<お笑いと構造 第4回> 意外感と納得感の拮抗性――あるあるネタ、大喜利をケースに

 文狸(ぶんり)です。前回まで、お笑いの構造分析の三尺度のうち、「意外感」「納得感」について説明してきました。

satzdachs.hatenablog.com

 「意外感の笑い」「納得感の笑い」というのがそれぞれ単独で存在するわけではなく、私の分析では、一つの対象に対して複数の尺度を合わせて考えるのが基本です。そこで今回は、意外感と納得感の「拮抗性」という性質に注目してみたいと思います。

意外感と納得感は拮抗し合う

 既に紹介した以下の式ですが、今後議論しやすいように、
 S: 意外感の大きさ A: 納得感の大きさ
 c: 共通認識の明瞭さ d: 共通認識からの距離
 と名付けてみます。

式1:S(意外感の大きさ) = c(共通認識の明瞭さ) × d(共通認識からの距離)
式2:A(納得感の大きさ)=c(共通認識の明瞭さ)×{1-d(共通認識からの距離)}

 この意外感・納得感がそれぞれ単独の笑いとして存在しているのではなく、ある単一のお笑いにおいて意外感と納得感が複合して存在する場合を考えてみましょう。すると、その笑いの「面白さ」とは、意外感と納得感とがかけ合わされたモデルとして理解できます。

式3: (面白さ)y = S(意外感の大きさ) × A(納得感の大きさ)

 意外感と納得感の根底にある共通認識が同一のものだとすると、ある一つのお笑いに対して、c(共通認識の明瞭さ)・d(共通認識からの距離)も同じものとして代入することができます。

式3: (面白さ)y = S × A
              = (c × d) × {c × (1 - d)}

 この式を見れば一目瞭然ですが、d(共通認識からの距離)を大きくすればするほど、S(意外感)は大きくなりますがA(納得感)は小さくなります。逆に、dを小さくすれば、Aは大きくなりますがSは小さくなります。だから、dを大きくすればいいってものではないし、小さくすればいいってものでもない。
 このように、意外感と納得感の拮抗性によって面白さが決定されているということがよく分かります。

あるあるネタに見られる拮抗性: "中間点"を探す

 少し抽象的な議論過ぎて、少し分かりにくかったでしょうか。
 それでは、拮抗性が最もよく現れている具体例の一つとして、あるあるネタをとりあげ、実際にそれが笑いにどのように作用しているのかを見てみることにしましょう。例えば、学校あるある。

① 「学校には黒板ある」
② 「校庭に野良犬来たらみんなテンション上がる」
③ 「学校の飼育係はみな血液型B型」

 以上の3つを比べてみて、いちばん(相対的に)面白いあるあるネタってどれでしょうか。①だと当たり前すぎて、何も面白くありませんが、③は全く共感できず、これまた面白くありません。
 これは前節の式3において、「d(共通認識からの距離)を大きくすれば、S(意外感)は大きくなるがA(納得感)は小さくなる。逆にdを小さくすれば、Aは大きくなるがSは小さくなる」と説明したことと矛盾しません。

 ②のように、あんまり意識したことはなかったけれど、言われてみれば確かにそうだ、くらいの塩梅で初めてあるあるネタとして機能していることが分かります。あるあるネタは、このような”中間点”を探すようなものではないかと思います。
 この"中間点"という概念を、より詳しく、数学的に理解してみましょう。式3を平方完成し、グラフを書いてみます。

式3: (あるあるの面白さ)y = c² × d(1 - d)
                   = c² × {-(d - 0.5}² + 0.25}

picture - コピー - コピー

 今c²は定数ですから、図からも明らかなように、yを最大にするような値はd=0.5です。つまり、あるあるの面白さが最大になるのは、(0から1までの値をとる)「共通認識からの距離」dの"中間点"なのです。それが「あんまり意識したことはなかったけれど、言われてみれば確かにそうだ」という、あるあるの丁度いい塩梅なのです。

「画像で一言」も、y=c²×{-(d-0.5}²+0.25}

  ここでもう一つ、お笑いにおいて拮抗性が顕著に現れる大喜利、特に「画像で一言」に注目してみましょう。以下の画像は、実際にIPPONグランプリにて出題されたものです。

画像1

①「カンガルーでーす」
②「だめだめ~! やっぱ座敷空いてないって~!」
③「これはパイナップルで~す」

 実際にIPPONをとった回答はもちろん②です。①と③がなぜ駄目なのか、なぜ②が一番良いのか、それは結局、先ほどと同様で、y=c²×{-(d-0.5}²+0.25}においてyが最大値をとるときのdの値はいくつなのかという話に収束します。画像で一言もまた、「言われるまでは思いつかなかったが、確かに言われてみればそんな風に喋っているように見えなくもない」という"中間点"を目指すのです。

終わりに

 本稿では、意外感と納得感の拮抗性について論じ、あるあるネタと「画像で一言」を例にとりあげました。次回は、「『拮抗性』への自己反論」 と題して、伏線回収という手法に見られる「相乗性」について考えていきたいと思っています。

satzdachs.hatenablog.com