青松輝『4』の感想(あるいは、思い出話)

 せっかく記事を書くので、対外的にも文脈がわかるように少しだけ思い出話を書く。青松とはじめに出会ったのは私が中学2年生のときに彼が1年生としてバスケ部に入ってきたときのことだった。しかし青松はすぐに辞めたので特にそのときの思い出は残っておらず、覚えているのは彼と色違いのような名前の同級生がセットでいたことくらいである(そちらの後輩もほどなくしてバスケ部を辞めた)。
 青松と出会い直したのは、灘高の文化祭のN-1グランプリという漫才コンテストの企画である。あの頃のN-1はすごく盛り上がっていて(といってももちろん身内だけのナードなノリだが)、文化祭が終わったあとも出演者でコンビをシャッフルしてカラオケボックスでネタを見せ合うスピンオフ企画をするくらい、漫才が好きな人がたくさん集まっていた。私はネタをつくる才能はなかったが一丁前に評論するのは好きだったので、このブログに書いてあるようなお笑いに関する自説を開陳するのをよく聞いてもらっていた。青松はおもしろいネタをたくさんつくっていた*1
 それから特に親密になることはなく、Twitterでネタツイを頑張っているなくらいの認識でしばらくいたのだが、ふたたび青松の名前を耳にしたのは、数年前、灘とは何の関係もない大学の同級生からだった。曰く「ベテランちのYouTubeがおもしろい」と。私は青松がYouTuberを始めていたのは薄っすら知っていたが、正直内輪ノリの範疇を超えて動画がリーチしているとは思わなかったので驚いた。
 しかし結局、そんな驚きはまったくの序の口で、YouTuberに限らず様々な媒体で青松の名前を目にするようになる。恥ずかしながら噂を聞く程度で積極的に観たものはかなり少ないのだが、GERAで番組をやっていたのと、AUNに出場していたのと、AマッソのYouTubeに出ていた3つは、はっきり言って嫉妬が勝って観られなかったという表現のほうが合っている。別に今の私は単にお笑い好きで細々とブログに文章を書き散らしている素人に過ぎないくせに。

 そんな青松が短歌集を、しかもナナロク社から出したというので、驚いてすぐに購入した。ナナロク社と言えば木下龍也という新進気鋭の歌人と手を組んでいるというくらいの知識はあったし、私が敬愛する舞城王太郎の『Jason Fourthroom』も出してくれた*2ので好きな出版社だ。とはいえ私はズブの素人だ。短歌におけるいわゆる読みのコードみたいなものは知らないし、『短歌ください』に一度だけ応募してしっかり落選したことがある程度の実力である。
 それでも『4』を読んで何事かを言いたくなったので、恥を忍んで本人に感想を送りつけることができる特権を生かしてLINEを送ったのが先日のことである。以下は、その本人宛のメッセージをブログ用に少し改変したものだ。所詮、自分の文章が評論やそれに類する何かではなく、感想の域を出ないものであることは自覚している。

* * *

 はじめに書いたように、青松と私にはそんなに個人的な付き合いがあったわけでもなくて、最近はむしろこちらが各種媒体で姿を追わせてもらっているという立場だった。そういうなかで青松ぽさみたいなもののひとつは、世界へのイロニー的な態度と、それと同居する生の切実さみたいなものの絶妙なバランスなのかなと勝手に思っている。そして実際、私がそういう風に読める短歌はシャープでかっこいい。

みんなエモくなってく夜はそういうものだからね 夜は 夜はつまんない

i days and nights

ぼんやりとした不安のなかでバレエを観て心臓は左右対称でない

iv カミングオブエイジ

 同時に、青松に嫉妬するポイントはやっぱり紛れもなく秀でたユーモア(とそれへの自信)である。それは固有名詞の使い方にすごく表れていて、そこには「これがおもしろいでしょ?」って脳のそういう部分を戦略的に刺激されてるようなあざとさもあるのは事実だが、それでもいいと思えるくらいには好きだ。

