すでに「よそ者」ではない

 この3連休で、「野田村 第1回 ごちゃまぜワークショップ」に参加していた。2泊3日で村中をフィールドワークをして、最終日に学生(医学、看護、歯学、社会福祉)が『村を良くするためのプラン』を発表するという企画で、過去に福島県飯舘村で行われたものに3回参加したことがある。

* * *

 これに参加するたびにずっと考えてきたのは、「よそ者」として村に関わるということの意味である。私は特に、その地に所縁があるわけでもなければ、東方地方の出身でもない。いきなり外からひょいっと現れて、高々その村で2日過ごしただけで、「この村はこうしたほうがいいですよ」と村民に投げかける。そこには常に一定の緊張感がある。そこで日々の暮らしがあって、村を良くしたいと(様々な理想があるなかで、多くの現実的な障壁に阻まれながら、それでも真摯に)取り組んでいる人たちへのリスペクトを欠いてはいけない。それが「よそ者」として提言するときにあるべき姿勢だと思っている。

 でもその一方で、完全に「よそ者」になり切れない自分がいる。確かに短い時間だけれど、野田村の観光地をまわって、保育所とかグループホームとかを見学して、そして何より村の人たちと話しこんでいるうちに、いつの間にか他人事ではなくて、その状況に「巻き込まれ」てしまっている自分がいることに気が付く。野田村はすでにアイデアソンの単なる「与えられた課題」ではなくて、見たもの聞いたこと村民の顔……刹那的ではあるけれどもかけがえのないその全ての想い出が付与した、何かである。

* * *

 最後の学生の発表の仕方には2種類ある。それは、主語が誰かによって分けられる。すなわち、「村民の方々、これをするのはいかがでしょうか」型か、「私たちも一緒にこれをします」型だ。どちらに優劣があるとかでは全くないが、気付くと「巻き込まれ」てしまう私は、いつも後者の話し方を選ぶ。
 でも正直に言ってしまうと、私自身、実際に継続して野田村に通えるかというと、それは全く現実的ではない。マッチング・国試を控えるなかで、来年のこの時期に行われるであろう「ごちゃまぜ」に参加できるかどうかも怪しい。そんななかで、「私たちはこうしたいです!」と言ってしまうことは、余りに無責任なのではないか?と悩む気持ちもある(し、実際それは事実だと思う)。

 しかし今回は、スタンスとしてそれを保つということ自体は、悪いことではないかな、とも思うようになった。そういう志でプレゼンをつくった同じグループの人たち(彼女たちは皆岩手県の大学に通う)が次へとつながる何かをしてくれるかもしれないし、あるいは村民の方々の受け取られ方としても、私たちの野田村への想いの熱量として伝わるかもしれない。
 2泊3日で野田村の全ては当然分からないし、劇的に村の状況が良くなる何かなんてものもそう簡単には現れない。でも「よそ者」たる私たちが、どういう「巻き込まれ」方をして、村民と何を話して、学生どうしで夜通し(死にそうになりながら)何を議論をして、何を考えたか、そういった過程の全てが媒介物のようなものになって、村の描く未来に少なからず影響していく。もしかしたら自己正当化・美化し過ぎかもしれないが、最後の村長の総評を聞きながら、そんなイメージを頭に浮かべていた。

 この短いが余りに濃密な2泊3日は、無機質なアイデアソンとも、単なる医療系学生のリクルート事業とも違う。これまでの3回は、いかに誰も気が付いていなくてかつ価値のあることを最後の発表で言えるかどうかに全てが懸かっている、と思っていた。そういうスタンスで臨むべきであるというのは依然思ってはいるが、冊子に「アウトプットのフィニッシュワークは大切ですが、一番大切なのは、皆さんが『どのように感じ』『どのような話をして』『このように纏めた』です。つまり、経緯や各班で話し合った『深度』が伝わる事です」と書いてあった意味が少し分かった。綺麗過ぎる言葉と思っていたが、確かに、このプログラムはそういうダイナミズムのなかに在る。

* * *

 あとはメモ書きを少々。
・「KJ法でアイデアをまとめてプランを練る」という作業、これに限らず今まで散々やってきたなかで、良いものが出てきたなあという実感を得られたことはあまりなかったのだが、今回のは非常に有意義で知的興奮があった。やる気のある優秀な人が集まればワークショップの質も全然変わるのだと考えを改めた。
・ホタテ船に乗って荒海に繰り出したのはとても良い経験だった。単純におもしろいというのもあるが、漁師さんの、ここまで自分とは違う人生を歩んできた他者の生活に思いを馳せた。