青松輝『4』の感想(あるいは、思い出話)

 せっかく記事を書くので、対外的にも文脈がわかるように少しだけ思い出話を書く。青松とはじめに出会ったのは私が中学2年生のときに彼が1年生としてバスケ部に入ってきたときのことだった。しかし青松はすぐに辞めたので特にそのときの思い出は残っておらず、覚えているのは彼と色違いのような名前の同級生がセットでいたことくらいである(そちらの後輩もほどなくしてバスケ部を辞めた)。
 青松と出会い直したのは、灘高の文化祭のN-1グランプリという漫才コンテストの企画である。あの頃のN-1はすごく盛り上がっていて(といってももちろん身内だけのナードなノリだが)、文化祭が終わったあとも出演者でコンビをシャッフルしてカラオケボックスでネタを見せ合うスピンオフ企画をするくらい、漫才が好きな人がたくさん集まっていた。私はネタをつくる才能はなかったが一丁前に評論するのは好きだったので、このブログに書いてあるようなお笑いに関する自説を開陳するのをよく聞いてもらっていた。青松はおもしろいネタをたくさんつくっていた*1
 それから特に親密になることはなく、Twitterでネタツイを頑張っているなくらいの認識でしばらくいたのだが、ふたたび青松の名前を耳にしたのは、数年前、灘とは何の関係もない大学の同級生からだった。曰く「ベテランちのYouTubeがおもしろい」と。私は青松がYouTuberを始めていたのは薄っすら知っていたが、正直内輪ノリの範疇を超えて動画がリーチしているとは思わなかったので驚いた。
 しかし結局、そんな驚きはまったくの序の口で、YouTuberに限らず様々な媒体で青松の名前を目にするようになる。恥ずかしながら噂を聞く程度で積極的に観たものはかなり少ないのだが、GERAで番組をやっていたのと、AUNに出場していたのと、AマッソのYouTubeに出ていた3つは、はっきり言って嫉妬が勝って観られなかったという表現のほうが合っている。別に今の私は単にお笑い好きで細々とブログに文章を書き散らしている素人に過ぎないくせに。

 そんな青松が短歌集を、しかもナナロク社から出したというので、驚いてすぐに購入した。ナナロク社と言えば木下龍也という新進気鋭の歌人と手を組んでいるというくらいの知識はあったし、私が敬愛する舞城王太郎の『Jason Fourthroom』も出してくれた*2ので好きな出版社だ。とはいえ私はズブの素人だ。短歌におけるいわゆる読みのコードみたいなものは知らないし、『短歌ください』に一度だけ応募してしっかり落選したことがある程度の実力である。
 それでも『4』を読んで何事かを言いたくなったので、恥を忍んで本人に感想を送りつけることができる特権を生かしてLINEを送ったのが先日のことである。以下は、その本人宛のメッセージをブログ用に少し改変したものだ。所詮、自分の文章が評論やそれに類する何かではなく、感想の域を出ないものであることは自覚している。

* * *

 はじめに書いたように、青松と私にはそんなに個人的な付き合いがあったわけでもなくて、最近はむしろこちらが各種媒体で姿を追わせてもらっているという立場だった。そういうなかで青松ぽさみたいなもののひとつは、世界へのイロニー的な態度と、それと同居する生の切実さみたいなものの絶妙なバランスなのかなと勝手に思っている。そして実際、私がそういう風に読める短歌はシャープでかっこいい。

みんなエモくなってく夜はそういうものだからね 夜は 夜はつまんない

i days and nights

ぼんやりとした不安のなかでバレエを観て心臓は左右対称でない

iv カミングオブエイジ

 同時に、青松に嫉妬するポイントはやっぱり紛れもなく秀でたユーモア(とそれへの自信)である。それは固有名詞の使い方にすごく表れていて、そこには「これがおもしろいでしょ?」って脳のそういう部分を戦略的に刺激されてるようなあざとさもあるのは事実だが、それでもいいと思えるくらいには好きだ。

冷房の効いてるところ独特の匂い ブラック・マジシャン・ガール

ii 光について

ソラニン宮崎あおい バイト中の僕 戦メリのデヴィット・ボウイ

vi motion picture

 いま固有名詞について触れたが、そういうのが明らかにセンスのある配置だなというのはある種伝わりやすい。しかしそれをやらなくても青松がふとみた景色/ふとした経験を描くことでもおもしろいと思わせられる短歌も多くて、そこで読者として親しみを抱くことのできる脱力感もよいと思った。こういう短歌に「親しみ」を見出すのって私だけなのだろうか。青松がおもしろいと思うもの、俺もおもしろいと思うよ!と言いたい気持ちになってしまっているのかもしれない。

別になにも象徴してはいないけど光を反射して靴しろい

iv 七月

ネットフリックスで映画を見ている ずっとずっと前、実家でも見た

viii metaphor

 同時にもちろん青松の知らない面、おそらくは恋人や大事な人にしかみせないであろうそれを赤裸々に語ってもいて、短歌という形式を用いてやろうとしていることの射程の広さに舌を巻いた。作者と作品をどれだけ結びつけて読むかという意味でこういう読み方にはある程度問題はあるのは自覚しているが、しかしそういう柔らかい部分も青松は内に抱えているんだ、というのを読者に思わせる(もしかしたら錯覚かもしれないが)のはこの短歌集の素敵なところだと思った。

カラオケのフリータイムで眠くなって、眠くなったら、眠ってもいい?

iii hikarino/蜂と蝶

クリスタルの睡眠薬でねむれたら(もっとじょうずに甘えられたら)

iii Xtal

 総じて、読んでいて勇気が湧いてきた。特定の何かというよりは、生きるためのみたいな漠然としたそれである。イロニー的態度と最初に書いたが、読み通して読者に残る感情は絶望よりも希望で、そういう歌集を読めてよかったなと思う。

きみのせいじゃない離れる救急車のサイレンの音が変わってくのは

ii untitled

うまくやるよ 誰も見てないけど来てた2020年の流星群

iv カミングオブエイジ

* * *

 はじめの思い出話では高校を卒業してから関わりがまったくなかったかように書いていて、実際ほとんどそうなのだが、ただ時折彼とLINEすることはあった。医学部に入りながらにして人文系に(限らない広範囲に)強い関心を持つ青松に対して、医師をやりつつ今も細々と文化人類学の研究を続けている私は、自分のことを重ねている部分がないわけではなかった。
 『4』を読んで、青松の才能に改めて嫉妬したし、このままもっと突き抜けてほしいと私は勝手に応援したくなる気持ちになった。すでに一定の評価を得ているが、まだまだ青松の底知れなさについて多くの人が気づいてよいと思う。
 そしてそれと同時に、うっすらとだけ繋がりのある先輩としては、青松が今の立場で感じているだろう様々な外圧であったり、自分をもっと成長させなければならないという気負いであったり、そういうものに潰されてしまわないかというのはめちゃくちゃ勝手に心配している。その苦労は想像に余りあるものだが、数字をダイレクトに常に求められるYouTubeの世界、出版の世界、というのは相当にストレスフルなものだろう。
 まあ何が言いたいかというと、(言われなくてもそうするだろうが)好きなことを好きなようにのびのびとやっていって欲しいなと願っている。医師免許もあったら便利くらいのノリで、とりたくなったらとればよいと思う*3
 以上、『4』の感想というテイをとった、思い出話と、青松への私信であった。

* * *

 おすすめです、ぜひ皆さん手にとってみてください↓

https://www.amazon.co.jp/4-青松-輝/dp/4867320226

 

*1:この「N-1界隈」出身の人が、最近自分の観ているお笑いの世界に出てくるようになっているのは不思議な感覚である。雷獣の日下部は、M-1のナイスアマチュア賞に選ばれていたし、一個下の学年の駒井は吉本のマネージャーとしてマヂラブのラジオを聴いていたら出てきたし、山際もサンミュージックで芸人をやっているらしい。

