現在とは過去の堆積である

 深夜2時10分、病棟からの着信音で目を覚ます。遅い時間だが、私にはその電話の理由は出る前からわかっていた。案の定、電話越しに看護師は、「××さんの呼吸と脈拍が止まりました」と危篤状態になっていた私の名前の患者を言った。「向かいます」と短く返事をしてすぐに支度をし、夜の生ぬるい空気が肌にべたつくのを感じながら自転車を飛ばして病院に到着した。この間10分。

 更衣室でスクラブと白衣に着替えて、真っ暗な1階のエレベーターホールから真っ暗な6階のエレベーターホールまで上がった。私は緊張しながらも、少しだけ、漂う非日常感に気分が高揚しているのを自覚している。ナースステーションの光に照らされた廊下に懐中電灯を持った看護師が立っていて、「あと10分ほどでご家族は来られます」と私に伝えた。私は「わかりました」と答えてパソコンの前に座り、まだ経験の少ない死亡確認を前にして言うべきこと、確認すべきことについて反芻する。
 カルテを遡っていると、××さんが入院して3週間近くの自分が治療してきた経過がありありと蘇ってきた。まだ呼吸器内科医になって日の浅い私は胸腔ドレーンを緊張しながら入れ、入院直後は徐脈に悩み、併存疾患に対しての投薬の調整で他科に対診をし、ここ数日は急変の対応で冷や汗をかき、自分が経験したことがなかった病態にも最後は直面した。私は研修医時代のICUローテ中に、自分の担当患者が亡くなったときに救急医からかけられた一言を改めて思い出す。「△△くんにはこの症例で学んだことを背負って、今後の医師人生に活かして欲しいです」。そういう積み重ねで私は成長させてもらっている。

 家族が来て、病室へと入っていく。私は腕時計を持っていない(近いうちに購入しなければならないと思っている)ため、懐中時計を看護師から借りた。文字盤には日にちが刻まれていないタイプであり、今日は⚪︎月⚪︎日、今日は⚪︎月⚪︎日と間違えないように呟きながら私もあとを追って病室に入った。もう呼吸によって胸が上下しなくなった××さんと、それをじっとみつめる家族がベッドの傍に立っている。
「改めまして主治医をしておりました呼吸器内科の△△です。入院となってからの数週間、特に急変してこの数日のご心労は大変なものだったと推測します。夜分遅くにお疲れ様です」
 何となく頭の中で固めていた言葉をゆっくりと話す。最後に「お疲れ様です」と言ったのが適切なのかはわからなかったが、家族は「いえいえとんでもないです」と返してくれて、場の空気を保ったまま次に進めることができる。
「今から、死亡の確認をさせていただきます。呼吸の音と、心臓の音、そして瞳孔の散大を診察します」
 私は××さんの首元を人差し指と中指で触れて、脈がもう触れないことを確認した。死亡確認の際は家族・看護師の全視線が私の一挙手一投足に集まっていて、極度に緊張している。この場面が家族にとって一生に残ると思うと余計に体の強張りを感じるのだった。自分の心臓の脈打つ音を××さんのそれに勘違いするような気がして、私はじっと長めに首元を触っていた。やはり私の指先には何も感じられなかった。
 次に呼吸音と心音が止まっているのを確認するために聴診器をあてる。普段ならヒューヒューやパチパチやドクドクやザーザーが聞こえる耳元には、何も入ってこない。このときいつも私は、真っ黒な虚空がその胸の中に広がっている光景が頭に浮かぶ。初めてこの人は生きていないのだと実感する。
 最後に瞳孔の散大を確認して、「3時34分、死亡を確認しました。このたびはご愁傷様でした」と言って頭を下げた。数秒ののちに顔を上げると、熱心に××さんのことを気にかけていた家族の顔が悲痛でゆがんでいるのがみえる。××さんは私と3週間前に出会うまでのはるかに長い年月、この家族とたくさんの時間を紡いできたのだということを悟った。

 部屋を退室して、死亡診断書を記載した。ここにも大々的に「△△」と私の名前が残るのだから責任は重い。間違いがないか何十回も確認してから「確認発行」のボタンを押す。
 こうして××さんの人生に私が終止符を打つわけだが、しかしだからといって、××さんの生きてきた過去がすべて今ふいになるわけではないとも同時に思う。私は××さんから医師としてたくさんのことを学ばせてもらったし、家族は私が計り知れないほどの思い出を××さんと築いてきたのだろう。それらは決して消えるわけではなくて、今を生きる私たちの一部となっているのだ。

 現在とは過去の堆積である。

 

 

 

※個人の特定を防ぐために実際の数字や疾患名からは改変して記事を作成しています。