平成31年4月20日 第21回 死にたくない

 昨年、祖父が死んだ。葬儀で、私は何があっても泣いてはいけないと思っていた。

 祖父の病態が悪化していった過程は典型的なもので、何の変哲もないと言ってしまうこともできる。あっちの手術をしたと思えばこっちで悪いところが見つかって、こっちの治療をしたせいであっちが悪くなって、しまいには悪くないところを探すほうが難しくなった。歩けなくなり、立てなくなり、喋れなくなり、食べれなくなった。最後はずっと病院で生活していた。
 そんな祖父に対して、率直に言うと、私は心理的に少し距離をとっていた。家族と一週間に一度はお見舞いに行っていたが、自分から能動的に病院に行ったことはなかった。大学の用事を言い訳に行かなかった週もある。祖父を入院させるべきかさせないべきかの話し合いのときも、私は積極的に参加していたとは言えなかった。家族が判断してくれるのをじっと待っていた。お見舞いに行っても、私は何と声をかけたらいいのかよく分からず戸惑っていた。どう言っても空虚に響く気しかしなかった。祖父が体調を崩してからずっと家を支配する重い雰囲気が嫌で耐えられなくて、早く過ぎ去ってしまって欲しいとさえ思っていた。
 結局のところ、生まれてこのかた一度も葬式に出たことのなかった私は、誰かが死んでいくとはどういうことなのかがよく分かっていなかった。それが避けられないものであるというのを直感的に理解しつつ、なるべく見なくても済むように逃げてばかりいた。

 そんなだったから、私は自分には涙を流す資格はないと思っていた。もちろん、悲しい気持ちは確実にあった。私は祖父のことが好きだった。しかし、ここで「おじいちゃん、何で死んじゃったんだよう」と泣くのは、自分のストーリーとして綺麗に完結させるためだけにしかならないと思った。それはあまりにご都合主義で、自分を許せなかった。泣いてもいいほど、自分は祖父とは向き合えていなかったと思った。
 葬儀は荘厳にとりおこなわれた。読経によって一気に異質になった空間に私は圧倒されていた。焼香しながらすでに泣いている親族もいた。私は絶対に泣かないと心に誓っていたが、別にこらえる努力をする必要もなかった。
 いよいよ出棺という段になった。祭壇の前におろされた棺を囲み、ひとりひとり花を棺のなかに入れた。死に化粧をした祖父の顔は、生きているようにも見えるし、死んでいるようにも見えた。そこで思い出の品を入れるということもその場で初めて知った。私が渡されたのはハッピーターンだった。そういえば、祖父はお菓子が好きだったなあと思った。頭のなかに、広島カープの野球中継を観ながら、嬉しそうに祖父がハッピーターンの包装を開ける姿が浮かんだ。ああ、そうか、あの姿を今後見ることはないんだなあ、とぼんやり考えた。

 その瞬間、眼から涙が溢れだしてきた。余りにも突然で、止めることはできなかった。みっともなく嗚咽を漏らしながら、それを冷静に俯瞰している自分もいた。なんで、俺こんなに泣いてるんだ。それでもなお私は泣き続けた。ハッピーターンの包装がぐちゃぐちゃになった。父がそっと私の肩に手を置いた。
 あのとき、私は初めて、人が死ぬとはどういうことかを理解したのだと思う。

***

 幼稚園から高校生くらいまで、私は死後の世界について奇妙なイメージを抱いていた。
 私の想像する地獄は、別に釜茹でされたりとか、針山を登らされたりはしない。ただ質問をされる。しかしその質問は、一度は自分が聞いたことがあって絶対に答えを知っているはずなのに、それでも思い出すことができないのが答えになっている。その一つの質問に答えられれば解放されるのに、答えられずに、ずっと気持ちの悪いまま、どうしようもなく悔しい思いを抱えて地獄にい続けることになる。そんな世界だ。

 今から思うと、身近な人が亡くなるという経験をしてこなかったから、そういう想像になっていたのだと思う。形容しがたいのだが、私のイメージには悲壮感もなければ、(死後の世界だから当たり前なのだが)何の実感もこもっていない。子どもが戯れにつくった砂場のお城のようだ。
 でも、いつしかこのイメージは消え、死んだ後のことについて考えるのはやめていた。受験で忙しくなってそんな暇がなくなったくらいの理由なのだと思う。

***

 祖父の葬儀以降、自分が死ぬということについて初めて具体的に考えるようになった。どう考えても、自分もいつかは確実に死んでああいう葬儀で送られる側になるのだ、と悟った。
 悟ってしまうと、どうしようもないくらい大きな恐怖が私を襲った。自分が死んだらどうなるのか、誰が教えてくれるというのか。今生きている人は誰も死んだことがない。「死んだら天国に行ける」と生きてる人が言ってても全く説得力がない。無になって、消えてなくなれるならまだいい。消えることもできずに、死んだあとはずっと苦痛しかない世界に身を置き続けることになっていたらどうしよう。ダレン・シャンの精霊の湖みたいな、一生意識は残り続けながらぐるぐる湖を回り続けるだけの存在になってしまったらどうしよう。真っ暗で、狭くて、寒い箱のなかに閉じ込められたらどうしよう。
 こわい。こわすぎる。いやだ、死にたくない。

***

 いまだ、私の死生観は定まっていない。考え始めると恐怖でいてもたってもいられなくなるので、なるべく考えないようにしているというのが事実だ。
 宗教というものの持つ意味の一側面について、実感を持って気付かされた(もちろんそれだけではないというのは分かっている)。

 医師には「平静の心」が求められるというオスラーの言を【第18回 家庭教師の感情――キダさんがムカつく】で紹介した。そのときは「怒り」の話をしたが、今回は「恐怖」だ。
 今の私が、目の前に死を間近に迎えた患者さんがいるとき、「平静の心」を私が保てるとは思えない。患者さんが死について圧倒的な恐怖を感じていたら、容易に逆転移してしまう自信がある。だから臨床実習で患者さんに会うのがめちゃくちゃこわい。むき出しの死と向き合いたくない。臨床実習で深く関わることがなくても、当然、医師になればこれからたくさんの死と向き合うことになる。それは悲しいくらい確実に決まっている。
 でも、こんな私に、いったい何ができるというのだろうか? 私は、死のことがよく分からない。

2577文字
(計46953文字)