*2:あまりにもミーハーなのでまだ聞けていないが、青松に舞城の顔をみる機会があったのかどうかはいつか尋ねたい。

*3:ただし、一応医師をやっている身として、臨床はそれはそれでしっかりやり甲斐があるし、人文系に片足つっこみながらそこから得られるものはかなり刺激的である、というのは急いで付記しておく。

身体・享受・規律

 濡れた草の匂いを嗅いだ。ある中華料理屋で炒飯を食べ、外に出たときだった。その刹那、この2年間忘れていた匂いだと感じた。北海道は関西と比べて湿気が少ないのはもちろんのこと、夏の夕立ちを経験することもほとんどなかったのだ。身体的な位相で刻印されている記憶を掘り起こされた私は、これまでで最も強く、自分は関西に「戻ってきた」のだと実感した。もともと私はここで生まれて、ここで育ち、そしてここに帰ってくる人間だったのだ。
 帯広での記憶が自らの身体に刻みこまれているのかどうかはわからなくて、私はちょっとこわい。あの日々は幻のようだったね。

 専攻医の生活が始まって自炊が疎かになると思いきや、むしろ輪をかけて夜ごはんづくりに熱を入れている*1。仕事と研究で日々が手いっぱいなので、楽しみを見出すのが料理くらいしかなくなっているのだ。毎日働きながら、朝から「今日は何をつくろう」ということを考えて過ごすのが励みになっている。一人暮らしゆえに冷蔵庫に食材がどうしても余るので、それを組み合わせて自分がつくったことのない料理を創発するのが醍醐味である。
 休日にランチを開拓しに出かけるのもまた楽しい。自分で料理するようになって余計に、ごはんの美味しさ、そこにこめられた創意工夫を舌できめ細やかに感じられるようになって、「自分は食を享受している」と心の底から幸せを感じる瞬間が増えた。私の生には享受が欠けているというのはかねてからの私の悩みであり*2、いまそこに風穴が空きつつあるのだ。
 料理をつくること/食べることというのはどこまでいっても身体的な営みであり、結局のところ私はこれまで、認識論的におもしろいと思えるものしか信頼できていなかったのだろう。

 実は帯広にいる2年間で15kg痩せた。理由は明白で、自炊を始めてから「今日はランチでいっぱい食べたから夜は少なめにしよう」「飲み会がある日はお昼を控えめにしておこう」という自己調節が容易になったからだ。しかしそれはほんとうに気づかないうちだったので、今年の4月に就職するにあたっての身体測定で判明した。
 一度痩せてしまうとそれを保ちたいと思うようになり、体重計を買った。自分の性格上こうなるのはわかっていたのだが、数字として結果が出ることへの執着が増し、目標とする体重値の±500gに収めることが日々の日課になっている。具体的には、(低体重を下回るのはさすがにまずいと思っているので)私の身長でBMI 18.5となる56.0kgを下限に、56.5kg±0.5kgになるよう毎日体重を測り、食事量を調整し続けている。
 私は、痩せて以降の自分の身体を気に入っている。昔は少しぽよっと出ていたお腹が今は締まっていて、しばしばお風呂に入る前に裸の身体を鏡に映して眺める。数百gの体重の上下に一喜一憂する生活が健康的であると到底言えないのはわかっているが、しかし今の身体が失われるのが惜しくて、体重計に乗るのをやめられない。
 食べることと重みを増すことは表裏一体であり、食を享受することが、体重の規律という観点からは罪の意識を孕んだ行為となる。その両極の緊張まで含めて私はアディクトしているのかもしれない。そう思うとやはり病的である。

 

2023年1月〜6月に読んだ本

 言い訳と言われればそれまでですが、2023年の前半は環境の変化が大きかったのもあり、お世辞にもたくさん本を読めたとは言い難かったです。また、医学の勉強の仕方も変わりました。初期研修医時代であればその科をローテするうえで道標となる本を数冊読む、というのが通用していましたが、呼吸器内科という専門に踏み入れてからは論文の精読やガイドラインのつまみ読みなどを迫られ、必ずしも通読できない状況となりました。
 そこでこれまでの、「医学の勉強の本とそれ以外の本を交互に読む」というルールに拘るのをやめて、自由に読書することにしましたた。そう思うとかなり楽になってまた本を読む習慣が戻ってきたので、続けていきたいと思っています。

1月

2301 山﨑圭一『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』(SBクリエイティブ、2018)

 地理選択で恥ずかしながらこういう知識がちゃんとないので読んだ。どこまで正確なのかはわからないが、概要を掴むには大変充実した内容だった。

2302 小尾口邦彦『こういうことだったのか!! ハイフローセラピー』(中外医学社、2022)

 このシリーズは大変信頼できる。

2303 東千茅『人類堆肥化計画』(創元社、2020)

 書きぶりは半ば露悪的と言えるほどのアジテーションに満ち満ちているものの、内容は一貫している。生物学的腐敗と道徳的腐敗、中途半端な腐敗はやめて堆肥になろう。<しない>で、かつ<しなさすぎない>、みたいな言ってみれば「ほどほど」の実践というのは私たちが無意識にやってきたのだけれど、それを形而上学的に理論化するにあたってどちらかの極に振れてアクチュアリティを失っていたものを、改めて地に、もとい、<土>に足をつけて考え直そう、というスタンスが今の潮流のひとつなのだと思う。マルチスピーシーズ民族誌は特に。

いかにも、食糧の自給自足などという事態は実際にはありえず、農耕はいつも食糧となる生物との協働である。そうして生きよう生きようとすればするほど、作物/家畜とのずぶずぶの関係は深度を増して、元には戻れない。 堆肥になるとは、さらにそこからもう一歩進むことである。〈土〉に堕落したうえで、よりいっそう腐敗を進めなければならない。(170頁)

2月

2304 『ウエスト呼吸生理学入門:正常肺編 第2版』(メディカルサイエンスインターナショナル、2017)

 読もうと思いながらずっと積んでいたが、ICUで人工呼吸器管理を学んだ直後の今がベストのタイミングであった。逆に言えば、呼吸器内科の多くの仕事はこういう生理学的な次元まで降りて考えることは必須ではないかのかもしれない、と複雑な気持ちにもなった。

2305 近藤祉秋『犬に話しかけてはいけない』(慶應義塾大学出版会、2022)

「犬に話しかけてはいけない」という昔の禁忌は、「一つでもなければ二つでもない何か」であるような「犬―人間」、「犬」と「人間」に限りなく近いものとして一時的に抽出することで——しかしその瞬間にもそれらは「犬―間」に戻っていく——何とかうまく「ともに生きる」ことができるようにしてきた北方狩猟民のハビトゥスを示すものだと私は考える。(102ページ)

2306 『ウエスト呼吸生理学入門:疾患肺編 第2版』(メディカルサイエンスインターナショナル、2018)

 続編。

2307 Roger Neighbour『The Inner Consultation 内なる診療』(カイ書林、2014)

 医療面接で経験レベルで言われていたであろうようなことが全部言語化されている。凄い本。

5月

2308 つやちゃん『わたしはラップをやることに決めた』(DU BOOKS、2022)

 2020年現在までの「フィーメールラッパー」について記録された貴重な本。登場する人物の数を減らしてそれぞれを厚く書いてくれるともう少し満足度があったかと思う(元々の連載の字数なのだろうが)。

2309 『ユリイカ 2023年5月 <フィーメールラップ>の現在』(青土社、2023)

