。それでもなお、彼らが三日前に通ったカモシカの足跡を乾いた石の上に認知し、かすかな草の乱れや風のはこぶかすかな香りから、狩りの対象の存在を認知することに驚くべきである。ブッシュマンは、現在カラハリ砂漠において、彼らに必要な一日五リットルの水を乾季にはほとんど草の地下茎から得ているが、水分の多い地下茎を持つ草の地表の枯蔓をそうでない草のそれから識別する能力にもまた驚くべきである。 要するに彼らの兆候=微分(回路)的能力に驚くべきである。(13頁)

狩猟採集民においては、強迫性格もヒステリー性格も循環気質も執着気質も粘着気質も、ほとんど出番がない。逆にS親和型の兆候性への優位(外界への微分回路〕的認識)が決定的な力をもつ。ここでは「現実から一歩遅れてあとを追う」 (ミンコフスカー粘着気質者についての表現) こと)であれ、「自縄自縛」であれ、遅れるものに用はなく、つねに現在に先立つ者であることだけが問題なのだ。彼らは一般に貯蔵をしない。少なくともそれは彼らの主な関心事でない。(15頁)

ここで、今日の分裂気質がただちに考えられてはならない。分裂気質とは、ちょうどかつて身体闘争などにおいて合理的な意味をもらえた高血圧が、今日の心理的圧力の優越した世界では単なる病気に転落したように、かつての有理性の大方を失い「少数者」に転落したS親和者が、みずからに馴染めない世界のなかでとる構え私が発病論においてみたところでは堅く剣を構える姿勢にたとえうる、それゆえ〝不意打ちに弱い〟「無理の状態」である。(16頁)

狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。農耕社会は計量し測定し配分し貯蔵する (2)。とくに貯蔵、このフロイト流にいえば「肛門的」な行為が農耕社会の成立に不可欠なことはいうまでもないが、貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物である。その維持をはじめ、農耕の諸局面は恒久的な権力装置を前提とする。おそらく神をも必要とするだろう。(20頁)

農耕民の世界が強迫的であることは、むろんその成員が強迫症者であることを意味しない。むしろ、小動植物の狩猟採集が人間のなかからS親和性を抽出し、狩猟獣に倣っての大動物狩猟がそれに願望思考―偏執症の特徴の色調を添えたように、農耕(と牧畜)は人性のなかから強迫性を引き出したというべきである。(1頁)

ここで、"非定型精神病"を周到に培養発症させることによってS親和者分裂病となることを回避させるという意味をシャーマニズムが持ちうることに注目したい。(26頁)

奇妙なことは、無事平和のときには「隠れて生きることを最善」 (デカルトの座右銘) とするS親和者が、非常時にはにわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出で、個人的利害を超越して社会を担う気概を示すことである。(31頁)

ただ、いずれにしてもS親和者が「歴史に選ばれた」気質の持ち主として行動するのは、問題解決者としてでなく主に問題設定者である。彼らはかな徴候から全体を推定し、それが現前するごとく恐怖しつつ憧憬する。(32頁)

2275 喜舎場朝雄 編『間質性肺炎のみかた、考えかた』(中外医学社 、2022)

 間質性肺炎に関して、ガイドラインを除いて「とりあえずあたって読む」という立ち位置の体系だった本がこれまでなかったので、コンセプトに惹かれて購入してみた。ひとりの著者が書いていると勘違いしていたのだが、各章にわけて書く方式で、そのせいもあってか、ざっと通読して間質性肺炎の全体像がみえてくるような構成になっているかというと微妙だった。しかし各章に必要十分な内容があることは確かであるし、ガイドラインよりはもちろん説明してくれているので、重宝はすると思う。

2276 貫成人『図説・標準哲学史』(新書館、2008)

 この本をベースに哲学史の勉強会をしていた。そもそもこの本にどのような配置で哲学者が書かれているのかというのもヒントになるし、なるべく可読性の高い文章を書こうという意図は伝わってきた。一方で、精読しようとすると意味がとれなかったり、結局こちらの知識等で補わないとわからない余白の部分も多くて、おそらく素手でひとりでこれを通読するのはやや厳しいだろう。しかしこの一年はとにかくお世話になったのでこの本には何の文句も言えない。

2277 呼吸器ジャーナル Vol.69 No.3 間質性肺炎 徹底討論!(医学書院、2021)

 実臨床の経験が追いついていない自分にはレベルが高い部分が多いだろうと思っていたが、思いのほか、ある程度基礎知識を入れたうえでここまではかっちり決まっているところで、こっからはわからない(controversialな)ところなのだ、という体感が読んでいて伝わってきてよかった。やはり間質性肺炎分野は自分にとって興味深いものだと思う。

12月

2278 兼本浩祐『なぜ私は一続きの私であるのか ベルクソンドゥルーズ・精神病理』(講談社選書メチエ、2018)

 「再入力の渦」を説明するうえで、ドゥルーズの差異と反復やべルクソンの第ニの縮約、カント、現象学まで、イメージのつながり的に触発されていく著者の書きぶりにはさすがと言うほかない。枝葉を切れば脳神経学的な観点と精神医学(精神病理学)的な観点で考える自己の問題、というやわらかめな学術の本になるのだが、敢えてそれをしないのは彼にとって重要な意味があるからなのであろう(それをすべて理解できたとは言い難い)。自分の体に意味の判然としない文字を書き込む統合失調症患者の話が、何を言いたいがための症例だったのか気になる。

2279 倉原優『呼吸器診療ここが「分かれ道」』(医学書院、2015)

 タイトル通り、呼吸器診療における迷い所、議論になるところについて論じられてる本。平易で可読性が高いうえに、エビデンスがしっかりしていて言い切るところと結論が出ないところのメリハリもよい。

2280 Sports Graphic Number1064号「総力特集 M-1グランプリ」(文藝春秋、2022)

 1000万が大きかった中川家、ネタを隠していたますだおかだ、「ダウンタウンさん以降の漫才のネタってほとんど妄想」と言い切るチュートリアル、折れ線グラフを書いていた霜降り明星、笑い待ちをしないミルクボーイ、読み応えが多かった。

2281 小尾口邦彦『こういうことだったのか!! CHDF』(中外医学社、2019)

 ICUローテで必要に迫られて読んだ。めちゃくちゃ読みやすい。CHDの除水ありって実質CHDFじゃない?と思っていた疑問が解消されてスッキリ。

2282 トーン・テレヘン『だれも死なない』(メディア・ファクトリー、2000)

 今年好きになった画家、金子國義の挿絵なので読んでみた。生きづらさを童話的世界観のなかで描いている。

2283 小尾口邦彦『こういうことだったのか!! ECMO・PCPS』(中外医学社、2020)

 こちらもICUローテで必要に迫られて読んだ。ScvO2のくだりはECMOを超えて重要な話。