冷房の効いてるところ独特の匂い ブラック・マジシャン・ガール

ii 光について

ソラニン宮崎あおい バイト中の僕 戦メリのデヴィット・ボウイ

vi motion picture

 いま固有名詞について触れたが、そういうのが明らかにセンスのある配置だなというのはある種伝わりやすい。しかしそれをやらなくても青松がふとみた景色/ふとした経験を描くことでもおもしろいと思わせられる短歌も多くて、そこで読者として親しみを抱くことのできる脱力感もよいと思った。こういう短歌に「親しみ」を見出すのって私だけなのだろうか。青松がおもしろいと思うもの、俺もおもしろいと思うよ!と言いたい気持ちになってしまっているのかもしれない。

別になにも象徴してはいないけど光を反射して靴しろい

iv 七月

ネットフリックスで映画を見ている ずっとずっと前、実家でも見た

viii metaphor

 同時にもちろん青松の知らない面、おそらくは恋人や大事な人にしかみせないであろうそれを赤裸々に語ってもいて、短歌という形式を用いてやろうとしていることの射程の広さに舌を巻いた。作者と作品をどれだけ結びつけて読むかという意味でこういう読み方にはある程度問題はあるのは自覚しているが、しかしそういう柔らかい部分も青松は内に抱えているんだ、というのを読者に思わせる(もしかしたら錯覚かもしれないが)のはこの短歌集の素敵なところだと思った。

カラオケのフリータイムで眠くなって、眠くなったら、眠ってもいい?

iii hikarino/蜂と蝶

クリスタルの睡眠薬でねむれたら(もっとじょうずに甘えられたら)

iii Xtal

 総じて、読んでいて勇気が湧いてきた。特定の何かというよりは、生きるためのみたいな漠然としたそれである。イロニー的態度と最初に書いたが、読み通して読者に残る感情は絶望よりも希望で、そういう歌集を読めてよかったなと思う。

きみのせいじゃない離れる救急車のサイレンの音が変わってくのは

ii untitled

うまくやるよ 誰も見てないけど来てた2020年の流星群

iv カミングオブエイジ

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 はじめの思い出話では高校を卒業してから関わりがまったくなかったかように書いていて、実際ほとんどそうなのだが、ただ時折彼とLINEすることはあった。医学部に入りながらにして人文系に(限らない広範囲に)強い関心を持つ青松に対して、医師をやりつつ今も細々と文化人類学の研究を続けている私は、自分のことを重ねている部分がないわけではなかった。
 『4』を読んで、青松の才能に改めて嫉妬したし、このままもっと突き抜けてほしいと私は勝手に応援したくなる気持ちになった。すでに一定の評価を得ているが、まだまだ青松の底知れなさについて多くの人が気づいてよいと思う。
 そしてそれと同時に、うっすらとだけ繋がりのある先輩としては、青松が今の立場で感じているだろう様々な外圧であったり、自分をもっと成長させなければならないという気負いであったり、そういうものに潰されてしまわないかというのはめちゃくちゃ勝手に心配している。その苦労は想像に余りあるものだが、数字をダイレクトに常に求められるYouTubeの世界、出版の世界、というのは相当にストレスフルなものだろう。
 まあ何が言いたいかというと、(言われなくてもそうするだろうが)好きなことを好きなようにのびのびとやっていって欲しいなと願っている。医師免許もあったら便利くらいのノリで、とりたくなったらとればよいと思う*3
 以上、『4』の感想というテイをとった、思い出話と、青松への私信であった。

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 おすすめです、ぜひ皆さん手にとってみてください↓

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*1:この「N-1界隈」出身の人が、最近自分の観ているお笑いの世界に出てくるようになっているのは不思議な感覚である。雷獣の日下部は、M-1のナイスアマチュア賞に選ばれていたし、一個下の学年の駒井は吉本のマネージャーとしてマヂラブのラジオを聴いていたら出てきたし、山際もサンミュージックで芸人をやっているらしい。

*2:あまりにもミーハーなのでまだ聞けていないが、青松に舞城の顔をみる機会があったのかどうかはいつか尋ねたい。

*3:ただし、一応医師をやっている身として、臨床はそれはそれでしっかりやり甲斐があるし、人文系に片足つっこみながらそこから得られるものはかなり刺激的である、というのは急いで付記しておく。