 『フィメールラッパーの恋愛表象』はzoom galsのそれぞれのスタンスを理解するうえでの補助線として役に立った。『Tha 女子会 is Hot』はこの特集の巻頭論文にすべきと思うくらい、「ヒップホップ・フェミニズム」あるいは「フィメールラッパー」について語るということについての非常に丁寧な導入になっていた。「女子会」としての身体の乱舞という観点はおもしろい。「フィメールラッパー」の(アイデンティティではなく)アフィニティを考えるときに、「ギャルマインドとは別様な言葉として「女子会」の可能性を感じた。

2310 久保明教『「家庭料理」という戦場:暮らしはデザインできるか?』(コトニ社、2020)

 この本を読んでまず思ったのは、私自身の「家庭料理」へのこだわりである。外食しない家庭で育った私は今、「家庭料理」をつくることに楽しみを見出し、意地のように続けている。そこにおいて私は、将来的に「女性が家庭料理をつくる」という関係を脱構築しようとしているものの、「家庭料理」なるもの自体は温存されている。読書会に参加していた女性は、「女性だから料理」という観念に反発し、今はこだわりのある料理を時間をかけてつくっている。どちらも同じ出発点・目的地から、違う着地点になっているのが興味深い。
 この本においては、家庭で男がつくる料理、あるいは一人暮らしの料理、というのに言及しない。読者としてターゲットにしているのは「家庭料理をする女性」というのもあるかもしれないが、読書会に参加していた先生から「ポストフェミニズム的な素振りを意識的にか無意識的にか感じる」という指摘があったのは目から鱗であった。
 「家庭料理を社会的構造に還元しない」といった趣旨のことを終わりにの脚注で書いているが、逆に、後者を前者に還元する構造に陥ってしまっている。男女雇用機会均等法などをスルーして、家庭料理だけを通じて戦後の女性の生き方を追うことはできない。

たしかに小林カツ代は既存の料理のありかたを疑い、解体し、再構築する手法を提示した。しかし、その主な対象は日本料理で正統とされる調理法や、高名な西洋料理研究家たちが広めた洋食の正しい作り方などであり、彼女や読者が想定する「家庭料理なるもの」自体は温存される。(略)白米を中心に和洋中の美味しい一汁三菜を女性(妻/母)が心をこめて手作りすることが家庭生活の潤滑油になる、という、高度経済成長期に確立された家庭料理の理念的なあり方自体は基本的に肯定されているのである。

一九六〇~七〇年代の家庭生活とは異なり、一九九〇年代の家族を構成する各人は、家庭料理以外にもコンビニやファストフード店ファミリーレストランで様々な料理を日常的に味わい、自らの味の好みを育てている。それを一律に「我が家の味」へと集約させることには無理があるし、だからといって、各人の好みの味をコンビニで買い集めて別々の食品を同じテーブルで食べるのはあまりに寂しい。そう感じる人々にとって、はるみのレシピは、家庭料理を「お店の味」に確実に近づけてくれる強力な手段となる。

手作りの 「我が家の味」とは、祖母世代において地理的・社会的コンテクストに埋め込まれていた家庭料理が、流通や情報や器具の標準化を通じて脱埋め込み化され、誰でもどんな場所でも大体同じように調理することが可能になったからこそ生まれる差異であり、個性なのである。

栗原はるみが切り開いた「ゆとりの空間」を旺盛な商品探索とママ友コミュニティによって拡張し、「我が家の味」の圏域から離脱していった『マート』に対して小林カツ代が切り開いた「美味しい時短」の可能性をレシピのデジタルデータ化とランキングシステムによって拡張し、 「我が家の味」 のデータベース化を進めていったのが「クックパッド」である。

以上で検討してきたノンモダン期の家庭料理のあり方を一言で表すならば、家庭という固着したコンテクストにおいて蓄積される「我が家の味」という圏域から離脱して暮らしを自由にデザインしていこうとする試みとして把握できるだろう。

本書の副題に掲げた「暮らしはデザインできるか?」という問いに対してはここまでの記述を通じて暗に示してきたように 単純にイエス/ノーで答えることはできない。暮らしをデザインすることは実践的にはたしかに可能だが、それは私たちの生にこれまでにない受動性をもたらしている。デザインできるものが増えるほど、 デザインできないものも増える。

前著『ブルーノ・ラトゥールの取説』 (二〇一九年、月曜社)において、筆者は、世界を外側から捉える近代的な対応説 (世界と言語の正確な対応に知の根拠を求める発想)でも、その内在性を暴露することで知の脱構築を目指すポストモダンなフィルター付き対応説 (世界と言語の対応に社会的・文化的なフィルターの介在を措定する発想)でもないものとして、世界に内在する諸関係から一時的に世界に外在する知が産出されるとみなすノンモダニズムの発想を提示した。

6月

2311 『 Medium 2 特集 ダナ・ハラウェイ』(七月堂、2021)

 ハラウェイの見取り図を掴むには逆巻の論考は素晴らしくまとまっていた。しかし特集のそのほかの論考はあまりハラウェイの概念を使うことの強さが感じられず、かろうじて「わたしたちがホモ・サピエンスだったことは一度もない」が「あやとり」概念で遊ぶことの実践になっている程度だった。

2312 町田洋『砂の都』(講談社、2023)

 忘れられない記憶の美しさについて描写する前半と、失われていく記憶のはかなさについて語る後半。「しかしもちろん元通りにはならなかったのだ」というのは予期していたが、ページをめくってすぐに現れる構成にはやられた。ラストの邂逅は賛否あるかもしれない。

2313 芸人雑誌volume8(太田出版、2022)

 きしたかのYouTubeの更新頻度が減っているの、忙しいのはわかりつつも、やはり寂しい。

2314 町田洋『日食ステレオサウンド』(講談社、2023)

 出てくるモチーフは何となく既視感があり、また人をフェアにみる主人公が豪邸の庭のペンキ塗りをする構図は、どことなく村上の『午後の最後の芝生』を想起させる。しかし描かれていたのは、これまで触れてきた町田洋の著作においてそこはかとなく伝わってきた生きづらさ、対人関係のままならなさ(しかし優しい他者への眼差しはある)がストレートにテーマになっていた。ラストは臭さもあるが好みである。

2315久保明教『ブルーノ・ラトゥールの取説』(月曜社、2019)

 医者にとってのSTSってせいぜい科学コミュニケーション論か臨床/研究倫理って思われがちだが、アクターネットワークセオリーってまさに我々臨床医の感覚ではないか、と思う箇所が多々あっておもしろかった。「人間+銃」はたとえば「医者+気管支鏡」として考えることができるし、また、パストゥールの乳酸発酵素の話はそのまま、未知の疾患概念が導入される医療現場に置き換えるとより納得がいく。「プラズマ的外部」は常に我々が意識せざるを得ない部分だ。
 医者は「素手」で医療行為はできず、何かしらの医療器具=アクターと結びつけられるという事実と、最終的に診断や治療という形で患者/疾患と関係付けられることが宿命である、ということが相性の良さたるゆえんなのかもしれない。一方で様態論みたいなのは(哲学あるあるかもしれないが)ANTの行き着く先としてはあまり良い線ではないだろう。
 ラトゥール、あるいは久保のラトゥール理解においては、結局「We have never been Modern」の構図が重要なのだとわかった。すなわち、表層的には「純化」ができたと思っていても、深層では「翻訳」が行われている。それが、能動的に思える外在的な汎構築主義=汎デザイン主義が、実は受動的である、という構図と相似なのである(「毎日料理をするんだ」と言っていた大学院生が、結局はクックパッドのランキングを順番につくるだけになるように)。

 追記:このあたりに考えていたことを後にブログ記事にしました。

satzdachs.hatenablog.com

現在とは過去の堆積である

 深夜2時10分、病棟からの着信音で目を覚ます。遅い時間だが、私にはその電話の理由は出る前からわかっていた。案の定、電話越しに看護師は、「××さんの呼吸と脈拍が止まりました」と危篤状態になっていた私の名前の患者を言った。「向かいます」と短く返事をしてすぐに支度をし、夜の生ぬるい空気が肌にべたつくのを感じながら自転車を飛ばして病院に到着した。この間10分。

 更衣室でスクラブと白衣に着替えて、真っ暗な1階のエレベーターホールから真っ暗な6階のエレベーターホールまで上がった。私は緊張しながらも、少しだけ、漂う非日常感に気分が高揚しているのを自覚している。ナースステーションの光に照らされた廊下に懐中電灯を持った看護師が立っていて、「あと10分ほどでご家族は来られます」と私に伝えた。私は「わかりました」と答えてパソコンの前に座り、まだ経験の少ない死亡確認を前にして言うべきこと、確認すべきことについて反芻する。
 カルテを遡っていると、××さんが入院して3週間近くの自分が治療してきた経過がありありと蘇ってきた。まだ呼吸器内科医になって日の浅い私は胸腔ドレーンを緊張しながら入れ、入院直後は徐脈に悩み、併存疾患に対しての投薬の調整で他科に対診をし、ここ数日は急変の対応で冷や汗をかき、自分が経験したことがなかった病態にも最後は直面した。私は研修医時代のICUローテ中に、自分の担当患者が亡くなったときに救急医からかけられた一言を改めて思い出す。「△△くんにはこの症例で学んだことを背負って、今後の医師人生に活かして欲しいです」。そういう積み重ねで私は成長させてもらっている。

 家族が来て、病室へと入っていく。私は腕時計を持っていない(近いうちに購入しなければならないと思っている)ため、懐中時計を看護師から借りた。文字盤には日にちが刻まれていないタイプであり、今日は⚪︎月⚪︎日、今日は⚪︎月⚪︎日と間違えないように呟きながら私もあとを追って病室に入った。もう呼吸によって胸が上下しなくなった××さんと、それをじっとみつめる家族がベッドの傍に立っている。
「改めまして主治医をしておりました呼吸器内科の△△です。入院となってからの数週間、特に急変してこの数日のご心労は大変なものだったと推測します。夜分遅くにお疲れ様です」
 何となく頭の中で固めていた言葉をゆっくりと話す。最後に「お疲れ様です」と言ったのが適切なのかはわからなかったが、家族は「いえいえとんでもないです」と返してくれて、場の空気を保ったまま次に進めることができる。
「今から、死亡の確認をさせていただきます。呼吸の音と、心臓の音、そして瞳孔の散大を診察します」
 私は××さんの首元を人差し指と中指で触れて、脈がもう触れないことを確認した。死亡確認の際は家族・看護師の全視線が私の一挙手一投足に集まっていて、極度に緊張している。この場面が家族にとって一生に残ると思うと余計に体の強張りを感じるのだった。自分の心臓の脈打つ音を××さんのそれに勘違いするような気がして、私はじっと長めに首元を触っていた。やはり私の指先には何も感じられなかった。
 次に呼吸音と心音が止まっているのを確認するために聴診器をあてる。普段ならヒューヒューやパチパチやドクドクやザーザーが聞こえる耳元には、何も入ってこない。このときいつも私は、真っ黒な虚空がその胸の中に広がっている光景が頭に浮かぶ。初めてこの人は生きていないのだと実感する。
 最後に瞳孔の散大を確認して、「3時34分、死亡を確認しました。このたびはご愁傷様でした」と言って頭を下げた。数秒ののちに顔を上げると、熱心に××さんのことを気にかけていた家族の顔が悲痛でゆがんでいるのがみえる。××さんは私と3週間前に出会うまでのはるかに長い年月、この家族とたくさんの時間を紡いできたのだということを悟った。

 部屋を退室して、死亡診断書を記載した。ここにも大々的に「△△」と私の名前が残るのだから責任は重い。間違いがないか何十回も確認してから「確認発行」のボタンを押す。
 こうして××さんの人生に私が終止符を打つわけだが、しかしだからといって、××さんの生きてきた過去がすべて今ふいになるわけではないとも同時に思う。私は××さんから医師としてたくさんのことを学ばせてもらったし、家族は私が計り知れないほどの思い出を××さんと築いてきたのだろう。それらは決して消えるわけではなくて、今を生きる私たちの一部となっているのだ。

 現在とは過去の堆積である。

 

 

 

※個人の特定を防ぐために実際の数字や疾患名からは改変して記事を作成しています。

M-1における「競技漫才」と、THE SECONDにおけるまだ名前のついていない何か

 2023年5月20日に行われたTHE SECONDは、6分という制限時間と、観客審査、そして16年以上の芸歴という3つの要素でM-1とここまで違う大会になるのだという驚きがあった。4分の競技漫才では行うのが難しいことと、減点対象になったであろうことに注目して比較しつつ、すべてのコンビを振り返っていこうと思う。すなわち主に書くのは形式についてで、今回はネタの内容には深く立ち入らない。

 

 THE SECONDという大会の方向性を決定づけたのは、第1試合だったと思う。トップバッターの金属バットは冒頭で、他のコンビの名前を挙げつつ大会自体のことに言及した。そういった自分たちのネタの外について触れるというのはは寄席ならばあり得ることだが、競技漫才においてはほとんど許されなかったことだ。持ち時間にゆとりがあり、かつ芸歴を重ねているからこその導入であったと思う(もちろん彼らのもともとのキャラも大きい)。

 金属バットのネタの構成自体はつい1年前までM-1の出場権があったからか、競技漫才として見慣れたつくりになっていたが、さらに象徴的だったのはマシンガンズだ。彼らは冒頭から大会への言及はもちろん観客いじりや、「今日調子が良くない」「今のウケたな」といったことを繰り返し言っていた。漫才というのは生身の人間どうしが話すという体(てい)を守りつつ、実際には事前に用意された台本に沿って演じられるという暗黙の前提を演者と観客が共有している。そこでマシンガンズのように台本の進行から外れて、ネタの出来不出来についての自己言及的なセリフを言うことは、一般的にネタから「降りる」と呼ばれている。「降りて」いる彼らをみて、THE SECONDは完成された作品を展示するという意味合いの強いM-1とはまったく違うのだということを鮮烈に印象づけられた。

 「降りる」ことはM-1において何となく減点対象のようにみられているだけで、別にそれがおもしろければ何も問題はないはずである。観客審査であるということが、そういう寄席に近い(良い意味で作品性の薄い)やりとりを許容する鷹揚さを生み出していたと思う(もっと言えば、「とにかくおもしろい漫才」を審査基準とするM-1においても「降りて」もいいはずなのだが、競技漫才としての歴史がそうはさせないのだ)。

 

 スピードワゴンが出てくれる大会というのはとにかく良かったし、彼らが出たことによって次回以降ベテランが触発されることに期待してしまう。「純は俺に任せてもう行け」のコントの導入とか、「大至急」のコントの止め方とか、彼ら独自の色の出たフレーズがいちいち楽しい。

 三四郎M-1との違いを感じさせられたコンビであった。お笑い界の事情についてネタにするのも壮大な内輪であり、これもまたM-1では禁忌とされてきたが、観客審査ゆえに勝ち上がってきた。流れ星瀧上が「フランス映画」というのもわかるし、テレビの視聴者があれをどれだけ理解していたのかも不明だが、あの場にいた(敢えて審査をしようと応募するくらいには)お笑い好きな人たちにはウケが良かったのだろう。なおこの禁忌に関して他ならぬM-1でぶち破ったのが去年のウエストランドなのだが、逆にあそこまで突き抜けたものが出てしまうと後続はやりにくい(アルコ&ピースのあとは今なおメタフィクションの傑作が出ていないように)と思われるので、M-1においてお笑い界について語るネタは今後も現れにくいと思われる。

 

 ギャロップの1本目は競技漫才の延長でガチガチに仕上げられた6分間であった。そもそもこの尺でみるのがいちばんよいものを、M-1であれば割愛されて4分に収められていただろうから、このような大会があってよかったと素直に思わされた。

 テンダラーは予選1位だったのも頷ける。この審査方式において、寄席的な観客とのコミュニケーションの上手さやリズムの良さを持ち合わせた彼らは最強だろう。4分間の競技漫才であれば基本的には1つのテーマでネタを構成することが美学とされるが、いろいろなネタのウケる部分のパッチワークのようにしてつくられていたのも、この大会ならではであると感じた。

 

 超新塾のポップさもM-1ではなかなかみられないものでよかった。「マイナスからのスタートです」みたいないわゆる滑り笑いも審査員によっては厳しい評価を受けると思われるので、観客ファーストというか、良い意味でのチープさ、営業ぽさがあってよかった。彼ららが決勝に行くというのもまた、THE SECONDぽさとして象徴づけるには第1回として相応しかったように思う。

 囲碁将棋は言わずもがな、競技漫才がどうとか言うのもおこがましいくらい、常にネタを仕上げ続けている。彼らは4分でも6分でも10分でも変わらないスタイルでおもしろいしゃべくり漫才ができるのだろう。理屈をこねくり回すタイプより、大喜利を羅列していくタイプを選んだのは、何らかの戦略があってのことか、たまたま良いネタがそうだったかというだけか。「大学病院の売店には客が吸いこまれていく」は今大会いちばん好きなくだりだ。次大会以降の優勝候補となっていくだろう。

 

 2本目以降について、ギャロップは2本目は電車あるあるを少し角度を変えて、3本目はフリの長い一撃必殺で、球種の多さをみせつけての貫禄の優勝であった。いまの露出度と、漫才の熟練度を併せて考えると、THE SECONDにとって初回のチャンピオンが彼らであったことは、(スピードワゴンのような売れっ子には多少無理のあった)「セカンドチャンス」というコンセプトの維持にとって最良の結果だっただろう。

 特に言及したいのは3本目で、これは4分の競技漫才ではできなかったものではなく、むしろ6分という長さがあったからこそ最後の一撃の重みが増していた。寄席の観客のような集中力では絶対に受け入れられない構成であるから、ある意味ではあのネタが今大会でいちばんガチガチの競技漫才だったかもしれない。関西で活動するギャロップがそのようなネタを勝負所に持ってくるというのは偶然でなくて、やはりそこに通底しているのはオールザッツ的な価値観なのだと思う。「演技の部分長いな」には確かに意識はいくのだが、「そういえばパンの導入だった」は本当にちょうど忘れているくらいの頃合いであったから、実に計算され尽くされた展開である。

 マシンガンズがお得意のYahoo!知恵袋のくだりで紙を読み出したときは、やはりこれもM-1的な様式美を無視していてよいなと感じた。2008年のNON STYLEがリップをとり出したことに松本人志が苦言を呈したのは有名な話だが、今回もこの紙に対して言及していてその姿勢は変わっていないことがわかって興味深かった。我が身ひとつでやるのが漫才であるという価値観なのだろうが、それではどこまでが「我が身」であるのかという問いを考えてみると存外難しい。ぺこぱの松陰寺の着物はどうなるのか。どこまでが自分の身体の延長としてみなせるのかというサイボーグ的な問いの複雑さを考慮すると、様式美以外の理由で物品を持ちこむことを否定するのはできない、というのが私の立場だ。ともかくTHE SECONDにおいては観客審査なので、その辺りは関係ないというのがまた痛快である。そういえば触れ忘れていたがその前に超新塾が思い切り眼鏡と帽子を持ちこんでワクワクさんをしていた。

 3本目が私は今大会でいちばん脳髄が痺れた漫才であった。もうネタがないと言いつつ何かしらあるのが多くの場合だが、ほんとうになさそうにしていて、その場で起こったことを題材にしつつ、苦し紛れに既存のネタを持ち出してきているその様は、競技漫才の形式に対する挑戦、アナーキズムであった(本人たちはおそらくそんな大仰な目的はなくて、まさしく生身の人間、リアリティをもった言葉として吐かれていたのがまたよかった)。ああいう良く言えば即興性、悪く言えばいつつまずくかわからない危うい綱渡りをみている感覚は、これまでのどんな賞レースでも味わえない経験であった。このような景色をみせてくれたマシンガンズと、この大会に心から感謝している。

 最終的に綿密なネタと戦略のあったギャロップが大差をつけて勝利したのもあまりに美し過ぎるオチだろう、そこは観客冷静なんかいという。

 

 M-1にはみられなかったがTHE SECONDにおいては現れたものについて、たとえば尺の長さを念頭に置いて「寄席漫才」と呼ぶのは簡単なのだが、まだ第1回ということもあり、そうすることによって捨象される詳細を危惧してまだ名付けるのには保留しておく。それだけこれからの展開に大いに期待できる大会であった。最後に、率直に言って、観客席に座って採点するのは恐れ多いし重大な責務となるが、少しやってみたいとは思う。「お疲れ様です」。

Zoomgalsの「自己矛盾」とサイボーグ・フェミニズム

は? ギャルの鉄則? なんてあるようで無いし好きにやりや

 それは衝撃だった。私には、漠然と感じていたZoomgalsの「自己矛盾」が、大門弥生のその一言で一挙に顕わになったように思えて、動揺した。

1. Zoomgalsとは何か

 Zoomgalsとは、世界が世界を「コロナ渦」であると認識し始めた2020年3月、ギャルラッパー・valkneeのこのツイートをきっかけに集まったMarukido、田島ハルコ、なみちえ、ASOBOiSM、あっこゴリラのフィーメールラッパー6人組のヒップホップクルーである。

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 その6人のバックグラウンドは様々である。たとえば、なみちえは、黒人女性へのルッキズムへのアンチテーゼとしての東京藝術大学でのの着ぐるみ制作で話題になった経歴を持つ*1。彼女がラッパーとして名をヘッズに知らしめたのが『おまえをにがす』(2020)であり、一見意味を成さないフックがリフレインされることで黒人の蔑称である「ニガー」が浮かび上がる、ユーモラスながら批評性の高い一曲になっている。

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 またMarukidoは、秋葉原のいわゆるJKビジネスを題材にした『合法JK』(2019)が出世作だ。「ギャラ飲み地方出身成り上がり/パパ活投資家エンジェルばかり」「単価落ち/クレカ審査落ち港区女子」などという歌詞で、性の商品化の蔓延るストリートをリアルに描く。Marukidoは歌詞であけすけに性的な用語を使うことを厭わないし、MVやアートワークにおいても電マやディルドといったアイテムを故意犯的に多用する。彼女はそういった社会の暗部に陥る若い女性の絶望を歌いながら、ドラッグを想起させるワーディング・演出で束の間のアジールを見出そうとする。

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2. ギャルマインド

 もともとはvalkneeの「『自分は最強』みたいなことだけ言うラッパー」として集まった6人だったが、その「自分は最強」というメッセージは、トキシック・マスキュラリティのいまだ強く蔓延るヒップホップの世界においては彼女たちが女性であるという事実とは切り離せなかった。そうした時代の必然性と彼女らの意志がちょうど噛み合う形で、Zoomgalsは日本のヒップホップ・フェミニズム史に外せない存在へと一躍のしあがった。Zoomgalsとして出したのは(valkneeのfeat.名義であった『Zoom』も含めると)4曲で現在は自然消滅的に活動休止をしているにも関わらず、2023年5月に刊行されたばかりの『ユリイカ』(青土社)の特集「<フィーメールラップ>の現在」で実に多くの記事が彼女たちに言及しているのがその証拠であろう。

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 背景のバラバラな彼女たちを結びつけているのは「ギャルマインド」であると、つやちゃん『わたしはラップをやることに決めた』(DU BOOKS、2022)は論じる。冒頭の歌詞は『GALS(feat. 大門弥生)』からの引用だが、あっこゴリラのヴァースで「蘭ちゃん一生崇める/みほなはマリア」と歌われるように、そもそもこの曲のタイトルの参照元は伝説のギャル漫画『GALS!』(藤井みほな作、1998年12月から2002年5月まで雑誌「りぼん」にて連載)だ。

引用された漫画『GALS!』は、90年代末という時代に連載されながらも、当時のいわゆるギャルらしくない子に対して“ギャルかどうかはお前が決めろ!" と指南する先進的な漫画だったことを忘れてはならない。約20年の時を経て、Zoomgalsは、『GALS!』で提示された価値観を受け継ぎながらも、"マインドこそがギャルをギャルたらしめている"という再定義された昨今のギャル像を彼女たちなりの表現で描いている。(123ページ)

 「ギャル」というのが指しているのはむろん、特定のギャル、すなわちコギャルでもガングロギャルでも白ギャルでも姫ギャルでもない。「男ウケ」を狙うのではない本当に自分のしたい服装をする「ギャル」という属性が、単なるファッションの意味を超えて、アイデンティティ・ポリティクスにおける「女性」をエンパワーメントする標語へと彼女らは拡大させた、と私は理解していた。

だが、このMVで映されているのは、90年代の元祖ギャルがまとっていたあのコーディネートではない。誰一人として重なることのないばらばらの装い、独自の主張、そして一本軸が通された「好きにやる」という美意識。(前掲書、123ページ)

3. Zoomgalsの「自己矛盾」

 しかし私には『GALS』以前から、その「独自の主張」の「ばらばら」さが気がかりであった。各々がやりたいことを自由に表現するがあまり、一曲の中でそれぞれの価値観がバッティングしているように思える瞬間があったのだ。

 この点について重要な示唆を与えてくれるのは、前掲のユリイカの特集に収載されている中條千晴『フィメールラッパーの恋愛表像』である。この論文において、まさにZoomgalsのメンバーであるMarukido、あっこゴリラ、Valknee、そして大門弥生に関する言及があった。
 Markidoは、様々なメディアで自らの性体験について赤裸々に語ったり、先述のように性の商品化をアイロニカルにネタにしている。「性を商品化することが日常となってしまった現代の日本社会のなかで、その支配構造をこっそりと転覆する女の子たちの『密猟(セルトー 1990)』を臨場感ある表現で語る」のだが、「その社会病理を直接的な形で批判・糾弾するという姿勢を取ってはいない」。

彼女たちの描く女性のエージェンシーは、家父長的なジェンダー規範に基づく男性の恋愛観、男女関係への価値観を完全に否定するものではなく、そのため本質的にはそのような規範に基づく支配・被支配と共謀する構造を保存し、女性の身体を積極的に「従属」(assujetti)させる可能性を孕んでいることにも留意する必要はあるだろう。社会の病理をうまく取り込み生き残るその戦術は、結果的に(フーコー的な)生権力による「主体化」(a-sujettissement)を再生産し続けているとも見て取れる。(『フィメールラッパーの恋愛表象』、122ページ)

 Marukidoの下記のような露悪的なツイートもその象徴だろう。*2

 一方で、あっこゴリラや大門弥生は、「男性中心のセクシュアリティの規範を否定し、自己の選択を肯定するようにエンパワメントし続けるフェミニストを公言する」。あっこゴリラのリリックからはいつも、学術的基盤がしっかりしていることを窺わせられる。
 またValkneeは、「『かわいさ』を(男性主体ではなく)自らの価値基準によるものとする 立場をとる。「男性中心の恋愛規範に自らを寄せるのではなく「尊敬せいよ」「生まれたまんまのあたしを愛して」(Valknee「DIARY」2020)と社会に要求する Valknee の男性(性)を軸としない恋愛表象には、「尊敬」ということばによって恋愛における男女間の支配・被支配の構造を打開しようとする姿勢が窺える」。

 このように一口に「ギャルマインド」と言っても彼女たちの態度はさまざまであり、他の果たしてメンバーどうしでお互いに齟齬はないのだろうか、というのは一リスナーとしての私の疑問であった。それぞれが「好きにやる」ことの帰結としてZoomgalsは自己矛盾に陥っているのではないか。その疑問が頂点に達したのが『GALS』であった。
 この曲は、「GALの鉄則」が何かということについてのマイクリレーである。あっこゴリラ、なみちえ、valknee、ASOBOiSMが鉄則をその1、2、3、4と繋いだあと、田島ハルコが「その○」という形式を使わずに崩し、そしてMarukidoが登場する。宮台真司が脈絡なくネームドロップされたあと(彼女の引用の仕方にはややぺダンティックなことが多い)、「お前の頭にI'ma naked the shit/ I'm naked the shit/ ギャルの鉄則I'm naked the shit」という耳で聞くと「生中出し」と聞こえるリリックが繰り返される。「お前」で想定されているのは(有害な)男性であり、それを「生中出し」という本来は男性側が行う行為を逆手にとって、カウンター的な意味合いを帯びさせているのだろう。しかしそういうやや露悪的な性的表現が私にはどうも、他のメンバーのリリックとは馴染まないような気がした。
 たまたま「自分が最強」と思って集まった即席のZoolgalsの連帯は難しいのではないか、そう予期していたところに冒頭の大門弥生のリリックである。「は? ギャルの鉄則? なんてあるようで無いし好きにやりや」と強い関西弁でそう吐き捨てる大門弥生には、曲のコンセプト自体を無に帰すような破壊力があった。特に直前がMarukidoの「ギャルの鉄則生中出し」であったのも余計に、マイクリレーの断絶を私に感じさせた。そういった異性愛規範を前提とした露悪的な歌詞を吐き捨てるように聞こえた大門弥生の一言、いや「は?」の一文字は、私にZoomgalsの「自己矛盾」*3について改めて考えさせるには充分すぎる重みがあった。

4. フェミニズム科学論、および、全体性の問題

 そんな疑問を氷解させたのがダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』であった。フェミニズム科学論における金字塔のひとつであるこの論文は、端的に言えばフェミニズムにおいて「ばらばらでありながら連帯すること」がどういうことなのかを明らかにしている。それはまさに言わばZoomgals的な連帯を40年近く前にすでに先取りしていた内容であったのだ。

 なぜフェミニズム史においてサイボーグが出現しなければならなかったのかについて、ふたつの補助線を引こう。
 ひとつはフェミニズム科学論の文脈である。それは80年代初めにフェミニストたちが、科学技術のジェンダー化について批判的に論じるところからスタートした。掃除機やキッチン家電などのテクノロジーは本当に女性を解放したか。フェミニズム科学論は、科学技術がジェンダーや人種といった差異と結びつきながらそれらの間の不平等を維持していることを明らかにした一方で、次第に議論はエスカレートし、科学技術における男女のジェンダーの差を本質的なものとする見方や、科学技術そのものや男性性を厳しく否定する議論も巻き起こった*4

 もうひとつは『サイボーグ宣言』においてハラウェイが論じている、フェミニズムにおける全体性の問題である。マルクス主義フェミニズムもラディカルフェミニズムも、すべてを包摂するような議論を目指したが、それゆえに、排除する=「全体性」から漏れる要員を必然的に生み出してきた。

カテゴリーとしての女性や、社会グループとしての女性が、一体化された存在として、あるいは全体化が可能なあるまとまりとして構成されていることを明らかにすると主張するような理論には、人種(やその他こもごも)が入りこめるような構造的余地などなかったといえる。(ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』、308ページ)

 ハラウェイは、まさしく私がZoomglasについて考えていたのと同じような、フェミニズムをひとくくりにすることの困難さについて語っている。

今日では、ある者にとってのフェミニズムに対して、単一の形容詞をもって名称を付与することは困難となっているし、状況にかかわりなく、フェミニズムという名詞にこだわりつづけることさえすでに難しい。名称の付与という行為に伴う排除の意識には、尖鋭なものがある。アイデンティティというものは、常に、相矛盾し、部分的で、戦略的であるかのようにみえる。ジェンダー、人種、階級の持つ社会的、歴史的な構成がようやくのことで認識されるようになった今、たとえ「本質的な」一体性を信じる場合であっても、その根拠を、こうしたジェンダー、人種、階級といった構成に求めることはもはや不可能である。「女性(female)」であることに、女性(women)を自然に結束させるべき何ものかがあるわけではない。「女性」というカテゴリーにしてみても、極めて問題の多い性科学の文脈をはじめとする社会実践の中で構成されてきた高度に錯綜したカテゴリーなのであって、女性「である」という状態が存在するわけではない。(同書、297ページ、太字強調は筆者)

 それは、近年フィーメールラッパーが「フィーメールラッパー」というカテゴリーそのものの荒唐無稽さについて語るのにも呼応している。もはや女性「である」、フィーメールラッパー「である」というアイデンティティに基づいた連帯というのは意味をなさなくなっているのだ。

5. 異なりながら結びつく

 そこで登場するのがサイボーグである。

サイボーグ―サイバネティックな有機体―とは、機械と生体の複合体であり、社会のリアリティと同時にフィクションを生き抜く生き物である。(同書、287ページ)

 サイボーグの身体においては、生体と機械は部分的につながりつつ、ほかの部分ではそれぞれが差異を保ったまま同じ身体に存在している。ハラウェイはそのモチーフを用いて、いき過ぎたフェミニズム科学論のようにただ男性性を否定・批判するのではなく、その前提となる男性/女性の二元論のそのものが、単純な支配関係ではなく、いかにアイデンティティ・政治・経済などにおいて複合的に結びついているかに注目した。異なりつつ結びつくということのメタファーは、西洋近代哲学が前提としてきたあらゆる二元論を解体・脱構築する。

原著の表紙絵

 そしてハラウェイのサイボーグは、フェミニズムにおける全体性の概念も脱臼させる。ハラウェイに多大な影響を受けた人類学者マリリン・ストラザーンの言葉を借りれば、「それはひとまとまりのイメージではあるが、全体性のイメージではない(a whole image but not an image of a whole)」(『部分的つながり』、128ページ)。

サイボーグはスケールに従わない。サイボーグは単数でも複数でもなく、一でも多でもなく、お互いに同形ではないがゆえに比較できない部分と部分を結合するつながりの回路である。単一の存在、あるいは複数の存在からなるひとつの多数体として、全体論的あるいはアトミズム的にアプローチしてはならない(同書、163頁)。

 ではサイボーグ・フェミニズムにおける連帯とはどのようなものなのか。ハラウェイは、「である」という単一のアイデンティティ(identity)を基盤に全体性を目指す代わりに、異なりながらも結びつき、同時にそこに存在するあり方について論じる。そこで用いられるのはアフィニティ(affinity)という単語である。次章でこの言葉について論じよう。

しかし、提携、すなわちアイデンティティではなくアフィニティを介した、もっとちがったかたちでの応答が、徐々に認識されるようになってきている。(『猿と女とサイボーグ』、298ページ)

6. 状況に置かれた知とアフィニティ

 アフィニティという言葉を理解するうえで、同じ『猿と女とサイボーグ』に収録されている論文『状況に置かれた知(situated knowledge)』を読む必要がある。

 ハラウェイが批判の対象としたフェミニズム科学論において、一部の極端な社会構築主義者は俯瞰的な立場を自称してきた。しかしハラウェイにとって、「上から全体を見渡すことができる」というのは幻想である*5。再びマリリン・ストラザーンの言葉を借りれば、「私たちが描く世界像は、肉体組織と人工器官の能動的な知覚系に依存している」(『部分的つながり』、120ページ)。

……それら多様な像は、無限の移動性や互換性のアレゴリーであってはならないが、ハラウェイがいうように、「細微にいたる特異性や差異の、そして他者の視点から誠実に物事を見ることを学ぶ際に人々がしめすであろう愛のある配慮の」(Haraway 1988)アレゴリーである。この視点にたてば、合理的知識は中立的であることを装わないだろう。部分的であること=肩入れをすることは、意見を聞かれ、主張を行うポジションをとるということであり、それは上からの眺めではなく身体からの眺めである。だから、あらゆる視覚的な可能性は非常に限定的にならざるをえない。ハラウェイは宣言する。ただ部分的なパースペクティヴのみが客観的なヴィジョンを保証する、と。だとすればハラウェイの著作は、自らが関与する言説の内部に自身を位置づけながら、同時に当事者として熱を帯びた批評活動をする権利を保持する、私たちの時代のもうひとつの民族誌である(同書、120ページ)。

 ハラウェイはこの「身体からの眺め」を「ヴィジョン(vision)」と表現した。そしてハラウェイはこの「ヴィジョン」に基づいたフェミニズムにおける客観性を、以下のように表現する。

フェミニズムの立場にたった客観性とは、限定された位置、 そして状況に置かれた知に関わるものなのであって、主体や客体の超越や、主体と客体の解離に関わるものではない。(『猿と女とサイボーグ』、364ページ)

 改めて注意を喚起しておくが、ここで言われている「位置」とはすなわち、女性であるかそうでないかという「アイデンティティ」に関わるものではなく、ある特定の人がその身体をもって置かれている特定の位置のことである。「具象化された身体/生体の固定された位置」(同書、373ページ)。

フェミニズムにおける科学の問題が有している多様なイメージとは、逃避したり限界を超越したりした結果としての産物、すなわち、上方からの眺め(ヴィジョン)であなく、さまざまな部分的な眺め(ヴィジョン)やとぎれがちな声を、集団としての主体という位置へ結び合わせていくことであり、こうした集団としての主体という位置こそ、進行中の有限の具象化作業の手段としての見方/見え方(ヴィジョン)、さまざまな限界や矛盾の内部に棲息する手段としての見方/見え方(ヴィジョン)、すなわち、特定のどこかからの眺め(ヴィジョン)を保証する。(同書378ページ、)

 ここで本章の主題へと戻るが、フェミニズムにおけるアフィニティとは、置かれた状況の類似性をもってつながるということである。黒人女性なのか白人女性なのか、ブルジョワなのかプロレタリアなのか、母なのか娘なのか、その「アイデンティティ」は異なろうとも、置かれた状況の親和性をもって成立する関係である。これが、アカデミズムとしてのフェミニズムも、運動としてのフェミニズムも常に突きつけられてきた、「『我々』とは何か」という問いに関する(それには答えないという形での)答えである。

7. Zoomgals的連帯を再考する

 さて、ようやく、Zoomgalsの話に戻る。彼女らの「ギャル」性について、私が当初抱いていた解釈について改めて考えてみよう。私は第2章で「アイデンティティ・ポリティクスにおける『女性』をエンパワーメントする標語」として「ギャル」を解釈したが、そもそもこの「アイデンティティ」の文脈に置くのが違和感の源であった。
 Zoomgalsは「フィーメールラッパー」であるから連帯したわけではなく、マスキュラリズムの色濃いヒップホップという世界にいる彼女たちの個々の置かれた状況の類似性=アフィニティから、結成に至ったのである。そこにおいて、彼女たちの「アイデンティティ」が「ばらばら」であることはその連帯を阻害するものではないし、ましてや「自己矛盾」などではない。
 そう思うと、マイクリレーというヒップホップでは一般的な形式も、異質な他者が同じビートのうえでひとつの曲をつくるという意味で、実にサイボーグ的である。valkneeと、Marukidoと、田島ハルコと、なみちえと、ASOBOiSMと、あっこゴリラは、それぞれに異なりながら、しかし部分的につながり、Zoomgalsというサイボーグとなったのだ。そして「は?」と吐き捨てるように6人に投げかける大門弥生もまた、そのサイボーグにアフィニティをもって接続されている。

 Zoomgalsの実質的なリーダーであったvalkneeの、前掲のつやちゃんの著書内で行われたインタビューでの発言を紹介して本稿の締めとしたい。彼女がどこまでハラウェイ的な思想を念頭に置いていたのかは不明だが、図らずもZoomgalsの連帯におけるサイボーグ・フェミニズム的な性質について語っていた。

——わたしは、全然キャラクターの違う人同士がお互いのリリックとかにケチをつけず連帯してみるっていう動きがあってもいいじゃんと思って Zoomgals を始めたんです。世の中も、全然違う考えの人同士で協力しあえるようになってほしいんですよね。(『わたしはラップをやることに決めた』、160ページ)

8. おわりに

 敢えて本稿では触れなかったが、ハラウェイ自身は『サイボーグ宣言』でアフィニティという言葉の注釈として、「血縁ではなく、選択にもとづくような関係。"化学"作用の核となるようなある集団が、別の集団に呼びかけることによって成立する関係。親和性」(同書、297ページ)と書いている。
 「選択にもとづく」というのは、論じてきたように特定の位置に置かれたある個人を想定したような書き方で理解しやすい。一方でその前の「血縁ではなく」というのは、フェミニズムの文脈ではどのようなことを想定されているのかがすぐにはつながりにくい。ハラウェイが2020年代前半現在掲げている「Make kin not babies(子どもではなく類縁関係をつくろう)」というスローガン、および人と「人以外」の絡まり合いに注目するマルチ・スピーシーズ民族誌の潮流へとつながっていく*6のは理解できるのだが、本稿の論旨との関連についてはいまの私にはシームレスに語ることができないというのが正直なところである。これを次の課題として、ハラウェイの思想の全体像を掴むことを目指していきたい。

*1:https://grinweb.jp/feature/0005/

*2:フェアであるために書いておくと、彼女が結婚・出産を経て以降はそういった方面もやや翳りをみせたようにも思える。

*3:と言いつつ本記事がMarukidoとその他のメンバーの対立のようになってしまっているのは、誠に私の筆力の至らぬところである。実際にはメンバーどうしが互いにすべてお互いの態度について賛同し合っているのだろうか、と疑問に思っていた。

*4:鈴木和歌奈.“実験室から「相互の係わりあい」の民族誌へ ポスト-アクターネットワーク理論の展開とダナ・ハラウェイに注目して”(2020).

*5:このようなハラウェイの思想はジェイムズ・クリフォード『文化を書く』以降のポストモダン人類学の問題意識と共鳴していて、ストラザーンをして「世界に対する複数の視点を加算していくことで全体的な眺望を手にできる」という西洋近代の多元主義(pluralism)および観点主義/遠近法(perspectivism)批判を書かせたことを理解するのはたやすい。それがさらにサイボーグのイメージによって喚起されて結実するのが、ストラザーンの「異なるまとまりが共在していて、なおかつ、お互いに部分的に重なり合っている」ポスト多元主義(postpluralism)の思想である。ストラザーンの影響を受けて動脈硬化の存在の複数性についての民族誌を書いたアネマリー・モルは、それを「一より多いが、多より少ない」と表現した。

*6:

hagamag.com

話し足りないことがある

 2021年3月末、大きなスーツケースを引っ張りながらタクシーに乗り込み、「帯広協会病院まで」と言ったとき、運転手は「協会病院ですね」と返した。そのとき私は、ああ、彼にとっては「帯広」ということは所与の前提だからわざわざ頭につける必要がないのだと、自分の部外者性について痛感した。その日は今から思えば帯広にしては曇っていてどんよりと薄暗く、私はこの街に果たして馴染めるのだろうかと、ほんのり絶望したのをよく覚えている。
 それから2年経った今、私はこの広大な十勝平野とまっすぐに透き通る青空が愛おしくて、離れるのが心から惜しくなっている。

 この2年間、自分にひとつのルールを課していた。それは、初期研修医としての勉強の本と、それ以外の本(人文系の書籍など)を交互に読むということだった。どちらの努力も怠りたくないと最初に心に決めたことだが、私はふたつともできることは全部やったと自信を持って言うことができる。
 医師になることへの躊躇いがあったことはこれまで書いてきた通りだが、実際にやってみると(拍子抜けするほど)楽しかったというのが事実だ。もともと新しい知識を得るということ自体は嫌いではなかったが、仕事上の必要に迫られて本腰を入れるまでは、その面白さを理解するまで学生時代に至れていなかったということなのかもしれない。病棟にせよ救急外来にせよ研修医の裁量の大きい病院で自分の勉強スタイルによくあっていたし、総合診療科、循環器内科、呼吸器内科それぞれで自分の師となる医師ができて内科的基盤が形成された。最後の診療科については私の志望科となり、この4月から奈良県で(呼吸器)内科専攻医として働く予定だ。
 地方中核都市の中くらいの規模の総合病院でしかみえない景色はたくさんあり、その経験も財産である。加えて、自分の医師のベースとして家庭医療学的なスタンスを少しでも取り入れることができたのは、敢えて帯広を選んだ甲斐があったということだ。やはり家庭医療学はどんな医師にとっても重要な学問であると確信したし、これからも私は臓器別内科医でありながらも「病院家庭医」としてのマインドは失わずにいたい(そしていつか、家庭医療の真ん中に帰ってきたいという気持ちも芽生え始めている)。
 人類学についてはフィールドノートを書き続けていた。臨床実習で始めてから丸4年になるが、分量も保ったままに1週分も原稿を落とすことなく継続できたことについては、さすがに誇っていいのではないかと思っている。文字通り、私が医師になる過程のすべて詰まっているし、これからも記録に残し続ける。臨床実習の分のフィールドノートに関しては細々と論文を書いてきていて、ようやく出口がみえ始めたくらいにはなったので、近いうちに良い報告ができるように頑張りたい。
 いずれにせよ、医師になるということと人類学的な研究をするということは両立可能であったし、今は片方が他方のための手段などではなくて、どちらも自分がやりたいこととして正面から取り組むことができている。こんな幸せなことはない。

 ありきたりな表現になるが、私がこうやって充実した2年間を過ごすことができたのは、十勝・帯広という土地、病院の環境、理解ある上司、そして何より切磋琢磨する研修医の同僚がいたおかげだ。お金も時間もなかった大学生では得られなかった青春を取り戻しているようでもあった。こちらも月並みな表現だが、帯広は第二の故郷である、と心の底から私は言いたい。
 私は別れが苦手だ。直視できないし、何かずっと、まだ話し足りないことがあるのではないか、と不安になってしまう。しかしこれは仕方がない、というのも同時にわかっている。他者と関わり出会いと別れを繰り返す以上、何か話し足りないことがあるかもしれない、という幾多ものの可能性を抱えこみながら、私たちは生きていくしかないのだ。
 何も今は、住んでいる場所が離れればそれっきり連絡をとれない時代でもない。これから過ごしていく日常で、ああこれをあの人に話し足りてなかったなと思いたてば、それをそのまま伝えればよいのだ。そう自分に言い聞かせながら、新千歳空港の搭乗口前の席で、私は締めつける胸を撫でている。